♯59 凛々しいお姉さんと、デレた(?)眼鏡っ娘を仲間に加えた
第59話。この章のエピローグ的なお話、その後編です。
<種を播くもの>クーリエとの謁見を無事終えたボクは、先に開拓に取り掛かっていたみんなと合流し、建材を確保するため檜や橅の森の樹木を伐採するなどして過ごした。
そして再び訪れた夜。そろそろ日付が変わろうかというころ。
ルーナはもちろん当直以外の全員が寝静まった『トゥオネラ・ヨーツェン』の船尾甲板で、ボクは黒い海と向き合い一人黙々と身体を動かしていた。
日課の鍛錬――神威体現闘法<漁火の拳>の型や技の動作の反復練習をしていたのだ。
「――ふう」
一時間ほどかけて一通りの反復練習を終えたボクは、短く息を吐いて「う~ん」と背伸びをする。
と、そのとき。
背後から少女の声がした。
「毎晩毎晩、精が出るね、だんなさま。――でも、なんで鍛錬をするのは決まって深夜なの? しかも当直のヒトたちがいる船首楼甲板からじゃ見えないトコで。だんなさまって、実は努力しているところを見られたくないタイプ?」
「…………単純に恥ずかしいからだよ」
振り返らずともわかる。声の主はカグヤだった。心なしかいつもより落ち着いた声音、大人びた口調だったけれど、間違いない。
「――ていうか、その物言い。キミ、ボクがいつもこの時間にここで鍛錬していることを以前から知ってたワケ? それなのに今日まで黙ってたの?」
「うん。ごめんね、いつも物陰からこっそり観察してました☆」
「なんでまた……」
「だって……、鍛錬しているときのだんなさまは普段の五割増しで格好良いから、『ヒトに見られていることがわかった以上もう鍛錬は出来ない!』とか言われても困るし」
「……別にバレたからって鍛錬をやめたりはしないよ。もう何年も続けている日課なんだから」
ボクはそう言って、そこでようやく振り返る。
そしてカグヤの姿を視界に捉え――息を呑んだ。
そこに見知らぬ美少女が立っていた。
年のころはボクより少しだけ上、十七か十八か……それくらいだろう。
――リボン代わりの月下美人でツーサイドアップにした、鴉の濡れ羽のような美しい黒髪。
――瑠璃玉のような色合いの、可憐さと意志の強さを同居させた瞳。
――雪のような白磁の肌と、すっと通った鼻梁、瑞々しい桜色の唇……。
確かに初めて見る少女だったが、しかし、知らない少女かと言われれば否だった。
その人間離れした美貌といい、天女や仙女を彷彿とさせる巫女装束といい、彼女は間違いなくカグヤだ。
ボクが知る十二歳くらいのカグヤではなく、年頃の娘へと成長したカグヤ……。
「カグヤ……その姿は」
「ああ、これ? これが元々の形態。本来のわたしなの。……まあ、髪と瞳の色は幼女のときのわたしに合わせてあるから、完全に真の姿かと言うと微妙に異なるんだけどね」
「……そういえば昨夜そんなようなことを言ってたっけね、キミ」
――『うん。「だんなさまは年下の女の子に甘い」って聞いたから幼女形態を選んだんだけどね。好みのタイプはむしろ「優しくて包容力があって巫女さんの格好が似合うお姉さん」だったなんて。……騙されたよ』
それにマリナもこう言っていた。
――『カグヤちゃんの以前の名は「ディードレ」、わたくしの以前の名は「マーシー」と言いまして、本当の姿はカグヤちゃんの場合は菫色の髪、わたくしの場合は蒼い髪のほうなんです。それに今のカグヤちゃんは見た目十二歳くらいですが、本来の姿はわたくしと同様、十代後半なんですよ?』
……なるほど。これなら納得がいく――確かに彼女はマリナの双子の姉のようだ。
「これも『地球系統』のチカラってワケか」
「そういうこと☆ まあ、厳密には巫女装束を構成しているのはマリナに分けてもらった『星核構築』のチカラだけどね」
「でも、どうしてその姿に?」
「――『どうして』?」
カグヤは頬を膨らませると、半眼でボクの頬を指でツンツン突いてくる。
「『どうして』じゃないでしょう? 昨日マリナにあんなに鼻の下を伸ばしておいて! わたしがどれだけ好意をぶつけても冷たくあしらうだけだったくせに!」
「え、ええっ!?」
生憎、鼻の下を伸ばした憶えは無いんですが……。
確かにマリナに抱き着かれたときは、やたらドキドキソワソワしちゃったけれど。でも、あれだって半分はマリナにルーナを重ねて罪悪感や気まずさを感じたせいだし……。
いやまあ? もちろん? あれほどの美少女に抱き着かれて微塵も嬉しくなかったと言ったら嘘になるけども?
