上原麻奈美—ウエハラマナミ— ①
穏やかな春の気候が、私の陰鬱を更に深めていく。生易しい風は不愉快に近く、うだつの上がらない私の人生を示唆しているみたいで気分が悪くなった。
「うーん、上原さんの作品には、何というかリアリティが足りないんだよね」出版社に原稿を持ち込んだ後の帰りはいつもこうだ。対応してくれた担当者に言われた作品の批評を頭で反芻しながら、当てもなくただ途方に暮れ、歩き続ける。別にそんな時間を過ごしたところで、作品へのモチベーションが復活するわけではない。
「絵は上手いんだよ。かなり。ただ、この設定部分にもうちょっと臨場感を出すような、台詞とか、キャラクターが欲しい。こういうSF作品は、どれだけノンフィクションに見せられるかが勝負だから」じゃあ仮に、この話がそもそもノンフィクションだとしたら、私に足りない部分は何ですか? そんな偉そうな質問はできないまま、私は頷き、返却された原稿を抱きかかえて出版社を出た。
本当に、本当に何となく、私は皇居へ行きたくなった。理由はない。幼い頃に家族と立ち入ったが、何か特別面白味を感じたわけでもない。そもそも面白さを求める場所でもない。
綺麗な桜ぐらいは拝めるだろうか。適当に模写をして、今日は暗くなる前に家へ帰ろう。
庭園内を散策していると、男性が一人、木陰に隠れて読書をしていた。好奇心で近寄ってみると、男性は活字に集中していて私には気づかなかった。「あの」衝動が先行し、私は男性に声をかける。「読書の邪魔しないんで、似顔絵描いてもいいですか」
さすがに断られた。でも、食い下がる。出版社帰りと選考落ちした日の私は無敵だ。どうせなるようにしかならないし、別にこの美青年に何を思われようと関係無い。ただ私は、その美しい顔を紙上に描き残し、作品に反映させたいだけだ。私が魅力的なキャラクターを描けないのは、魅力的な人間との出逢いが乏しいからだろう。
出逢って一分。さすがに彼の内面までを透けさせることは不可能だったが、男性の表面だけ見れば、圧倒的に魅力的な人物に違いなかった。
私の頼みに、彼は渋々了承した。近くに座って、その丹精な顔立ちを描く。
絵を描く時、基本的には何も考えないようにしている。思惑が筆に乗ると、邪心に染まった利己的な絵が生まれてしまう。私は、感じ取ったままを描くのが好きだ。それが上手いか下手か、似ているか別人かは関係無い。私の無意識が模した作品こそ、私にとって価値のあるものだから。まあ、果たしてそれは模写と呼べるのか甚だ疑問ではあるけれど、どう足掻いたってそれは私の絵に変わりない。誰にも文句を言われる筋合いもない。
3Bの鉛筆が白紙に彼を映し出す。ああ、良い顔だ。目鼻立ちはくっきりとしていて、男性にしては睫毛が異様に長いのが特徴的だ。あと、肌の白さ。これはスケッチブックの白じゃ表現しにくいし、鉛を薄く塗っても別物になってしまう。手が付けられない透明感。あと、傷みのない黒髪。私の枝毛だらけの茶髪とは違う。容姿に自信があるのが窺える。
描き上がった絵を彼に見せると、彼は想像以上に喜んだ。「表現者」だと私を賞賛した。恥ずかしいけれど、嬉しいのも事実。そこから話が自然に弾み、高揚した気分のまま大型商業施設の屋上庭園へと場所を移した。見晴らしがいいところで話がしたいと彼が言ったからだ。ちなみに、彼の名前は詩乃宮結季。二十九歳で私より八つも歳上だった。可愛い顔をしているから、結季くんと呼ぶことにした。
私は他人に興味が無い。昔からそうだし、それが劣等感に繋がったりもしない。だから、よく無愛想だとも言われる。でも、人の話を聞くのは好きだ。上手くリアクションはできないけれど、悩み事を打ち明けてもらうのは、信頼を得ている証拠として素直に喜べる。
