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後編 

 済し崩しに引き取ってくれた祖父母は、わたしに優しくしてくれた……いや普通に接してくれただけだが。連絡を取る事もないので母との溝は埋まらず、三者面談は祖母に来て貰った。



 そうして気が付けば受験のシーズンになり、結局わたしは商業高校の情報処理科を選んだ。


 受験は無事合格し、三年間祖父母の家から通った。

 

 在学中に検定試験の勉強にも精を出して、取れる限りは資格を取った――それ程多くの資格を得たわけでもないが、学校の勉強よりもそちらに精を出した。


 そうして隣の県の中規模のIT系企業に就職し、ごく普通に仕事をして適当に技術を磨き、関連資格や検定を受けて仕事の幅をちょっとずつ広げた。


 社会人5年目ぐらいに仕事の関係で彼氏と出会い、それから数年後に結婚する事になった。



 結婚式は盛大にはしなかった。夫は両親のいないフリーのプログラマーで、大仰な結婚式の利点が少なかったのもある。


 夫の親代わりの人と私の祖父母。仕事関係者や友人たちを招きはしたが、レストランを借り切って披露宴じみたものを小さく開いて新婚旅行に出かけただけだ。



 だから父と姉弟にも知らせたのは随分後である。姉も結婚はしていたらしいが、式に呼ばれる事もなかった。知らせてきたのも事後報告である――いや事前に祖父母経由で知ってはいたが、知らせないという事は、そうした事だろうと放置していた。


 後に弟が結婚したのを知ったのも、似たような状況である。


 だから結婚祝いは勿論だが貰っていないし、渡してもいない。

 互いに幾度か妊娠・出産もしたが、当然ながら音沙汰も無くて、こちらも親戚から噂が聞こえてきても入学祝いから何から全てスルーした。


 だから何人生まれたのか、名前はおろか年齢性別も詳しくは知らない。聞けばすぐ分かっただろうがね。


 それ以降も冠婚葬祭で会うか会わずかだった。


 そうして結構順調に子供が男女2人生まれて共働きしながらも育てた。気が付けば、上の子が中学に上がる三〇半ばを過ぎて、私達夫婦も家を買って落ちつく事が出来た。


 ちょうどその頃、祖父母は病に斃れてから弱くなり私達夫婦が引き取って介護した。だが入退院を幾度か繰り返すと一年余りで仲良く順番に身罷った。


 その内に子供たちも高校大学を卒業して巣立ち……気が付けば私も五十路に足を踏み入れていた。






 その電話は急だった。


 母が急な病に斃れて、私に会いたいと言っていると、両親と同居している弟から電話が入った。


 電話番号は、他の親戚から無理に聞き出したらしい。


 私も祖父母の介護の時に会社を辞めて、夫と2人でフリーで生活していたので時間の都合は付く。


 幸いだが夫の手助けをするスキルはあった。そうして二人で仕事を始めたら僅かとはいえ手取りの世帯収入が増えたのは少し皮肉ではあった――その分福利厚生や保証なども消えたのだが。





 だが電話は迷いに迷った。正直まだ子供の時分にいきなり些細……理不尽な言い掛かりとしか言えないことで激昂し、そのまま絶縁されたのである。


 腹違いや養子を疑った。だが戸籍を見た限りではそんな事もなかった。


 それから何度か冠婚葬祭で顔を合わせるが母とは一言も喋っていない。中学の頃からだから三十年以上である。


 情なんてすり切れていた。そもそもその前から微妙な扱いだったからね、余計にだ。


 夫は気の済むようにと言ってくれるが、一応は会ってみることにした。今さら恨み言なぞは言う気もないが、小骨が刺さったような微妙な気分は消えなかった。







 病室の個人部屋に入った時、母は眠っていた。

 父もいないし、弟も弟嫁もいない。勿論様子を見てきたのだが。



 小さくなったな、そう思ったがそれ以上の感慨も湧かなかった。

 有り体に言えば恨み言を言う気もなく、愛して欲しかったと泣き叫ぶ気もない。


 日々の生活で、そうした不要なモノは忘れてしまった。

 


 なにせ幼少の頃からの多少の差別と一回の爆発だけだから、特に練りに練った拗れではない。常日頃から殴られたわけでも罵声を浴びていたわけでもない。モヤモヤはしたがその程度でいたら、いきなり決定的に決別された。

 それは良いも悪いもなくて、なんだか実感が湧かなかった。





「……あんたか……」


 嫌悪ではないが、なんて言うか曰く言い難い目で睨まれた。



 わざわざ呼び出しておいてだ、その態度とはご挨拶だ。

 こんな挨拶をされたら、三〇年前なら言葉も出ないほどに激昂して飛び出し、二〇年前なら罵声を浴びせただろう。


「……お久しぶり。で、なんか用なの」


 我ながら平静でいる、と思ったのは気のせいで酷く疲れた声を出していた。



 自分が下手な芝居をしているようで気色悪い。ふと十年以上前、祖父母が身罷るまでなら、そもそも会いには来なかった、と思った。 



「……」


 母は私を睨むように見つめると、溜息を一つ()いた。


「あたしを恨んでいる?」


 そう口を開いてきたのは体感時間では十分は過ぎた頃だ。だからもっと少なかったのかもしれない。



「いや別に……今となってはね」


 掛け値無しの本音だが、別に許しても昇華してもいない。


 恨んでいたこともあるが、実際三十数年前のことだ。許したというよりも気にしなくなった=恨み続ける程に情が無くなったとも言える。


 今日来たのも半分は好奇心で、もう半分は弟への義理だ。両親の事は彼に任せっきりにしている。だから遺産放棄も視野に入れている。祖父母には貰っているから両親から貰う必要はない。


