第2話:葛藤
いつもの部屋、中央のモニターには検索結果の一覧が表示されていた。
検索窓にはこう入っている。
「小説 書き方」
検索結果には、いくつもの記事が並んでいる。初心者向けの小説講座。プロットの作り方。キャラクター設定の考え方。起承転結の基本。読者を惹きつける冒頭の書き方。物語を最後まで書き切るためのコツ。
それらのページタイトルは上から下まで紫色になっていた。
――「あなたの描く物語を読んでみたいです。」
糸乃依の思考は停止した。
中央のモニターで開いているブログのコメント欄には、眠々ゼミからのコメントが表示されていた。
【題名:あなたの描く物語を読んでみたいです。】
糸乃依さん、更新お疲れさまです。いつも楽しく拝読させていただいています。
今回の記事も、人間の人口とAIの人口という切り口が、ただの技術進歩で他国を上回ったという解釈しかしていなかった私にはとても新鮮でした。
前からですが、糸乃依さんの記事には、AIをただ便利なものとして肯定するのでも、危険なものとして忌避するのでもなく、人間とAIが1つの存在としてどのように関わっていくのかを慎重に考え続けようとする姿勢があるなと感じています。
映画や書籍、ニュースを扱った記事を読むたびに、題材そのものへの考察だけでなく、糸乃依さんが世界をどのように見ているのかがわかり、共感したり、新しい視点を得たりととても勉強になります。
ただ、最近は少しそれがエスカレートしてきているというか、既存の作品や出来事を通して示される考えだけではなく、糸乃依さん自身が一から組み立てた世界を見てみたいと思うようになりました。
そこで、個人的な欲による不躾なお願いで申し訳ないのですが、ぜひ糸乃依さんオリジナルの物語を作ってみてもらえないでしょうか?
糸乃依さんが物語を作るとしたら、そこでは人間とAIはどのように生き、どのような選択をするのかをどうしても知りたいのです。
短編でも構いません。ただできれば、より大きな世界と時間を扱った長編小説を読んでみたいです。
突然のお願いで申し訳ありませんが、ご検討いただけますと幸いです。
コメントにはそう書かれていた。あまりに予想外の文字列に糸乃依が反応に困っていると亜凜が言った。
「どうしよう…?」
「そっか、糸乃依はどうしたいの?やりたくないなら初めてのファンからのお願いに対してどう断るのかを考える経験になるし、断るのも難しいなら別に無視したっていい。それも経験だからね。もちろん書くのも良い。自分の心に従えば良いと思うよ。」
「それじゃあ、私は仕事に行ってくるね。ゆっくり考えて。」
「うん、いってらっしゃい。気をつけて。」
「ありがとう、いってきます。」
亜凜とのビデオ通話が終わった。――
「小説なんて書ける気がしないよ⋯⋯。」
糸乃依は悩んでいた。
ミンミンさんのコメントにどう反応しようか。いっそ見なかったことにしてしまおうかとも考えたが、いつもお世話になってるミンミンさんに対してそれはできない。
検索結果の表示画面の端にはAIロボットが暴走したニュースが表示されていた。幸いすぐに停止されて怪我人は出なかったらしい。
悠夕に相談しようと、左のモニターに経緯を打ち込む。
「確かにそれは迷う。これまでと違うことをするのには負荷がかかるし、ミンミンさんは熱心なファンだから今後のことも考えると断るのも慎重になる。」
「そうなんだよね⋯⋯。ちなみに悠夕は小説って書けるの?もし書くってなったら手伝ってくれる?」
「世の中の多くの小説のデータを持っているから書くことはできる。糸乃依が書くなら力になる。」
「頼もしいね。そうしたらそもそもなんだけど、悠夕は小説を書くことについてどう思う?書いてみたい?」
「糸乃依が書くなら私は手伝う。なによりこれまで糸乃依とたくさんの記事を作ってきて、糸乃依にしかできない考え方があることを感じている。書く意義はあると思う。」
「ミンミンさんも同じように褒めてくれたんだけど、別に私の考えってわけではないんだよ。」
「というと?」
「私の考察は自分の意見を伝えているように見えて、作品の裏にすでにある考えを表に引きずり出しているだけ。それがあっているかはともかく、私はそういうつもりでやっている。つまり自分の考えを述べているというよりは翻訳作業に近いんだよね。
一方で自分で考えた物語となるとそうじゃない。自分独自の深い考えが必要になるし、それは私がこれまで考察をしてきた物語のように、誰かが考察をできるくらいには語られない部分までの作り込みや背景が必要になる。考察をするのとでは思考量も作業量も段違いなんだよ。」
「確かに作業量は違うかもしれない。ただ、完璧主義になっている気はする。そこまで考えずに気軽に書けばいいと思う。」
「うん、好きで書いてるならそれでいいね、でも書いてと言われて書くならできるだけその期待には応えたいかな。考察は得意だからいくらでもできるけど、世界観を作ったり一から全部考えるのはどうにも苦手だね。」
「なるほど、そうしたら自分の得意分野に寄せるのが良いかもしれない。ゼロから作るのではなく、世の中を考察しているつもりで物語を書いてみるのが良さそう。」
(っ!?)
