第5話『魔獣討伐! ニア初陣へ』
僕の父上が領主を務めるヴァイスベルグ辺境伯領は、隣国との国境沿いに広がっている。
他国からの侵略への警戒はもちろんのこと、北に位置する大森林から魔物の脅威も常に存在している。
この広大な領地を管理・維持し、守っていくのがヴァイスベルグ家の務めだ。
普段は冒険者ギルドを通して魔物の討伐を依頼しており、冒険者たちが日々狩りに出かけてくれている。
そのおかげでモンスターの被害は比較的少なく、治安も安定している。
だが、問題は“大森林の奥”にある。
あの場所には魔力の濃い瘴気が漂っていて、常識外れの強さを持つ魔獣が彷徨っている。
そして時折、そういった魔獣が森の入口付近まで迷い出てくることがある。
そうなった場合、冒険者たちでは対応できない。
特に、高ランクの冒険者がほとんどいないヴァイスベルグ領では、当家が人員を出し、討伐に出向くしかない。
……で、今回がまさにそれだ。
報告では、森の入口に現れたのは“ブルードベア”――
体長三メートルを超える魔力をまとった熊型の魔獣。
とはいえ、出現は一体だけ。
正直、僕一人でも十分に討伐できるし、隣国からの侵略抑止力として駐屯している騎士団を動かすほどのことでもない。
「ふむ……それなら――」
僕はふと、思いついた。
せっかくの専属メイドだ。
戦闘もこなせるバトルメイドなんて、最高じゃないか……!
僕は立ち上がり、ニアを探すことにした。
ニアがいる場所はだいたい決まっている。
陽の差す窓辺で昼寝しているか、あるいは――台所付近でつまみ食いをしているか、のどちらかだ。
案の定、廊下の先から聞こえてきたのは――
「ニャふふふ……この焼き菓子、香りが最高ニャ……誰にも見つからなければ勝ちニャ……!」
盗み食い常習犯、猫獣人メイドの姿だった。
「見つけた!」
「ニャあああっ!? な、何ニャ!? 急に話しかけるの禁止ニャ!! 心臓が飛び出るかと思ったニャ!!」
焼き菓子を両手で握ったまま、ニアがびっくり跳ねる。
僕はその様子を見て、にやりと口元を緩めた。
「ニア、討伐に行くよ。今すぐ準備してくれ」
「……ニャ?」
一瞬、ぽかんとした顔になるニア。けれど次の瞬間には――
「ご、ご主人様!? 急に何言い出すニャ!?」
「魔獣が出たんだ。森の入り口付近にブルードベアが現れた。放置すれば、近くの村に被害が出るかもしれない」
「ぶ、ぶる……ブルードベア!? なんでメイドがそんな魔獣と戦わなきゃいけないニャ!?」
「でゅふふふ……バトルメイドってなんか憧れるじゃないか」
「バトルメイドなんて聞いたことないニャ! 戦うメイドって頭おかしいニャ!!」
ニアが頭を抱えてジタバタと暴れ出す。けれど、僕は追撃の一手を忘れない。
「……じゃあ、さっきの焼き菓子のこと、メイド長に報告しようかな?」
「ぐっ……! 卑怯ニャ……!!」
尻尾をピンッと逆立てて、歯ぎしりするニアの姿が――ちょっと可愛い。
「でゅふ……決まりだね!」
こうして、ニアの強制初陣が決定した。
* * *
街を抜けて森の中の小道を進んでいると、ニアが不機嫌そうに耳をピクピクさせながら文句を垂れてきた。
「……ほんっと意味わかんないニャ……なんで私がこんなことにニャってるのニャ……」
「ニア、戦闘訓練も兼ねてるんだから文句言わずに楽しもうよ」
「楽しめるわけないニャ! ガチの命がけニャ! そもそもあんな魔獣に勝てるかどうか――」
「おや?」
僕はふと、道の脇にぷるぷると震える存在を見つけて立ち止まった。
「……スライムだ」
「ニャ?」
小さな青いスライムが、道端のきのこを食べていた。
体は透明に近く、ぷるぷると震えている様子は実に愛嬌がある。
しかし、よく見るとその体の一部がかすかに濁っていた。傷……というより、魔力の流れが歪んでいる。
「……君、もしかして、怪我してるのか?」
僕は静かに膝をつき、そっと手をかざす。
「癒しの光」
淡い光がスライムを包み、そのぷるぷるが一層鮮やかに弾んだ。
「おお……これは……可愛い……」
「ちょっと待つニャ。まさかとは思うけど、また変なこと考えてないニャ?」
「いや、だってさ――このフォルム、弾力、柔らかさ。これは立派なメイド候補だよ……!」
「ニャああああ!? 正気かニャ!? こんなのどうやって働かせる気ニャ!? 喋れないニャいし、 服も着れないニャ!」
「でも可能性は無限大だよ。見た目も癒されるし、掃除スキルとか意外と高いかもしれないし」
「……こいつ、本格的に見境なくなってきたニャ……」
ニアは完全にドン引きしながら、じりじりと僕から距離を取る。
「まぁ、今回は放っておこう。目的はブルードベアだしね」
スライムは僕たちを警戒することもなく、のんびりときのこを食べ続けていた。
