第11話『猫耳メイドは、贖罪の道を歩く』
今日は待ちに待った、おやすみの日ニャ!
あたしは一人、馬車に揺られながら窓の外をぼんやり眺めていた。
一人で出かけるなんて久しぶりで、少しだけ胸が高鳴る。でも同時に、少しだけ気は重いニャ。
向かう先はローエンブルク。
そうニャ、あたしが昔――ちょっとだけ悪さをしていた街なのニャ。
ヴァイスベルグ家で働かせてもらうようになって、人の優しさに触れたあたしは、いつかこの街で迷惑をかけてしまった人たちに謝りたいと思うようになっていたニャ。
その思いは日に日に強くなって……特にお給金をもらうたび、胸がちくりと痛むのニャ。お金を稼ぐことがどれだけ大変なのか、今なら分かるからニャ。だから、それを奪われたら怒るのも当然だということも……。
あたしは覚悟を決めたニャ。
きっといっぱい怒られる。それでも――今日は迷惑をかけてしまった人たちに、一日かけて謝るため、ローエンブルクへ向かっているのニャ。
窓の外をのぞけば、遠くの景色の中に、朝日に照らされたローエンブルクの街が見え始めていた。
どうやら、もうすぐ街に着くようだニャ。
街が近づくにつれ、不安を伴った緊張が胸の奥で少しずつ大きくなっていく。
それでもあたしは、逃げずにその景色を見つめたまま、静かに馬車に揺られていたニャ。
◇◇◇
街についてすぐ、高鳴る不安と緊張を、少しでも落ち着かせるため、あたしは一度深く息を吸い込んだ。
そして、ふと気づく。
この街で、こんなふうに堂々と人前に姿を見せるのは……初めてなのかもしれないニャ。
見覚えのある街並み。でも、あの頃とは見えている景色がまるで違うニャ。
あの頃のあたしは、いつも人の視線を気にして、こそこそと生きていたニャ。
……まぁ、それも当然ニャ。
悪さをしていたんだから、仕方のないことにゃ……。
だからこそ、こうして普通に街を歩けることが、少しだけ特別に感じられる。
……ご主人様に、すこしだけ、ほんのすこしだけ感謝して、あたしは市場へと向う。
交易都市というだけあって、相変わらず人が多いニャ。
あたしは人混みをかき分けながら、市場の方へと歩いていく。
そして、最初に目に入ってきたのは――果物屋だった。
店先では、あの店主のおばさんが一人で品物を並べている。
その姿を見た瞬間、昔の記憶が蘇ったニャ。
あのおばさんが一生懸命働いている横で、あたしはその視線を盗み、何度も果物を持っていってしまった。
そして、何度もバレて……ものすごく怒鳴られたニャ。
覚悟はしていた。
……していたけど。
まさか、最初に謝る相手があの怖いおばさんだなんて。
胸がずしりと重くなるニャ。
でも――決めたのニャ。
逃げないって。
あたしは手の中の銀貨をぎゅっと握りしめた。
昔、取ってしまった果物代のつもりニャ。足りるかどうかは分からないけれど、もし足りなければ、また来ればいいニャ。
覚悟を決めて、あたしは果物屋の前に立った。
「いらっしゃい」
品物を並べ終えたおばあさんがこちらに気づき、いつもの調子で声をかけてくる。どうやら、まだあたしだとは気づいていないみたいニャ。
「あ……あの……」
言葉が、うまく出てこない。
喉の奥で引っかかって、声にならない。
あれだけ謝りたいと思っていたのに、いざその時になってみると、どう謝ればいいのかも分からなくなってしまったニャ。
おばさんは、そんなあたしの様子を不思議そうに見ている。
「おや……?」
首をかしげながら、じっとあたしの顔を見つめてくる。
その視線が、ゆっくりとあたしの耳へ向いた。
「……あんた、その猫耳……」
さすがに、この距離で見れば気づくニャ。
とにかく、とにかく謝らないと――。
「あの、ごめんなさいニャ!」
脈絡も何もない、いきなりの謝罪。
でも、もう言葉を選んでいる余裕なんてなかったニャ。
あたしは深く頭を下げ、ぎゅっと目を閉じた。
あとは怒鳴られて、お金を渡す。それしかないニャ。
そう思って、頭を下げたまま待つ。
だけど――いつまでたっても、怒声が飛んでこない。
もう聞き慣れてしまったと言っていいくらいの、あのおばさんの怒った声が。
代わりに感じたのは、柔らかくて、果物の甘い匂いが染みついた手だった。
その手が、そっとあたしの頭に触れる。
「え?」
