第15話『月下、メイドは舞い降りる』
「ははっ、猫獣人がメイド服って……どこの趣味の悪い変態の仕業だよ!」
下卑た笑い声が、月明かりの差し込む倉庫街に響いた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がかっと熱くなる。
「……ご主人様をバカにするなニャ」
低く身を沈め、あたしは静かに爪を構えた。
目の前にいるのは一人や二人じゃない。倉庫の中からぞろぞろと出てきた男たちが、獲物を囲うみたいにじりじりと間合いを詰めてくる。
「とっとと捕まえちまおうぜ」
「猫獣人の女なら高く売れそうだしなぁ!」
「大人しくしとけよ、メイドさんよ!」
どいつもこいつも、気持ち悪い目であたしを見ていた。
気分が悪い。
吐き気がするくらいに。
でも、ここで怯んだら終わりだ。
深く息を吸い込む。
やるしかないニャ。
「――舐めるなニャ!」
床を蹴り、目の前の男の懐へ一気に踏み込む。
その腹へ、全力の蹴りを叩き込んだ。
「ごはっ!?」
鈍い声を上げて男が吹き飛ぶ。
その勢いのまま身をひねり、横から伸びてきた腕を爪で切り裂いた。
「ぎゃっ!」
さらに振り向きざま、背後から掴みかかろうとしていた男の顎へ肘を打ち込む。
手応えはある。
倒せる。
この程度の連中なら、まだ――!
「ちっ、すばしっこいメス猫だな!」
男たちが苛立ったように声を荒げる。
でも、あたしには分かっていた。
こいつら、まだ本気で焦ってない。
数で押し潰せばどうにかなるって、そう思ってる目ニャ。
「囲め! 一気にいくぞ!」
怒号とともに、男たちが四方から一斉に踏み込んできた。
右をかわして、左の腕を払う。
前から来たやつの脇を抜ける。
――けど、その一瞬だった。
死角から伸びた拳が、腹に深く食い込む。
「がっ……!」
息が詰まった。
肺の中の空気が一気に吐き出されて、視界がぐらりと揺れる。
「今だ! 押さえつけろ!」
まずい。
そう思った時には、もう何人もの影があたしへ覆いかぶさるように迫っていた。
ここで潰されたら、それで終わりニャ――!
「――あたしを舐めるなって言ったニャろうがッ!!」
無理やり足に力を込める。
体中を駆け巡る魔力を、一気に脚へ集めた。
「獣王迅閃ッ!!」
爆ぜるような踏み込みとともに、あたしの身体が突風みたいに駆け抜ける。
まとめて男たちを弾き飛ばし、そのまま一気に包囲を突き破った。
「ぐあっ!?」
「な、なんだこいつ……!」
吹き飛ばされた男たちが、地面や倉庫の壁に派手に叩きつけられる。
その先――半壊した出入口の前に、あいつは立っていた。
頬に深い傷を持つ、あの男。
村を襲った連中の中心にいた、忘れようもない顔。
そいつは倒れた部下たちにも目を向けず、ただ冷たい目であたしを見据えていた。
「……その戦い方。どこかで見たな」
低く、感情の薄い声だった。
男はゆっくりと、こっちへ歩いてくる。
まるで吹き飛ばされた部下のことなど、どうでもいいみたいに。
「たしか……猫獣人の……オラサムだったか、ウルサムだったか」
頭をかきながら、どうでもいいことを思い出すように呟く。
胸の奥が、ぎりっと軋んだ。
その言い方は、まるで父さまが取るに足らない弱いやつだったとでも言うみたいで。
そんなの、許せるわけがないニャ。
「……オルサムニャ」
唇を噛みしめながら、あたしははっきりと言い返す。
「オルサム。あたしの父さまの名前ニャ」
「ああ……そうだったか」
男は心底どうでもよさそうに鼻を鳴らした。
「悪ぃな。雑魚の名までは、いちいち覚えてねぇんだ」
分かってる。
わざとだってことくらい、分かってるニャ。
あたしを怒らせるための、安っぽい挑発だって。
それでも――耐えられなかった。
だったら、見せてやるニャ。
お前が取るに足らないと笑った男の娘が、ここでお前を倒すってことを。
父さまの仇は、あたしが取るニャ。
爪に力を込める。
「絶対に許さないニャ」
吐き捨てると同時に、あたしは地を蹴った。
怒りをそのまま叩きつけるように、一気に間合いを詰める。
喉元めがけて、鋭く爪を振り抜く。
――ガキィンッ!!
