新たなる目的
レーシャが呼び出した、古代神アグラとゼレクを倒したオリンたちは、エルタドを後にし、東の街道沿いに野営していた。
律儀に外で待っていたラダティムールとも合流できた。
ラダティムールはオリンの隣で、グルゥッと喉を鳴らしながら、寝息を立てている。オリンは、ラダティムールの鼻先を撫でた。もう少し眠りが深くなるとイビキに変わる。
これくらいで起きる奴ではないので、こちょこちょしてみると、ブベッっとくしゃみのようなものをした。よほど眠いのか、安心しているのか、目を開ける様子はない。
魔剣シャランダールを使いこなせなかったオリンは、足手まといにしかならなかった。
「シャランダールを制御できていないようだな」
ディールがクィヴィニアを磨きながら、じろりとオリンをみた。まったく戦力にならなかった役に立たずを怒っているわけでもなさそうだが、オリンは肩身の狭い思いだった。
あんな強敵を召喚されては、戦わざるを得ない。ほとんど魔法が使えないことがバレてしまった。
ダルティーマの魔女は、オリンの約束された死の呪いを見抜いて、あえて二神を召喚したか。
オリンは胸を手でおさえた。心臓の鼓動とともにシャランダールの波動が響いてくる。
アグラとゼレクを前にして、ほとんどその力を使いきれずに終わったことをシャランダールは不満に思っているようだった。
そのわりには戦闘には協力的ではなかった。今も機嫌を損ねて、ほとんどしゃべらない。
今回は、ディールのクィヴィニアとフィリオのディスティナのおかげで生き延びたようなものだった。
ディールはともかく、フィリオはふだん魔剣を使う機会も少ないだろうに、よく魔剣を使いこなせるものだ。
オリンは感心した。それを指摘すると、フィリオは「ああ」と短く相槌を打つだけだった。
心ここにあらずといった様子である。フィリオの気持ちもわからなくはない。
結局イズンを連れ戻すこともできず、ルカも自分の意志でとはいえ、ダルティーマの手に渡ってしまった。
シェイアに合せる顔がない。フィリオはため息をついた。
「そういえばおまえはあまり魔法を使わぬな」
このタイミングでその質問は痛いな、とオリンは思った。
魔剣は使いこなせない。魔法は使えない。足手まといどころか、やる気あんのか、レベルである。
フィリオはそんなつもりで云ったわけではないと、慌てて訂正した。
ごろつき相手ならば、メイススクリプタの炎で十分だ。だが、アグラやゼレクのような強敵となると、全く歯が立たない。
「弱い」のではなく、「弱くなった」ことをディールに見抜かれて、オリンは唇を引き結んだ。
実際、今のオリンには、ダークロアのような強大な魔法を放つことができない。
この弱り切った身体でダークロア級の魔法を使えば、心臓がもたず即死だろう。数年前まで当たり前にできていたことができなるもどかしさにオリンは苦しんでいた。
ディールにならば、クロウリーチェインのことを打ち明けてもいいかもしれない。魔剣との付き合いが長い彼だ、きっと力になってくれる。
だが、オリンは迷った。ディールに話せば、女王ユナにも知られることとなろう。
不老の呪いだけで苦しんでいるわけではないことを知っているのはオリン以外、いまのところユクト一人だけだ。
嘘をつくのにもなれてしまった。嘘のなかに真実を混ぜると、じぶんでもどれが本当のことなのかわからなくなる。それでもあえて、オリンは云った。
「オレの呪いも、元をたどれば自分の魔法の失敗が招いたこと。オレの魔法は、色々な観点からして、不完全なんだよ。魔法使いが魔法を使わないなんて、愚の骨頂かもしれないけれど、国を追放された理由だっただけに、自重しているんだ。オレの魔法、迷惑らしいから」
強がりというよりは、まるで子供の言い訳だった。だが、ディールもフィリオも笑わなかった。
「このイリュリースはおまえを歓迎するぞ」
国外追放の件をディールは気遣ってくれたようだ。彼はすべての事情を知っているわけでもないから、イリュリースに永住すればいいと勧めてきた。
オリンは悩んでいるふりだけして、黙った。
「これからどうする」
フィリオがたき火の炎に頬を赤く染めたまま問いかける。
「もちろん、ルカを助け出す」といいたいところだが、オリンは口を噤んだ。
ダルティーマに行ってレーシャに会いたい。思えば、当初の旅の目的、ルカの願いは叶っているのである。