顔を上げると、おばさんが優しくあたしの頭を撫でていた。
想像していたのとは、まったく違う光景に、頭が追いつかないニャ。
「たしか……ニアちゃんだったね」
聞いたことのない、穏やかな声だった。
いつも怒鳴られてばかりだったから、おばさんの印象が一瞬で変わってしまう。
「聞いてるよ。クラウス様のメイドさんになったんだってね」
「は……はいニャ。それで、これ」
思っていた状況とはまったく違う。でも予定通り、握りしめていた手を差し出して開く。
「足りるか分からニャいけど、取ってしまった果物代のお代ニャ」
だけど、おばさんはその手をそっと包むように添えると、やさしく押し戻した。
「お代はいらないよ」
そう言って、おばさんは見たこともないほど優しい笑顔を浮かべる。
「で、でもニャ」
「その気持ちだけで十分さ。返すつもりで来てくれたことが、何より嬉しいよ」
そっと頭を撫でられて、耳がぴくって跳ねた。
その瞬間、あたしの目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
こんなはずじゃなかったのに。
怒られて、叱られて、それでやっと許してもらえるんだと思っていたのに。
「泣くことはないよ」
おばさんは困ったように笑いながら、もう一度あたしの頭を撫でた。
「クラウス様のメイドになったんだろう? だったら、これからはしっかり働くんだよ」
「……はいニャ」
「それが一番の償いさ」
その言葉は、叱るでもなく、諭すでもなく、ただ静かに胸に染み込んできた。
……知らなかったニャ。
このおばさんが、こんなにも優しい人だったなんて。
きっと、あの頃のあたしには見えていなかっただけなんだ。
悪いことをしていれば、世界はずっと怖くて、冷たくて、怒ってばかりいるように見える。
でも――
ちゃんと生きようと決めて、真面目に歩こうとすれば。
世界は、こんなにも優しく見えるものなんだって。
あたしは涙を拭いながら、もう一度だけ深く頭を下げた。
「……ありがとうニャ」
おばさんは、そんなあたしを見て優しく目を細めた。
「今度は、笑顔で果物を買いに来ておくれ」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……はいニャ」
そう答えたあたしの声は、さっきよりもずっと軽かった。
その後も、あたしは市場の店を一軒一軒まわって、迷惑をかけた人たちに謝っていった。
果物屋だけじゃない。パン屋も、肉屋も、干物屋も……。
あの頃のあたしが、こそこそと悪さをしていた店を、今度は正面から訪ねて回った。
怒られるかもしれない。追い払われるかもしれない。
そう思っていたけれど――
真剣に謝ると、どの店の人も許してくれた。
みんな、あたしがクラウス様のメイドになったことを知っていて、
「しっかり働くんだよ」
そう言って、背中を押してくれる。
あんなにも迷惑をかけていたというのに。
みんな、ちゃんとあたしのことを覚えていてくれていた。
そして――応援までしてくれる。
あたしの村は、もうないニャ……。
でも、この街なら。
このローエンブルクなら――
ここを、あたしの第二の故郷にしたい。
心の底から、そう思えたのニャ。
ヴァイスベルグ家のお屋敷からは少し遠いけれど、休みの日にはまたここに来よう。
そして、自分で稼いだお給金で、少しずつでも恩返しをしていきたい。
そんなことを考えながら、あたしは昼下がりの市場通りを歩いていた。
今日の用事は、これでひと通り終わりニャ。
そろそろ乗り合い馬車に乗って帰らないと、夕刻までに屋敷へ戻れなくなる。あまり遅くなったら、ご主人様たちに心配をかけちゃうかもしれないニャ。
そう思いながら人混みの中を歩いていた、その時だった。
すれ違った黒いフードの男。
そのフードの隙間から、ちらりと見えた横顔に、あたしは思わず立ち止まった。
……今の顔……
気のせいかもしれない。
人違いかもしれない。
だけど――
頬に走る鋭い傷跡。
あたしの村が襲われたあの夜、闇の中で命令を出していた男。
逃げる時、一度だけ振り返って目にした、あの顔。
忘れるわけないニャ。
心臓がドクンと跳ねた。
もし本当にあいつなら――
「待つニャ……!」
叫んだ瞬間には、もう駆け出していた。




