したい!
王が最初に王妃の住まいにやってきた時は本当に驚いてしまって、(なにせ畑仕事から戻ってドアを開けたら室内に知らぬ間に人がいたので、不審者かと思ってしまった)(のちに、勝手に家に入らないこと、訪れに来た時はちゃんとドアをノックすることを約束させた)悲鳴を上げたものだけれど、その時の居た堪れないような、気まずい表情が子供たちとそっくりで、笑ってしまった。
これまで王妃を部屋から出すのを嫌がったことや、子供たちと関わらせないようにしたこと、側妃を勝手に迎えたことと、誓って側妃には一切手を出していないこと、それには側妃のとある事情が関わってくること、そして例の側妃毒殺未遂事件について、懇切丁寧に説明(弁明とも言う)を受けた。
だがその間、子供たちとそっくりな表情は王妃の頭からなかなか離れてくれず、ぽんぽんと思い出しては笑うのを必死に堪えていたが無駄な努力に終わってしまった。ついには王から「なぜお前はお前の話でそう緊張感なくいられるのだ」云々と説教を受けてしまったほどである。
これまで長い間ずっと不自由にさせてすまない、これからも外に出してやれなくてすまない、解放してやれなくてすまない、そして歴史に不名誉な名を残すことになる王妃にしてしまってすまない。
膝に置いた拳を固く握りしめ、最後には絞り出すようにして謝罪の言葉を口にした王に、王妃は朗らかに笑った。
あなたはわたくしを守ろうとしていてくださったのだと、それだけ分かればもう十分なのです。
わたくしはあなたに嫌われてはいなかったのだと、それが分かっただけでもう。
王妃を部屋に閉じ込め、そして例の事件を利用して今度はこの広い庭園に閉じ込めたのは、王の不器用な守り方だった。
王が王である限り取り巻き続けるという呪いから、王妃と、そして子供たちの命を守るための。
王妃が一度も王を恨んだことがないと言えば、嘘になる。
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嫁いで早々、王妃は階段の上から下まで転げ落ちるという失態を起こしてしまった。
2日間意識が戻らなかった王妃を王が死にそうな顔でずっと看病していたらしい。
3階の窓から花瓶が落ちてきた時は、王が側にいてとっさに王妃を突き飛ばしたから良かったものの、直撃したら確実に王妃はこの世にいなかった。
間近で見た王の顔はやはり死にそうな顔をしていて、その頃から王は王妃の外出を渋るようになった。
このような命を脅かす不運からテーブルの脚に小指をぶつけるという些細なものまで積み重ねていくうちに、王妃の埋まっていたスケジュールは徐々に隙間が目立つようになっていった。
決定的だったのはとある侯爵令嬢の恨みを買ったことだ。
毒を盛られて倒れた王妃が意識を取り戻した時、王は死にそうな顔で呟いた。
「もうお前は外に出さない」と。結婚して半年が経った頃のことだった。
“名ばかりの王妃様”の誕生である。
王の死にそうな顔を何度も目にしていたので、最初は仕方がないわと自らに言い聞かせた。
なぜか嫁いでから異常なほどの不運で、自分ではどうしようもないこととはいえ、問題ごとばかり起こしてしまう自分が悪いのだと。むしろ心配して下さって、顔は怖いけどなんて優しい人なの、と思ってさえいた。暫くしたら王の頑なな態度も軟化するだろうと楽観的に考えていた。
2年ほどして最初の王子が生まれた。
王妃はまだ、自由に外を出ることを許されない。
子にも満足に会えないことに我慢できなくなって王に詰め寄った。
「わたくしがしなければならないことはたくさんありますでしょう?」
王の普通にしていても不機嫌に見える顔が、逃げ出したくなるほど恐ろしい顔になっても根気強く諭したが、王妃の唯一の仕事とも言える“夜のお勤め”に持ち込まれて毎晩うやむやに終わった。
