第24話『仮面の来訪者と紙袋の少女』
第24話『仮面の来訪者と紙袋の少女』
辺りはすっかり暗くなり、屋敷の窓にはぽつぽつと明かりが灯っていた。
「さすがに、正面から堂々とってわけにはいかないよね……」
小さく呟きながら、僕は屋敷を見上げた。
帰る場所はもう目の前だというのに、僕たちは屋敷の外周を囲う鉄柵の外側から、こそこそと様子を窺っている。
外から見ているだけでは、スライムスレイヤーが今も屋敷の中にいるのかまでは分からない。
それでも、正面玄関を開けた瞬間にばったり鉢合わせる可能性を考えると、それ以上足を進める気にはなれなかった。
本当なら、スライムスレイヤーが屋敷から出ていくのを確認できればよかった。
けれど、もう時間的にそうも言っていられない。
「屋敷の裏にある、調理場の方の出入り口から入るのはどうだ?」
セラがひそひそ声でそう提案する。
たしかに、調理場へ通じるその出入り口は、いわば使用人用の通用口だ。
そんな場所に客人を通すことはまずない。
少なくとも、正面から入るよりは鉢合わせの危険もずっと低いはずだ。
「そうだね。そこからなら、ひとまず屋敷の中には入れそうだ」
目指すのは僕の部屋。
スライムスレイヤーとの鉢合わせを避けて、プルメアを匿ってしまえれば、ひとまずは安心できる。
僕たちは顔を見合わせ、小さく頷き合うと、鉄柵を乗り越えた。
なるべく人目につかないように裏口へ回る。
ただ自宅に戻ろうとしているだけだというのに、やっていることは完全に不審者そのものだ。
自分でも嫌になるけれど、今はそんなことを言っていられない。
裏の出入り口にたどり着くと、香草と炒めた肉のいい匂いが外まで漂ってきた。
どうやら、もう夕食の支度が始まっているらしい。
昼食も途中で切り上げてしまったせいで、その匂いは空腹の僕たちにはあまりにも刺激が強かった。
「……お腹すいたニャ……」
昼に人一倍食べていたニアですら、空腹を訴えるように鼻をくんくんとひくつかせている。
「今は我慢して。僕の部屋に行くのが最優先だよ」
僕はゆっくりと扉に手をかけ、様子を窺うように少しだけ開く。
中に人の気配はない。
「よし、行くよ」
合図とともに、僕を先頭に、プルメア、セラ、ニアの順で縦一列になって慎重に屋敷の中へ足を踏み入れた。
調理場では、メイドたちが忙しそうに夕食の支度をしている。
それを横目に見ながら通り過ぎ、まずは突き当たりの廊下まで向かう。
そこまでは、普段なら使用人くらいしか通らない。
だから、そこまで警戒する必要はない。だが――
がぶりっ。
やけに大きな咀嚼音が、静かな屋敷の中に響いた。
反射的に振り返る。
すると、最後尾にいたニアが、小脇に抱えた紙袋から取り出したりんごにかぶりついた、まさにその瞬間だった。
全員の視線が一斉にニアへ向く。
当の本人は、りんごを口にくわえたままぴたりと固まり、その目だけがあからさまに焦って泳ぎ始めていた。
「こ、これはその……エネルギー補給なのニャ!」
りんごを頬張ったままの、ごもごもとした言い訳に、セラは額を押さえて深々とため息をつく。
さすがのプルメアでさえ、苦笑を隠せていなかった。
「まったくもう……」
とはいえ、ニアの食い意地は今に始まったことじゃない。
ここで小言を言っている場合でもないので、僕たちは気を取り直して再び歩き出した。
問題は、この先。
僕の部屋へ行くには階段を使って二階まで上がらなければならない。
そして、そのためには結局、正面玄関の先にある大階段を通るしかないのだ。
つまり、タイミングが悪ければ、そこでスライムスレイヤーと鉢合わせる可能性がある。
慎重に進むのも悪くはない。
けれど、もたもたしていれば、それだけ遭遇する可能性も高くなる。
ここは、僕の部屋まで一気に駆け上がったほうがいいかもしれない。
僕は使用人用の通用口から、正面玄関のほうをそっと窺った。
今のところ、人の気配はない。
「今のうちに一気に僕の部屋まで行くよ。準備はいい?」
僕が小声で問いかけると、みんなも緊張した面持ちで頷いた。
「いつでもいいニャ!」
「はい、大丈夫です」
「さっさと行くぞ」
よし、と覚悟を決める。
飛び出そうと一歩踏み出しかけた、その時だった。
「坊ちゃまのお部屋ですね。畏まりました」
不意に、背後から四人目の声が響いた。
「え?」
僕は踏み出しかけた足を無理やり引っ込め、慌てて振り返る。
そこには、いつの間にか列の最後尾にぴたりと並んでいるエリーゼの姿があった。
「エ、エリーゼ!? い、いつからそこに……!」
「調理場のほうから、坊ちゃまたちがひっそりと戻られるご様子が見えまして。あまりにも楽しそうでしたので……つい、ご一緒させていただきました」
いつも通りの完璧な笑みを浮かべたまま、さらりと言ってのける彼女に、僕は額を押さえた。
「……だったら普通に声をかけてよ。驚くじゃないか……!」
「てっきり、坊ちゃまがようやく年相応の遊びをなされているのだと……微笑ましくて、口を挟むのも野暮かと思いました」