「だんなさまのイケズ」
そう言ってボクの背中に腕を回し、ぎゅっと抱き着いてくるカグヤ。
「ちょ、ちょっとカグヤ!?」
瑠璃色の愛らしい瞳にいつもより近い位置から見上げられて、ボクの心臓が早鐘を打つ。
てか、ヤバいヤバいヤバい! これはヤバいって!
これまでは、カグヤの外見年齢がボクの守備範囲外だったから、夜這いなどの多少の(?)アプローチにも冷静に対処できたのだ。
今の十代後半に見えるカグヤが相手じゃ、どれだけ理性を保てるかわかったもんじゃないぞ!?
ぶっちゃけ今のカグヤって、ボクの好みど真ん中だし……!
「ねえ、だんなさま。憶えてる? 出逢ったばかりのころ、寝台の上でイチャイチャしたことがあったでしょ? あのときのやりとり」
「……イチャイチャした憶えは無いけど、あのときのキミとの会話はなんとなく憶えてるよ」
――『でもね――キミはまだ十二歳くらいで、そして申し訳ないことにボクはロリコンじゃないんだよ。今のキミの好意に応えることは出来ない。……というワケで、ボクのことは諦めてほしい』
――『やった☆ ……だんなさまにとって最大のネックは、わたしのこの見た目なんだよね?』
――『え? ま、まあ、そうだね?』
――『よしよし。そのうち解決する問題だね』
「……あっ! あのときキミが言った『そのうち解決する』ってのは、いずれは自分も成長して大人になるって意味じゃなくて、」
「そ☆ そう遠くない日に、あなたに本当の姿を見せるときが来ることはわかってたから。そのときが来たら、『最大のネック』は解消されるって意味」
カグヤは頬に紅葉を散らして頷くと、潤む瞳でこちらを見つめ、
「……ねえ、だんなさま。今のわたしの好意にも、応える気になれない?」
囁くように、そう問いかけてきた。
「もうちょっと大人の女性のほうが好みだと言うのなら、『地球系統』のチカラでいくらでも調整できるよ? わたしはだんなさまのためならなんだって出来るの。<破壊と修正の地球意思>として。あるいは一人の女として。出来ることならなんでも――ね」
「カグヤ……」
少しずつ近づいてくるカグヤの顔から……熱烈な愛の告白を紡ぐ蠱惑的な唇から目を離せない。
ゴクリと喉を鳴らし、思わず目を閉じるボクの唇に、幼女のときよりずっと瑞々しさを増した桜色の唇がそっと重なって――
「!?」
重なったと思ったら、息を呑む気配とともに離れていた。
「か、カグヤ?」
半ば拍子抜けしつつ目を開けると、カグヤは顔を顰め、背後、夜の帳が下りている中央甲板のほうを振り返り睨んでいた。
「ど、どうしたの?」
「……邪魔者が来ちゃったみたい」
ボクの問い掛けに、カグヤは小さく溜め息をつく。
「もうっ。いいトコだったのに……。――ごめんね、だんなさま。続きはまた今度」
続き!? 続きって何!? ナニをするつもりだったの!?
そう質すよりも早く、カグヤは全身から紫色の閃光を放ち見慣れた十二歳くらいの形態に戻ると、「先に船内に戻ってるね!」と言い残し走り去ってしまった。
「え、ええー……」
肩透かしをくらった気分で中央甲板、夜の帳の中へ消えていくカグヤの背中を見送っていると、入れ替わりで一人の少女が闇の中から姿を現す。
「――こんばんは」
現れたのは、ストレートの黒髪を地面まで届きそうなほど長く伸ばした怜悧な瞳の眼鏡っ娘、クロエだった。
「クロエ……?」
「船長室にいらっしゃらなかったのでどちらに行かれたのかと思ったら、こんなところでカグヤさんと逢引きをされていたのですね。お邪魔してしまったようで申し訳ありません」
……この口ぶり、ボクに何か用があって船長室を訪れたものの不在だったため、わざわざ甲板まで捜しにきたということか?
ボクのことを毛嫌いしているはずの少女が、こんな夜分になんの用だろう?
そういえば昼間<種を播くもの>クーリエと会ったあと、何か話したいことでもあるのか、こちらを何度もチラチラ振り返っていたけれど……。
……てか、なんでムスッとしているの?
