憂鬱な学校生活の幕開け⑩
澄み切った青い空。本日も快晴なり。
だが、昨日と違う点が一つ。
北風が容赦なく冷たかった。
春の陽気で幾分は和らいでいるのだが、スカートが翻る度に寒気が走る。
40デニールのタイツでは駄目か。やはり80が鉄板か?
それともいっそ、ジャージでも穿こうか。格好悪いけど。
「栗ちゃん、おっはよぉ~っ!」
交差点の角。声のする方を見ると、同級生が手を振っていた。
「おはよう、木村さん」
昨日、声を掛けられたのも、ココだったような。
「もしかして、私を待ってた?」
「ちょっとだけ。そろそろ通る頃かにゃぁと思ったから」
「ごめんね。待たせちゃって」
「いやぁ、わたくしとしては、校門の呪いがどうなるか、気になっただけですよぉ~」
それは俺を心配してか、それとも物見遊山か。尋ねるのは流石に野暮な気がした。
「顔の腫れ、まだ良くならないの?」
頬に張られた湿布薬。とても気になりますと間近で眺めた。
「あの後、大変だったよ。保護者が帰って来てさ」
皆が立ち去ってから、五分も経っていないだろう。
「学校に電話するとか、親は誰だとか。あんなに逆上するとは想定外だった」
流石は一児の母というべきか。顔を見るなり、それが殴打の痕だと即座に見抜いた。
「どれだけ説明しても、納得しなくってさ」
「よりによって顔だしねぇ。ウチの娘に何するんだって感じ?」
「そんな感じ」
「栗ちゃん、美人さんだからにゃぁ。当然の反応だと思われ」
「見た目はね」
中身が中年の親父だって事、妻はスッカリ忘れている気がした。
この姿になって、もうすぐ半年。
名実共に栗田家の次女になりつつあると言うべきか。嬉しくないけど。
「ねぇねぇ。校門を通過したけど、本日の気分は? 何か感じた?」
何故か笑顔で質問をする木村さん。
「特には何も」
「呪いは解けたっぽい?」
「多分」
トラウマを憂鬱で上書きというのは、自分でもどうかと思う。
「ねぇ、木村さん。さっきから気になる事があるんだけど」
「何かにゃ?」
「周囲からの視線、やたらと感じるような」
歩きながら私の方をチラリと見たり。指を差されたり。ひそひそ話していたり。
「気のせいじゃ、ないよねぇ?」
「昨日の事が噂になっていると思われ」
「なんで?」
そりゃ、派手に目を引く事をしたけどさ。
「教室内なら判るけど、他のクラスまで飛び火する?」
「するんじゃない? だって校内のローカルネットで、トップニュースになってたし」
「マジ?」
「男子に泣かされた女子の無念を晴らすべく、正義の鉄拳が炸裂っ! みたいな?」
どうして、そうなった?
変な尾ひれも、たくさん付いているのだろう。
「なので、栗ちゃんは本日一番の注目株だと思われ♪」
「ねぇ。そのローカルネットやらに、ふざけた情報を提供したのは誰よ?」
もしやと思い問い掛ける。
隣を歩く同級生は、何の事でしょうかと素知らぬ顔で視線を外した。
「おっはよ~っ!」
木村さんの元気な挨拶。
「あ、おはよう♪」
「おはぁ~」
笑顔で振り返る教室のクラスメイト達。
可愛く、明るく、愛嬌あり。
好印象は大事だよなぁ。
きっと自分が真似をしても、ぎこちない表情になるだろう。
「栗田さん、おはよっ!」
「あ、おはよう」
予期せぬ声に慌てて作り笑い。
この子、誰だっけ? 記憶にない。
「おはようございます、栗田さん」
「うん、おはよう」
こちらも初対面だ。
「顔、痛そうですね。大丈夫ですか?」
「ちょっとだけね。大した事はないから」
心配してくれて、ありがとうと軽く頭を下げた。
明らかに周囲の目が以前とは違う。
昨日あの三人に、詳細は聞かなかったけど。
その日の内に、アイツが謝りに来た理由。何となく察しが付いた。
幾つも視線を纏いながら、自分の席へ。
待っている男子が二人。
判っていたけどさ。
「今日は、ちゃんと持って来たか?」
「一応ね」
互いに挨拶もせず本題へ。
鞄を下ろし、留め具を指で弾いた。
「これで、良い?」
スマホを立ち上げ、液晶画面を三川君へ差し向けた。
SNSの認証コード。予めスクリーンショットで用意しておいた。
「オマエの機種、ごっついな」
「悪いか? 保護者のお下がりだからね」
普段、使用している最新機種を持ち出す気にはなれず。机の中に放置していた以前の物を急遽用立てた。
「登録したぜ」
「確認した」
電信音と共に表示される認証メッセージ。
「言っておくけどさ。私はいつも持ち歩かないし、普段は見てないからね?」
念押しの後に液晶画面をタップした。
「じゃぁ、コッチもついでに頼まぁ~♪ 三川は良くて、俺は駄目とか言ったら泣いちゃうぜ?」
「多分、そう言うと思ったよ」
勝手に登録しろと、認証コード画面を古村君へ突き出した。
なんで男子を二人も登録せにゃ、ならんのだ。
「栗ちゃん、わたくしもお願いしたいにゃぁ~」
「はいはい。次は木村さ………ん?」
後ろを振り返ると、スマホ持った女子が、ずらりと列を成していた。
「私、普段は見ないから。確認しないから。既読が付かないって苦情は、一切受け付けないからねっ!」
やはり、こうなったか。
この先、四六時中、着信音が鳴りまくるのだろう。
なるべく目立たず。
人間関係は希薄に。
入学するにあたり、そう心に決めていたのだが。
まさか一週間も経たずに瓦解するとは………。
「あ、あ、あの、栗田さん、よろしいでしょうか?」
「判ってる。宇垣さんもでしょ?」
もう見なくても、声だけで見当が付いた。
「これを、お受け取り下さいっ!」
突然、目の前に差し出される小さな箱。それもピンクのリボン付き。
「わたしの感謝の気持ちです。昨日は本当に、ありがとうございましたっ!!」
周囲のどよめき。
鳴り出す拍手の音。
教室内の視線が余す事なく、私の元へ。
この女。
何も判っちゃいねぇええええええええええっ!!
怒鳴りたい衝動をねじ伏せながら。
俺は気付いてしまった。
一連の騒ぎの発端。
全ては、この子から。
教室で声を掛けられた、あの日から始まった事を。
「宇垣さん。こういう物は、教室内で渡さない方が良いと思うよ?」
笑顔を作り、やんわりと窘める。
「そう、ですか?」
憂鬱の元凶は、キョトンとした顔で首を傾げた。




