93話
その日、ドラグ騎士団はアルカンタの大通りを悠然と行進していた。
この日を指定し、騎士団が首都外へ出る事が告知されていたため、大通りに面した店は見送りに出てくる民に向けた商機とばかりに気合を入れた。
凱旋ではないため、花吹雪は舞わない。
だが、滅多に見られない五隊全てが揃った行進である。
大通りだけでなく、大通りを見渡す事の出来る高い建物には全て人が集まっていた。
高さといえば、王城周りの小高い丘も良いのだが、ドラグ騎士団本部とは少し距離がある。
そもそも、本部が首都西部にあるため、本部から大通りを通って首都の南側に抜けると、その姿は王城近くからだと遠くて見にくい。
だが今回は何故か、ドラグ騎士団はまず王城へ向かった。
民の間にはこんな噂が流れていた。
国王の視察の護衛にドラグ騎士団が就くらしい。
国王はユリア王女の護衛に近衛を全て残したらしい。
ドラグ騎士団の五隊全てを動かすために国王自ら頭を下げたらしい。
ドラグ騎士団が首都外へ出る告知がなされてから、自然と耳にするようになった噂だ。
真実か定かではなかったが、本部を出て王城へ向かったのを見た民は、この噂が真実であると確信した。
ガイア様よ!きゃあ、こっちを見てー!!
アズール様もいらっしゃるわ!なんて素敵なお二人なの!
リク様!またうちにいらしてください!
スターク様だわ!なんて凛々しい…!
サイサリス様だ!あぁ、なんて美しいんだ。女神だ!
それはもう、五隊の隊長は国民に大人気のようである。
実際、五隊は国民を直接護る象徴として人気がある。更に、皆容姿端麗で人当たりも良い。
ガイアとアズ以外はよく街でも見かけ、気さくに民と言葉を交わす所を目撃されている。
リクなど、アルカンタのアイドル扱いである。
彼女が美味しいと言った店は、リクが去った後一時間でその日の在庫が無くなる。それから数日、売り上げ記録を更新し続けるのだ。
何より、リクが気に入って何度も足を向ける店は、今では並ばないと入れない人気店となった。
「いやぁ、相変わらずすげぇよなぁ。でもよ、これ見る度に、俺は複雑な気分になんのよ。」
大柄なガイアに見合う、黒い毛並みに逞しい筋肉に覆われた巨躯の馬の上で、ぼんやりと呟いたガイア。
その呟きを拾ったのは副隊長だった。
「それは、団長殿の事ですかな。」
「そーそー。俺らがこんな騒がれるのは分かるぜ?国民には実感があるからな。だけどよ、団長ほどこの国を護ってきた存在もいないんだぜ?それを認識阻害で隠しちまうのは腑に落ちねぇんだよ。だが同時に、俺たちの団長が俺たちにだけ知ってもらってれば良いなんて言われたら、嬉しいけどなんかモヤモヤするじゃねぇか。こう…、なんて言って良いかわかんねぇけどな。」
「ふむ。分かる気がしますな。私はその思いをずっと抱いておりますからな。しかし、団長殿が満足しておりますからな。私共が歯痒く思っている事も承知の上でしょうな。」
「だよなぁ。なんて言うの?あれだよ、秘密だけど自慢したい、そんな子どもみたいな感情だよな。実際、俺らは団長の子どもなんだし間違ってねぇはず。子どもが親父を自慢したいのなんて当たり前だろ?」
「そうですな。団長殿は子沢山でありますからな。」
あっはっはっは、と二人で声をあげて笑う。
ガイアが行進で声をあげて笑うなど珍しい事であるため、その時近くから黄色い声援を送っていた婦女子たちは更にボルテージを上げた。割れんばかりの歓声に、思わず遮音結界を自身の周りに展開するガイア。
隣の副隊長をその範囲に入れると、副隊長も自身で遮音結界を張っていたようで、二つの結界がぶつかり混ざる。
即座に自身が張った結界を消した副隊長。
「あ、ズリぃぞ。俺に魔力タンクやらせる気か?」
「いえいえ、私のこぢんまりとした魔臓では長期間結界の維持などとてもとても…。」
「嘘つけ!お前はいつも気温調整やら湿度調整、物理結界に他にも色々と常に張り付けて歩いてるじゃねぇか!何がこぢんまりとした魔臓だ!一日中魔法使っても無くならねぇだろうが!」
