スコピエルの魔物 その七
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「ミナトおおおおお!!」
俺を守ろうとしてくれた少女が、俺の目の前で崩れ落ちる。
まるでスローモーションのように、彼女はゆっくりと地面に倒れこんでいく。
「コウダイ!! 貴様あああ!!」
一緒に旅をし、心を触れ合わせた仲間、いや、俺にとっては妹のような存在だった彼女を、何の躊躇いも、哀れみもなく、あいつは切り裂いた!
許せない!
許せない!!
許せない!!!
相手がコウダイだろうがもう関係ない! ミナトを、俺の大切なものを傷付けるやつは殺す!
「うおおおおおおおお!!」
戦略も、技術もない。あるのは純粋なる殺意だけだ。目の前の悪魔を殺す。そのために俺は剣を振るう!
「ぐ!? 一体、どこにこれだけの力を……!?」
「許せねえ! 許せねえ! よくもミナトを殺したなぁ! お前は、お前だけは、絶対、ぶっ殺す!!」
デタラメに振るう! だが殺意を込めた斬撃は確実にやつに届く。
信念も情念もない魔物では俺の攻撃は防げない。思いの篭った魂の一撃は防げない!
防がせやしない!!
腕を裂き、腹を裂き、喉を裂く!
「ユーリぃぃぃ! お、お前ぇぇぇ!」
血みどろになったコウダイが、決死の覚悟でジークフリートを叩き込もうとする。
だが、そんな一撃、今の俺の前では無力同然だ。
俺は最大出力でテオドゥルフを振り、そしてついに、
やつのジークフリートを、粉々に砕いたのだった!
「ユーリ様! 落ち着いてください! ミナトさんは無事です! だからどうか、どうかその剣を降ろしてください!」
「い、イズミ……?」
聞き覚えのある声で我に返る。
俺はテオドゥルフを、何の武器も持たず、瀕死の状態で俺を見据えているコウダイに向けていた。
俺はテオドゥルフを構えたまま視線を動かす。
声のした先では、イズミが必死にミナトに治癒術を施していた。
ミナトの首には大量出血の跡。
それでもまだ彼女の魔力を感じることができた。
恐らく、間一髪のところでイズミが首の傷を塞ぐことができたのだろう。
「ミナト、良かった……」
俺は心の底からそう呟いた。
すると、イズミが言った。
「ユーリ様、ミナトさんは助かったんです。コウダイさんに向けているその剣を、降ろすことはできませんか……?」
「それはできない相談だな……」
イズミの問いに答えたのは俺ではなかった。
「コウダイ……?」
「イズミ、君は甘すぎる。私は魔物なんだ。君の知っている私ではもうないのだ。もう、君と一緒に食卓を囲うこともない……」
コウダイの傷は思いの外深いのか、まだ満足に身体を動かすことはできていない。
しかも、彼のジークフリートは俺がもう粉々に打ち砕いた。
魔力が尽きた今、なんとか身体は治せても、自らの愛剣まではそう簡単に復活させることはできないだろう。
「そんな……。あなたは、お姉ちゃんの婚約者なんです。だから、これからだって、お姉ちゃんと一緒に、家で、みんなで……」
「私が君の家に行けば、私は必ず君の家族を皆殺しにする。アイカであろうとも、決して容赦はしない。スコピエルの住人同様、首を刎ねて殺してあげよう」
イズミはコウダイのあまりの豹変ぶりに言葉を失っているようだった。
彼女もようやく理解したのだろう。
俺たちの知っているコウダイは、もうどこにもいないのだということを……。
「ホントに、もう、どうにもならないんだな……?」
「私をこんな状態にしておいてよく言う……。君だって分かっているのだろう? 私はもう元には戻らない。殺すなら今だ。私が再び動けるようになった時、私はせめてそこの2人だけでも殺すつもりだ。それでも君は、私を逃がすとでもいうのか?」
彼の言うとおり、俺にはもう躊躇いなどなかった。
今のはただの最終確認だ。万に一つ、いや、億に一つ、彼が殺した全ての人間に謝るというのなら、懺悔を聞いてやらないこともなかった。
だがそれも終わった。
もう、彼を生かしておく理由はない。
俺は勇者として、彼よりもこの世界を選ぶ。
それだけのことだ。
「最後に、残しておくべき言葉はあるか?」
俺の問いに、彼は人差し指を立てて、
「一つだけある」
と言った。
俺は彼の言葉を待つ。どんな時代でも、死刑執行人は罪人に対して辞世の句ぐらいは詠ませてやるものだ。
彼は目を閉じ、何やら瞑想する。
そして、数秒の後、彼はこう言った。
「この言葉を、アイカに伝えてほしいんだ……」
「アイカに?」
俺は思わず身構える。彼女の心をこれ以上傷付ける言葉を吐かれるくらいなら、彼の首を刎ねるのも止むを得ない。そう思い、俺はテオドゥルフを構えた。
「ユーリ様!」
そんな俺をイズミが諌める。彼女は俺を強い意思の篭った目で見つめ、
「姉に対する、最後の言葉です。わたしたちは、聞き届ける義務があります……」
「わ、わかった……」
俺はやむなく同意し、剣を一旦収めた。
「アイカに、何を伝えればいい?」
俺が尋ねる。場に緊張が走る。そしてようやく、彼が言った。
「君を、君のことを……」
彼の顔は、徐々に、泣き顔に変わり、そして、
「1番、殺したかった。君を殺せなかったことが、心からの後悔だ……」
大粒の涙を零しながら、彼はそう言った。
俺はその時、ようやく分かった。
それが、彼なりの最大限の抵抗であったことを。
「愛している」と、口にすることすら許されない彼が、力の限り振り絞った、僅かに残された最後の人間らしさだったということを。
そして彼が、どれほどアイカを、愛していたのかということを、痛いほど、理解したのだった。
「コウ、ダイ、ごめん……」
「謝るなよユーリ。これが君の選んだ道だ。胸を張って私を殺せ……」
彼が答える。俺は唇を噛み締めたままテオドゥルフを振りかぶり、そして、
「さようなら……」
彼にそう告げた。
俺は彼の首目掛けて、テオドゥルフを振り下ろした。
「ありがとう。ユーリ……」
最後の最後に、彼のそんな言葉が、俺の耳に届いたような気がしていた……。