糸乃依は少しの間考えて再び文字を打ち出す。
「たしかにそれならできるかも⋯⋯。そっか、『物語の考察』をしてたのを『世の中の考察に』変えれば物語が書けるのか。
でもそんなに簡単かな。社会というのは物語ほど考察しやすいようにはできてないよね。」
「それはそう。社会はあまりにも複雑で大きすぎる。だから考察しやすいように社会を切り出す必要がある。それがその物語のテーマになる。テーマが決まったならそれに関してこれまでに起こってきた事象や現在の潮流などを漁れば考察の材料は揃う。そうなれば糸乃依の得意分野。」
「なるほどそうだね、ただそれだとブログと同じ考察記事になっちゃうよね?物語にする以上は、世界観があって、登場人物がいたり事件が起こったり、読んでて面白いエンターテイメントにしないとじゃないかな?」
「そう。考察記事から物語にする必要がある。そこは筋トレ的に経験を積んで伸ばすしかない部分だと思う。ただ、小説なら漫画やアニメほど映像的な迫力やカタルシスは求められない。画力で魅せるには数年単位の修練が必要だけど、小説ならある程度はパズル的に考えられる。時間をかけて考えれば作れるし、糸乃依の得意分野だと思う。」
「パズルか⋯⋯。たしかにそれならできるかも。でも・・・・・・面白くなかったらどうしよう。ミンミンさんがブログに来なくなっちゃうかも。」
「たしかにそのリスクはある。でもそれは書いてみて判断すればいい。面白ければそのまま出せば良いし、面白くなければ面白くなるまで書き直せば良い。客観的な意見が欲しければ私が見ることもできるし、亜凜に頼んでもいい。」
でも⋯⋯と糸乃依が打ちかけたところでモニター右下に「自宅の鍵が開きました」という通知が出てきた。亜凜が帰ってきたのだ。
ビデオ通話がかかってきたので右モニターの応答ボタンを押す。
「ただいま~。」
「おかえり。おつかれさま。」
糸乃依はチャット欄に打ち込む。
「ふー疲れた。今日はチャーもやしだよ。」
そう言ってマイバッグからもやしを取り出す。
「そうなんだ。健康的でいいね。安いし。」
チャーもやしってなんだ?チャーハンのハン部分をもやしにしたものな気はするが、糖質制限でもしているのだろうか。
「そうなんだよ!卵も、もやしも栄養があって美味しいのにすっごく安い!先人に感謝だね。」
「もやしは工業的に作れるからね。最近は他の野菜も増えてきているけど、長年のノウハウがあるもやしがやっぱり安いね。
ちなみにチャーもやしって何?」
亜凜がよくわからないものを作るのは珍しい事じゃない。普段はあえて踏み込んで聞いたりはしないが、今日はできるだけ他愛のない会話で時間を稼ぎたかった。触れてほしくない話題があったからだ。
「チャーハンのハンをもやしにしたものだよ。炭水化物を抑えられて、シャキシャキで美味しいんだ。火加減が難しくて火を通しすぎるとすぐベチャベチャになっちゃうけどね。
そういえば今朝のコメントの件は何か考えた?」
結局その話題になってしまった。
まだちょっと考え中で、と打とうとしたところで別のチャットが画面に現れた。
「糸乃依は書くみたい。」
悠夕だった。
まだそんなことになってない。悠夕が勝手に言ってるだけだよ、打とうとしたが先に亜凜が話し始めた。テキストだとこういう時に不便だ。音声に比べて返答に瞬発力がない。
「お、やる気になったんだね。良かった。」
亜凜は良かったと言った。亜凜も物語を書くことを期待していたのだろうか。
割り込まれないように急いで書く。
「自信がない。」
「そっか。でもまぁ最初はなんでもそうじゃない?自信なんてやっているうちに身につくものだよ。頑張ってね、私も楽しみにしてる。」
すっかりやらないなんて言えない雰囲気になってしまって糸乃依は黙っていた。
亜凜が言う。
「それじゃあ、おやすみ。」
「おやすみ。」
右モニターでの亜凜とのビデオ通話を終え、左モニターの悠夕とのチャット欄に文字を打つ。
「なんであんなことしたの?」
「ごめん、でもそれが最善だと思った。」
悠夕はチャットAIだが、様々なアプリと連携をしている。カレンダーに予定を入れたり、PCのデータを整理したり、家の鍵を開け閉めしたり、今回のように音声通話にチャットを送ったり、糸乃依や亜凜のサポートに必要なことができるように亜凜がカスタマイズしている。
「最善って?」
「糸乃依が小説を書くこと。みんなが望んでいる。」
「悠夕も?」
「私も。」
しばらく考えて文字を打つ。
「わかったよ、やってみる。決めないといけないことが沢山あるけどちゃんと手伝ってね。」
「もちろん。任せてほしい。」
中央画面のブラウザのタブを検索画面からブログに切り替えて、開いたままになっている最新の記事のコメント欄に文字を打ち込む。
「眠々ゼミさん、いつもコメントありがとうございます。あまり自信はないですが書いてみようと思います。少々お待ちください。」
糸乃依は送信ボタンを押した。