 葬式も出ない、はともかくだ。

 私一人が顔を出す程度ぐらいには思っているのは、何処かで区切りが必要と思っているからだろう。年老いた母のためではなくて私のために。



「……恨んでなかったと言えば嘘になるわ。でも結婚して子供が生まれて……育てて巣立ったもの、それだけの時間が経ったの。恨んで憎んで自分を可哀想と哀れんで……終いにはどうでもよくなった」


 本音の一旦ではあるが、全てではない。だが全てを語る気なぞ毛頭無い。この人に何かをぶつけるつもりも、この人の話を真摯に聞く気にもならないだけだ。


 

 そもそも物心ついてからこっち、常に母は一線を引いて接っしてきた。それを察してこちらも引いて接した。そんな訳で母に対する情は薄い……だったと思う。

 


「アタシは自分が嫌いだった。愛想もなく人付き合いも苦手。だからか子供の頃から、ずっと好きな幼馴染みの男の子は、気が付けば姉と付き合って、何時の間にか別れていた上に気が付けば引っ越ししていた……」

 

 そう母が言い出しても「何言ってンの」ぐらいのもんだ。

 だが合いの手は入れない。正直何を聞いても何を今さらとしか思わないだろう――たとえ私が全て悪い話が出たとしてもだ。


 だがさすがに病床の老婆相手に、露骨な態度は出来ない。



「……姉はアタシよりも華やかな人だった。特に優秀とかではないけれど、人当たりがよくて立ち回りというか要領が良かった。気が付けば皆が姉を褒めそやす。私は人嫌いではなかったけれど、人間関係が苦手だった。その姉が、アタシが想いを寄せていた彼と付き合い簡単に別れていた……それが傷となって後々まで……」


 と涙ぐんでいた。



 あ~。

 どうしよう、まったく興味が湧かない。

 夭折したわけではない姉、つまりは伯母には何度も会っている。むしろ母よりも会話した事が多いくらいだが、仲が良い訳では無い。単に年老いた祖母の様子見に頻繁に来ていただけである。

 今となっては行き来は滅多にないが、今もご存命だ。


 言っちゃあ何だが普通の人だ。確かに社交的ではあるが、それ以上だったようには見えなかった。ごく普通のそこいらの女性に過ぎない――と言ってもその程度の付き合いだから、よくは知らない。


 一言で言えば「姉妹の確執」だろうが。そんなに分かり易ければ老いて尚残るほど拗らしてもいないか。


 五十を過ぎて、子供たちは一応巣立って一息吐けた。なのに親からの愚痴が、こんなのってのもね。


 だから後は適当に聞き流していた。


 要するに母は自分に似て容姿や性格も含め、社交性のない次女(わたし)を嫌っていたらしい……自分の写し絵のようで。


 だから私の姉や弟よりも、ぞんざいな扱いだった。父は愛情がなかったわけでもないだろうが、仕事人間で、子供の教育に係わろうとはしていなかった事もある。



「……ところがあの日、可愛げのない次女(あんた)が幼馴染みの男の子にケーキを渡さなかったという事が、絶対に信じられなかった。姉は近所の子供を相応に可愛がってはいたが、年下の近所の子供に過ぎなかった。ならば手に入れるチャンスなのに、興味を示していなかった」



 おいおい……だ。

 近所の男の子にわざわざケーキを渡しに行く理由は無かった……と思う。好きでも嫌いでもない男の子の事なんだよ――とはいえ三十年以上前の話だ。細かく憶えているわけもない。


 大本の出来事ではあるが、私にとって特にどうといった話でもない。

 深刻な好き嫌いなんて話でもなくて、部活で作ったものを部活で食べただけの事だ。多分母が激怒して追い出されたりしなければ、完全に忘れてしまった程度の些細な事……事件ですらない。