王女が生まれる頃には気の長い穏やかな性格である王妃も怒り心頭で、新婚の頃は恐ろしかった王の不機嫌顔を見ても冷たくあしらえるまでになった。
王妃の冷ややかな態度に王はむっすりとした顔で黙り込んでふて寝をするか、強引に行為に持ち込むかであった。
強行突破を図って部屋を抜け出そうと試み、城の優秀な騎士たちにすぐに取り押さえられ、夜のきつい“御仕置き”で気絶するまで苛まれ、翌日の夕方まで寝込むことになるのを何度か繰り返したのち、第二王子が生まれた。
王妃は王を説得することを諦め、昼間の趣味に没頭することを覚えた。
王に強請って作ってもらった小さなキッチンでお菓子作りの楽しさに目覚める。
会えない子供たちにせめてもの愛情が伝わればいいと贈るハンカチや衣服に刺繍を施すうちに、時折王が王妃の機嫌を取るために呼び寄せる商人やお針子たちから絶賛される腕前となっていった。
新たな趣味もできた。結婚する前はさほど興味のなかった恋愛小説を王妃付きの若い女官に薦められて何冊か読んでいるうちに、すっかり虜になってしまったのだった。女官たちと作品の感想を思い思いに言い合ったり好みの男性について好き勝手に語り合う時間を王妃は楽しんだ。
部屋にいても聞こえてくる王妃の悪い噂に意識をやらないでいてさえいれば、趣味を楽しむには素晴らしい環境だと王妃は思った。
日々どうやって王を説得しようかしらと悩んだり、なぜ出してくれないのと夜には本人に半分も言えなかった恨み言を昼間に一人で消化したり、じんじん痛む腰をさすりながら脱走経路を企てるのは経済的ではないと王妃は悟ったのだった。
そう悟った頃に、二番目の王女が生まれた。
最初は新鮮な気持ちで楽しんでいた趣味も何年も続けば、考え事をしながらでもできるようになってくる。
そういえば、あの人はわたくしのことをどう思っていらっしゃるのかしら。
王とは政略結婚で、初めて会話らしい会話をしたのが結婚式だった。王からの求愛の言葉は思い出す限りでは一切なく、それが普通だと王妃は思っていたし、これまで気にする余裕もなかった。
一度考えると気になってしまう。
王妃に王妃らしい仕事をさせずこうして部屋に閉じ込めているのは、数々の不運に見舞われてしまったことを心配してくれているからだと思っていた。
過剰と思われるほどの心配ぶりに、今まで王の王妃に対する感情がどんなものなのかなどと思い至らせずにいたが、それらしい言葉……好きだの愛しているだのの言葉は一度も耳にしたことがない。
結婚当初は何も思っていなくても、今では長いこと夫婦でいたのだし、子供にも四人も恵まれたのだ。
でも果たしてそれが愛情の証明となるの?愛がなくとも殿方は女性を抱けるというし、子供を産んで次代を育てるのは王族の義務ともいえる。
だけどあの人は毎晩っていいほど遅くまでわたくしを……
他に仕事のない「王妃」を慮っていらっしゃるのではなくて?わたくしが王妃の仕事を果たせず子供も産まないでいたら、わたくしの祖国の干渉を受けるかもしれない。祖国の現王であらせられる異母兄様とはあまり交流がなかったから分からないけれど、嫁いだ姫の不名誉を知れば周りの者が黙ってはいないでしょう。
それに、わたくしに昼の間活発な行動をさせないようにするためではないかしら……
何日も何日もあれこれ考えて、ついに王妃はやめよう、と考えを打ち切った。
あの人が自分を好きでも嫌いでも、王妃はこれまでと変わらない生活をして生きていく。
だから、あの人がわたくしをどう思ってるかなんて、どうでもいいのよ。
わたくし自身だって、わたくしがあの人をどう思ってるかどうか、分からないのだもの。
思い切って本人に尋ねるという選択肢を王妃は無視した。