「ボクに何か用かい?」
ボクが訊ねると、ムスッとしていたクロエは一転気まずそうな表情になり、唇をきゅっと引き結んで、
「ありがとうございました。――そして申し訳ありませんでした」
と言って、深々と頭を下げた。
…………えーと…………。
「……何が?」
改まってお礼とお詫びを言われるようなこと、何かしたっけ……?
「イリヤさんを――わたしにとってはお姉ちゃんも同然なヒトを、助けてくれて」
イリヤがキロウスに絞め殺されそうになっていたところを助けた件のことか。
いや、そんなことより、
「お姉ちゃんも同然……」
「はい。イリヤさんにとってわたしは恩人の娘に過ぎないのでしょうが、わたしはイリヤさんを家族だと思っています。ですから――そんなイリヤさんの命を救っていただき、ありがとうございました」
「……礼には及ばないよ。ボクにとってもイリヤはお姉……大事な仲間だ」
お姉ちゃんのような女性だ、と言いかけてやめた。
ボクはイリヤの弟的存在を卒業すると決めた。彼女が頼れる男に――心が弱ったときに寄り掛かれる存在になると決めたのだ。
ボクはもう彼女を姉貴分として慕うことは出来ない。年下として彼女に甘えることは出来ない。
もう彼女を『イリヤ姉ちゃん』と呼ぶワケにはいかないのだ。
……もし、ボクが彼女をもう一度そう呼べる日が来るとしたら。
それは彼女が、ボクなどよりもよっぽど頼ったり寄り掛ったり出来る存在を見つけたときだろう。
心許せる恋人とか、永遠の愛を誓える夫とか。そういう存在を。
……まあ、とはいえそれも彼女の恋人や夫になった男がイヤな顔をしなければの話だが。
自分の最愛の女性に、実の弟でもないのに『お姉ちゃん』と呼ぶ男がいるのって、恋人さんや旦那さんからしてみれば複雑な気分かもしれないし……。
「大事な仲間を――大切なヒトを護るのは当然のことさ。礼を言われるようなことじゃない」
「っ」
ボクが『大切なヒト』と言った瞬間、クロエが複雑そうな顔をする。
……いや、いけ好かない男が、自分が姉のように慕っている女性のことを『大切なヒト』呼びしたら面白くないのはわかるけど。そこまでムクれんでも。
「で? 『申し訳ありませんでした』ってのは? ボク、キミに謝られる心当たりが無いんだけど」
ボクがそう言うと、クロエは何故かちょっぴり呆れたような顔をした。
「どれだけお人好しなんですか、あなたは。――わたし、これまであなたに辛辣な態度を取ってきたじゃないですか」
「……ああ、そういうこと。ボクは別に気にしてないよ。お母さんのことがあったんだから、人間不信になっちゃうのも無理ないと思うし」
「確かに最初は『赤の他人なんか信じられるか』って気持ちから辛辣な態度を取っていました。でも、途中からは違うんです」
「え?」
「わたしはイリヤさんを……お姉ちゃんをあなたに奪られたような気がして悔しかったんです。あなたと接しているときのイリヤさんはとても楽しそうだから……」
「それが本当の理由……?」
「はい。その証拠に、わたしが今でも辛辣な態度を取り続けているのはあなただけでしょう」
そういえば……。このコがボク以外の人間にあからさまに辛辣な態度を取っているところって、それこそ初日くらいしか見ていない気がする。常に不愛想ではあったけど、ボク以外の人間に突っかかっているところは見たことがないような……。
そうか……そういうことだったのか。
「ふふっ」
「……何がおかしいのですか?」
「ああ、いや、ごめん。別にキミを馬鹿にしたワケじゃないんだ。――なんていうか、どんなに身近な相手でも気持ちってのはやっぱちゃんと言葉にしないと伝わらないモンなんだな、と思ってさ」
「え?」
思い出してしまった。イリヤと混浴してしまったときに、彼女が言っていた言葉を。
――『お願い。クロエの「お兄ちゃん」になってあげて。ほんの少しでも、あのコのお母さんを喪った悲しみが和らぐように……。あなたならきっと出来るわ。お母さんを喪った悲しみを知っているあなたなら』
――『クロエがわたくしを「身内」と判断しているのは、お母さんとわたくしの紲を傍で見ていたからに過ぎないわ。クロエ自身がわたくしに心を許しているワケじゃない』
「――もしかしたら、あのときのイリヤも、ボクに対して複雑な感情を抱いていたのかもしれないな……」
滑稽と言えば滑稽な話だ。
クロエも、イリヤも、お互いのことをこんなに大切に想っているのに、自分はそこまで想われていないと勝手に決めつけ、相手に変な遠慮をしてしまっている。