 少なくとも三十年以上過ぎて、詳しく憶えているような事でないのだけは確かだ。



「……何が……」


 どうしてそうなった――思わずそう呟いていた。


「……アタシが望んで得られなかった物を、アタシに似ていて気にくわないあんたが一顧だにしなかった。それが癇に障った……アタシの人生の全てを否定されたと思えた」


 そう言って顔を押さえて泣き始めた。



「……」


 脱力したというか、何というか。

 声を掛ける気にもならなかった、あまりにも馬鹿馬鹿しくて。


「とんだ愁嘆場だ」


 昔ファンタジー漫画か何かを見て、妙に気になった台詞を口の中だけで囁いてみた。

 だから何という事もないのだが。


 と言うか何をどうしろというのだこれ。



 許せるかどうかと聞かれればだ、「そんなの知った事か」としか答えられない。

 だって許す許さないなんて語るのは、遥か三十年前だろう。



 口でだけなら適当な事も言えるが、そんなリップサービスをする程の情も無い。


 だけれどねぇ。一応は母親なのだ。


 追い出されはしたが、虐待と言うほどの事はされていない。

 今となっては復讐を口走るほどではない程度ではある。この三十年はそれどころではなかった。


 だからといって……五十路を過ぎて始めて聞く、病の母親との三十年来……いいや生まれてからの確執の理由がそれか。


 内心で頭を抱える。


 だがだ。そう言えば母の名前を思い出せない事に気が付いた。家を出てからこっち、名前までは意識に登らなかったからね。

 そうしてそれが些細な事に思えた事に愕然とし、納得もした。


 目の前の老婆と自分の関係をだ。



 ……何か言いたそうな目でこちらを見ている母だが、それを気が付かないふりをする。


「……もうこんな時間だわ。これから仕事の打ち合わせがあるからもう帰るわね」


 そう言って場を離れようとする、実際には今日は特に打ち合わせは入っていない。

 仮にあっても私の仕事は夫のサポートが主なので、私が参加しないでも特に問題は無い。


 私のスキル的に、夫の手助けは出来ても変わりにはなれないためだ。


 軽い打ち合わせや報告ならしょっちゅうだが、そんなものはメールで充分だ。

 だが口実には丁度良い。


「……ぁ……」


 母が何かを言いかけたが、無視して足早に病室を出た。



 憎しみはない、だが憤りは消せない。

 顔も見るのも不快だ……は言い過ぎだ。だが顔を合わせても、言いたい事も言って欲しい事もない。


 無闇に優しくはなれない。だが罵倒したいわけでもない。

 

 すると弟の待ち伏せに遭った。来た事に気が付かれていたらしい。

 挨拶もそこそこ、話を聞かれた。

 何でも母は弟に相談したらしい。だから隠してもしょうが無い出来事を事実のままに語り、そうしてもう見舞いに来る気も無い事も語った。

 


「……姉さん、それで良いのか。正直母さんはもう……」


 喫煙コーナーで時間を潰していた弟がそう聞いてくる。

 どうも伝え聞いた話を総合すればだ。姉や弟、その配偶者である義兄や義妹にとって、母は良い母であり姑だったようだ。

 だから、それぞれそれなりに慕われてはいるようだ。



「……今さらよって、あんたには分からないって罵倒されるのが望み? 小さい頃から私だけがあの人に~って切々と語られたいの? いや今更それ程の執着はあの人にないけれども。だって家族であった時間よりも、そうじゃない時間が倍以上よ?」


 わざわざ悪者になってまで、あの人の胸のつかえをなくしたいとは思えない。またそれとは逆に一々善人となって、生んでもらった恩とやらを返したいとも思えない。 


 罵倒も許す事も今更だ。貶めるつもりは毛頭ない、だから係わらない。勿論私にも負い目はある――積極的に仲を修復しようとも思っていなかったし、今となっては余計に思えない。


 ifを言っても始まらないが、私から動けばどうなったかと思う気持ちが全くないわけでもないのだ。だから感情のままに罵る気にもならない。





 祖父母が比較的長生きしたので、私の子供たちにも、母が係わらなかったが支障はなかったとも思う。

 母は今まで私を綺麗に無視してきた。冠婚葬祭で顔を合わせても関わってきた事もない。

 

 それはそれで良い。同居していた母方祖父母の葬式の喪主は私が行った。母の姉妹たたちも遠方に嫁いでいたために、その事に不満を言われた事もない。


 その時ですら受け答えは最小限だった。


 祖父母の遺産に関しては遺言状があった。


 記述通り、既に誰も住まなくなった祖父母の実家を売りに出し、貯金や証券、僅かな貴金属などを彼等の遺言に従ってキチンと分けた。遺言状通り、多少多めに私達夫婦が頂いた……さすがにそこに文句は来なかった。


 

 それから親族とは殆ど付き合っていない。父とは年明けの年賀状くらい、まあそんなモノだ。



「……でも姉さん……」


 弟が何かを言いたげに、口を開きかけた。



「……素直に罵倒して、あんたなんてもう何とも思っていないって、お前なんて親じゃないって小一時間叫び続けた方がいいの? そうね、追い出された理由なんて些細な事だったわ、馬鹿らしいほどに。女子中学生の諍いじゃねえよってぐらいにね」


 だがそう言ってどうなる。


 老人に罵声を浴びせたと妙な罪悪感が拭えないだけだ。そうした事は二十年前、三十代の頃ならまだ激しく拒絶なりも出来たろう。


 だが今となってはだ……。



「……それを母さんに言えば……」


「言ってどうなるの。それに許すも許さないもないわね。そう言う意味で言うのならば“絶対に許さない”。でもだからといって、償ってほしい訳でも謝ってほしい訳でもない。放っておいてほしいだけ――嫌悪も蟠りもとっくに擦り切れた今となってはね」


