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【書籍化決定!】その公爵令嬢は、殿下の秘密を宿す  作者: 秋津冴
第五章 再会

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第三十六話 来訪者

 玄関の扉を開けたとき、セナは雨雲が支配し始めた西の空を見上げて、どことなく不安を覚えた。

 鉛色の空はさっきまで蒼穹の色に染まっていたのに、不機嫌に雷を伴って視界を覆い尽くしていく。


 夏の夕方だというのに、明るかった日差しが途切れ、雷雲が太陽から熱を奪うように彩りを失う。

 初等学院からまだ帰宅しない我が子の姿を、家に続く帰路に見出して、セナは大きく手を振った。


 帰宅したディーノは夏の暑さにうなだれてしまい、食事と入浴を済ませると、冷房が効いたリビングルームの長椅子に寝そべってしまう。


 やがて彼は眠気をおぼえたのか、クッションを枕替わりにすると、その場で軽く寝息を立て始めた。

 眠っている息子の上からブランケットをかけてやり、セナはその隣に腰かけてディーノの頬を撫でてやる。


 その空色の髪はさきほどまでの夏の空のように、青かった。

 成長すればするほど、息子はあの人の面影を色濃くしていく。


 華奢な面立ちが少女のようなディーノは、そのことを上級生によくからかわれて、時には喧嘩になることもあると、学院の先生から告げられてセナは困惑したことがある。


 息子は横顔だけでなく、その気質も彼によく似ていた。

 記憶の中にあるあの奇跡の一夜を過ごした男性、王太子ロバートに。


 そのことを思い返し、セナは一瞬、憂鬱になる。

 もう終わったことだ。


 なぜ今になって懐かしく思い返すのか。

 自分は彼の前から逃げた女なのに。


 そういった過去の事実が、一度考え出すと、脳裏に溢れた。

 同時に、いまはまだ帰宅していないこの屋敷の主、ロアッソに会いたくなった。


 子供の父親とはいえ、たった一夜を過ごした男性よりも、この数年間、無償の友情を捧げてくれたロアッソの方がよほど心証がよい。


 安心感も段違いに跳ねあがり、自分の能力を認めてくれている料理人には、手放しの信頼を寄せていた。

 夜遅くまで働いて帰宅するロアッソのために別の夕食を用意し、溜まっている家事を済ませてしまおうと考えたセナが立ち上がった時、玄関の呼び鈴が鳴った。


「また、ミアかしら」


 大学を卒業し、神殿の考古学研究室に入った親友は、最近、事前の通知なく訪れて来ることが多い。

 在学中のころから付き合っている彼氏との結婚がまだ決まらないとか、仕事でストレスがたまるとか、そういったことの愚痴を言うためにやってくるのだ。


 その口実として、彼女にしても可愛い親戚にあたるディーノを可愛がるため、ミアは子供用の手土産を用意してやってくる。

 そろそろ、自分の彼氏と向き合った方がいいと思うのだが。


「はーい!」


 二度目の呼び鈴が鳴らされた。

 おかしい、ミアじゃない?


 セナは首を傾げた。

 手持ちの荷物が多いからだろうか? いつもならば、鍵が開いている限り、遠慮なく立ち入って来るはずなのに。


 三度目の呼び鈴がなり、玄関からノックの音が続いた。

 セナは窓の外にあまり見たことのない、黒い高級車を認める。


 帝都から一度だけ皇弟殿下がロアッソを訪ねてきたことがあった。

 殿下はセナが元ホテル・ギャザリックの従業員だと知り、大いに喜んでいた。


 あの時はディーノが学院に行っていたから、出くわすことが無かった。

 だが、いま息子はすぐそこで寝こけている。


 なんとなく悪い予感が心を走り抜けた。

 ノック音はまだ続いているし、外は激しい雨が世界を一面、埋め尽くしている。


「ディーノ、起きて。寝室に行きなさい」


 待ってください、と扉に声を掛けると、尋ねた人物は了承したかのように、扉を叩くのを止めた。

 まだ眠いよー、とぼやくディーノは目をこすりながら、寝室に向かって歩いていく。


 二階の寝室に息子が姿を消したのを確認してから、セナは扉を開けた。

 すると、そこには長身の男性――セナよりは年上だが、三十代はいっていない人物が立っている。


 彼は白いサマージャケットを羽織り、黒のパンツと浅黄色のシャツを着込んでいた。

 被っていたハットを取ると、丁寧に撫でつけた金髪と、どこか威圧的な眼差しがこちらお見下ろしている。


 それは、かつての上司の姿だった。


「総支配人……」


 王国のリゾート地で働いていたホテルの総支配人、アレックスがそこに立っている。

 訝し気にこちらを見つめると、紳士らしく腰を折って挨拶をしてきた。


「ミス、ローエングリン?」

「え。ええ、はい」


 セナの呟きが合図となり、身元を確認したアレックスは、片手を挙げて黒い車のほうに合図をする。

 傘を開いた黒服の男が車両の側には立っていて、後部座席が空き、そこにいる謎の人物へとそれを差し出した。


 誰? とセナは不審な来訪者に、眉根を寄せる。

 総支配人が来ることはロアッソの関係者だということもあり、まだ納得ができた。


 しかし、自分の身元を総支配人自ら確認するのは、あまりにも怪しい。

 薄暗い夕闇の中を歩いてきたその大柄な男性が、玄関灯の光の中に顔を浮かび上がらせたとき、セナは恐れを感じて一歩下がった。


 光の中に見えた人物は、あの素晴らしい一夜を過ごして自分が逃げ出した相手。

 この六年間の間、何かあるたびに罪悪感を抱き、思い返していた男性、ロバートだったからだ。

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