ジュリアン
マシューが出て行った。
ジュリアンは内心、逃げられたと思っていた。
彼には一番に疑いの目を向けていた。
不可解な事がずっと続いている。それは、ゴーレの森で強盗に襲われかけた事。手紙の紛失。
この城で唯一得体の知れない人物は彼しかいなかったのに、証拠をつかむ前に彼自身が消えてしまった。
もっと早く疑うべきだった。
アナスタシアは単純に寂しがっているだけだが、マシューが何者かつきとめる必要がある。
ジュリアンは、アナスタシアと分かれると書斎へ戻った。
エドワードに手紙を書くと、すぐさまマロリーに渡し、急いで手紙を届けるように頼んだ。
レノックス卿の手紙のことが気にかかる。
あの手紙の事を知っているのは自分だけだ。
手紙を書いた本人は亡くなっている。
ジュリアンは頭を抱えた。
イザベラに一度、話を聞きたい。
彼女自身も話が漏れるのを恐れているが、レノックス卿がいなくなってしまった今、真実を知っているかもしれない人物は彼女しかいない。
ジュリアンは思いたつと、すぐに行動に移そうと思った。
厩舎へ行き、馬丁を呼びだすと、自分の馬を用意させた。
「旦那様、どちらへ行かれますか?」
ジュリアンは一瞬考えた。
「ちょっとキャクタスへ行って来る。夜には戻る」
「お気をつけて」
馬丁の言葉に頷きながら、慎重に事を進めなくてはと改めて思った。
テオに会う口実で、イザベラから真実を聞きだしたい。
馬を走らせて一時間もしないうちにキャクタス国へ入った。
レノックス卿の城へつくと、城の中は静まり返っている。面会する約束もせずにやって来てしまった。
執事がすぐにやって来てジュリアンが名乗ると、彼は血相を変えて中へ入り客間へと通された。
少し待つと、イザベラが黒いドレスにベールで顔を包み、しとやかに現れた。
「突然の訪問で申し訳ありません」
「いらっしゃると思っておりました」
イザベラは静かに言った。
「テオドールは元気ですわ。でも、彼は非常にショックを受けていて、人に会える状態ではありません」
「……どういう事ですか?」
イザベラは目を閉じると、息を吸い込んだ。呪文が部屋の中を取り巻く。
魔法がかけられた。
彼女は目を開けると、ジュリアンをじっと見て言った。
「レノックス卿の事で何かお聞きになりに参られたのでしょう」
「ええ…」
ジュリアンはそれ以上言わなかった。
イザベラはため息をついた。
「フォード伯爵、わたしを信じてお話し下さい。この部屋の内容が盗聴されることは決してありません」
「公爵から手紙を受け取りました」
「手紙?」
イザベラがギョッとした顔をする。
「知りませんでしたわ。それで内容は?」
ジュリアンが首を横に振ると、イザベラはさらに驚いた。
「どういう事ですの?」
「誰かに盗まれました」
「そんな!」
彼女は青ざめた。
「盗まれた? どういう事ですの?」
「本当に知らないのですか? 僕はその手紙の内容をあなたが知っているとばかり思って伺ったのです」
「知りません。手紙だなんて危険すぎます」
「教えて下さい。今あなたが話せる内容を。なぜ、レノックス卿は亡くなられたのです?」
イザベラは体を震わせた。
「過去の罪を償うためだと言っていました。罪については教えてくれませんでした。わたくしに危険が及ぶからと。叔父様は…テオドールに爵位を譲るために、国王に命を捧げたのです」
テオを受け入れるために命を差し出した。
手紙の内容はこれに関することに違いない。
「それだけ分かれば十分です」
「フォード伯爵」
イザベラがジュリアンを呼びとめた。
「手紙を誰に盗まれたのか御存じなのですか?」
「いいえ」
「そんな……」
イザベラがその場に座り込んだ。
「わたしたちどうなるの?」
「犯人は必ず見つけます」
ジュリアンはイザベラをそのままにして客室を出た。
手紙には危険な事が書かれていたに違いない。なぜ、犯人は手紙を知ることができたのだろう。
