上原麻奈美—ウエハラマナミ— ③
その夜は、珍しく私から呼び出した。狭い部屋でよければと、一人暮らしの自宅へ招待した。結季くんは落ち着いた様子で部屋へ上がる。久しぶりに見る主人公の顔。その両手には、スーパーで買い物をしたのだろうか、ぱんぱんに膨れたビニール袋がぶら下がっている。
「なにそれ」
「ろくに食べてなさそうだから。今日は僕が何か作るよ」
「うち、一口コンロだよ」
「参ったな。時間はかかるかも」
私は、台所で料理をする結季くんの背中を見つめていた。主人公だけど、普通の人にも見えた。もし彼がS体質じゃなければ、こうやって平穏に、日常を過ごせていたのだろうか。漠然とそんなことを考えていると、料理が完成した。肉じゃがだった。私が嫌いだと言った人参は抜かれていた。記憶力が良いのかな。ジャガイモとお肉と白滝とインゲン。味付けは私にはちょっぴりしょっぱいけれど、ご飯がすすむ美味しさであることに間違いはなかった。
「美味しい?」
不安そうな顔が訊ねてくる。私はにっと笑って、おいしいよ、そう返す。
「良かった。いっぱい食べてね」
「将来は素敵な旦那さんになれそうだねえ」
「麻奈美がお嫁さんなら、嬉しいけど」
「まーたそういうこと言って。私は独身貴族でいいよ。同棲とか絶対無理だしさ」
「そっか」
儚い瞼が開閉を繰り返す。私はね、結季くん。君を見ているととても不安になるんだ。
その復讐心も、空っぽな自分に気づいてしまわぬように、無理をしているように見えるから。私が君を同種だと思うのは、ただS体質同士だからって理由だけじゃないんだ。君も私も空っぽで、それをちゃんと埋めながら生きていこうとするのが結季くん。放置して、行きずりに生きていくのが私。似ているけど、全然違う。
私の道は楽だけれど、結季くんの道は茨だ。どうしてそこまでするの。私にはわからない。分からないから、付き合えない。協力できない。でも、心配だから、傍で見ているぐらいはしてあげたい。
「ねえ、結季くん」
「うん?」君は、箸の持ち方だって綺麗だ。「なに?」
「死んじゃだめだよ。一人で。私、それはちょっと哀しい気がするから」
ひょっこりと頭を出した素直。萌芽したそれを、君は咲かせてくれるのだろうか。
「珍しいね。そんなこと麻奈美が言うなんて。明日はきっと雪だ」
「いや、竜巻かもよ」
「おかしいね」結季くんが笑い、私もつられて笑う。二人きりの食卓に、穏やかな笑声が響く。「僕はまだ君を奪い切れてないから。こんなところで殺されたりはしないよ。一度殺されかけたんだ。これでも常に警戒心は張り続けているんだ。でも、もし死んじゃったら、その時は──」
「その時は、私が離柘榴の会教祖を引き継げって?」
「いや」首を振る顔は、酷く、幼い。それが結季くんだ。「僕の葬儀でも開いてよ。家族がいないから、誰にも弔ってもらえなさそうだしね。それに、僕がいない世界で、君だけが頑張るのは嫌だから。教祖になんてならなくていいよ。僕が侵した君の知人を、何とかしてあげて」
「勝手だなぁ」
「勝手だよ。僕も、世界も」
そのあとは、二人並んで食器を洗い、結季くんは二百万ほど溜まった預金通帳を私に預けて部屋を出た。「死ぬ気はないけど、一応葬儀費用を渡しておくよ。僕が生き続けたら、自費出版でもしてね。麻奈美の漫画が書店に並ぶ日を楽しみにしてるから」
結季くんが居なくなった部屋は、殺伐とした静けさに駆られていた。彼がつけていた香水の匂いがまだ残っている。どこの香水かぐらい聞いておけば良かった。そんな後悔だけが、孤独な私を占めていた。




