42話
「団長、他に無いですか?」
団長室でヴェルムに向かって無表情で聞くのはアイル。彼は今まさにヴェルムからお遣いを頼まれたところだ。
「あぁ、いつも悪いね。それだけだから、戻ったら今日はもう休んで良いよ。」
「はい、ありがとうございます。では行ってまいります。」
アイルは頭を下げてから転移魔法を発動した。
それを笑顔で見送ったヴェルムに、声がかかる。
「おや、アイルはもう出ましたかな。喜ぶと良いですな。」
セトだった。先程まではいなかったのだが、いつの間にか戻っており紅茶を淹れている。
「そうだね。今日は私からのお遣いがいつもと違う事に気付いていないようだったよ。隠したんだからバレても困るけどね。」
ヴェルムがそう言うとセトは、ほっほ、と笑うのみ。セトが淹れた紅茶を飲みながら、ヴェルムはベランダの窓の方へ椅子ごと身体を向ける。左手にソーサー、右手でカップを持ち優雅に紅茶を飲む姿は見る者を魅了する。普段は認識阻害の魔法を使うため人目に晒される事は無いが、王宮でのパーティーなどに参加すると沢山の令嬢に囲まれる。ヴェルムは一応男性であるが、パーティーの後は何故か茶会の招待が増える。どこが主催のものにも行かないので次第に落ち着くが、こういった付き合い関係の取りまとめをしている団員からは小言をもらう事もある。
「うん、今日も美味しいね。さぁアイル、楽しんでおいで。」
ヴェルムが見つめる先はベランダ越しの空。今日のアルカンタは晴天だった。
「失礼します。ドラグ騎士団の遣いです。」
アイルが挨拶しながら入った店は、南の国から直接取り寄せた素材で作る、チョコレート専門店だった。
店には既に連絡が来ているのか、アイルが入店すると直ぐに店の奥に案内された。今まで何度かこの店にお遣いで来ているが、この様に店の奥に通された事はないアイルは少し驚いた。
「こちらの席にどうぞ。ご依頼の品をお持ちしますので、こちらでお待ちください。」
そう言って下がる店員の後ろ姿を目で追うしか出来ないアイル。今回は普段と違う物を依頼したのだろうか、などと考えるが、自分が考える事ではないと思考を中断した。
「お待たせして申し訳ございません。こちらをお召し上がって今しばらくお待ち頂ければと。」
直ぐに戻って来た店員は、依頼の品ではなくチョコレートケーキと紅茶をトレイに乗せていた。
この店は貴族もよく通う店で、接客に使用される道具も一つ一つ高価な物が使用されている。店員が持つシルバートレイや、ケーキを乗せる陶器の皿。カップなど食品に関わる物だけでなく、店員の着る揃いの制服も魔物素材を使った高価な布地で出来ている。
店の内装は落ち着いてはいるが、主商品のチョコレートを映えさせるためか、全体が白色に近いクリーム色を基調としている。最近ホワイトチョコレートなる物も売り出したと聞くので、それと被らないのは偶然だろうが良い事だろう。
「…。」
アイルは店員が下がった後、ケーキを眺めていた。チョコレートはガイアを始めとした珈琲好きの者が何故かよく好む。そんなに珈琲に合うのだろうか、と考えるアイル。
その考えは間違っていないが合ってもいない。ドラグ騎士団の珈琲好きは比較的多い。それは大きく分けて二種類に分別される。単に珈琲が好きで飲む者と、研究等で眠気覚ましに飲む者。珈琲が苦手な者から見ればどっちもどっちであるが、ガイアを筆頭とする珈琲が好きで常飲する者達にしてみれば、眠気覚ましに態と濃く淹れるなど言語道断、らしい。
アイルにはその気持ちが少し分かる。団長室では滅多に飲まないが、隣の待機室ではよく珈琲を飲んでいる。アイルは珈琲が好きだった。
アイルが珈琲を飲む姿を見た双子の姉カリンが、私も!と言って珈琲を飲んだのはいつだったか。一口飲んですぐ降参した後、残りの珈琲はアイルの口に入った。アイルは二杯飲めて嬉しかったし、カリンは別の飲み物で口直しをしていた。
その数日後、料理長から珈琲を美味しく飲む方法としてカフェオレなる飲み物を渡され喜んでいたカリンを見たが、アイルはカフェオレを飲んだ上で、やはり珈琲はそのままが一番だと思った。
珈琲に思考が逸れたが、目の前にはチョコレートケーキと紅茶。
確かこのケーキは見たことがある。
あれは確か、ヴェルムとアズの菓子作りを手伝った時だ。