「おや、バレてしまっては仕方ありませんな。しかし、折角の隊長のご厚意ですから、有り難く受け取らせて頂きます。」
流石に、騎士団で大先輩に当たる副隊長には勝てないガイア。ガイアの優しさを利用した副隊長の話術ではあるが、なんだかんだそのまま結界を張り続けるガイア。
一番隊の兄貴と親父はなんだかんだ仲良しだった。
「いやぁ、皆んな人気者で嬉しいね。ゴウルもそう思わない?あそこであんなに騒がれている団員は、ほとんどがゴウルより年上なんだけどね。」
「喧しい。フォルティスのやつが若造に分類されるのは知っておる。準騎士ではまだ年長の方だとは言っておったが。」
「そうだね。うーん、やはりその呼び名は好きじゃないなぁ。でも、正式な呼称が必要だと言われてはね。諦めるしか無いか。」
「ん?あぁ、準騎士か?そう言えばお主は嫌っておったな。」
「そうだよ。新人でも何でも、団員になったのならそれは立派な騎士だよ。だから、騎士に準ずるなんておかしいだろう?でも彼らは、今はまだ真の騎士とは言えないから準騎士で十分だって言うんだ。本人たちがそう言うのだから、許可しろって他の者も言うし…。本当に仕方なくだよ?私が許可したのは。」
「分かっておるわ。お主が皆を一人前として扱いたいのも分かる。だがな。入団しただけで騎士になれる騎士団など存在せぬよ。寧ろ、五隊や各部署に所属する前に正式な騎士任命をしたら良いのではないか?そうすれば、無所属の騎士と準騎士とで分けられるではないか。他でも無い、お主が一人前と認めてやれば良い。」
「うーん。それもありかな…。」
王城で、ドラグ騎士団の到着を待つまでのお茶会をしているヴェルムと国王、そしてユリア。
二人の気を抜いたのんびりとした会話に、ユリアは耳を傾けながら笑顔で紅茶を飲んでいる。
今飲んでいる紅茶は、ヴェルムがブレンドした紅茶である。
ユリアはその一杯を飲めるだけで幸せが溢れて来たような気持ちになれる。
紅茶一杯、幸せ一杯。
下らない事を考えているユリアだったが、ふと窓の外を見ると、既にドラグ騎士団の行進が王城への坂を上がり始めたところだった。
あぁ、あの行進が到着すれば、お父様とヴェルム様は二人で避暑に行く。私は囮。しっかりしなければ。次期女王として恥じぬ振る舞いをせねば。
現実に引き戻されたユリアが、決意を新たにする。
だが、そんな様子を二人が見ていた。
「ユリア。肩に力を入れすぎだ。お主の安全は近衛が守るし、一人で政務が出来る事を証明する機会ではないか。もう年寄りなぞいらんと結果で示してくれるのだろう?ならば無駄な力は抜きなさい。父がおらんでも、お主には大臣達がついておる。いつだって頼れば良い。お主の仕事は判断する事だ。そうだろう?」
国王がプレッシャーをかけつつも余計な気負いを取り除こうと声をかける。
国王として、父として。どちらの立場も捨てられないからこその言葉だった。
そんな父の葛藤に気付いたか、ユリアは硬くなっていた表情を解し笑顔を見せた。まだどこかぎこちないが、淑女としての体面は保てているだろう。
ユリア自身も、娘として、次期女王として。様々なプレッシャーと闘いながら今日を迎えたのだ。
彼女が心より頼りにしている父とヴェルムの二人がいなくなる。それが彼女にとっての一番の不安材料だった。
そんなユリアを見て、国王の言葉だけでは足りないと判断した二人。
カップから手を離さず窓の外をぼんやり眺めるユリアにバレぬよう、国王はヴェルムに目を向けた。
仕方ないな、と言わんばかりの表情で国王を見返したヴェルム。紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「ユリア王女。お土産は何が良い?」
唐突な質問に、ユリアは勿論国王も呆気に取られた。
先に復活したのは国王で、直ぐにヴェルムを睨みつける。一体お主は何を言っているのだ!と言わんばかりの視線だったが、ヴェルムにはそんな物通用しない。
