第13話『猫探しは夜の帳の中で』
転移魔法の光がふっと霧散した次の瞬間、僕たちの足は硬い石畳を踏みしめていた。
「……え? ここって……もしかして、ローエンブルクですか?」
プルメアが目を丸くし、落ち着きなく辺りを見回す。
一方で、セラはわずかに眉を寄せ、不満を隠そうともせず僕を見た。
「まったく……急ぐ気持ちは分からんでもないが、こんな大それた魔法を使うなら、せめて一言くらいは欲しいものだな」
呆れを含んだ声音に、僕は小さく肩をすくめる。
確かに、何も言わずに転移したのは少し強引だったかもしれない。
「ごめん。驚かせたよね」
謝ると、セラは「当然だ」とでも言いたげに肩をすくめたあと、夜の街並みに視線を戻した。
「それにしても……いったいどういう原理なんだ、一瞬で移動するなんて」
感嘆を押し殺しきれない声音に、僕は苦笑した。
「これは転移魔法だよ。行きたい場所を魔力で捉えて、空間を無理やり繋ぐようなものかな。……とはいっても、この魔法は転移先を強く思い描かなきゃいけないし、魔力の消費もかなり大きいんだ。だから、そう簡単には使えないんだけどね」
そこまで言って、僕はすぐに言葉を切る。
「それより――急ごう。ニアを探さないと」
今は説明に時間を割いている場合じゃない。
僕の言葉に、二人もすぐ頷いた。
そして僕たちは、そのまま夜のローエンブルクへ駆け出した。
市場通りは、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。人でごった返していた通りも、今ではまばらな灯りが残るばかりで、店じまいを終えた店先には人の気配もほとんどない。
「急いだほうがよさそうだな」
セラが低く呟く。
時間が経てば経つほど、人影は減っていく。そうなれば、ニアの居場所を探る手がかりも、それだけ薄くなってしまう。
「たしか、ニアさんはいろんなお店に行くって言っていました。もう閉まっているお店も多いですけど……もしかしたら、見かけた人がいるかもしれません」
プルメアの言葉に、僕は短く頷いた。
「そうだね。急ごうか」
僕たちは手当たり次第に、まだ店先に残っている人たちへ声をかけて回った。けれど返ってくるのは首を振る反応ばかりで、まともな手がかりは何ひとつ得られない。
焦りだけが、少しずつ胸の奥に積もっていった。
そもそも、ニアがこの街で悪さをしていたのは、ほとんどが食べ物を扱う店だった。生きるために必死だったからなのか、それとも単に食い意地が張っていただけなのかは分からない。けれど、自然とそういう店ばかりに偏っていたのだろう。
そして、そうした店ほど朝が早い。この時間にはとっくに店を閉め、片付けまで終えてしまっているところがほとんどなのだ。
「まずいな……これなら、宿を回ったほうがいいんじゃないか?」
セラの言葉に、僕も頷きかける。
乗り合い馬車に乗り遅れただけなら、どこかで宿を取っている可能性は高い。このまま市場通りにこだわるより、そのほうがよほど見つけられる見込みはある。
「そう……だね」
方針を変えようとした、そのときだった。
「ご主人様、あれ……」
プルメアが小さく声を上げる。
彼女が指差した先へ視線を向けると、通りの端に一軒の果物屋が見えた。薄暗い店先では、店主のおばさんが一人、慌ただしく片付けをしている。
周囲の店がとっくに店仕舞いしているなか、まだ店を畳みきれていないのは、一人で切り盛りしているからだろうか。
あの果物屋なら、ニアも立ち寄っているかもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、僕はその店へ足を向けた。
「すみません……」
「おや……クラウス様じゃないか。こんな時間に、いったいどうしたんだい?」
おばさんは忙しそうに片付けを続けながらも、こちらに顔を向けてくれた。
「実は、人を探していまして……猫耳の……」
そこまで口にした瞬間、おばさんの手が止まった。
積み重ねた果物籠を台の上に置き、確かめるように僕を見る。
「猫耳の子……って、ニアちゃんのことかい?」
胸が大きく跳ねた。
「知っているんですか!?」
「ああ。今朝、うちに来たよ。急に頭を下げてきてね。取っちまった果物代だって言って、お金まで渡そうとしてきたんだよ」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
やっぱりニアは、自分の過去にきちんとけじめをつけようとしていたんだ。
「もちろん、受け取りはしなかったけどね。あの子、泣きながら何度も謝ってたよ」
「……そう、ですか」
思わず、小さく息が漏れる。
ニアが泣きながら頭を下げている姿なんて、簡単に想像できるものじゃない。
でも、ニアなりに必死だったんだろう。
「それで、そのあとどこへ行ったか分かりますか?」
「ああ、この市場の店を何軒か回ってたみたいだよ。パン屋にも肉屋にも顔を出してたって話を聞いたからね」
そこまでは、予想通りだった。
けれど、おばさんはそこで少しだけ表情を曇らせた。
「ただね……昼過ぎごろだったかね。うちの常連さんが、ニアちゃんを見かけたらしいんだけど、様子がおかしかったんだそうだよ」
「様子が?」
「急に顔色を変えて、誰かを追いかけるみたいに飛び出していったらしいよ」
僕とセラが同時に眉をひそめる。
「追いかけた……?」
「ああ。あの子、ずいぶん必死な顔をしていたらしいよ。何かあったんだろうけど……」
その言葉に、嫌な予感が胸の奥をざわつかせた。
「どっちへ向かったか、分かりますか?」
「そこの通りをまっすぐ抜けていったそうだよ。あの先は、古い倉庫街しかないんだけどねぇ」
「ありがとうございます」
礼を言うやいなや、僕はすぐに踵を返した。
「行こう」
短くそう告げると、セラもプルメアも迷わず後に続く。
夜の市場通りを駆けながら、胸の内にあった焦りは、はっきりとした不安へ変わっていった。
ニアは謝罪を終えて、それで帰ろうとしていたはずだ。
なのにわざわざ人を追ったということは、見過ごせない何かがあったということになる。
そして、ニアがそこまで取り乱す理由なんて、ひとつしか思い浮かばなかった。
「……村を襲った連中かもしれない」
思わず漏れた僕の呟きに、セラの表情が険しくなる。
「可能性はあるな。だが、だとしたら余計にまずい。一人で追わせていい相手じゃない」
「うん」
返事をしながら、自然と足に力がこもる。
石畳を蹴る足音が、静まり返った夜の街に響く。
どうか、無事でいてほしい。
その願いだけを胸に、僕たちは通りの奥へと駆けていった。




