〜泣かないで〜
声が聞こえる。縋るような泣き声が。見覚えのある黄昏れの街並みを背景に、その主はいた。
少女だった。闇夜を映したような青みを帯びた漆黒の長髪にフリルの付いた純白のワンピース。艶やかな綺麗な髪を風に預け、膝を抱えて少女は啜り泣いていた。母性本能というやつだろうか。
その愛おしく切ない背中を見ていると胸が締め付けられる。
堪え切れずに少女の淋しげな肩にそっと手を伸ばす。だが、その手は肩に触れることなく少女の体を擦り抜けた。驚いて手を引っ込めるが、確かめるように再び少女に触れようと手を伸ばす。
髪に、肩に、背中に。だが何度試しても少女に触れることは出来なかった。少女は膝を抱いたまま動こうとしない。
どうしたの?
その瞬間、それに答えるかのように突然周りの風景が溶け始めた。まるで滲んだ絵の具のように黄昏は徐々にドス黒い漆黒へと姿を変えた。
綺麗なレンガ造りの街並みは瓦礫と化し、致る所で紅蓮が地面をはいずり回る。灼けた地面に転がる屍が辺り一面を死で包み、絶望を映したような真っ暗な闇夜が見据えるように沈黙を守る。少女の声だけを残して。
絶え間なく泣き続けていた少女は、突然の瓦礫が崩れる音にハッと顔を上げた。
涙で濡れたその瞳の先に写ったのは一人の少年の姿だった。少女と同い年くらいの茶髪の少年だった。少年の顔は灰で汚れていて、ボロを羽織ったその姿はなんともみすぼらしかった。フラフラと覚束ない足取りで近付いてくる少年を少女は涙声で拒絶した。
「いや・・・来ないで。来ちゃダメ・・・来ないで!」
少女の叫びを遮るように鈍く光る鋭利な白銀の刃が少年目掛けて次々地面を突き出て来た。徐々に迫り来る刃が意に介さないのか、少年は顔色一つ変えずにフラフラと近寄る。
「「ダメーーッ!!」」
思わず上げた叫び声が少女の叫びと重なったが、刃はその叫びもろとも少年の体を貫いた。ズグリと胸の悪くなるような肉が裂ける音がしたかと思うと、おびただしい量の深紅の鮮血が辺りを血の海へと変えた。
いやぁあああ!!
今度は少女の悲痛に順じるかのようにゆっくりと刃が地中へと帰って行く。刃が消えてなお鮮血は止まることなく吹き出し、少年の体を紅く染め上げた。絶望に打ちのめされた少女はぺたんという足音に思わず顔を上げた。一目で致死量と解る血を流したというのに少年は平然とした顔で再び少女に歩み寄った。
ゆっくりと、だが確実に縮まる二人の距離が気に食わぬのか。今度は少年の背後から現れた細身の槍が少年の心臓目掛けて穿たれた。ズブズブと突き刺さる槍をものともせずにひたすら少年は少女に近づいた。
とうとう少年が少女の下へと辿り着くと槍も諦めたのか、血を滴らせながら刃と同じく土へと帰っていった。いつのまにか少女の涙は止まっていた。困惑した表情で見上げてくる少女を見て少年はニッコリと微笑んだ。
もう泣かないで
その一言が先程とは別の涙で少女の頬を濡らした。とめどなく流れ出る涙を少年の手が優しく拭う。いつの間に入れ代わったのか。地面にへたり込み涙を流していたのは少女ではなく自分だった。成長した少女の涙を拭い取っているのは少年ではなく優しい笑みを浮かべた青年だった。
「もう泣かないで。二度と君を一人にはしないから。だからもう大丈夫」
男の言葉に女性は泣き崩れた。男の腕が女性を優しく包む。泣き疲れたのか安心したのか、女性の意識は男の腕の中に堕ちて行った・・・・・
・・・ジル・・・おい・・・ジル・・・・・・?
誰・・・・・?
優しく呼びかけてくる声に意識が夢から引きずりだされた。声の主を探そうと涙で滲んだ瞳を開くと夢の中の男が自分の顔を覗き込んでいた。
「ジル?どうかしたのか?うなされてたみたいだけど」
心配した顔で男が濡れた顔を手で拭う。さっきの光景と同じだ。優しく触れる男の手を女性が両手で握る。女性は首を横に振るとニッコリ笑った。
「ううん。もう大丈夫」