けれど――森の奥へ進んでも、スライムはなぜか少し離れた場所からずっとついてきていた。
「な、なんか……ついてきてるニャ?」
「うん、やっぱりこれは運命かもしれない……!」
「勘弁してほしいニャ……!」
* * *
森をさらに奥へと進んでいくと、空気が徐々に張りつめていくのを感じた。
木々の葉が静かに揺れ、鳥の鳴き声すら聞こえなくなる。
僕は足を止め、周囲に警戒の視線を向けた。
ニアもすぐに気配を察知し、耳と尻尾をピンと立てる。
「……前方、何かいるニャ」
「間違いない。ブルードベアだ」
茂みの向こうから、ズシン……ズシン……と重い足音が近づいてくる。
そして――
「グルゥオオオオオ……!!」
咆哮とともに姿を現したのは、赤黒い毛並みに覆われた巨大な熊だった。
体長は三メートルを優に超え、筋肉の鎧を纏ったかのような巨体から、圧倒的な魔力が濃密に立ち上る。
その毛並みは血に染まったかのように赤黒く、見る者に本能的な恐怖を与えていた。
――これが、ブルードベア。
人里に現れた場合、確実に死者が出るとされる危険種だ。
「ニャッ!? でかすぎるニャ!! あの色……絶対ヤバいやつニャ!!」
ニアは目をカッと見開き、全身の毛が逆立つように尻尾がビクンと跳ねる。
「落ち着いて。僕が正面から注意を引く。君は隙を見て後ろからガブッといこう」
「ムリニャムリニャ!! 近づいたら即死ニャ!!」
思わず後ずさるニア。彼女の額には冷や汗がにじみ、耳もぺたんと伏せられている。
「大丈夫! 万が一死んでも僕がすぐ回復するから!」
「万が一でも死にたくないニャぁぁ!!」
叫びながら、ニアは僕の袖を引っ張って必死に止めようとする。
その様子があまりに必死すぎて、思わず口元が緩んだ。
「でゅふふ……怯えてるニアも可愛いね」
「そんな事言ってる場合じゃないニャ!! 今は逃げる時ニャ!!」
ニアが全力でツッコミを入れる姿に、僕はふっと笑みを浮かべた。
「うん、いつものニアで安心した。よし、いけるね!」
「話聞けニャーーーッ!!!」
その瞬間、ブルードベアがこちらに気づき、地響きを立てて唸り声をあげる。
眼光が鋭く光り、次の瞬間、巨体とは思えぬ速度で地を蹴った。
――ドガァッ!!
空気を裂くような衝撃音とともに、巨大なブルードベアが一直線にこちらへと突進してきた。
(この突進力……でも正面から受けるわけにはいかない)
「重力障壁!」
無色の重力障壁が前方に展開された次の瞬間――
ガァンッ!!
ブルードベアの巨体が、まるで見えない岩の壁に激突したような衝撃音が鳴り響く。 その勢いで地面が揺れ、巨獣の身体がわずかに跳ね返った。
「ニア、今だ!」
「ニャッ!? い、いまニャ!?」
「今!!」
「くっ……行くしかないニャああああ!!」
叫びながらニアが飛び出し、地を蹴った。 疾風のごとく間合いを詰め、一気にブルードベアの側面を駆け抜ける!
「喰らうニャああああ!!」
鋭く伸ばした爪が、ブルードベアの前脚に深々と食い込んだ。
「グオォォォォ!!」
怒りの咆哮とともに、その眼が真紅に染まり、魔力が一気に膨れ上がる。
「うわっ、怒ったニャ!?」
「……くるよ!」
ブルードベアは、丸太をへし折るような勢いで前脚を振り上げ――地面を一閃!
ドガァァァァン!!
土煙が爆ぜ、ニアはギリギリのところで跳び退き、衝撃をかわす。
「ちょ、ちょっと待つニャ!? 本気で食らったらミンチニャ!!」
「落ち着いて! 僕がサポートする!」
「魔力強化!」
魔力がニアの身体を包み込み、動きと反応速度を高める。
「ニア、左から回り込んで! 次の隙で脚を狙って!」
「わ、わかったニャ!!」
今度は覚悟を決めたのか、ニアが地を蹴って再び飛び出す。 風を裂くようなスピードで巨体の脇をすり抜け――
「そこニャッ!!」
爪が閃き、ブルードベアの脚に二撃目を叩き込んだ!
「グオォォオ……!」
今度は確実に効いた。脚がぐらつき、巨体がよろめく。
「いいぞ、ニア! 仕上げは僕が――!」
僕は雷の魔力を練り上げ、空へと右手を掲げる。
「雷槍召喚!」
空中に光の槍が出現し、圧縮された雷の魔力が空気をビリビリと震わせる。
「――雷よ、落ちろ!!」
ドガァァァァァン!!!
雷槍がブルードベアを貫き、炸裂する。
「グ、グルオォォ……!」
赤黒い巨体がぐらつき、そのまま崩れ落ちた。
静寂――
そして、風がふっと通り抜けた。
「……終わった、ニャ?」
ニアが尻尾をふるふると揺らしながら、僕の横に戻ってきた。
「うん、よくやったよ。初陣とは思えない動きだった」
「べ、別にご主人様のために頑張ったわけじゃないニャ……! 単に、死にたくなかっただけニャ!」
「でゅふふ、いいツンデレ成長イベントだったね……!」
「勘弁して欲しいニャ……」
ニアは顔をそむけたが、尻尾はほんの少しだけ得意げに揺れていた。