王が黙り込んでしまうのは明らかだったし何より、答えを聞くのが怖かったからだ。
大人しくしていれば、少しの間庭園を散歩することは許される。
その殆どが王同伴が条件だったが、王は王妃の前だとめったに口を開かないので、転ばないよう支えてくれる杖のようなものだと思うことにしていた。
色とりどりの花々と広い空、肺に取り込む自由な空気は王妃の日に日に乾いていく心を潤すようだった。
ある時王妃は気まぐれに王に話しかけた。
「そういえばわたくし、昔は花を育てることが好きでしたのよ」
王は相槌を打つくらいしか反応を返さなかったが、王妃にはどうでもよかった。
独り言のようにぽつりとつぶやいた。
「とても好きだったの。楽しかったわ」
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思えばあの時、聞いていないと思っていた王はちゃんと聞いていたのだ。
だからこんな素敵な毎日を用意してくれた。
稀にでも出席を求められる王妃としての役割をこなすのが、本当は苦痛だった。
人々の好奇の視線と悪い噂に曝されるというのもあるが、それだけではなくて。
人前に出るのが嫌だなんて怖いだなんて、王族に生まれた者が何を言っているのと抑え込んできたけれど、本当は昔から苦手だったのだ。
なぜ仕事をさせてくれないのと王に詰め寄ったのも、そんな本当の自分が顔を出してくるのが怖かったからだ。王族らしからぬ考えは外に出れない分ますます育っていって、そんな我儘な自分と向き合うのにも王妃は疲れ切っていた。
王から二度と表に出ることは許さぬと言い渡された時、愛されてなどいなかったと知って胸の奥にぽっかりと穴が空いたような心地になったが、同時に、もう王妃として表舞台に立たなくてもいいのだと言われたことに心底ほっとした。
それでもやはりとても悲しかったから、恋がしてみたいと――恋愛小説に心をときめかせるようになって生まれた望みを口にしてしまったのだけれど。
荒れ果てた箱庭を整えて、大好きな花々でいっぱいにしていく自由で気楽な毎日!
時折客人も訪れてくれるから孤独を感じることもない。どんな風にもてなそうかしらとわくわくする。
あの冷たい牢獄で、「王妃」は一度、殺されたのだ。
王妃にはどういうことだか分からないが、結果王の呪いは効力を失うこととなり、こうして気ままな第二の人生を、命を脅かされることなく、生きている。
これまでもこれからも、「王妃」まで捨てることを「王」は許さなかったけれど。
それくらいは大事に取っておきましょう。あなたが「王」でなくなる時まで。
おとぎ話の中の悪い王妃さま?上等よ。そうやって語り継いでもらえるのも、悪くないわ。
本当のわたくしは、わたくしを知る人たちにだけ分かってもらえばいいのだもの。
王妃は泣き出してしまいそうな王の頭を子供にするように、いや子供には今までにこうして抱きしめることすら数えるほどしか与えられなかったけれど、胸の中にぎゅっと抱きしめた。
一つ不満を申し上げるとすれば、と王妃は抱き寄せた金色の頭に頬を寄せて、拗ねてみせた。
「なぜ、もっと早くに教えてくださらなかったの?それだけはずっとずーっと恨みますわ」
王は居心地悪げに身動ぎして、しばらくは答えようとしなかったが、王妃がここぞとばかりにしつこく問い続けると、諦めたように口にした。
「その、……もしお前が私の呪いのことを知って、離婚すると言われたらと思うと……子を授かったら言おう言おうと、思っていたのだが、それでも離婚を切り出されたら、私はお前に何をするかわからない……それが恐ろしかったのだ……」
王妃はまあ!と呆れて王の長めの襟足を軽く引っ張ってやった。
「なんて臆病な人!あなたは本当に、消極的で暗い考え方しかできないんだから!