 言って激しくぶつかりあって分かりあう……そんな未来は望まない。大人になって顔だけ出したのだから、 意固地な老人の相手なんて御免蒙る。


「……俺はあの頃どうすればよかったんだろう? 訳も分からずああなっていたのだけれど……」


 弟の独白に苦笑はする。



 だが……



「……どうしようもないでしょう。あの人はあの人なりの言い分があるのだろうけれど、私だってあるもの。訳も分からなかったからね、謝りようも反発しようもなかった……当事者の片割れの私でさえ訳が分からないのに、第三者が口を挟んで上手くいく訳がない」


 母……便宜上はそう思っているが、その実は“母”という言葉に込められるべき想いなぞ、これっぽっちもない。

 無論だが断ち切られたからと言って、三十年以上折れなかった私にも問題はある。だがどちらが良い悪いではなくてだ。今さら“母”のために労を厭わずに動く事など出来ない。


 私にとっては親戚どころか、近所の老人なぞよりも遠い存在なのだ。

 だって近所の老人は私を傷つけたりはしないのだから。だから“母”は幼い頃に私を苛めて傷つけた親戚ってぐらいだ。



「姉さん、親孝行したい時には親は無しというよ?」


 何を言ってやがるとは思う。だが正直小爆発以上する程に心も揺れない。この弟は善良なのだろうが、母の立場しか見えていない。


 訳も分からず絶縁されて無視され続けた三十年以上の私の立場はどうしてくれる。

 私にとって“母”との関係は、その当時に終わった事なのだ。


 

「お祖父ちゃんやお祖母ちゃんの面倒は見たわよ? そうでなくても子供の頃からぞんざいに扱われていたから、保護者で思い出すのは私にとっては祖父母よ」


 育てられた、と言うと語弊がある。だが放り出されて途方に暮れていた時に手を差し伸べてくれたのは祖父母だ。


 だがだ。幼い頃からぞんざいに扱われたとはいえ、虐待とは言い切れぬちょっとした差別に過ぎなかった。だから中学の頃から断絶したが、憎悪とか怒りよりも困惑の方が強かった……と思う。


「三十年は長かったわ。あの人にも色々あったろうけれど、私だってそうなの……三十ン年前の事なんて憶えてないし、理由がどんなに納得出来る事でも変えようもないぐらいにね。貴方にとっては大切な母でも、私にとっては顔見知りの親戚程度。(いたずら)に傷つけたくはないけれど、私も傷付きたくもないの……いろんな意味で」


 不満そうな顔で聞きながらしかし、最後には弟は悲しそうな瞳で引き下がった。


 その事をどうとも思わなかった。



「……そうだ。姉さんと貴方であの人の遺産は分けてね。遺留分とか何とか言うのなら……医療費をわたしは払わないからそれで相殺して。到底足りないのなら法律の専門家を交えて話し合いましょう」


 生命保険や祖父母から受け継いだ証券や不動産。幾何かの纏まった金額が下りるはずだ。少なくとも入院費や葬式代などの足が出る事もあるまい。



「……それで良いのか? だって……」


「言いたくない事を言わせたいのね? えらそうに第三者面しているけれど、あんたが何をしてくれたって言うのよ。あの人を傍観した時点で大して変わらない。いいえ、子供の頃ではなくて三十ン年の間に何かしてくれたの? 弟として……いいえ息子としてでも良いわ」


 我ながらこの言い方は卑怯だ。 

 逆の立場なら何かしたろうか? いや子供ならば早々親には逆らえない。ましてや自分にはだ、理不尽な事を仕掛けては来ないのだから尚更である。


 だが正直に言えば、これ以降は姉弟や父とだって親しく付き合う気は無い。

 親戚の用事で顔を合わせる事がないでもない、そんな曖昧な付き合いで充分だ。これで臍を曲げられて付き合いを絶たれても特に困らない。



 元より薄い付き合いすらない。


 

 実際の話だ、彼等と会って子供の頃の思い出話に付き合うなんて、想像するだけで苦痛である。

 あるいはそうした可愛げの無さが溝を深めた要因かもしれない。だが五十を過ぎた今、それを解消しようとは思えない。



「……じゃあね。あの人も言いたい事を言ったから、それでいいでしょう。これで義理は果たしたわ」



 ヤマアラシのジレンマって、何処かで見たが正にそれだ。別に傷つけたい訳でもないが、それ以上に傷付きたくもないのだ。

 ならば自分から側に寄らないに限る。側に寄れば傷付けあうならばだ、近寄らなければそれで良い。


 罵倒したら罵倒したで、後が面倒そうだ。


 発端が何か、それに正当性があるのかなんて、どうでも良い。仮に一方的に私が悪くても知った事か。

 子供が二人とも巣立ち、何時孫が出来てもおかしくない年齢になって、何が悲しゅうて、三十年以上無視されてきた母親の御機嫌伺いをした挙げ句に、女学生のような会話を交わさにゃならんのか。