アイルが記憶を辿ると懐かしい気持ちが湧き起こる。味が気になったアイルは、まず毒を検知する魔法を使用した後小さなフォークに手を伸ばす。この行動に関しては幼少期よりの癖であるため仕方ない。といっても、数年前の事ではあるが。そんな自分の癖に内心苦笑いを浮かべながら一口ケーキを食べる。その瞬間、アイルの中の記憶が鮮明に蘇って来た。
アズがヴェルムに頼み、知らないケーキの作り方を教えて貰おうとしていた時だ。
ヴェルムが、それならばアイルにも教えよう、と言った事が切っ掛けで、アイルの調理に関する関心が周囲にバレたのだ。
アズもアイルの気持ちは知らなかったようで、仲間が出来たと喜んでいた事を覚えている。
ヴェルムから二人が教わったのは、西の大国、天竜国ドラッヘのケーキだった。
小麦粉、バター、砂糖、卵、そしてチョコレートを使用した生地を焼きバターケーキを作る。そしてアンズのジャムを塗った後チョコレート入りの砂糖で包む。かなり味が濃いため、砂糖を入れずに泡立てた生クリームを添えるのがポイントだと教わったはずだ。
名は確か、そう、サハトルテだ。こちらではザッハトルテと呼ばれるようになったが、今でもドラッヘではサハトルテが主流だったはずだ。
このサハトルテ、天竜国ドラッヘでは"チョコーレートケーキの王さま"などと呼ばれており、それは本物の王さまに失礼なのでは、と思った覚えがある。
アイルにとっては大事な思い出のケーキ。今日ここでこれを食べられた事に機嫌を良くし、無表情の中にも僅かに笑顔が見える。気がする。
「大変お待たせ致しました。こちらご注文の品で御座います。お出ししたケーキと紅茶のお代は結構ですので、どうぞそのまま。またのご注文、お待ち申し上げます。」
品を入れた袋をアイルに渡し、深く頭を下げる店員。それにアイルは一つ頷いて退室しようとする。が、一つ思い留まり口を開いた。
「ケーキ、美味しかったです。懐かしい味でした。ありがとう御座いました。」
そう言ってペコっと頭を下げ、店員が何か言う前に出て行った。
残された店員はワナワナと震えていた。
なかなか戻ってこない同僚を心配したのか、他の店員が部屋に来た。
「ちょっと、どうしたの?なにかあったの!?」
肩を揺らされてやっと正気に戻った店員は、たっぷり息を吸い込んで叫んだ。いや、正確には叫ぼうとした。
しかしその叫びはもがもがと何か音を発するだけでまともに聞こえない。それもそのはず、呼びに来た店員に口を手で塞がれているのだから。
「ちょっと!叫ばないで!他のお客様に聞こえるでしょ?ほら、落ち着いて。」
やっと落ち着いた店員から話を聞き、理由に納得する店員。
「なんだ、そういうことね。そりゃまぁ、騎士団のお遣いでたまに来るあの子にあなたが興奮してたのも知ってるわよ?しかも今回はオーナーから直接このVIPルームに通してザッハトルテを出せ、なんて指示を受けてたんだから。そりゃあ気になるでしょうけど。でもまさか、あの子がお辞儀までしてケーキ美味しかったなんて言われたら…。そりゃこうもなるか。」
呆れ顔でそう言う店員に、アイルに商品を手渡した店員は首が取れそうな勢いで何度も頷く。
「でも、騎士団はなんでまたあんなの注文したんだろうね?ザッハトルテ出せってオーナーの指示もだけど。意味わかんないわ。」
それに関しては二人とも疑問だったのか、揃って首を傾げる。謎が残ったまま二人は仕事に戻るのだった。
「失礼します。ドラグ騎士団の遣いです。」
次にアイルが訪れたのは、職人街の端にある小さな工房だった。アイルの呼びかけに応じて姿を現したのは、大柄の男性だった。髭は伸び放題な上髪もボサボサだが、タンクトップにエプロンという格好からはみ出るその腕周りの筋肉は、ここが工房という事もありこの男性が職人である事を明確に告げていた。
「おう、来たか。出来てるぜ。代金は受け取ってるから、そのまま渡すだけになってる。しかし坊主、デカくなったな。ちゃんと食ってる証拠だ。いつかは俺くらいまでデカくなると良い!そしたら団長様にも沢山恩返し出来るだろ。」
アイルは血継の儀を行っているため、成長は竜と変わらない。つまり、この男性が生きている内はこの見た目から変わることはないのだ。それを一々告げる意味は無いと思考を中断し、アイルは注文の品を受け取るため工房の店舗スペースに入る。
しばらくそこで待たされた後、店の奥に品を取りに行っていた男性が戻って来た。
「すまねぇ、待たせたな。ほら、こいつだ。ん?坊主、甘い匂いがするな。どっか寄って来たか?」