それにしても何をするかって、何をなさるおつもりでしたの?」
「……絶対に言わない」
「……でも、あなただけを責めるのは間違いね。わたくしが聞くのを諦めてしまったから、あなたは教えてくださらなかったのよね」
「…………」
「結局、わたくしたちは会話が足りなかったのだわ。会話をしなかったから信頼も信用もできなかった」
「……それは、お前のせいではない」
「それもそうですわね。歩み寄る努力をしていたのはいつもわたくしだったもの。あなたはずっと黙ってばっかり」
「…………すまなかった」
「分かっていればよろしいのよ。これから、変わっていけばいいの。あなたも、わたくしも」
「……お前は本当に、寛容だな。お前以上に寛容な人間は、どこにもいないに違いない」
「あら、わたくしは結構狭量ですわよ。あなたが知らないだけでね」
「……そうか。だが、お前の言う狭量な面を知ったとしても、私は変わらず、お前を愛おしく思っていることだろう」
「…………ここで、それを言いますの!?そんな、初めて、今このタイミングで……!」
「………………何かまずかっただろうか…?」
「反則ですわ!もう!」
「……そうか、悪かった。…その、そんなに首を強く絞められると、苦しいのだが……」
「今、顔を上げたら、夕ご飯抜きですからね!」
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たしかに王妃の「狭量な面」を知っても、王が王妃に愛想を尽かすことはなかった。
『あなただって側室の方がいらっしゃるのですから、わたくしだって恋人がいてもよろしいですわよね?』
『……いや、彼女はお前の代わりに仕事を頼んでいるのであって……』
『そのことに関しては本当にありがたく思っていますわ。一度ぜひお会いしたいのだけれどよろしいかしら?…ああ、今はその話ではなくて、彼はすごく良くしてくださってるの。お客様が来てくださることが日々の潤いになっていますし、それに野菜や花を育てる先生でもあるのよ。ね?これまで通り許してくださいますわよね?』
『……………………うむ』
というわけで、王と仲直りを果たした後も、王妃の楽しい恋人ごっこは続行中なのである。
火にかけた鍋の中のシチューをぐるぐるとかき混ぜながら、王の怖い顔、よくよく見たらただ困り果てている顔だと分かるのだけれど、そんな顔を思い出して王妃はくふふ、と笑った。
王はきっと気づいていないが、王を困らせるのはちょっとした仕返しなのだ。
何も教えてくれずに長いこと王妃を閉じ込めたことへの。
王は寛容だと王妃を称したが、とんでもない。王妃は結構根に持つタイプなのだ。
それにフェルナンとの時間がとても楽しいのは事実。
実際のところ、王妃はまだ自分の気持ちに答えを出せていなかった。
愛しているとはっきり口にしてくれた夫へ同じ気持ちを返したわけではない。あの場では有耶無耶になってしまって、それから王妃が自分の気持ちを返す機会がないままだ。
恋人役を担ってくれているフェルナンに対しても、時々ごっこ遊びではない、本気の、熱い眼差しを受け取ることがあるが、きっと気のせいだとごまかしている。奥手な王妃には確かめるすべがないからだ。
分かりにくくて口下手で、本当はとても優しい旦那様がいながら、若くてかっこよくて、時にかわいい恋人との時間も楽しみにしているなんて、わたくしは「悪い女」だわ。
でも、わたくしは悪い王妃さまなのだもの!
おそらくそう遠くない日に、答えを出さなくてはならない時が来るのだろう。
だが王妃は、焦らずに今を楽しもうと思っていた。
だって王妃は、恋を始めたばかりなのだから。
今はただ、ドキドキと、ときめいていたい。
オーブンの中身の出来を確かめたところで、コンコンコン、とノックの音がした。
鉄板の上のミートパイはこんがりと焼けていて、部屋中が空っぽの胃袋を刺激する良い香りでいっぱいになっている。
王妃は椅子の上にオーブンミトンをぽんと放ってスカートの裾をひらり翻しながら、愛しい人が待つドアまで駆けていった。
最後に王妃の元へ訪れた人物がいったい誰なのかは、ご想像にお任せします、ということで……(*^^*)
ここまでご覧くださり、本当にありがとうございました!