イザベラですら、あんなにおびえていた。
どれほど力のある者なのか、マシューにそんな力があるようには思えない。
ジュリアンは馬を走らせて自分の城へ急いで帰った。
急いだつもりだったが、すっかり遅くなってしまった。
だいぶ日が傾くのが早くなった。
領主が戻らないと食事は始められない。皆を待たせてしまったかもしれない。
ジュリアンが急ぎ足でダイニングルームへ向かう途中、アナスタシアの侍女、レイチェルの姿をとらえた。
彼女はジュリアンを見ると、こちらへ駆け寄って来た。
「旦那さま、どちらへ行かれていたのですか?」
「用事があってキャクタスへ行っていたのだ。何かあったのか?」
「奥方様が心配しておられました。皆、待っておりますわ」
「すまん」
「あの…」
レイチェルが小さい声で呼びとめた。
「何だ?」
「マロリーさんから聞いたのですが、奥方様の新しいドレスをお探しだとか」
「ん?」
ジュリアンは首を傾げた。
そう言えば、忙しくて忘れていた。
「わたしでよければ町へ行って探して参りましょうか?」
「いいのか? レイチェル」
「ええ」
レイチェルはにこっと笑った。
「嬉しいわ。レイチェルって呼んでくれるのね」
突然、砕けた口調になる。
ジュリアンはしまった、と一瞬思った。
「すまない、つい、口が滑った」
「いいのよ。ジュリアン…」
「レイチェル、俺は結婚したんだ」
「ええ……」
レイチェルが顔を伏せて黙り込む。
「立場はわきまえておりますわ、旦那様」
お辞儀をすると、レイチェルは足早に去って行った。
ジュリアンは大きく息をついた。
レイチェルはジュリアンが二十代の頃に付き合っていた女性の一人だった。彼女は女中で働いており、その頃、彼女とは両親に隠れて付き合っていた。
結婚を考えたことはなかったが、あの頃は美人のレイチェルに夢中だった。しかし、何かのきっかけでケンカをして別れてしまった。
それ以来、関わりが切れてレイチェルも他の男性と結婚をして城を出て行った。
あれから十年以上たってエディがレイチェルを連れて戻って来た。
アナスタシアの侍女として選ばれたのだ。
ジュリアンは驚きで言葉を失ったが、エディは自分とレイチェルの関係を知らない。
マロリーでさえ知らない事なので、彼女さえ黙って入ればアナスタシアに知られることはない。
だから、あまり深く考えていなかったが、今のようにうっかり口を滑らせることは危険だった。
ジュリアンは息をつくと、皆の待つダイニングルームへと急いだ。
マシューがいなくなり、ミアとアナスタシアが隣合わせで話をしている。
テオもいなくなったテーブルは閑散としていた。
アナスタシアとミアが立ち上がる。
「ナターシャ、ミア、近くに座らないか」
ジュリアンが声をかけると、二人は不思議そうな顔をしたが、席を立って話ができる程近くに座った。
料理が運ばれてくる。食事を始めるとジュリアンがミアに尋ねた。
「ミア、魔法の成果はどうなっている? だいぶうまくなったのか?」
「今、ナーシャともその話をしていたんです」
「すごいのよ。ミアはいろんな力を秘めていて、物を動かしたり光も出せるようになったんですって」
「光?」
ミアがこくんと頷いた。
「ええ。以前、アメリアが手から光を放つとゴーレが消滅したのだけど、そのやり方を教わったの。ジニアにいた時、もう一人の救世主が教えてくれました。光は天への道しるべであって、消滅は殺すことじゃない。光りを分け与えて欲しいって」
「素晴らしいことだわ。ミア。あなたの光はゴーレを救うのよ、きっと」
ゴーレを救う少女。
救世主と呼ばれているのは、どういう意味からなのだろう。
おとぎ話では人間を守るための救世主となっているが。
「それで、試したのか?」
「「え?」」
ミアとアナスタシアが同時に声を出した。