「お土産、ですか?いえ、ヴェルム様は大切な任務で行かれるのですから、土産など不要ですわ。わたくしはただ、皆様に無事で帰って来てほしいと願うばかりです。」
あまりに優等生な回答に、国王はユリアの成長と我慢を見た。なんて事を言わせているのだ、とヴェルムを睨みつけるが、ヴェルムはニヤリと笑っていた。
その笑みに思わず焦る国王。この笑みの後は碌でも無い結果が訪れるのを彼は知っている。
だが、止めようとしても遅かった。
「そうか。なら何もいらないんだ?別に私はゴウルのピクニックに付き合うだけなんだから遠慮は要らないのに。それに、仮にも一時ドラグ騎士団に所属した者が、この私にそんな上辺の態度をとるなんて。あぁ、サイやリクが聞いたら怒るだろうな。きっとユリア王女は出入り禁止、とか言うだろう。はぁ、憂鬱だ。…で?ユリア王女はお土産は何が良い?」
権力が物を言う世界で生きていても、ここまで不遜な権力の使い方も中々ない。陰険で嫌らしい言い回しだった。
だがユリアはこれが自身へ向けられた優しさだと気付いていた。
我慢ばかりの人生で、初めてドラグ騎士団に訪れたユリアに、もう我慢などいらない、好きに生きれば良いんだ、と言ってくれたヴェルム。
それを思い出させてくれたヴェルムに、ユリアはいつも通りの笑顔を向けた。
「そうですね…、ファンガル伯爵領は鉱石加工が盛んだと聞きます。ヴェルム様がこれは、と思うアクセサリーを頂けましたら幸いですわ。」
「なるほど。確かに彼の地の職人たちの技術は凄いね。分かった。伯爵領で一番の職人が作ったアクセサリーを買ってくるよ。楽しみにしておいて。」
互いに笑顔で頷きあうユリアとヴェルム。程よく緊張も解れ、ユリアはいつも通りの笑みを浮かべている。敢えて次期女王としてのユリアに声をかけなかったヴェルム。あくまでユリア本人に向けた話をする事で、他の事は心配していないと示した。
だが、一人だけそんな二人に物申したい者がいた。
国王である。
「ま、待てヴェルム。お主はユリアに宝飾品を贈るのか?ならば指輪にしろ。きっとユリアも喜ぶ。そうだろう?ユリア。」
国王は、ユリアが次期女王となってから、ヴェルムにユリアを勧めるようになった。
実は、南の国の国王がグラナルド国王に書簡を送ったのが事の発端だ。
アイシャ王女とヴェルムの婚姻。南の国の希望はそれだった。
もしそれが現実となれば、ヴェルムが南の国へ渡るかもしれない。
そんなふうに考えた国王が、ユリアをヴェルムに宛てがうため様々な理由をつけ二人の仲を取り持とうとしている。
だが、父として愛娘の婚姻は嫌なのか、時々己の中で何かと何かが戦っているようである。
今回は二人をくっ付ける方に軍配が上がったのか、指輪を渡せ、などと言っている。
「ゴウル。少し黙ってなよ。君が話すとややこしくなる。君こそ、後妻はいつ娶るんだい?」
後妻の話を出されると弱い国王。直ぐに小さくなった。
「お父様、ヴェルム様。気をつけていってらっしゃいませ。お土産、期待しておりますわ。こちらはお任せください。」
騎士団が到着し、国王のための馬車も隊列に組み込まれた。あとは国王が乗り込み出発するだけである。
見送りに出て来たユリアと父ゴウルダートは、抱擁を交わししばしの別れを惜しんだ。
そして父娘二人からの熱い視線に負け、ヴェルムもユリアと抱擁を交わす。
天竜であるヴェルムにしてみれば、二人が離れる時間など瞬きの如き間である。
だが、これが人間という生き物だと知っているヴェルム。
今回は二人の思惑に乗ることにしたようだ。
ユリアは騎士団の隊列が王城の敷地から出るまで見送った。
既に彼女の傍らには近衛が控えており、どこへ行くにも護衛が着いてくる。いつもと同じだが、配属される近衛が増えたようだ。
更に、城内の警備に就く近衛も増えた。
これほどガチガチの警備も珍しい。ユリアはこうなるよう指示を出した父親の事を考え、クスリと笑った。
寂しいなどと言っていられない。次期女王として、まずは本日の政務からだ。
自身の執務室へ向かうユリア。その姿は正に王位継承権を持つ次期女王としての誇りがあった。




