第15話『月下、メイドは舞い降りる』
「ははっ、猫獣人がメイド服って……どこの趣味の悪い変態の仕業だよ!」
下品な笑い声が倉庫の奥に響く。軽薄な嘲りの言葉に、ニアの胸がカッと熱くなった。
「……ご主人様をバカにするなニャ」
低く身を沈め、静かに構えを取る。爪先に力を込め、一触即発の空気が漂った。
「とっとと捕まえて、鎖でもつけてやろうぜ。高く売れんだろ、猫獣人のメスはよ!」
数人の男たちが、獲物を囲むようにじりじりと迫る。
深く息を吸い込み、ニアは床を蹴った。
「――舐めるなニャ!」
瞬間、音すら置き去りにして、一気に最も近い男の腹へ踏み込む。鋭い回し蹴りが炸裂し、呻き声とともに男が吹き飛んだ。
そのまま連撃。爪を立て、次の男の腕を切り裂きながら身をひねり、背後から迫る敵に肘打ちを叩き込む。
「うぐっ……!」
勢いを殺さぬまま体勢を整えるが――
「すばしっこいメス猫だなおい!」
ニアの素早さに翻弄されながらも、男たちに焦りは見えなかった。むしろ、楽しげに笑いながら獲物を追う狩人のように余裕すら感じさせる。
「今度はこっちからいくぞ!」
号令とともに、四方から殺到する敵。
回避が一瞬遅れた。腹に拳が食い込む。
「がっ……!」
息が詰まり、身体がぐらつく。
「今だ! 押さえつけろ!」
押し寄せる男たちの影――
だが、ニアの目にはまだ光が宿っていた。
「――あたしを舐めるなって言ったニャろうがッ!!」
地を蹴り、体中の血が駆け巡る。筋肉に熱が走り、魔力が脚へ集中する。
「獣王迅閃ッ!!」
突風のような音が倉庫内を駆け抜けた。視界が赤く染まり、男たちがまとめて吹き飛ぶ。
――その着地の先。そこに、奴がいた。
頬に深い傷――あのとき、村を襲った一団を率いていた男。その氷のような眼差しが、ニアを冷たく見下ろしていた。
「その戦い方……どこかで見たと思えば。まるで、どこぞの村の“族長”とやらに似ているな」
胸がぎゅっと締めつけられる。
「確か、オラサムだったか、ラオサムだったか……」
「ふざけるニャッ! オルサムニャ!」
「ああ、それだそれ。ってことは、お前、あいつの仇討ちか?」
「そうニャ。絶対に許さないニャ!」
言葉と同時に地を蹴る。怒りを乗せた踏み込みとともに、あたしは一気に距離を詰めた。
――だけど。
ガキンッ!!
男は寸分の迷いもなく、腰から引き抜いた剣でニアの爪を受け止めた。
「……チッ!」
跳ね返され、ニアは宙で体をひねって着地する。
男の剣の動きには、一切の隙も感情もない。
「爪と牙じゃ――この剣には届かねぇよ」
男が冷たく言い放つ。剣を構え直し、じりじりと詰めてくる。
ニアは小さく息を吸い、瞬時に後方へ跳躍。
「何ビビってる。もう逃げ場なんてないぞ、猫娘」
「……誰が逃げるって言ったニャ」
爪を立てる。魔力を集中させ、足に力を込める。
男の動きを見極めて、タイミングを測る。
そして――
「ニャアアアアッ!!」
咆哮とともに、ニアが再び突っ込む!