硬い音が弾けた。
「……っ!」
男は寸分の迷いもなく、剣であたしの爪を受け止めていた。
そのまま押し返され、あたしは宙で身をひねって距離を取る。
着地した瞬間には、もう男の剣先がこっちを向いていた。
「爪と牙だけで俺に勝てると思っているのか?」
冷えきった声だった。
そのくせ、一切の油断がない。
こいつ――ただのならず者じゃないニャ。
そう思った瞬間、男が踏み込んでくる。
速い。
剣筋が無駄なく鋭い。
斬撃を紙一重でかわす。二撃目を身を沈めて避ける。三撃目でようやく外へ逃れたと思った瞬間、脇腹へ蹴りが飛んできた。
「ぐっ……!」
受けきれず、身体が横へ流れる。
間を置かずに剣が閃く。
避けたはずの刃が肩を掠め、焼けるような痛みが走った。
「にゃっ……!」
血が飛ぶ。
浅い。でも、浅いだけだ。
確実に削られてる。
「どうした。威勢だけか?」
男の声には嘲りすらなかった。
ただ事実を述べるみたいに、冷たかった。
悔しい。
悔しくてたまらない。
ここまで来て、また何もできないなんて――そんなの嫌ニャ。
呼吸を整える。
痛みを押し込める。
あいつを倒すには、もっと……もっと力がいるニャ。
あたしは魔力を全身へ巡らせた。
血の奥に眠っている獣の力を、無理やり呼び起こすみたいに。
どくん、どくんと心臓が大きく脈打つたび、全身が熱を帯びていく。
腕や脚にうっすらと毛が逆立ち、指先の爪がさらに鋭く伸びる。
頬のあたりまで熱を持ち、獣の気配が肌の下から滲み出してくるのが分かった。
これが、今のあたしの全力ニャ。
ここで決めるしかない。
「まだニャ……まだ終わってないニャ……!」
視界が狭まっていく。
目の前の男だけが、はっきりと見えていた。
全身の筋肉がきしむ。
魔力が血と混ざるみたいに全身を巡り、限界まで力を引き上げていく。
「獣王迅閃ッ!!」
地を砕くような踏み込みとともに、あたしは突っ込んだ。
今までで一番深い踏み込み。
避けさせない。
受けさせない。
そのまま胴を貫くつもりで、全力の蹴りを叩き込む。
ドガッ――!!
確かな手応え。
――入った。
そう思った、次の瞬間。
男の胸元に、淡い魔法陣の光が浮かび上がった。
「……なっ」
防御魔法。
あたしの全力の一撃は、結界に阻まれていた。
「惜しかったな」
男の口元が、わずかに歪む。
まずい、と思った時にはもう遅かった。
足首を、がしりと掴まれる。
「っ……!」
そのまま無理やり引き寄せられ、視界が天地ごとひっくり返った。
「にぁっ……!」
次の瞬間、身体が地面へ叩きつけられる。
凄まじい衝撃が背中から頭まで突き抜けて、息も声も出なかった。
何もかもが揺れる。
腕に力が入らない。
脚も、もううまく動かない。
「ちっ……これじゃ売り物にもならねぇな」
男が吐き捨てるように言った。
ぼやける視界の向こうで、そいつが剣を構え直すのが見えた。
「せめて仲間のところへ送ってやるよ」
冷たい切っ先が、月明かりを鈍く弾く。
「……せいぜい感謝しな」
もう、動けない。
避ける力も、起き上がる力も残っていなかった。
嫌だ。
まだ、終わりたくないニャ。
なのに、身体は指一本まともに言うことを聞かない。肺は潰れたみたいに苦しくて、視界の端から少しずつ闇が滲んでくる。
悔しい。
情けない。
こんなところで、こんなふうに――
脳裏に、父さまの顔が浮かぶ。
それから、ご主人様の顔も。
プルメアの優しい声も、屋敷の賑やかな時間も、一気に胸の奥へ押し寄せてきた。
ご主人様……。
ごめんニャ。
ちゃんと、ありがとうって言いたかったニャ……。
「……あばよ」
その声と同時に、剣が振り下ろされる。
――カキィィン!!
鋭い金属音が、闇を引き裂いた。
「……は?」
男の間の抜けた声が聞こえる。
薄く開いた目で見えたのは、あたしのすぐ前に展開された淡い蒼の障壁だった。
見覚えのある魔力。
胸が、かすかに跳ねる。
その次の瞬間、空気が変わった。
ぞっとするほど鋭い気配が走る。
「っ――!?」
男が反射的に振り向いた、ほんの刹那。
光が閃いた。
剣戟の音。
風を裂く音。
そして、男の身体が横へ吹き飛ぶ。
「ぐっ……がはっ!」
地面を転がる音がした。
「て……てめぇ……その剣……!」
ぼやけた視界の中、月明かりを背に立つ人影が見えた。
細く、鋭く、凍てつくみたいな殺気を纏った女。
その姿を見た瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「……セラ……」
「ニア!」
今度は別の声。
聞き慣れた、優しい声。
次の瞬間、あたしの身体がそっと抱き起こされる。
「ご主人様……」
かすれた声しか出なかった。
でも、ちゃんと来てくれた。
それだけで泣きそうになる。
「ごめんニャ……ちょっと、張り切りすぎたニャ……」
「もう喋らなくていいよ」
ご主人様の声が、すぐ近くで響く。
「大丈夫。僕が治すから」
その後ろから、ばたばたと駆けてくる足音。
「ニアさん……!」
プルメアの声だった。
心配そうな声を聞くだけで、張りつめていたものが少しずつ緩んでいく。
ああ、助かったんだって、ようやく実感した。
ご主人様の手から、優しい魔力が流れ込んでくる。
熱を持っていた傷が、少しずつ和らいでいくのが分かった。
その間に、ご主人様が視線を前へ向ける。
「僕はニアの治療をするから……セラ、頼めるかい?」
「ああ、もちろんだ」
静かな声だった。
でも、その奥には冷たい怒りが滲んでいた。
「どうやら――もともと私の客のようだしな」
月下に立つセラの背中を見上げながら、あたしはかろうじて息をついた。
ここから先は、もう任せていい。
そう思った瞬間、張りつめていた意識がふっと遠のいていった。




