第五話
「ごめんね、あやめの様子がへんだったから・・・・
そんなつもりはなかったのに、何かしなくちゃと思って、つい・・・・
ほんとにごめんね。」
ナナがしきりにあやまってくる。
私の左頬はまだヒリヒリしているけれど痛くはなかった。
むしろ、私を異空間から呼び戻してくれたナナに感謝しているくらいだ。
ナナがいなかったら私はきっとおかしくなってた。
「ゆるさない。」
・・・・・・え?
「絶対ゆるさないから。」
そんなひどいことを言うのは誰?
「友達だと思ってたのに。なんてことすんの。」
・・・・・動いた口は確かに自分のものだった。
ナナが必死で涙をこらえている。
私は走り出した。
「待って・・・・」
後ろでナナの声がしたけれど、もう耳が拒絶していた。
砂場を突っ切って、ブランコの間をくぐる。
公園を出る時、追いかけてくる足音が近づいてきた。
もっとスピードを上げる。
足音はまだついてくる。
私は走った。
もう何も考えられない。
車の急ブレーキの音をきいたのは、
大通りを渡った直後のことだった。
もう足音は追いかけてこない。
私の足が止まる。
そしてそのまま全身化石になった。
後ろで起きた恐ろしい現実を、自分の目で確かめる勇気なんて
そのときの私にあるわけなかった。
だから、逃げた。
その場からも。
現実からも。
いくつもの道を通って。
いくつもの角を曲がって。
そうやって遠く離れていくうちに全部なかったことになるような気がして・・・・・
最低だ。
なかったことになんかならない。
起こってしまった現実なんだから。
心のどこかでそう思っていたから、私の足は絡まり、何度も何度も転んだ。
転んで、ぶつかって、つまずいて。
でも、もうどうしたらいいのかわからなかったんだ・・・・・。
翌日、私は重い足をムチでたたく思いで学校へ行った。
そして知った。
ナナが交通事故で一生右腕を使えない状態なってしまったことを。
あの紙は、なんでもできるナナをうとましく思った誰かが
軽い気持ちで下駄箱に入れた物であることを。
それからナナが学校に来ることはなかった。
ナナのきれいな指は、もう鍵盤を踊らない・・・・・
力強いフォルテシモも、繊細なピアニシモも消える・・・・・
それになにより次、笑顔で会うことができない・・・・・
目の前が真っ暗になったみたいだ。
なのに、みんなはいつもと変わらない。
ナナがいなくても、クラスが違うと係や委員会で困らないから。
「いなくなってスッキリした。」なんて言う子までいる。
なんで、なんで、なんで。
私はこんなにも悩んで、悲しんで、苦しんでいるのに。
どうしてみんな、そんな平気な顔していられるの?
時間は、そんな不安や苦しみをどんどん薄くしていく。
だけどそのかわり、私の心にはぽっかりと大きな穴があいた。
大切なものをどこかに置き忘れたみたいな、
何とも言えない重い気持ちがいつも私の中にあった。
そして思い出すのだ。
ナナとの思い出のシーンを。
いつもくっきりと、細かいところまで鮮明に。
でも、見つからない。
何度探しても、忘れものは見つからないのだ。
そうやって過去へ戻っていくうちに
夏は終わってしまうのに・・・・・