そう言って鼻をクンクンと動かす男性に、アイルは淡々と答えた。
「先程市民街にあるチョコレート専門店に遣いに行って参りましたので。」
その言葉に男性は少し首を傾げ考える様子を見せたが、直ぐに思い出したのか、手をポンと打った。
「あぁ、大通りで貴族街に近いとこのあの店か!なるほど、そういうことか。ならうちに注文するのも分かるな。よし、頑張れよ!」
男性は一人で納得しているようだが、アイルには何のことかさっぱり分からない。しかし、自分が考える事ではないと考えるのをやめた。
それから品を受け取り、先ほどのチョコレート専門店で受け取った品と同様に、カリンから借り受けたマジックバッグに入れる。
次がお遣いの最後だ。それが終わったら休んで良いと言われたが、まだ夕方にもなっていない。何をしようかと考えながら次の店に向かった。
「そうか、あの坊主と嬢ちゃんが来て十年なんだな。まったく、団長様も言ってくれりゃあ良いのによ。お人が悪いぜ。」
去っていくアイルの背を見てポツリと呟く男性。店の奥から自分を呼ぶ声が聞こえ、大声で返事してから店の奥へと消えた。
「失礼します。ドラグ騎士団の遣いです。」
本日のお遣い最後の場所は喫茶店だ。この喫茶店は珈琲を主に提供する喫茶店で、アイルが珈琲好きだと発覚してから一度だけガイアに連れられて来た事がある。アイルは普段街を私用で出歩かないため、来たのはその一度だけだ。
カランカランとドアに取り付けられたベルが鳴り、店内にアイルの来店を告げる。ベルとアイルの呼びかけを合図にしたのか、店内の少ない客がアイルを見た。
しかしアイルは他人の視線に反応はしない。慣れているからだ。アイルとカリンの藍色の髪に水色の瞳はどこでも見られる特徴であるが、ドラグ騎士団の団服を着る十二歳くらいの見た目の子どもはいない。お遣いで街に出る際、入団試験に落ちた冒険者などから絡まれた事は一度や二度では無い。
アイルは視線に晒されながら、喫茶店のマスターが立つカウンターへと歩みを進めた。
喫茶店のマスターは初老の男性だった。元は鮮やかな赤だったのだろう髪は白髪と混ざり全体で見ると桃色になっている。しかしそれが逆に風格を醸し出しているのが、マスターの魅力だろう。
マスターはアイルを見ると、相好を崩した。
「いらっしゃい。注文の品、届いてるよ。包むから、その間一杯飲んで待っててくれるかな。」
そう言われては座るしかないと、カウンター席に座るアイル。マスターはすぐに一杯の珈琲とクッキーを出した。
アイルは、ありがとうございます、と言って頭を下げた。良くしてもらって遠慮するのは逆に失礼だから、とヴェルムに聞いた事を思い出した。アイルにとってヴェルムとは、父であり兄であり主だ。アイルとカリンには沢山の父と母、兄や姉がいる。それは全てドラグ騎士団の団員で、温かい家族だ。そんな家族をくれたヴェルムには、一生頭が上がらない。このようなお遣いくらいしか今は頼まれないが、最近は少しずつ団の仕事も隊の仕事も貰っている。少しでも恩を返せるよう精一杯働こう、とカリンとも話している。
今日は何やら気持ちを新たにする出来事が多いなと感じていたアイルに、隣から声がかかった。いつまでも珈琲に手をつけないアイルを心配したどこぞの婦人だった。
「ちょっとぼく、珈琲は苦手かしら?こちらのミルクと砂糖を使いなさいな。」
アイルは思考に耽っていただけだ。しかし、折角の珈琲が冷めるのは避けたい。声をかけてくれた婦人に礼を言い、珈琲を飲む。これはブラックで大丈夫ですというアピールのつもりだった。
「あら、無理して飲まなくて良いのよ?ここの珈琲は美味しいけれど、子どもの内は味が分からないでしょう?うちの息子ももう十五になるのに、珈琲は苦くて飲めないって言うのよ。ぼくはもっと下でしょう?マスターは何で珈琲なんか出したのかしら。こんな子どもに無理に珈琲を勧めるなんて。」
婦人の隣ではその夫なのか、婦人と同じくらいの歳の男性が和かに笑っている。どうやら夫婦揃って勘違いをしているらしい。
アイルがそれを訂正しようとした時、店のドアベルが勢いよく鳴り、来客を告げた。
自然と夫婦もアイルもそちらを見ると、客とアイルの目が合った。
「おう、アイルじゃねぇか。お前、遂に一人でこの店に来るようになったんだな!お?その香り、こないだ俺と飲んだやつじゃないか。なんだ、気に入ったならそう言えよな。向こうでも俺が淹れてやるよ。」