私が漫画家志望であることを結季くんに伝えると、彼はその話を快く拡張してくれた。他人の夢なんて、内心どうせ興味は無いだろうなとも思いつつ、質問をされたらとりあえず答える。リュックの中には原稿そのものも入っていたけれど、出版社で酷評されたばかりの原稿は恥ずかしがってリュックの中に隠れて上手く出てきてはくれなかった。
私があらすじを語ると、結季くんの様子がおかしくなった。息が荒くなって、より詳細なストーリーを私に語らせた。そして、隣でもがき苦しむ結季くんは独りでに何かを思い出していた。なるほど。彼も私と同じSなのか。そうかそうか。彼には、何やら心的外傷を与える過去があって、それを私は思い出させてしまったのか。察するのに説明がいらないくらい、彼は取り乱し、冷静さを欠いて、怒りに血管を弾けさせていた。
ただ心の中でちょっぴりと、私と同種の人間に出逢えたことを誇らしく思えた。でも、私は自分を作れない。素直が苦手で、興味のない軽薄な態度を続けていると、その達観が結季くんの癪に障ったのか、彼は私の首を絞めあげ、ぎりっと睨みを利かせた。
何だか、心地良かった。マゾヒスティックとは違う。呼吸の薄さに快感を覚えたわけじゃない。
私と同種の人間が、私を殺そうと、私へ感情を剥き出しにしてくれていることが良かった。それは新鮮で、私は思わず「一緒に死ぬ?」と細い息を混ぜて彼に伝えた。彼は泣き出してしまった。さっきから、彼の情緒を乱しに乱している。申し訳ない。
優しく背中をさすり、彼には所有していた精神安定剤を飲んで貰った。額に滲んだ汗をハンカチで拭ってあげた。落ち着きを取り戻した結季くんが次に言い出したのは、復讐。本当に、主人公みたいな人だなと、羨ましくすら思った。
私がもっと、自分を好きになれたら。周りにもっと共感し、絶望も希望も楽しめる人間なら、彼の復讐やら革命に付き合ってあげる気持ちになれたのだろう。私には、結季くんがどうか人の道を踏み外してしまわぬよう、遠巻きに諭すことぐらいしかできなかった。どうでもいいのだ。私の命も、未来も、その全てが。
前向きな返事が来ず、あからさまに気を落とす結季くん。少年みたいだった。一緒に遊んではあげられなくてごめんね。少年は、物憂げに笑っていた。
その後、立ち寄った喫茶店で私は結季くんからアイスミルクティーをご馳走になり、一応、連絡先を交換しておいた。私から特別連絡することもないだろうけど、もし彼が復讐などではなく、誰かと一緒に楽になりたいと思うときが来たら、その時は付き合ってあげよう。そう思えるくらいに、彼の絶望は私を惹き付けてくれた。私の絶望に、彼が触れるのを、もしかしたら待っていたのかも知れない。
夜、帰路の途中で唯香から電話がかかってきた。先月に付き合い始めた男と別れたらしい。もう今年で何度恋人を取っ替え引っ替えしているのだろう。唯香とは大学初期からの付き合いがあるが、最初はそんな子では無かったはずだ。上京組の田舎娘。恋人ができたことのない唯香に初めて拓海という彼氏ができた時には、「世の中のカップルなんて大体そんな始まりだよ」的なことを言ったし、彼の家へ初めて脚を運ぶと緊張していた時には「無駄毛処理しなよ、一応」とは忠告した。
拓海と別れてから、唯香は変わった。ガールズバーでバイトを始め、コンパにもよく顔を出すようになった。だけど、それがなんだって感じもする。私が見ている唯香は変わらないし、大切な友達の一人だ。ゼミも一緒に、臨床系の旧条ゼミを選択した。
本日、私は出逢い、唯香は別れる。この世界中どこでだって起こりうることに、一喜一憂しても意味なんてない。私は空っぽなんだ。過去にも未来にも、何も詰まっていない。渇きも潤いもせず、平熱のままに生きている。そんな私からすると、やっぱり結季くんはちょっと羨ましかった。