自分はそこまで愛されていないと思い込んでいる。
「クロエ。実を言うとね、ボク、イリヤに言われたんだよ。『クロエのお兄ちゃん代わりになってやってくれ』『自分は親の愛というモノを感じたことが無い上、クロエにそこまで心を許されてもいないから、母を喪ったクロエの心を救ってやれる自信が無い』『けど、幼いころに母親を喪っているあなたなら救えるかもしれない』――そんな感じのことを、口惜しそうにね」
「え……」
クロエが息を呑んだのは、イリヤが自分をどれだけ想ってくれていたのか理解したためか。それとも。
「イリヤはね、ずっと『本当の家族』を欲していたんだ。だから、キミが『妹』として彼女を支えてやってくれると嬉しいな。……それはもう、ボクには出来ないことだから」
彼女の『弟』を卒業すると決めたボクに、もうその資格は無いと思うから……。
「…………っ」
クロエの頬を、涙の雫が伝わり落ちる。
それを腕でゴシゴシと拭い、コクリと頷いたクロエは、次いでこう言った。
「あの……自分でも図々しいとは思いますが、ひとつ、わたしのお願いを聞いては頂けないでしょうか」
「お願い? ……もしかして、お母さんの遺品――キミの観察記録を読んでほしいとか? お母さんの本当の気持ちを確かめるために」
「いえ。それは結構です」
「……いいの? 何が記されているのか、気にならないの? 記されている内容によっては、お母さんがキミをちゃんと愛していたことを証明してくれるかもしれないんだよ?」
「確かめずとも、今ならわかります。――お母さんはちゃんとわたしを愛してくれていました。でなければ、イリヤさんに『何かあったらクロエを護ってやってくれ』なんて頼んだりはしません」
!
「……気付いたんだ、そのことに」
「残念ながら自分で気付けたワケではありません。恥ずかしながらリオンさんに指摘されてようやく気付けました」
「リオンさんに?」
「叱られました。『私から言わせれば、暴力を振るわれていたワケでもなければ放置されていたワケでもないのに、なんでそこまでお母さんの愛を疑えるのか、そっちのほうが不思議だわ』と。――同じ『娘を持つ母親』として、思うところがあったんでしょうね」
「……そっか」
流石だな、リオンさん。他のみんなはここに定住する否かの議論にばかり意識が向いていて、全然気付いてなかったのに。
その上、ボクがクロエにどう切り出したものか悩んでいるうちに指摘までしてくれたようだ。
彼女の行動力、即断即決するところは、ボクも見習うべきかもしれない。
これが人生経験の差というヤツか……。流石ボクの倍生きているだけのことはある。見た目はロリでもやはり馬鹿には出来ない(バレたらいろいろ怒られそうな感想)。
「馬鹿ですよね、わたし。どうしてそんな簡単なことに気付けなかったのか」
よっぽど不器用だったんだろうなぁ、このコも。このコのお母さん――ミズキさんも。
というかミズキさんの場合、変わり者、もとい天才肌すぎて、娘への愛情表現が独特すぎたのかもしれない。
娘を定期的に裸にひん剥いて観察・記録していたのも、研究のためなんかじゃなく、娘の日々の成長の経過を目に見える形で残しておきたかったとか、健康管理の一環だったとか、そんな単純な理由だったのかも……。
だって、こっちじゃあ写真という形で残しておくことは出来ないワケだしさ。
……世の中にはいるもんね。「大好きだよ」とか、「いつもありがとう」とか、あるいは「あなたがいてくれてよかった」とか。そんな簡単な言葉すら中々言葉にすることが出来ないヒトが。
そして大抵の場合、もう伝えられなくなってしまってから「なんでもっと早く、ちゃんと伝えておかなかったんだろう」って後悔することになるんだ……。
ボクも、そうだった。
あのヒトも、きっとそうだったのだろう。
クロエとイリヤも、自分の気持ちをもっと素直に相手に伝えられていたら、ここまでいろいろと拗らせることは無かったろうに。
「じゃあ、お願いってのは?」
「わたしをこの船の正式な乗組員にしてください」
えっ!?
「ど、どうして? なんでこの船の正式な乗組員になりたいの?」
「あなたと一緒に行くためです」
「へ?」
「イリヤさんに頼まれたのでしょう? わたしのことを。――わたしの兄さんになってくれるのでは? なら、一緒に行く必要があるじゃないですか」
えええええええっ!?
