第26話『貴族の朝食は決意の味』
陽の光がカーテンの隙間から差し込み、僕のまぶたをやわらかく照らしてくる。
その温かな明るさに促されるように、僕はいつも通り目を覚ました。
上体を起こし、眠っているあいだに凝り固まった身体をほぐすように大きく伸びをする。
眠気の残る目をこすりながら、さて、と一息ついた、その瞬間だった。
視界の端に、“何か”が映る。
「……って、うわああああっ!?」
思わずベッドの上でのけぞった。
そこには、茶色い紙袋を頭からすっぽり被ったプルメアが、じっとこちらを見つめながら立っていたのだ。
「おはようございます、ご主人様」
「ぷ、プルメア……心臓に悪いから、朝一番でそれはやめて……」
「ふふ、すみません。驚かせてしまいましたね」
その姿を見た瞬間、僕は嫌でも自分たちの置かれている状況を思い出させられた。
結局、あれからネーヴェという冒険者とは、屋敷の中で顔を合わせていない。
けれど、同じ屋敷のどこかに今もいると思うだけで、胃のあたりがきりきりと痛む。
……だというのに、当のプルメアはいつもと変わらない。
表情こそ紙袋の向こう側だが、その声や仕草からは、むしろいつもより少しだけ機嫌がよさそうにすら感じられる。
それがこの紙袋のせいなのか、それともこの状況そのものをあまり気にしていないだけなのかは分からないが――
少なくとも、彼女が怯えるような状況になっていないだけ、まだ良かったのかもしれない。
そう自分に言い聞かせて、ひとまず意識を切り替える。
そろそろ朝の支度をしなければ、朝食の時間に間に合わない。
着ていた服を脱ぎ、軽く両腕を広げる。
すると、プルメアが慣れた手つきで服をあてがってきた。
僕が袖を通すと、彼女はそのまま裾や襟元を整え、ボタンをひとつずつ丁寧に留めていく。
本来なら、その仕草に合わせて見えるはずの可愛らしい表情も、今は紙袋の向こう側だ。
朝一番の僕の癒やしである貴重なでゅふwタイムを奪っていったあの冒険者には、ほんの少しばかり恨みを覚えずにはいられなかった。
やがて、部屋の扉が静かに開き、セラが姿を見せる。
「すまないな、少々遅くなった」
「大丈夫だよ。僕もちょうど今、支度が終わったところだから」
これから僕は朝食の席へ向かわなければならない。
おそらく、あの冒険者もそこにいるはずだ。
当然、そんな場所にプルメアを連れて行くわけにもいかない。
だからプルメアには、セラと二人でお留守番をしてもらうことになる。
あの不気味な仮面姿を思い出すだけで気が滅入るし、できることなら僕も二人と一緒に部屋へ引きこもっていたい。
けれど、このままじっとしていたところで状況が好転しないのも事実だ。
どこまで父上に聞けるかは分からないけれど、それでも、なぜこんな状況になっているのか、できることならそれがいつまで続くのかくらいは確認しておきたい。
そのあたりを少しでも探れれば、こちらとしても動きやすくなるはず……だと思いたい。
「それにしても……やはり慣れないな、その格好は」
そう言って、セラは紙袋姿のプルメアをまじまじと見つめる。
だが、当のプルメアはまるで意に介した様子もない。
それどころか、なにやらごそごそと動いたかと思えば、予備の紙袋を何枚も取り出して、扇のように広げてセラに見せつけた。
「セラさんも被ってみますか?」
まったく、いつの間にそんなものを用意していたのか。
呆れるほかないが、よく見ればその紙袋にもきっちり視界用の穴が開けられているあたり、用意周到というか、妙なところで几帳面なプルメアらしい。
とはいえ、これ以上僕の専属メイドが紙袋姿になるのは、さすがに困る。
個性豊かなメイドを求める僕としても、明らかに許容範囲を超えているのだ。
止めに入ろうとしたが、その前にセラは苦笑しつつ首を横に振った。
「いや、遠慮しておこう……」
その返事を聞いて、僕はほっと胸をなで下ろした。
セラまであの紙袋に取り憑かれてしまったらどうしようかと思っていたけれど、どうやら要らぬ心配だったらしい。
「じゃあ僕は行ってくるから、あとはよろしくね」
二人のやり取りを横目に、僕は扉を開け、顔だけ覗かせながらそう声をかける。
すると、セラが「ああ」と短く返した。
プルメアは姿勢を正すと、綺麗に一礼した。
紙袋に開けられた視界用の穴の奥で、透き通るような瞳がやわらかく細められる。
それから、こてんと小さく首を傾げて――
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
……でゅふふふw
思わず、僕の喉から歓喜の声が漏れた。
プルメアの可愛らしい仕草と、「行ってらっしゃいませ、ご主人様」という一言の破壊力は凄まじい。
たとえ紙袋を被っていたとしても、プルメアの可愛さの本質は損なわれていないようだ。
そう納得しかけたところで、僕はふと気づく。
プルメアの可愛さを台無しにしているはずのその紙袋が、どういうわけか逆に彼女の可憐さを際立たせている気がするのだ。
……つまりこれは、ギャップ萌えというやつなのか?