 さらには断絶していた姉だ弟だに説教されるのもゴメンだ。ましてや義兄や弟嫁なんぞに言われたら……。



「……姉さんの憤りは分かる。でも……」


 肩を掴みながら大声を出す弟。二~三才しか違いない割にはこいつ行動が若いな。


「姉さんなんて馴れ馴れしく言われるのも不快なんだけれど……冗談よ。じゃあ貴方の時はそうなさいな。私はこれ以上茶番に付き合うのは無理。直接母に罵倒しないまでが私の誠意だと思って」


 そうして鼻白んだ弟の手を振り払って、私は病院を出た。






 それからは母に関する電話は聞き流した。

 息子や娘には知らせず、夫には行かないように言い含める。


 夫は天涯孤独……とまではいかないが、親戚との交流は全くない境遇ではある。だから人並み以上に家族に憧れは持っているが、無視してきた上に会った事も無い実家……中でも実際に確執のあった“母”にまでその範疇に含めはしないでくれた。


 大変助かる。

 こうした時に彼の立場が口にしがちな定番である、「家族が生きているだけマシだ」「自分なんて家族を早くに亡くし~」ってな論調は否定しがたい正論の一つではある。

 だが正論だからといって、当事者が首肯出来るとは限らないのだ。


 それにだ、そう言われると、こちらもこう言うしかなくなる……「家族のいないあんたに何が分かる」っと。

 だってそうした経緯には、それなりに事情があるのだ。たとえ端から見ればどんな「どうでも良い」出来事であっても。


 そうして互いにそう口にしてしまえば、後は拗れて衝突にまっしぐらだろう。


 正否ではなくて、相手の立場と状況に立たないで正論らしきもので追い詰めれば“揉める”という典型例である。


 そんな、うざったい対応をしてこないでいてくれて、夫に感謝である。


 そうして季節は流れ、春の終わりだった季節は秋を迎える頃になった。

 以降見舞いも行かなかった――姉や弟に何度か催促はされていたが、全てハッキリと断った。






「……うん分かった。……っえ、行かないわ。今更顔を出す事に意味ないでしょう。ええ、通夜だけは顔を出すわ。だから詳しい日程が決まったら教えて」


 それから母の危篤の連絡が来たのが、見舞いに行ってから三ヶ月ほど過ぎてから、だろうか。

 危篤だからと呼び出されたが、キッチリ断った。


 弟も今さらと思う。ここで和解を勧めるなら、長い時間の間には幾度となく機会はあった。

 彼の結婚時もそうだ。さらには子供が生まれた時や親戚の病気の時など、仲直りはともかく緩い付き合いの切っ掛けには出来たろう。


 母に隠れてでも良かった。だがそうした行動に出なかったという事は、私と付き合う気はなかったと言う事だろう。


 だが私だって積極的に仲直りをしようともしなかったから、同罪ではある。

 だがこうも考えるのだ。「誰かが悪かった」は、そりゃ母だろう。しかしだ、結果的にお互い最小限の被害で済んだのだ。


 もう朧ろ気でしか憶えてはいないが、母とは反りが合わないと感じていた、はずだ。

 姉や弟との扱いの違いのように、露骨に差別される事は心楽しい事ではない。


 今思えば小さい事で……と思わなくも無いが、断絶したからこその意見でもある。

 あのまま小さく差別され、面倒そうに相手をされていたら、何時か私の方こそが爆発しただろう。その場合は悪いのは私だった。


 理非善悪を論ずるのは置くとしても、母は単純に私と反りが合わなかった。多分表面に出る理由や理屈なんて、無理矢理に訳を探した結果だと思う――その意味では近所の男の子云々なんて、無理矢理な爆発の理由だろう。

 導火線は準備されていて、たまたま馬鹿な理由で火が付いた――と、そう見るべきだろう。


 私の方からは殊更に母を嫌わねばならない理由は無い――だが差別され続けたのだ、不満は正直に言えば売る程あった。ならば疎まれ続けた結果、爆発はしなかった、と言い切れるだろうか。


 あの時期、私が中学卒業まであと僅かのあの時こそが、母にとって限界だったのではないだろうか。


 そうして起こるはずだった高校受験の時の悶着が、私の限界点ではない……とは言い切れない。


 父の印象は驚く程残っていない。

 激昂したか何だかの母を宥めるでなく、ただ何となく私と連絡を絶った。

 かと思えば五年に一度くらいは連絡してきた。だが幼少期から会話も少ない父と別段話す事も無く、いつも五分足らずで電話を切った……何時しかそれもなくなり、年賀状が届くだけにはなった。