斬りかかる剣をすんでのところでかわし、足元へ滑り込むように低く構え直す。
けれど――
「甘ぇんだよ」
男はすかさず剣を振り下ろしてくる。ニアはその斬撃を紙一重でいなし、体を横へと転がして間合いを取る。
「くっ……!」
体勢を立て直した時には、すでに男が迫っていた。
斬撃が風を裂き、ニアの肩をかすめて切り裂く。
「にゃっ……!」
熱い痛みが走る。浅い傷、それでも確実に体力を削る一撃だった。
「どうした、もう終わりか? 口ほどにもねぇな」
「……まだだニャ……絶対にお前はここで倒すにゃ!」
ニアの瞳がぎらりと光を宿す。
深く呼吸を整え、意識を集中――体中の血流と魔力が脈動し、全身が熱を帯びていく。
筋肉が膨張し、腕が太く、脚が鋭く。顔もまた、獣の凶相を帯びていく。
魔力が脚に集中し、周囲の空気がひときわ重く揺れた。
「にゃぁぁぁぁ……! 全身全霊を込めるにゃぁぁぁぁぁ……!」
咆哮とともに、彼女の足が地を砕く。
「――獣王迅閃ッ!!」
瞬間、地を裂くような衝撃音とともに、ニアの体が疾風と化した。
弾丸のような踏み込み。獣の本能を乗せた爆発的な一閃。
避ける暇もない。男の剣が構えの途中で止まり――その胴へ、ニアの蹴りが直撃する。
ドガッ――!!
砂煙が舞い上がった。
だが――。
「……ふっ、やるじゃねぇか」
砂煙の中、男が立っていた。胸元には魔法陣の光が浮かんでいる。
防御魔法――全力の一撃は、虚しくもその結界に阻まれていた。
「惜しかったな、猫娘」
ニアの足首が、がしりと掴まれる。
「っ……!」
振り上げられる。次の瞬間――
「にぁっ……!」
身体が地面に叩きつけられた。凄まじい衝撃が全身を貫き、視界が跳ねる。
地面の冷たさが骨まで染みてくる。
受け身なんて取れるわけがなかった。
腕が動かず、膝が崩れ、呼吸も浅くなる。
魔力も意識も、まるで砂のように零れ落ちていく。
「チッ……これじゃあ、もう売り物にはなんねぇな」
男が剣を構え直し、忌々しそうに吐き捨てた。
「せめて仲間のもとに送ってやるよ。……せいぜい感謝するんだな」
――もう、避ける気力は残っていない。
(……父さま、ごめんニャさい。仇、取れなかったニャ)
(ご主人様……お別れの言葉、言えなかったニャ……)
「……あばよ」
――カキィィン!!
鋭い金属音が、死の淵からニアを引き戻した。
男の剣が、突如現れた淡い蒼の魔力障壁に阻まれていた。
「……は? なんだこれ……」
呆けたように呟く男。
だが、次の瞬間――空気が変わった。
鋭い殺気。背筋を撫でるような冷たい圧力。
「っ……!?」
男が本能的に防御の構えを取った瞬間、光が閃く。
剣戟。風を切る鋼の音。
反応する暇もなく、男の身体が吹き飛ばされた。
「ぐっ……がはっ!」
地面に転がる男。
「て……てめぇ……っ! その髪、その剣――」
薄暗がりの中、月明かりが照らすその姿。
戦うためだけに在るような、鋭利な気配を纏った女。
「セラフィーナ……ッ! なんで……ここに……!」
静かに立つその女の眼差しは、凍てつくように冷たい。
「ニア! 大丈夫かい!?」
クラウスは駆け寄り、地面に倒れたニアを抱き上げる。傷だらけの体に息を呑むも、ニアはかすかに笑って見せた。
「ご主人様……ごめんニャ……ちょっと、張り切りすぎたニャ……」
「もう無理しなくていいよ。僕が治すから」
そのすぐ後ろから、プルメアが駆け寄ってくる。
「ニアさん……!」
声をかけるプルメアの表情には、不安と心配がにじんでいた。言葉は続かない。ただ、じっとニアのそばに膝をつき、その傷ついた姿を見つめている。
「大丈夫だよ、プルメア。すぐに治すから」
クラウスは優しく声をかけながら、ニアの治療へと意識を集中させる。そして、視線をセラへ。
「僕はニアの治療をするから……セラ、頼めるかい?」
その問いに、セラフィーナは静かに頷く。
「あぁ、もちろんだ。どうやら――もともと私の客のようだしな」
淡々とした声。だがその目は、鋭い殺気を帯びていた。