「…ガイア隊長。」
ガイアだった。他にも二人、四番隊と五番隊の隊員が後から店に入ってくる。二人とも、アイルを見つけて驚いた顔をした後笑顔で手を振ってきた。アイルはとりあえず目礼だけ返す。五隊より零番隊の方が立場は上のため、本来は五隊の隊員はアイルに敬礼をするのが当たり前だ。しかしここはプライベートの場であるためか、アイルには手を振るだけに留めたようだった。
「おや?ビル男爵と夫人じゃないですか。お二人とも本当に珈琲が好きですね。あぁ、こちら我が騎士団の団長付き執事の一人、アイルです。アイルも俺と同じくブラック珈琲が好きでしてね。たまに淹れてやると喜ぶんで、俺も気合い入れて珈琲淹れるんですよ。あ、そういえば、男爵のとこの長男坊、珈琲飲めるようになりましたかね?珈琲の美味さが分からんのは珈琲好きの親としては悲しいでしょう。いつか一緒に飲める日が来ると良いですね。」
ガイアのマシンガントークに、ビル男爵はタジタジだったが、夫人は合いの手をしっかり挟んでいた。アイルがブラック珈琲好きだと分かると、わざわざ謝罪までしてくれた。アイルもホッして頭を下げ、新たな珈琲好きは歓迎とまで言われてしまった。
他の客もアイルを遠巻きに見ていたが、ただのお遣いではなく珈琲好きのお遣いと分かり歓迎ムードだった。
そこに店の奥に行っていたマスターが戻り、おや?と首を傾げるも直ぐにアイルに向かって微笑んだ。
「大変お待たせしました。こちらが注文の品です。少し重いですが、あなたなら大丈夫ですね。」
マスターが差し出す袋は、確かに大きく重かった。しかしマジックバッグを持つアイルには関係ない。受け取ってそのままバッグに入れる。周りはその光景に唖然としていたが、今回は制作科の者からしっかり見せびらかして来いと言われている。後に騎士団に質問が寄せられるだろう。
「これはあなたに。次に来られた時にお使いくださいね。」
マスターからそう言って渡されたのは、何かのカードだった。これは何だろう、と裏返すと、そこには自身の名が書いてあった。おそらくヴェルムが書いたものをそっくりそのまま使ったのだろう。そこにはヴェルムの筆跡で"愛留"とあった。
「私には東の本島で使われる文字は難しく…。団長様より頂いたあなたの名を記した紙をそのままお付けする形になりました。そちらは団長様よりプレゼントだそうです。またいつでもいらしてください。」
アイルは珍しく表情を崩して驚いていた。その姿にマスターも相好を崩していた。
「…ありがとうございます。その、大事にします。」
そう言ってペコっと頭を下げたアイル。頭を上げた時はいつもの無表情に戻っていたが、カードを抱きしめるようにして握りしめる姿にマスターは心が温かくなった。
どことなく嬉しそうに店を出て行ったアイルを見送ったガイア。その表情は子どもを見守る父親の如くであった。
「ガイア隊長?その笑顔は流石に気持ち悪いですよ。」
四番隊の男がそう言うと、隣に座る五番隊の女性も深く頷いた。
「そりゃあ、あんなに嬉しそうなアイルくん見たらそんな顔になるのは分かりますけど…。それでも外でして良い顔じゃないですよ。場所が場所なら後処理に奔走するのは一番隊なんですから。」
五番隊の女性は中々辛辣な事を言う。しかしそれに頷く四番隊の男も同意見なようだった。
「なんだよお前ら。双子は俺らの子どもみたいなもんだろうが。別に良いだろ。それに、もしかしたらアイルのやつもこの店の常連になるかもしれねぇだろ?嬉しい事じゃねぇか。」
それはそうですけど、などと言いながらもブツクサ言う二人にガイアの拳が頭に落ちるまであと数十秒。
この店は隠れた名店としてガイアが気に入り、ヴェルムを含めた団の珈琲好きに紹介した。ここに来るのは珈琲好きの者ばかり。ガイアのようなアルカンタで思うように出歩けない者でもコッソリ来て珈琲を楽しむくらい出来るのだ。そんな珈琲好きの集まりにアイルも入ってくれたら嬉しい。そう思っているのは団の珈琲好き皆の意見だ。
ガイアの拳が頭に落ちて痛がる二人を笑う周囲。その笑い声をBGMに、マスターはサイフォンのガラスを磨いていた。普段は静かに珈琲を楽しむ客が多いが、たまにはこういうのも悪くない。この光景にあの小さなお客様が入るのを楽しみにまつマスターだった。