 学費に関しては、高校は祖父母が出してくれた。

 両親に中学時代までの養育費を返そうかと思った時期もある。だが私とて別に裕福な訳でもないので、文句が来るまで甘えておく事にした。


 あの家族(●●●●)にとって異端者は私だった。


 たとえ私を無理に異端者にしたのが母だけだとしても、そこに異を唱える者もいない状況では、家庭内での白黒は決定される。


 無論だが追い出された直後は理不尽と感じた。だが思い返せば私は高校卒業後に家を出る気だった。


 ならば三年早くなっただけと、割り切った……そう思い込もうとした。

 高校に通いながら、良くはない頭で資格試験や学校の勉強を頑張った。ただガムシャラに過ごす事で居場所を作ろうとした。

 だからだ、あそこで母が爆発しなければ、むしろ私には辛い事だったのではないか。


 敢えて私を突き放したなんて、これぽっちも思わない。


 ただ。


 結果的に私は、同じ家にいながら離島に隔離されているような微妙な境遇からは逃れられた。


 あのままでは居ながらにして無視される苦痛、存在自体を疎まれる心情を、より露骨に味わったのではないか。


 当時の姉や弟には、罪悪感なんて欠片もないだろう。


 多少の格差は感じていたろうが、ある意味一つ一つは些細な事だった……追い出された事以外は。


 私はされる側だから憶えているが、当時でも今でも母を口汚く罵ればだ。諸々が些細すぎて、姉弟を含めた親族から定番の台詞を言われるだろう。


 曰く「そんな事で」「もう昔の事じゃない」「生んで育てて貰った恩を~」と。


 一概に間違いではない。だが私からおん出た訳でもない。それなのに、それでも母を慕わねばならない道理があるのか。


 しかし事情はどうであれ、結局は交流のない時間は長すぎて断絶は根深くなっている。

 いまさら傷付け合いながら側による必要も無いだろう。いや罪悪感が向こうにないだけ勝手に私が傷付く……それに意味はあるのやら。




 珍しく家の電話に掛かってきた事について、リビングで昼食を食べていた夫から無言の問い掛けを感じた。


 別に隠すような事でもないので、弟からの母の危篤の連絡が来た事、そうして通夜にだけは顔を出すが、式には一人で出る事を伝える。


「……本当に俺は行かなくて良いのか?」


 夫は掛けていた眼鏡を外して拭きながら、わたしに問いかけてくる。それが考え事をする時の癖とは知っているが、敢えて気が付かないふりをする。



「……ええ。まあちょっと顔出してすぐ帰るわ。と言っても場合によってはその日に帰るのはキツいから、ビジホで一泊するかもね」



 地元でやるそうだが、色々時間の問題もある。

 正直顔だけ出してすぐ帰るつもりだ。遺産云々に関しては、色々厄介な問題もある。


 別にどうでも良いから、後で出入りの税理士にでも相談するか。

 母もそれなりの企業の正社員で働いていた。保険やらで結構不自由していない、とは親戚の誰だかの言葉だったような気がする。


 まあどうでも良い。何か請求されたら専門家を介して適正な額を払えば良い。


 そうで無ければ遺産を放棄する。それで終わり、簡単な話だ。

 

  

 ちょうど木曜日だったこともあり、通夜は明日だろう。それ以外に顔を出す気は無い。


「……それで良いのかい?」


 再度夫が聞いてくるが「ええ」とだけ頷く。

 夫は家族が欲しかった。だが三〇年連絡を碌に取らない父母や姉弟に関して、そうしてそれを気にしないでいる私に対して仲を取り持とうとはしなかった。


 率先的に祖父母の介護を手伝ってくれた夫の、親族に対する憧れを奪っているようで心苦しい。


 意固地になった私もそうだが、連絡もしてこない向こうにも訝しくは思っていたはずだ。無論起こった事は説明しているが、何処まで納得しているのやら。


 それでも私を信じてくれているのだから有り難い。いやそこで余計なお節介をがなり立てて、無理に仲を取り持とうとするような男なら結婚しなかった。

 


 喪服を用意しながら考えるが、今更思い悩む事もない。


 




 通夜は金曜の夕方の六時からであった。

 幸い観光地でも何かのシーズンでもないので、乗り換え駅まで戻ったビジホの予約は容易であった。

 無理すれば最終間際で帰れなくもないが、一晩は一人でいたい。

 幸い次の仕事の納期はまだ間がある。再来週から仕事に入っても問題は無い……というよりも先方との兼ね合いでこちらが勝手に進める訳にも行かない。

 小口の仕事でちょうど良いのは入らずに、暇な期間が出来てしまったが、仕方が無い。無理に小口の仕事を入れて大口の仕事をふいにしてもね。


 年に数度しかない、降って湧いたような予定外の大型連休が図らずも重なったのだ。いや別に葬式出席ぐらいどうとでもなるけれど。





 式場に赴き、香典を渡して記帳する。

 受付にいるのは親戚の誰だかだ。見覚えは朧気ながらある。


 特に何かを言われることも無く、式場に赴き親族以外の席に座る。


 姉と弟は何かを言いたそうにしていたが、特にそれ以上近寄っては来ない。

 親戚も何かを察したような顔で、チラチラとこちらを見るが話しかけては来なかった。


 お坊さんの読経を聞きながら、やはり何も感じないことに苦笑した。






 式が進行し焼香を済ませ、最早幾年ぶりかも分からない父や姉と顔を合わせた。


 電話でこそ話はしたが、面と向かっては何年ぶりだろうか。祖母の葬式以来だから10年は過ぎているはずだが、何の感慨も湧かない。


 だから私は彼等に来た目的である財産の放棄を、もう一度伝えた。


「……この件に関しては話し合う気はありません。一切合財放棄します……仮に資産がなくて医療費や葬儀代で足が出たと仰せなら、税理士なり弁護士なりを間に入れて話し合いましょう。また逆に遺言等で遺産があるという話でも、間に弁護士なりを挟んで話し合います」