「まさか! だって、ここに来てから一度もゴーレを見ていないわ」
アナスタシアが言った。
確かにその通りだった。
エリンギウムにはゴーレはいない。
みんな、廃墟となったゴーレの森で眠っているのだから。
自分の城を守っているだけでも一苦労なのに、国王からはゴーレの森を焼き払うよう指示されている。
手紙の紛失、裏切り者、アナスタシアの出産、救世主に魔女。
次から次へと問題が増えていく気がする。
「そうだったな。おかしなことを言った」
ジュリアンが苦笑して息をつくと、アナスタシアが心配そうな顔をした。
「なんだか疲れて見えるわ、ジュリアン」
「用事があってキャクタスに出かけたせいかもしれない」
そう言うとアナスタシアが興味を持ったように背筋を伸ばした。
「テオに会いに行ったの?」
「ああ。だが…」
ミアの顔がこわばる。
「テオは忙しくて会えなかった」
「そう…」
ミアがしょんぼりと肩を落とすと、アナスタシアが慰めるように囁いた。
「ねえ、今度二人で会いに行きましょう」
「え?」
「ダメだ」
ジュリアンがすかさずその意見を却下すると、彼女の目が吊り上がった。
「どうして行ってはならないの?」
「女性だけではキャクタスへ行くのは危険だし、君は妊娠しているんだ。馬車になんて乗ってはならない」
「平気よ」
「アナスタシア、心配をして言っているんだ」
思わず強い口調になると、ミアがおずおずと言った。
「二人とも落ち着いて、わたしはいいの。それに、魔法の勉強の方が大事だもの」
幼いミアに気を使わせてしまったとジュリアンは後で思ったが、ワインを手に取った。
アナスタシアも気まずいと思ったのか、笑顔を作ってジュリアンの方を見た。
「そうだわ。ジュリアンにお礼を言わなくてはと思っていたの。レイチェルはとてもよくしてくれるわ。彼女、お城の事は何でも知っているし、本当に助かっているわ。ありがとう」
「そうか……。それはよかった」
ジュリアンはワインを一気に飲み干した。
「そうだ。今夜みたいに夕食が遅くなる場合は俺を待たず先に食べてもらって構わない」
「え? どうして?」
アナスタシアがびっくりして目を大きく見開く。
「城に人が戻り、カール国王から命令された仕事が山積みになっている。それを片付けるためこれからちょくちょく出かけるようになる」
「そんな……」
アナスタシアは不満そうだった。しかし、ミアを気にしてか何も言わず、寂しそうに呟いた。
「あなたがいないとつまらないわ」
「すまない、アナスタシア。できるだけ一緒にいられるよう努力するよ」
ジュリアンはそう言ったが自分でも自信はなかった。
アナスタシアが悲しげな目で自分を見ている。その時、彼女が急に顔を歪ませ口を押さえた。
ジュリアンは驚いて彼女に駆け寄った。
「ナターシャ、どうしたんだ?」
「急に気分が悪くなって…」
「吐きそうなのか?」
「そうじゃないのだけど…」
アナスタシアは具合が悪そうだった。
ジュリアンはそっとアナスタシアの体を支えた。
「悪いな、ミア。ナターシャを部屋へ連れて行くよ」
「ええ。わたしの事はお気になさらないでください」
ミアがそう言ってアナスタシアの手をそっと握った。そして、目を開いた。
「どうした?」
「いいえ。アナスタシアの体がすごく熱くて…」
ジュリアンは、マロリーにすぐに医者を呼ぶように言いつけた。
アナスタシアは苦しそうにしながらも何とか立っていた。
「大丈夫か? ナターシャ」
「ええ…」
アナスタシアは笑ったが、額に汗をかいていた。
ジュリアンは胸がざわりとした。
彼女を抱き上げるなりすぐに部屋へ飛び込んだ。ベッドへ寝かせると彼女の息は荒く苦しそうだった。
手を握りしめるとその手は熱かった。
「ジュリアン…」
アナスタシアが不安そうな顔でこちらを見上げてから意識を失ったように目を閉じた。
「ナターシャ?」
呼びかけたが彼女は起きなかった。




