第一話 勇者選定の日
王都リーンハルトの大広場は、朝から異様な熱気に包まれていた。
石畳の隙間からも人があふれ、屋根の上にまで見物人が鈴なりになっている。誰もが同じ方向を――大聖堂の階段の上に設けられた祭壇を見つめていた。
今日は「勇者選定の儀」だ。
三百年に一度、大聖堂の奥に眠る聖剣が、この世界を救うにふさわしい者を選ぶ。伝説の中の伝説。おとぎ話が現実になる、その瞬間を見るために、王都中の人間が仕事を休んでここに集まっていた。
俺――ヨハン・クレイスも、その群衆の一人だった。
ただし、俺の顔色だけは、周囲の誰とも違っていた。
「……嘘だろ」
隣にいた幼馴染のミレイユが、俺の顔を覗き込んでくる。
「ヨハン? どうしたの、真っ青だよ。体調悪いなら屋台の日陰で休んでたら?」
「いや……大丈夫だ」
大丈夫なわけがなかった。
俺は知っている。今日、この場所で何が選ばれるのかを。そして、選ばれた者が三年後に何をするのかを。
――前世で、俺は一度この日を見ている。
いや、正確には「前世」という言葉は正しくないのかもしれない。俺は一度、この世界で三十二年分の人生を生き、そして死んだ。死んだはずだった。気づいたら、十五歳の自分に戻っていた。今日、この日に。
前回のこの日、聖剣は一人の少年を選んだ。
勇者と呼ばれたその少年は、仲間を集め、旅立ち、数々の魔物を倒し――そして三年後、魔王を討伐した。
王都は熱狂した。世界中が祝杯を挙げた。長きにわたる魔王の脅威が、ついに終わったのだと。
その三日後。
空が割れた。
理由は誰にもわからなかった。学者も、賢者も、神殿の大司教でさえも。ただ世界の輪郭が崩れるように歪み、大地が砕け、海が逆流し――気づいたときには、俺が知っていた世界のほとんどが、消えていた。
俺は瓦礫の下で死んだ。最後に見たのは、灰色に染まった空だけだった。
そして次に目を開けたとき、俺は十五歳に戻っていて、目の前には今日と同じ、勇者選定の儀の朝日が差し込んでいた。
「――ヨハン? ねえ、聞いてる?」
ミレイユの声で我に返る。
「あ、ああ。聞いてる」
「もう、心配したんだから。ほら、始まるよ」
大聖堂の扉が開き、白い法衣をまとった大司教が姿を現す。その後ろに、輝く聖剣を捧げ持った神官たちが続いた。
群衆がどよめく。俺の心臓は、殴られたように痛んだ。
――止めなければならない。
だが、どうやって? 「勇者が魔王を倒すと世界が滅びる」などと叫んだところで、頭がおかしくなったと思われるだけだ。証拠もなければ、理屈もない。俺自身、なぜそうなるのかを知らない。
わかっているのは、ただ一つの事実だけだ。
魔王を倒してはいけない。
大司教が聖剣を高く掲げ、祈りの言葉を紡ぎ始める。光が剣身を伝い、群衆の頭上に降り注いだ。
「聖剣が、選定を始めます……!」
光の粒が空中を舞い、渦を巻きながら、ゆっくりと一点に集まっていく。
その先にいたのは――見覚えのある、赤毛の少年だった。
「……レオン」
思わず名前がこぼれた。ミレイユが「知り合い?」と聞いてくるが、答える余裕はなかった。
レオン・ヴァイス。武術道場の跡取り息子で、俺とも顔見知りの、根っから真っ直ぐな性格の少年だ。前回の生でも、確かこの男が――
「聖剣は選びました! 光の勇者、レオン・ヴァイス!」
大司教の宣言に、広場中が割れんばかりの歓声に包まれる。レオン自身は呆然とした顔で、光を纏う自分の手を見つめていた。
群衆の熱狂の中、俺だけが動けずにいた。
始まってしまった。
この光景を、俺は知っている。この後、レオンは仲間を集め、魔王討伐の旅に出る。そして三年後――世界は終わる。
三年。
猶予は三年しかない。
その間に、俺は魔王の正体を突き止め、そしてレオンが魔王を殺す前に、何としても止めなければならない。
「ねえヨハン、どこ行くの?」
気づけば、俺は人混みをかき分けて歩き出していた。行く先は、王都の外れ――幼い頃から世話になっている、森の奥の小屋だった。
そこには、俺が「調べなければならない」と踏んでいる相手が住んでいる。
幼馴染の、もう一人の少女。
「シエル」
小さく、その名を呼んだ。
前回の生で、シエルがどうなったのか――俺は知らない。彼女は魔王討伐の旅の途中で姿を消し、そのまま二度と会うことはなかった。
だが、今回は違う。
今回の俺は知っている。彼女の瞳の奥に、時折よぎる誰にも言えない何かを。誰も気づいていない、彼女自身さえも自覚していないかもしれない、その正体を。
――魔王は、人の姿をしている。
そして俺は、その魔王を殺させないために、この時間を巻き戻ってきたのかもしれなかった。
森へと続く道を、俺は駆け出した。
与えられた猶予は、三年。
世界を救う方法は、たった一つ。
魔王を、誰にも殺させないことだ。
(第二話へ続く)