 我ながら、とりつく島もない拒絶だと思う。



「……とにかく今更、貴方たちとの話し合いで感情的になりたくありません。どちらが良いの悪いのと罵り合いたくもない。別にどう思われようとも構わないけれど、好悪何れであれ今更こちらに係わって欲しくはない」


 この歳で罵声は浴びたくはないが、謝罪を受けるなんてもっと嫌だ。逆も然りで、罵声なんて口に出したくもないし、思ってもいない謝罪なんてしたくも無い。



「……母さんの形見分けもいらないというの? 母さんの遺言で……」


 数十年ぶりに見る姉だが老けた、という感慨しか湧かなかった。確かに他の親戚の冠婚葬祭で折々で見かけた。

 しかし実際に顔を合わせ会話をしたのは久し振りという、母と同じく三十年以上交流していない人を“姉”とは思えない。


 残るのは郷愁ではなくて、記憶との齟齬に対する違和感しかない――元より仲が良かった訳でもない。



「……だから今更でしょう? それでは私はこれで」


 相談に乗ってもらった弁護士の名刺を渡してその場を辞した。顔見知りの親戚もいたが、この場では話掛けてこない。


 弟も追い掛けてきたそうにはしていたが、参列者は私だけではない。弟が他の誰かに話し掛けられている間に、その場を離れた。



「……ケジメはついたな」


 口の中で呟くが特に感慨もないと苦笑しつつ、それも当然かとは思う。

 私の実家……生家と和解する最後のチャンスは、祖父母が亡くなった頃だろう。

 私と顔を合わせたくないのか何なのか、正面からは見舞いにも来なかった。祖父が入院していた時に私のいない隙を狙って来たと看護師の方に聞いたが、それ以降も殆ど顔を合わせなかった。

 

 祖父母の遺産は、晩年の介護や面倒を見たことを考慮して遺産は私達夫婦に多めにくれたし、形見分けも真っ先に選ばせてくれた。


 事務的なやり取りを父とだけはしていたが、母とはついに会話すらしなかった。向こうが接触してこないのなら私から行けば良さそうな物である。


 それもしなかったのだから、心情的にそこでお終いだろう。それでも母の見舞いに行ったのはケジメのためだ。あの家の諸々に付き合うのはこれで最後だ。


 実際には、色々書類等があるのも弁えているのだが。


 親戚はともかく親兄弟とはこれで終いだ、彼等自身の冠婚葬祭であっても。我が家のそれにも呼びはしない。


 母が最初ではなくても、父であろうが姉弟の何れであろうが変わらなかったろう。


 でもこれで良かったのだろう、私と蟠りがあったのは主に母だったし。それもこれも微かな憂いは溶けた。



 ただ今日は夫とも顔を合わせづらいので、予定通りビジネスホテルに一泊して帰ろうと思う。


 式場から出て駅に向かって歩いていると、後ろから背の高い男が、私の名前を呼びながら追い掛けてきた。






「……久し振りだが……俺の事は分かる?」


 三十年ぶりに会った、家を追い出される切っ掛けになった幼馴染みか?


 当時の面影はほぼ無いが、彼の父に似ている……気がする。


「ああ貴方ね、お久しぶり。それで何かご用?」


 正直に言えば当時のその面影も、もう忘れかけていた。

 咄嗟に名前すら出てこない。彼の父を当時は良く見掛けていたが、写真を見ても分かると言い切れる程に憶えているかは不明だ。

 町中で擦れ違っていたら、確実に分からなかったろう。


 そもそも友人と言っていいかすら微妙だ。家が隣の知り合いで知人ではあったが、殊更仲良くしていた記憶は無い。


 当時は友人……同窓生とかのカテゴリーではあったろう。だが今となっては、だ。


 中学時代の友人の中でも連絡を取り合っている子もいる。その時代に付き合っていたもの全てと縁を切った訳でもない。

 殊更にこの人に隔意を抱いている訳でもない。ただ彼に限らず男子と、仕事以外で連絡を取り合っている者なんていないだけだ。



 素人にしてはスラッとして、適当に役者のような綺麗な歳のとりかたである。

 まあ美男子なんてモノにトキメクような年齢(とし)でもないので、何の用だと見返してみる。

 

「……いや少し時間を取れないか? 話したいことがある」


 焼香してすぐ出て来た。葬式が夕刻に始まったので、お腹が空いたが。五〇を過ぎて余計な詮索を受けるような真似をしたくは無い。


 ましてや実家の地元だ。



「……喫茶店で良いのなら」


 今日はアルコールを少し多めに飲むつもりだが、差し向かいで男と一緒に飲むのもね。

 ましてや、今何をしてるかも分からない男だ。クラス会などでなら構わない、だが差しで飲むほど気を許せはしない。



「……ああ」


 微妙な顔をしたが構うまい。どうせ明日以降会う事も無い。空腹だが堪えられないほどじゃないから、何を言うか聞いてみるか。



 近場のチェーン店の喫茶店で紅茶を頼む。長居する気は無いので食べ物は頼まない。

 長くて三〇分くらい、せいぜい一〇分程度しか付き合う気は無い。


「……ずっと君には謝りたいと思っていた。俺が余計な事を言ったばかりに……」


 確か当時もこんな会話をした……っけ? 

