第3話
立ち上がって月を仰ぎ、両手を広げる。
月光を全身に受けて、まるで光を抱えているように見える。
「たしか花婿さんには太陽の、花嫁さんには月の加護があるんだったよね。だから、月の光と、それからミルカの思いを少しだけもらうね」
もしもミルカがそのときのケイトを正面から見ていたら、黒い瞳が鮮やかな金色に変わるのを見ることができただろう。ケイトは少し目を細めて、身体に受けた月光をたぐり寄せた。
柔らかい銀の光が軌跡を描くように伸びる。いつのまにか、ケイトの手にはかぎ針が握られている。
七色に輝く不思議な石でできた針先に、伸びた月光が絡まり、それと同時にケイトの手がくるくるとリズミカルに動き始める。
「・・・!!」
みるみるうちに針先から白銀色の美しいレースが生まれていく。編み上がった端から、レースは降るような星空に向かってふわりとはためいていった。
編み上げるかぎ針の先には細く細く絡みついた、銀色の月光。
あまりの非現実的な光景にミルカが固まっていると、手を動かしながらケイトがくすりと笑った。
「ミルカはこの土地に愛されてるね」
「え?」
「お姉さんのヴェールを作るのに、月だけじゃなくて木や花や岩までもが力を貸してくれてる。だから、ほら」
夜空にたなびくレースの端にきらきらと輝くビーズ。縁の柄は植物の意匠。
「あのビーズは岩たちがくれた水晶のかけらで、それから縁は木や花が力を貸してくれたから、そういうデザインになったの」
ミルカの気持ちを編み込んでるからだね、とケイトは笑って、再びレースを編むのに集中する。
やがて、花嫁のヴェールに十分な長さのレースが編み上がり、ミルカの手元にふわりと落ちてきた。
「す・・・すごい。ケイトさん、ひょっとして魔法使い?」
「んーまあ、そんなところかしら。でも、こんな綺麗なヴェールが編み上がったのは、ミルカのお姉さんを思う心がそれだけ綺麗だったからだよ。私だけの力じゃないの」
ちょっと照れたように笑うケイトの瞳はもう黒に戻っていたが、ミルカは色が変わっていたこと自体に気がつかなかった。
「ミルカ、とりあえずおうちのひとにはこのヴェール、私から借りたことにしておいてくれる?」
「うん」
「それで、明日の夕方までに返しに来てちょうだい。月の光で編んだから、明日の夜、月の光が届く頃には光に戻っちゃうの。それを見られたくないから」
「うん、わかった。約束するね。それで、私に分けてほしいものって?」
「それはもうもらったよ」
「え?」
「ミルカが純粋にお姉さんを思いやる気持ち。そういう『純粋な心』を集めているの、私。
純粋な心をレース糸にして集めて、その糸でレースを編んで、女神様に献上するのが仕事なのよ。でも内緒だよ」
ミルカは自分の胸に手を当てた。特に何が変わったわけではなさそうなのだが、そこに「純粋な心」があったのかと思うと、なんだか気恥ずかしくなる。ケイトの言っていることが本当なのか子ども相手の言い訳なのかはわからないが、ステキな話だなあと思った。
「さあ、お姉さんに持っていってあげて」
「うん!ありがとう、ケイトさん!!」
ミルカはさっきとは打って変わった笑顔でぺこりと頭を下げると、大急ぎで走り去った。ケイトはそれを見送りながら握っていた掌を開くと、握っていたものを見つめた。
それは、淡く白く輝く、一束の糸。さっき月の光が糸に変化したのと同じように、ミルカの「純粋に姉を思う心」が糸に変わったものだった。
「綺麗…」
ケイトは思わず言葉をこぼした。
こんなに綺麗な純白の糸。それだけ、ミルカの思いが純粋で美しかった証拠だ。
「ありがとう、ミルカ」
大事そうに糸の束を抱きしめた。
♦♦♦♦♦
それから十数年後。
今年も、秋の市がたつ時期になった。
「お母さん、ほら早く!早くいこう!」
「まってサーシャ、ほら、襟巻き忘れてるわよ」
まだ3歳の娘にせかされて、ミルカはあわてて家を出た。小さな娘もやはり女の子、市が立つと遊びに行きたくてうずうずするようだ。
食料品や日用雑貨の並ぶテントの間をサーシャと歩きながら、ミルカはきょろきょろとテントを見回す。
あのあと、ジリアンの結婚式は無事執り行われ、今では彼女も3人の子どもの母親として幸せに暮らしている。ヴェールは約束通りケイトに返し、ケイトは市の終わりと共に商隊と一緒に村から去ったが、その次の市からは姿を消していて、その後見かけることはなかった。市の責任者からは、その秋だけの契約で来ていた子だから、秋の市をひととおり回った後はどこに行ったかわからない、といわれ、ミルカはたいそう落胆したものだ。
あれから年月が立ち、ミルカも結婚して子供も出来た。時間は穏やかに流れ、市の責任者も変わり、昔とはちょっとだけ市の雰囲気も違うような気がする。
けれど、市が立つたびにケイトの面影を捜してきょろきょろしてしまうのは、もう習慣のようになてしまっていた。
「おかーさーーーん!」
ずっと先の方からサーシャの呼ぶ声がした。見ると、サーシャの前には美しく編まれたニットやレース細工のテントがあった。
「いらっしゃいませ。何か気に入ったものがありましたら、遠慮なく言ってくださいね」
テントの中で優しく微笑む長い黒髪の少女を、ミルカは目を真ん丸くして見つめてしまった。あの頃と何ら変わらない姿の彼女だったが、あの人なら不思議はないと納得させられてしまう。
すると、少女は少し不思議そうな表情でミルカを見ていたが、すぐに「あ!」と膝を叩いた。
ミルカは少女の頃のような、手放しの笑顔で笑ってみせた。
「お帰りなさい、ケイトさん」
<fin.>
最後までお読みいただきありがとうございました。
童話、というより児童小説っぽくなってしまいました。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。