第三十七話 恨みの視線
ロバートの目は、六年前の夜に忘れ去ろうとしてできなかった、彼女に釘付けになっていた。
出産に子育てとかなりの苦労をしてきたように、セナには年相応以上の落ち着きが感じられた。
あの夜にいたはずの豪奢なドレスと知的な会話と、情熱的な行動で彼を魅了した少女はどこにもいない。
優美で美しさに溢れた彼女は消えてしまい、そこにいるのは化粧も控えめに、田舎町の片隅に住む日々の労働と家族への奉仕でせわしなく生きる、そんな女性だ。
あの美しかったシルバーブロンドの長髪は短くなっていたし、かつてのような輝きがない。
メイクはしておらず、薄い唇には口紅すら塗られてかった。
しかし、その経験は少女だった彼女を大人の女性へと成長させたようだ。
それほどにセナは見違えていた。
「どうしてここに」
震える声をようやく絞り出すと、セナが口にできたのはその一言だけだった。
ロバートは彼女が明らかに怯えている素振りをするのを見て、静かに目を落とした。
「久しぶりだな、セナ。君に話が合るんだ」
再会と彼女の無事な姿を見て、ロバートは嬉しさを言葉の端ににじませる。
しかし、それは彼の想いだけで、セナにとってはアレックスもロバートも、招かざる客に違いない。
あのときよりも幾分、ふくよかになったセナは、自分にとってどこか遠い存在になってしまった気がして、なぜか寂しさを覚えた。
こちらの発言に訝しむ顔をして眉根を寄せたセナは、「ここに入らないで」と小さく答えて、二人をまるで親の仇を見るような目で見つめている。
かつて自分が愛した彼女とは別人かと感じるほど変わっているのに、ロバートは体の奥に湧き上がる意外な興奮を覚えて困惑していた。
どきりと心を打つその怒りのこもった視線にすら、なぜか新しい情動を感じてしまう。
同時に、彼女を過酷な環境へと追いやってしまったことに、激しい後悔の念を覚えた。
「君と……俺のことに関して、話しがあるんだ」
「何? いまさら話なんかないわ」
噛みつくようにセナは怒りを吐いた。
子供を連れ去られるかもしれないという、そんな恐怖に怯えたからだった。
母親ならばそれは持って当然の感情だと、ロバートは受け止める。
傲慢だった彼の自尊心が出てこないのが、自分でも意外にだった。
「あの夜について、謝罪をしたい。だが、子供をどうこうしようと、そんな気はない。王家の精霊に誓ってもいい。破れば、俺は罰せられるだろう」
「……神に誓ってまで、あなたは私に謝罪をしたいの?」
「君に対して俺がしでかした罪を、償わせてくれないか」
「あなたに罪なんてない……逃げたのは、私」
ロバートが、ディーノの安全を神に誓ったことで、セナの心に多少の余裕が生まれた。
セナにとって二人はもう終わった関係だ。
新しく何かの接点を持つことは息子に影響を及ぼす。
だが、ここで彼らを追い返しても王族の血をディーノが引いていることは、隠しようがない事実として知られてしまっているようだ。
私には関係ないと突っぱねても、この後にどんなトラブルが待っているかと思うと、心が休まらなかった。
「君をそうしなければならない状態にまで、追い込んだのは俺だ。その責任を取らせて欲しい」
「あなたの前から逃げたことを許してくれるというなら、謝罪は要らないわ」
だから帰って欲しい。
言葉にはせず、視線と態度でセナは語った。
そんな二人の会話に割って入るようにアレックスは「不敬だ」と漏らした。
仮にも相手は王国の王太子なのだから。
玄関先で門前払いをされたのでは、王室の沽券に関わる。
「ミス・ローエングリン。殿下はあなたと子供に会いたい一心で、ここまで来られたのです。そのお気持ちを察していただきたい」
「何の挨拶もなく、いきなりやってきて王室の権威を振りかざすことが、正義ですか」
「あなたは帰るとおっしゃるが、これから先二人の間には、法律的な問題も出てくる。今から話してお互いに納得することの方が、いずれはお子様のためにもなるのでは?」
「卑劣な交渉ね、さすがギャザリックの総支配人」
皮肉を込めてセナはそう言った。
彼らからの提案を否定してこのまま何もかも終わりになるとは、考えていない。
ロバートは近いうちに国王になるだろうし、その妻になる女性は、私生児がここにいると分かれば、どんな手を講じるかも分からない。
その考えが頭をよぎるたび、セナは胸が苦しくなった。
あまりにも恐ろしい想像だ。考えたくもない未来がそこにある。
「……子供には会わないと誓ってくれるなら」
「俺と君の息子だ。それでも会わせてもらえないのか」
「私たちの関係は、あの夜に終わったの。あなたも、そう思ったから、今ごろになってやってきた。そうじゃない、殿下」
「君のことを探そうとした。それは嘘じゃない」
「ロバート」
責められて自分の正当性を主張しようとする彼に、セナは諭すように言った。
彼がいつか作る新しい家族が、彼の愛をひとつに独占することができないと思えば、彼らはセナとディーノを恨むだろう。
父親が亡くなったあと、セナに悪意を向け、全てを奪い取ったあの女のように。
悪意を向けて、また誰かが悲しむことになる。
「何だ」
「これは私が言うべきじゃないかもしれない。でもあなたが本当に私のことを探そうと思ったのなら、どんな手段を使ってでも探し出せたはず。あなたは王国の王太子なのだから。そうしなかったのは、私のことを愛してなかったから」
「いや、待て。それは違う」
「いいえ、違わないわ。いまさらあなたに愛を求める気はないし、王室に関わる気もない。でも、あの子のことを知れば、あなたの家族がいずれ辛い思いをする」
「それは分からないだろう。レイナはそんな女性じゃない!」
ロバートの口からいきなり飛び出たその言葉に、セナはふたたび顔をこわばらせた。
新しい女性はもうすでに彼のそばにいて、彼はその女性と新しい人生を始めようとしていた。