「そんなわけないでしょ……!」
思わずそう言い返したものの、事情を知らない者から見れば、たしかにそう見えてしまうのかもしれない。
そう思うと、少しだけ気まずくなる。
「……それよりエリーゼ。冒険者の方が屋敷に来ていると聞いたんだけど、まだいるのかな?」
「はい。Sランク冒険者の方ですね。現在、旦那様の執務室でお話を続けておられます」
「……やっぱり、まだいたのか……」
けれど、居場所が分かったのは大きい。
父上の執務室にいるのなら、少なくとも今この廊下で鉢合わせる可能性は低い。
「とにかく……今は僕の部屋に行こう。話はそれからだ」
僕が小声でそう言うと、みんなは無言で頷いた。
僕たちは足早に階段を上がり、廊下を抜け、ようやく僕の部屋の前までたどり着いた。
結局、ここまで何事もなかった。
少し警戒しすぎだったのかもしれない。
けれど相手はSランク冒険者だ。
敵に回す危険を考えれば、これくらい慎重になって当然だった。
「ここまで来れば、ひと安心かな……よし、みんな入って――」
部屋の取っ手に手をかけ、扉を開けようとした、その瞬間だった。
「クラウス。やっと戻ったか。心配していたのだぞ」
背後から響いた父上の声に、僕はその場で硬直した。
「っ……!」
恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、執務服姿の父上と――その隣に立つ、仮面の人物だった。
顔全体を無機質な仮面で覆い、頭には深くフードを被っている。
旅装は簡素だが隙がなく、細部には上質さがにじんでいた。
姿勢ひとつ崩さず、静かに立っているだけなのに、妙な緊張感がある。
まるでその一角だけ空気が冷えているみたいな、ひやりとした気配だ。
性別も年齢も分からない。
それなのに、なぜか目が離せない。
言われるまでもなく、彼がただ者ではないことは嫌でも伝わってきた。
まさかここで、鉢合わせしてしまうとは。
「こちらは、冒険者のネーヴェ殿だ。森の異常を察知し、わざわざ知らせに来てくださった方だ」
「そ、そうですか……僕はクラウスと申します」
「ネーヴェ。よろしく」
淡々と名乗る仮面の人物――ネーヴェの視線が、僕の背後へと流れた。
――まずい!
当然、その先にはプルメアがいる。
今の彼女は何の備えもない。スライムスレイヤーにまともに見られでもしたら、一発で正体を見抜かれてしまうかもしれない。
一瞬、思考が真っ白になる。
隠さなければ。
せめて、髪だけでも――
そう思った瞬間だった。
視界の端で、ニアの腕が跳ねた。
小脇に抱えていた紙袋が、ふわりと浮く。
開いた袋の口が、狙い澄ましたようにプルメアの頭へ吸い込まれていく。
「ニャッ!」
ぽすっ。
間の抜けた音と一緒に、紙袋は見事にプルメアの頭へ収まっていた。
……完璧だ。
信じられないくらい、ぴったりだった。
まるで最初からそのために用意されていたみたいに、寸分の狂いもなく収まっていた。
おまけに、しっかり視界用の穴まで開いている。
ニアと目が合う。
ふふん、と得意げに口元を吊り上げる彼女。
その顔を見た瞬間、僕は心の中で全力の称賛を送っていた。
よくやった、ニア――!
――が。
「……何をしているの? それは」
淡々とした問いかけが、張りつめた空気を切り裂いた。
場が凍りつく。
完璧に乗り切った――そう思ったのも束の間、どうやら僕たちは、余計なことをして逆にプルメアを目立たせてしまったらしい。
無機質な仮面の奥から向けられる視線が、まっすぐプルメアへ注がれている。
「いや、あの、これは……」
言い訳しようにも、咄嗟にうまい言葉が出てこない。
そのうえ反射的に、プルメアを背後へかばうような動きまでしてしまった。
これではますます怪しいと言っているようなものだ。
「はは、すまんネーヴェ殿。あれは息子の専属メイドたちでしてね。見ての通り、少々変わり者が多いのですよ。息子も含めて、ですが」
父上が間髪入れずに笑って割って入る。
その一言に、僕は心の底から救われた気分になった。
「……そう」
ネーヴェの返事は相変わらず淡々としていて、それがかえって不気味だ。
「さぁ、行きましょう」
父上がそう言って歩き出し、ネーヴェも静かにそれに続く。
……助かった。
心の中で父上に感謝しながら、僕はようやく安堵の息をついた。
鉢合わせこそしてしまったものの、どうにか無事にやり過ごせたらしい。
階段を下りていく父上とネーヴェの背中を見送りながら、僕たちもようやく部屋へ入ろうとした、まさにそのときだった。
「……あぁ、そうだクラウス」
父上がふと思い出したように立ち止まり、何でもないことのように告げる。
「ネーヴェ殿には、しばらく屋敷に滞在してもらうことになったからな」
その瞬間、僕の中で何かが音もなく崩れ落ちた。
世界が静まり返る中、僕の思考だけが絶叫する。
なにしてくれてんのぉぉぉ父上ぇぇぇぇぇ!!
喉元まで悲鳴がせり上がったのは、言うまでもない。