 そりゃキッチリとは憶えていないが、微かにそう憶えている。

 


「……気にしないで、って言うかね、あまり関係ないわ。確かに切っ掛けにはなったけれど、それ以上じゃないもの。あの日起こった事が無くても、違う事が切っ掛けで三日後だったか一週間後か二ヶ月後か1年後に起こっただけ。遅ければ鬱屈が溜まって、もっと酷い事になったかもだから」


 気遣っていた訳ではなくて、単なる本音だ。


 本音だが、だからこそ他人からとやかく言われたくは無いが。



「……揉めてたのか?」


 まあこう言われるだろうなとも思っていたが。

 



「さあ。私の方に憶えはないけれど、私だけ扱いがぞんざいだったかもね。でももうどうでも良いわ。家を出てからも三十年以上は無視されていたし、この前見舞いで五分ぐらい顔を合わせたのが久し振りで最後」


 それなりに詳しく説明しようかとも思った。だが別にこの男に説明する必要も無いかと、途中で止めた。


 何か言いたそうにしているのを気が付いたから。だが他人に説教なんてされたくは無い。いまさら居心地の悪さを超えて父と付き合っても、利点なぞ無いだろう。


「……謝りづらいなら……謝って欲しいなら間に入るけれど……」


 そう告げた幼馴染みの声は遠く、失笑しそうになった。姉の旦那ですらない、赤の他人が何を言うのやら。

 良い人なもだろうが少しズレている、と大笑いしたい気分だ。それとも何か思惑でもあるのだろうか。

 それを抑え込み、その程度の用だったかと少し後悔する――時間の無駄であったと。


「……血の繋がった家族とはいえ三十年の歳月で拗れた問題は不用意に触れたくも無い。また他人にとやかく言われるのもいやだ。もう随分前に終わった事で、今となっては解消出来ない蟠りでしかないもの。どちらが悪いとか良いとかグダグダと言いたくも聞きたくもないの」


 それだけ? と聞くと返事がないのでレジに向かう。

 奢る気も奢られる謂われもないので、紅茶の代金だけ払うつもりだ。


「サヨナラ、もう会う事もないでしょうけれど」


 フッたわけでもフラれたわけでもないが、何処か妙な快感を抱くが別に良い。


 名前もよく思い出せないが、この人とは徹頭徹尾に縁がなかっただけ。あって欲しい訳でもなかったが。




 外で一人で呑む気も失せので、食事を済ませてからコンビニにでも寄ってウイスキーでも買おう――そう白けてしまった状況に舌打ちしつつ駅に向かって歩き出した。



 結局、何処を切り取っても二昔前の昼ドラのような設定と一人苦笑する。


 近所の二枚目に、確執のある母。それに無関心な父に、母寄りな姉弟。


 だが絡み合う事もなく時が流れて、激発するタイミングを逃して擦れ違った……幸いな事に。

 傷付けあうだけだとしても、ぶつかり合えば何処かで仲直りをする切っ掛けにはなったかもしれない。

 だが無視されたときに、そのまま無視し返した。そうしたらそのまま時が過ぎてしまった。


 親兄弟との関係には恵まれなかったが、結婚して子供ももてた。


 だが側に戻り、縋り付きながらトコトンやり合っていたら、家族との問題は解消出来てもだ、そのトラウマで家族を持つ気になれずに一人だったかもしれない。


 ドラマのように派手な愛憎劇を、父母や姉弟と繰り広げなくて良かったと思おう――今が幸せなんだから。


 ある程度酒を買い込んでビジホで一人酒盛りをしているが、言い訳のように自分は幸福と言い聞かせている事に苦笑してしまう。


 さしあたりこの件が終わったら私事用の携帯を変えよう。友人の誰から洩れるかもしれないが構う物か。格安なスマホも興味があるから丁度良い。


 単に自己満足なケジメだ。


 夫に、やはり泊まる事になったとメールを送り、一眠りする事にする。


 また明日から仕事をチマチマ片付ける日が始まる……ああ再来週まで休業中か。長い休みの気晴らしは、ソシャゲにするか狩りゲにするか……。



 そんな事を考えながら、残った酒を呷って取り留めなく考えている。


 ドラマになり損なった地味な私の人生について。今日だけは母の冥福を考え(●●)ながら。 


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― 新着の感想 ―
[一言] まぁ、30年越しでは今更ですよね… しかし、最後の最後で「ソシャゲにするか狩りゲにするか」 を悩める五十路って若いなって驚愕しました。 若くして家を出て、共働きで子育てをしつつ、その後に祖父…
[気になる点] これは〜創作なのか〜体験談なのか〜 ミックスなのか〜 で評価が別れると思います
[一言] 第三者から見れば主人公母親は至極感情的ないわゆる 「くだらんガキか」の理由で未成年の娘の養育放棄したので世間の非難はまぬがれなかったと思う。いまさら会わせたのはアリバイ作りなわけで、すべて娘…
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