第四十四話 息子の悲しみ
「おじさん」
とディーノは震える声でもって、泣きそうになっていた。
セナがベッドから酔って落ちないように、壁の方へと横たえると、口元に人差し指を立てる。
ディーノに静かにこっちにおいで、と合図する。
少年はコクンっとうなずくと、ベッドを軋ませないようにしながら、扉へと向かった。
一階のリビングルームで、セナを抜きにした男たちの秘密の座談会が始まった。
議題はもちろん、あの悪いやつら――かもしれない、セナを泣かせたロバートとアレックスだ。
ディーノは自分が目と耳にしたあらましを事細かに、時折、断片的になりながら、ロアッソに告げた。
始まりの言葉は「殿下がやってきた」で、始まり、ロアッソとしては雇い主である皇弟殿下がまさか、いらしたのか、と焦りを覚えた。
「ちょっと、どこの殿下だ?」
「……ぐりざいあ?」
「はあ? 王国の殿下がこんなところに来るはずがない」
「だってそう言ったよ。ロバート・グリザイアだって! 一緒に来ていた人は、ママと同じ職場の人で、アレックスだって言ってた」
「おいおい、それはちょっと冗談になってないな」
「本当だよ?」
思いつきとか嘘じゃないよ、とディーノはむっとして見せる。
わかってるよ、とロアッソは書類をどこからか持ち出して来て、それを再び眺めた。
そこにはディーナの母親であるセナのこれまでのことが、事細かに報告されている。
大まかなものはロアッソがこれまで聞いたことがあるものと酷似していた。
問題なのは彼女がどうしても話そうとしない幼いころのことだ。
正確には、十四歳以前のことを、セナは母親とか父親に関することをたまに、断片的に話すものの、そこからの素性をさかのぼれるような発言はこれまでしたことがない。
「自分は悪くない、全てあの女たちが悪い、大事なものを全部奪って行って、また私を苦しめようとする……か」
「ロアッソおじさん、何、それ?」
「おまえはまだ知らなくていいことだ。殿下とアレックスがやってきたか。そうなるとアレックス繋がりだろうな、やっぱり……それともセナのことを調べてそこから導き出した答えがそうなったのか」
「難しいことばっかり言うから僕わからないよ」
ディーノが不満そうに唇を突き出して見せた。
誰にもわかりやすくどうやって説明したものか、ロアッソはしばらく考える。
「昔の友達が、訪ねてきたんだよ。おまえのお母さんはとても忙しくてな。王国から帝国に仕事で移動する時も、みんなに挨拶をする暇がなかった。だから心配してたんだろう」
「そうなのかな。あんなに怒ってるママを見たのは初めて……」
「そんなに怖かったのか?」
「ママは朝に弱いから。驚かしたら飛び起きるかなって思って、僕が起きた後に枕の下にそっと、昆虫とか入れてあげたんだ。でもそれが嫌だったみたいでとにかくものすごく怒られたことがある。あれと同じくらい怖かった」
いたずらなんてしなさそうな顔をしているのに、そんな少女のような美しい面立ちで、ディーノはやることがたまに過激だ。
いつか、セナにもっと大きな雷落とされそうになるだろう彼に、やれやれと目を細める。
この子の気性の荒さは一体誰に似たんだろう。
青い空のような髪の色も、燃える炎を透かしてみたような真紅の瞳も、まさしくあの殿下の血筋だろう。
六年前、舞踏会の夜に殿下が踊り、そのまま二人だけどこかに消えた銀髪の淑女。
黒い仮面をし、透ける海のような瞳をしていたというその女性は、翌朝には消えてしまったという。
身長と素晴らしいモデルのような肢体を誇った彼女は、ロアッソがよく知る女性に似ていた。
「おじさん」
「どうした?」
ふとそんな物思いにふけっていたロアッソは、ディーノのいきなりの質問に思考を中断した。
少年は真紅の瞳を揺らし、悲し気な目をしている。
ロアッソは首を傾げた。
少年の不安をさらに増すようなことを何か言っただろうか、と。
「……どこか遠くに行くことになるかもしれないって」
「誰がそんなことを? セナがそう言ったのか?」
ぶんぶん、とディーノは顔を左右に振った。
時折、その青の髪から鱗粉のようなものが出ては消え、部屋の隅にある夜の闇へと消えていく。
こんな奇跡のような光景を、ロアッソはそれまでの長い人生で、いく度か目にしたことがある。
それはまだ若き王国と帝国が戦争をしていたころ。
現在の雇い主であり、当時は共に軍隊に所属し、同じ戦地で戦っていたころに、皇弟が神と契約したと言われる魔法を行使したときが一度目。
戦死した先代の王国国王と、皇弟がそれぞれの守護神である戦女神と炎の精霊の代理人として、海上で一騎打ちを果たしたときが二度目。
そして、三度目は瀕死の重傷を負った皇弟が、戦女神ラフィネの聖女により、神聖魔法を授けられて回復したとき。
そのどれもをロアッソは近場で目撃し、奇跡の偉大さに心を震わせたものだ。
同質のものが今ほんの少しだけディーノの髪からふんわりと漏れて、消えていった。
「ママはそんなこと言わないけど、でも誰かの声がする」
「……あいつらがどうしてここにやってきたのか理由がよくわかったような気がする」
「理由? おじさんは何か知っているの?」
「いいや。俺は何も知らないが」
と、そこでロアッソは言葉を詰まらせる。
真実を語るのは簡単なことだ。
その真実を母親の口からではなく、数年一緒に暮らしているとはいえ、赤の他人から語られたのでは、セナは大いに悲しむだろうし、俺を恨むだろうな。とロアッソは思った。




