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眠れる館の姫君

 頭上のシャンデリアに押しつぶされそうな心持がした。追われるように、大理石の玄関ホールを老婦人の軽やかなヒールに続いて歩く。重々しい扉が並ぶ中に、ひとつだけ他とは、造りの違うものがあった。


――この洋館に、簡素という言葉は似つかわしくないだろうか。


婦人は、その場に足を止め、パフスリーブの袖を控えめに揺らして、ペンキ塗りのドアをノックする。すると、ノブが内側から回され、扉の影からカフェテリアの雨男が白い歯を見せた。


「いらっしゃい」


大学の外で会うのははじめてのことだ。春樹さんは、海外に住む両親と離れて暮らしている。この屋敷は、亡くなった祖父から譲り受けたものだそうだ。イギリスには、祖父の立てた城があるらしい。ワンルームマンションに住んでいる平凡な僕からすると想像もつかない生活だ。


「迎えに出られなくて申し訳なかったですね。駅から迷いませんでしたか?」


「まさか。有栖川邸と言えば、ランドセルを背負った子供でも道を教えてくれましたよ」


それにしても、こうやって目の前に立たれると首が痛い。普段、ソファで向かい合っているときには気付かなかった。彼の長身は、西洋から流れてきた血筋なのだろう。確か、御祖母様が、ヨーロッパの出身だとか。


「実は、今日、玲聞さんをお呼びしたのは、彼女なんです」


彼女?


扉口から見えるのは、がらんどうになった室内。そういえば、ここまで、案内してもらった老婦人の姿がないことに気付いた。


「ほら、彼女ですよ」


 春樹さんに促され、僕はやっと『彼女』の丸い頭を見つけることができた。“彼女”は、春樹さんの腰にも背の届かない幼い女の子だったのだ。この子は、マスコットのように彼の足にしがみ付いている。目が合いそうになると、さっとドレスの裾を翻して隠れてしまった。

春樹さんの影から、また、ちょこんと顔だけ出すと、今度は、なにやら、目を爛々とさせている。

どんぐりに舌鼓を打つ子リスとでも言おうか。彼女は、僕の提げている和菓子屋の袋に気付いて、桜色の頬をぷにと垂れさせた。ビニール地の袋を伝って、豆大福の心拍数が高まっていくのを感じる。



僕は、部屋の中央にある一人用ソファに腰かけた。続いて、春樹さんが向かいの三人掛けソファに座る。追いかけるように、幼女が彼の脇腹にとんと引っ付いた。

さっき聞いた話によれば、この子の名は、シャロンといって彼の妹だそうだ。小さな顎にこぶりな目や鼻がバランスよく配置されている。赤いドレスを着た日本人形と表現するのでは、しっくりこないかな。とにかく、彼女は、東洋美人である。


クオーターの春樹さんと顔を並べられると、余計な詮索をするつもりはなくても、妙な間ができる。それほど、彼らは、兄妹らしくない兄妹だったのだ。


食器の触れ合う音がして、さきほどの老婦人がいつの間にか、そばに立っていることに気付いた。手元のサイドテーブルにティーカップを用意してくれたらしい。金縁の皿に、手土産の豆大福まである。近くの暖炉からは炎が巻き上がっていた。今の今まで暖炉には木炭さえ入っていなかったように思ったが。


「玲聞さん、怖がらせるようなことは言いたくなかったんですけれど、今回ばかりは、幻覚や幻聴だけで済まされないかもしれません」


彼は、上体を屈めて声を低くした。まるで、僕たち以外の誰かに聞き耳を立てられないようにとでもいうのか。春樹さんは続ける。


「昨日、大学のカフェテリアで、僕の携帯が鳴ったことを覚えているでしょう。あれが、シャロンです。僕の気配を通じて、玲聞さんの危険を感じたというんで、今日、こうして、ご足労いただきました」


 僕の顔が少しずつ陰り出したのを、彼は、得意の笑顔ではね返した。


どういうわけか。春樹さんの縫いぐるみが、彼のジャケットをくいくい引っ張り出した。小さな手を添えて耳打ちしているようだ。彼女は、春樹さんの肩から盗み見るように、こちらの様子をうかがっている。あまり気分のいいものではなかった。



屋敷から解放されたのは、ちょうど日差しが落ち着いた頃。あまり長居することもないと、適当な用事をでっち上げて早々に失礼した。


麓の駅まで坂を足早に降りる。知らず知らずのうちに、駆け足になっていた。


――人に、妙なものを見るといえば、こうだ。腹が立つというより、もの悲しくてたまらない。



「落としましたよ」


立ち止まって、声のする方を見た。そこには、黒い山高帽を被った老紳士が立っている。彼の突き出した手には、未使用の絆創膏が握られていた。有栖川邸を出るとき僕が春樹さんに渡されたものだ。シャロンちゃんからだと聞かされたか。キャラクターのイラストがプリントされた女の子好みのデザインである。幼い頃、お気に入りの友達にビー玉をあげたようなものだろうか。彼女とは、結局、一度も会話をすることがなかったし、別段、慕われるような心当たりもないというのに、子供のすることはわからない。


「ありがとうございます」


紳士に軽く会釈して次に顔を上げたときには、彼はもうその場に居なかった。まだ男の残した香りがあたりに広がっている。香水か。気取った老人だこと。見たことのある顔だった。いつか、すれ違っていたのかもしれない。

熱を帯びたアスファルトに一筋の汗がしたたり落ちた。そういえば、どうして、屋敷の暖炉の温もりが心地よく思えたのだろう。蝉の鳴き声が遠くなる 。

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