一瞬そんな考えが頭をよぎったが、僕は即座にそれを振り払った。
それを認めてしまったら、なにか戻れないところへ行ってしまいそうな気がしたからだ。
「……行かないのか?」
頭の中でひとり自問自答を繰り返していた僕を見て、セラが呆れたように声をかけてくる。
「う……うん。行ってくるね」
そう言って、僕は自室をあとにした。
♢♢♢
無駄に豪奢な扉の前で、僕は一度足を止めた。
いつもなら何の躊躇もなく開ける食堂の扉だ。
けれど、今日はその向こうにあのネーヴェという冒険者がいるかもしれないと思うだけで、妙に重く感じられる。
気負ったところで仕方がない。
まずは普通に朝食をとって、父上と話す。
プルメアはここにいないのだから、余計な問題が起きることはないはずだ。
そう自分に言い聞かせ、僕は息を整えてから扉を押し開けた。
重厚な扉が静かに開く。
朝の光に照らされた食堂には、いつものように長いテーブルが置かれ、清潔な白いクロスの上には銀の燭台が並んでいた。
父上と母上は、すでに席についている。
「おはよう、クラウス」
「おはようございます、クラウスちゃん」
二人が、ほとんど同時に声をかけてきた。
「おはようございます、父上、母上」
僕は軽く礼をしてから、いつもと同じ自分の席へ腰を下ろす。
それと同時に、料理がタイミングよく運ばれてきた。
香ばしく焼かれたベーコン。
ふわりと立ちのぼるバターの香り。
その匂いが、僕の鼻をくすぐる。
けれど、僕の視線は自然と食堂の中を探っていた。
……いない。
どこを見ても、あの仮面姿は見当たらなかった。
その瞬間、胸の奥に張りついていた硬いものが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「父上、あの……ネーヴェという冒険者の方は……?」
「ああ、ネーヴェ殿なら朝早くに出かけたぞ」
書簡から目を離さぬまま、父上はあっさりと答えた。
「森の様子を見てくるそうだ」
「……そうですか」
昨夜からずっと張り詰めていたものが、拍子抜けするように抜け落ちていった。
けれど、それは一時の安堵にすぎない。
あの人がこの屋敷に滞在している限り、緊張の種が消えたわけではないのだ。
それでも、この機会は僕にとって好都合だった。
本人がいない今なら、父上にも少し踏み込んだことを聞けるかもしれない。
「父上。あの人は、なぜこの屋敷に滞在されることになったのですか? それに、いつまでいらっしゃるのでしょうか?」
ここぞとばかりにそう問いかけると、父上はようやく書簡から視線を上げた。
その視線が、まっすぐ僕を捉える。
「実は、森でスタンピードの兆候があるらしくてな。私はネーヴェ殿に、調査の継続と、万が一の場合の戦力として待機してもらうよう依頼してある」
父上の声は、いつも通り落ち着いていた。
けれど、その内容は決して軽いものではない。
「その件が落ち着くまでは、屋敷に留まってもらうつもりだ」
毅然として答える父上に、僕は返す言葉もなかった。
――そうだった。
今さらながらに思い出す。
スライムスレイヤーのことで頭がいっぱいになっていて、スタンピードの件がすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
僕は、自分たちのことばかりで手一杯だった。
プルメアをどう守るか。
スライムスレイヤー――いや、ネーヴェさんに正体を知られないためにはどうすればいいか。
そればかり考えていた。
もちろん、プルメアを守りたいという気持ち自体が間違っているとは思わない。
彼女は僕の大切な専属メイドで、守るべき存在なのだから。
けれど、父上は違う。
父上は領主として、屋敷の中だけではなく、この領地に暮らす人々全体を見ていた。
森に異変があり、スタンピードの兆候まである。
それは、ひとたび対応を誤れば、多くの人々を巻き込む災厄になりかねない。
そんな状況で、偶然にも近くにSランク冒険者がいるなら、その力を借りようとするのは当然の判断だ。
父上はこの地を預かる者として、果たすべき責任を果たしているだけなのだ。
それなのに僕は、自分たちの都合ばかりを見て、父上の判断を心の中で責めてしまった。
領主の息子として、あまりにも視野が狭かった。
そのことが、今になってひどく恥ずかしい。
今さら、プルメアのことを理由にネーヴェさんを遠ざけてほしいなどと言えるはずもない。
……言うべきでもない。
プルメアのことは、僕たちでなんとかするしかない。
ネーヴェさんにさえ正体が知られなければ、大きな問題にはならないはずだ。
そして、結局のところ――事の本質は森の異変にある。
それさえ収まれば、ネーヴェさんがこの屋敷に留まる理由もなくなる。
スライムスレイヤーという厄介な二つ名を持つ彼女も、自然とここを離れていくだろう。
なら、僕たちがすべきことは一つだ。
森の問題を終わらせる。
それはプルメアを守るためだけではない。
この領地に暮らす人々を守るためにも、避けては通れない問題なのだ。
そう考えた瞬間、胸の奥にあった迷いが、すっと一本の線に変わった気がした。
「父上!」
「ど、どうしたんだ、クラウス。急に……」
思わず勢いよく声を上げた僕に、父上が少し面食らったように目を瞬かせる。
母上も驚いたように、そっと口元に手を添えていた。
「僕が、きっとこの問題を解決してみせます!」
「お、おお……そうか」
父上は一瞬だけ言葉に詰まったあと、少し困ったように咳払いをした。
「あ、ああ。期待しているぞ」
「あらあら……クラウスちゃんったら、なんだかかっこいいわね」
母上が嬉しそうに微笑む。
その言葉に少し照れくさくなったけれど、僕の胸の中にある決意は揺らがなかった。
目の前の朝食に、改めて手をつける。
香ばしいベーコンも、温かなスープも、いつもと同じはずなのに、なぜか少しだけ違う味がした。
それはきっと、僕の中にひとつの決意が生まれたからかもしれない。