だが、このまま放っておいて、いいのだろうか。レーシャがルカを殺す理由はない。だが、生かしておく理由もないだろう。
母親の消息もわからず仕舞いだったようであるし、ルカはこれからどうするつもりで、ダルティーマに行くことを決めたのだろうか。
「まず、鍵探しをするしかあるまい」
ディールが力強く云う。たしかに、今はそれしかないように思えた。
ルカが今後どうするにせよ、まず、もう一度会って、話さなければならない。
再びレーシャにお目通りを願うためには、手土産が必要だった。ダークロアの鍵という新たな手土産が。
そのときはまたシャランダールも差し出せと言われるだろうが、そのとき、オリンがまだ魔剣所持者であるかは疑わしくなってきた。
オリンは肩を落とした。西へ向かう予定だったのに、東へ戻るのか。
鍵探しも重要だが、オリンには残された時間に限りがあるのだ。
思っている以上に肉体が衰えてきているのがわかる。ダークロアのような大きな魔法は、唱えられない。おそらく半分も詠唱が続かないだろう。
他人に隠しておけるのもそろそろ限界だった。
どこを目指すにせよ、冒険が続くのは変わりない。このメイススクリプタでどこまでごまかしがきくか、これは賭けだった。
理由を話さなくともディールならば、オリンを守ってくれるだろう。だが、強敵を前にしてかばいきれないこともあるだろう。今回もディールはオリンの分も、何倍も傷を負っていた。
「だけど、東へ行くってどうする?」
オリンは現実的なことを考えた。ディールを見て、
「イリュリースの将軍がダルティーマの領土内をうろうろしていて大丈夫なの?」
ディールは太い眉を動かした。少し呆れているようだった。
「おまえは話を聞いていなかったのか、レーシャは東へ行けといっただろう」
「東って、ラヴィスニア跡地のことじゃないの?」
「違う。ラヴィスニアは墓場に草も生えぬほど破壊しつくされた地。あのレーシャが立ち入りを許可するものか」
「じゃあ東って、まさか、ルートヴィナのことだったの?」
「そうだ。ルートヴィナにはどんな鍵でも複製することができる、優れた鍵技師の一族がいる。その後継者は鍵職人であると同時に魔術師であるという。一族の末裔は減り、いまや一人残っているかどうか。だが、探してみる価値はある」
「なるほど。鍵の専門家に頼るわけか……。しかも魔術師」
これはいけるな! オリンは明るい表情で顔をあげた。
「それにしてもディール。あのレーシャさまの数少ない言葉でよくそこまで読み解けたね」
異国の剣士は、黙して語らずといった姿勢のままだった。
オリンはディールの顔を覗き込む。
「ディール、ひょっとしてあのお妃さまと知り合いなの?」
「むかし、少しな」
言葉を濁すような過去があの二人にはあるのだ。男と女の秘密だ。あばきたくなる。オリンは目を輝かせたが、これ以上の詮索は命取りだった。
オリンにだって人に言えない秘密がある。オリンより十年以上長く生きているディールに秘密がないはずもなかった。
それにレーシャのことを話すと、なぜか胸が痛い。シャランダールが誰かの感情を吸い取っているのか。だとしたらきっとディールに違いないが。なんだか切なくなる。
ルカのことも今はあまり触れたくなかった。ルカに突き放された瞬間がフラッシュバックして、心がもやもやする。
なんとか話題を変えようとするが、
「ダルティーマの魔女か」
フィリオが話を戻した。察しの悪さはディールといい勝負である。
「ダルティーマの皇帝は女に情けをかけるような甘い男ではなく、残忍な男ときく。
その男が長年傍らに置き続ける唯一の女か……」
フィリオは真顔で、
「シェイアとは違った美貌の持ち主だったな」
「まあたしかに、美しい女ではある」
ディールもうなる。
一同は、うつむいて、たき火の炎ばかりを見つめている。その先には同じ女の姿が浮かんでいたことだろう。
オリンは戸惑った。
なんだかんだと美女の話でもちきりなあたり、ここに女性が一人もいないからか。
しかし、いつまでも逃した魚を惜しむような姿勢は、男として情けない。
話題に終止符を打ったのはディールだった。
「いずれにせよ、のんびりしている時間はない」
オリンはうなずいた。
「次は、ラキエルの迷宮か」
大陸で一番、巨大な迷宮。ラキエル。新たな冒険が始まろうとしていた。