最終話 魔王を倒さない世界
朝。
窓から差し込む光で、俺は目を覚ました。
鳥の声が聞こえる。
街では人々が歩き始めている。
昨日までと何も変わらない朝。
けれど。
俺にとっては、何もかもが違っていた。
もう世界が滅びる未来はない。
魔王を倒さなければならない理由もない。
勇者が剣を抜く必要もない。
俺はベッドから起き上がった。
「……朝か」
こんな普通の言葉を口にすることが、少し嬉しかった。
扉が開く。
「ヨハン!」
シエルが顔を出した。
「起きた?」
「ああ」
「朝ご飯、食べに行こう」
「分かった」
俺は笑った。
それだけだった。
世界を救う必要もない。
誰かを守るために走り続ける必要もない。
ただ、一緒に朝ご飯を食べる。
それだけでいい。
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宿の食堂には、レオンたちも集まっていた。
「おはよう」
「おはよう」
ミレイユがパンを頬張っている。
「今日からどうする?」
レオンが聞いた。
俺は少し考える。
「まずは学校だな」
シエルが頷く。
「うん」
「俺も行く」
レオンが手を挙げた。
「勇者じゃなくなったんだから、普通に勉強してみたい」
ミレイユが笑った。
「じゃあ、みんなで学生ね」
「アベルも?」
シエルが聞く。
「……俺まで?」
「もちろん」
エリシアが笑う。
「一人だけ逃げるのはずるいですよ」
アベルは困った顔をした。
「分かったよ」
食堂に笑い声が広がる。
俺も笑った。
この光景を、俺は何度夢見ただろう。
何度失っただろう。
何度取り戻そうとしただろう。
けれど。
もう、やり直す必要はない。
今ここにあるものを、大切にすればいい。
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食事を終えた俺たちは、街の外へ出た。
昨日見つけた巨大な樹が、遠くに見える。
あの樹から、この世界は始まった。
記憶。
命。
未来。
すべてが、そこから生まれた。
シエルが立ち止まる。
「ねえ、ヨハン」
「ん?」
「私、少しだけ思い出した」
「何を?」
「今までの世界」
俺は黙って聞いた。
「私は何度も魔王になった」
「……ああ」
「何度もヨハンに守ってもらった」
「そうだな」
「何度もヨハンを失った」
シエルは胸に手を当てる。
「でも」
顔を上げる。
「一番覚えているのは、最後の世界」
「最後?」
「うん」
シエルは笑った。
「ヨハンが、誰も捨てないって言った世界」
俺は頷いた。
「俺も、それを覚えてる」
「だったら、もう十分だね」
「ああ」
シエルが手を差し出す。
俺はその手を取った。
温かい。
生きている。
それだけでいい。
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俺たちは巨大な樹の下まで来た。
レオンたちも後ろからついてくる。
エリシアが樹を見上げた。
「ここで、私たちは新しい世界を選んだんだね」
「そうだな」
アベルが静かに言う。
「俺は、ようやく分かった気がする」
「何を?」
「失った人を取り戻すことだけが、救いじゃない」
アベルは空を見上げる。
「失ったことを受け入れて、それでも生きていくことも救いなんだ」
エリシアが微笑む。
「うん」
アベルも笑った。
長かった。
本当に長かった。
何度も世界が滅びた。
何度も誰かが死んだ。
何度も同じ場所へ戻った。
それでも。
最後には、誰も捨てなかった。
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「ヨハン」
レオンが呼ぶ。
「何だ?」
「俺は勇者じゃなくなった」
「ああ」
「聖剣もない」
「ああ」
「魔王もいない」
「そうだな」
レオンは笑った。
「それでも、悪くないな」
「俺もそう思う」
レオンは拳を差し出した。
俺は拳を合わせた。
「今度は、普通の友達としてよろしくな」
「こちらこそ」
ミレイユが笑う。
「じゃあ、私も」
エリシアも手を重ねる。
アベルも少し迷ってから手を重ねた。
シエルが最後に手を重ねる。
六人の手が重なった。
誰も欠けていない。
誰も犠牲になっていない。
俺はその光景を見つめた。
そして、思う。
これが欲しかった。
ずっと。
俺が欲しかった未来は、世界を救った英雄になることじゃなかった。
魔王を倒すことでもない。
勇者を守ることでもない。
ただ。
大切な人たちと、一緒に生きること。
それだけだった。
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その日の夕方。
俺たちは街へ戻った。
巨大な樹は、もう光っていない。
空は夕焼けに染まっている。
シエルが隣を歩いている。
「ヨハン」
「ん?」
「明日は何する?」
俺は笑った。
「学校だろ?」
「そうだった」
シエルも笑う。
「その次は?」
「分からない」
「じゃあ、一緒に決めよう」
「ああ」
歩きながら、俺は空を見上げた。
かつて見た空は赤かった。
世界の終わりを告げる空だった。
今は違う。
青から橙へ。
橙から紫へ。
ゆっくりと夜へ変わっていく。
当たり前の空。
当たり前の一日。
当たり前の明日。
それが、何よりも嬉しかった。
俺はシエルの手を握った。
シエルも握り返す。
「ヨハン」
「何?」
「今度は、ずっと一緒だね」
「ああ」
俺は答えた。
「今度は、誰も俺たちを選ばない」
「うん」
「誰も俺たちに役目を押しつけない」
「うん」
「魔王も、勇者も必要ない」
シエルが笑う。
「じゃあ、私は何?」
俺は少し考えた。
そして答える。
「シエルだよ」
「それだけ?」
「ああ」
「ふふっ」
シエルが笑った。
「それが一番いい」
俺も笑った。
俺たちは夕暮れの街を歩いていく。
世界は続いている。
誰かを犠牲にすることなく。
誰かを捨てることなく。
誰か一人に未来を背負わせることなく。
みんなで、生きていく。
もう、やり直す必要はない。
もう、世界を救う必要もない。
ただ明日を迎える。
それだけでいい。
俺は、もう一度だけ空を見上げた。
そこには、無数の星が輝いていた。
その中に、かつての世界で失われた人たちの記憶がある。
きっと。
この世界は、忘れない。
俺たちが何度間違えても。
何度失っても。
最後に選んだことを。
――誰も捨てない。
それが。
俺たちが何度も世界をやり直して、最後にたどり着いた答えだった。
魔王を倒さなくてもいい。
勇者にならなくてもいい。
世界を救う英雄にならなくてもいい。
大切な人と、生きていけばいい。
俺たちの物語は、ここで終わる。
そして。
俺たちの人生は――
ここから始まる。
**完**