いや、でも、イリヤがボクにそれを頼んだのは「自分はクロエにそこまで慕われてない」と誤解していたからで、実際はそうじゃなかったワケだし……。
「まずはキミとイリヤがお互いの気持ちをちゃんと伝え合うところから始めるべきなんじゃない? キミはイリヤを姉のように思っていることを、イリヤはキミを妹のように思っていることをさ。そうしたら、ボクがお兄ちゃん代わりを務める必要は無いと思うんだけど」
「…………そうですよね。あなたからすれば、散々辛辣な態度を取られたわたしなんて妹分にしたくありませんよね」
「い、いや! 今のは別にキミを妹分にしたくないって意味じゃ……!」
だからその捨てられた仔犬みたいな目はやめて!
「じゃあ、いいですよね? わたしの兄さんになってください。そしてわたしを一緒に連れて行ってください。わたしが兄さんに長いこと会えず淋しい思いをせずに済むように。お母さんを喪った孤独にもう苛まれることがないように。――どこまでも」
「……わかったよ」
まあ、イリヤに頼まれてるし、お姉ちゃんとお兄ちゃん、どっちもいちゃダメなんてルールは無いもんな。
それに、もうルーナのお兄ちゃんをやってるようなものだし。
「一緒に行こう、クロエ。ボクたちの帆船に乗っている限り、決してキミに淋しい思いはさせない。これからのキミの人生に、楽しいことや嬉しいことをいっぱい用意してあげる。ボクと、イリヤと、そしてみんなで、必ずキミをその孤独から救ってみせるから」
「……はい。ありがとうございます――イサリ兄さん」
気恥ずかしそうに頬を赤らめ、ボクをそう呼んで。
クロエは月見草のように慎ましやかな――けれどとても可憐な笑顔を、初めてボクに見せてくれたのだった。
☽
その後。ボクが「今日はもう遅いからキミは早く寝なさい」と促すと、クロエは「イサリ兄さんがそう仰るのなら」と素直に船内へ戻っていった。
ボクは「ふう」と小さく嘆息して、クロエが消えた左舷側中央甲板とは反対側、右舷側中央甲板に下りている夜の帳へ声を掛ける。
「いるんだろ、イリヤ。もう出てきても大丈夫だよ」
「……気付いていたのね」
闇の中から驚いた様子で出てきたのは、艶のある黒髪を白いリボンで結わえてポニーテールにしている切れ長の瞳の少女――イリヤだった。
……今夜は千客万来って感じだな。今までは鍛錬中に誰かが来ることなんて一度も無かったのに。
「クロエは気付いてなかったみたいだけどね。……察するに、クロエがコソコソと船室を抜け出す気配で目が覚めて、どこへ行くのかと訝しみ、追いかけてきたってトコ?」
クロエ、イリヤ、ターニャさん、オリガは同じ船室で寝泊りしているはずなので、そう当たりを付けると、イリヤは小さく頷いた。
そして、よく見ると涙が浮かんでいた目尻をゴシゴシと拭って、ボクに向かって頭を下げてくる。
「ありがとう、イサリ。わたくしでは救えなかったクロエの心を救ってくれて。やっぱりあなたは凄いわ」
「やめてよ、イリヤまで。ボクは何もしてない。凄くなんかないってば。クロエの心を救ったのはリオンさんと――そしてイリヤ、キミだよ」
ボクはイリヤから頼まれたことをクロエにバラしただけだし。
……そういや勝手にバラしちゃったけど、イリヤは特に気にしていないみたいだな。助かった。
「何もしてないなんてことはないわ。それにちゃんとクロエのお兄ちゃんになってくれたじゃない。あのコをあなたの船の正式な乗組員にもしてくれたし」
「いや、それは……」
「でもこうなると、わたくしもあなたの船の正式な乗組員にしてもらわなきゃね」
「……やっぱそうなるよね」
ミズキさんの遺言のこともあるし、当然イリヤはクロエにくっ付いてくるよね。
「あなたのあの言葉」
「?」
「『ボクたちの帆船に乗っている限り、決してキミに淋しい思いはさせない。これからのキミの人生に、楽しいことや嬉しいことをいっぱい用意してあげる。ボクと、イリヤと、そしてみんなで、必ずキミをその孤独から救ってみせるから』。――あの言葉は、今後クロエの支えとなってくれるに違いないわ。何か辛いことがあるたびに、クロエの救いになってくれると思う」
「……なら尚更クロエが救われたのはボクの功績じゃないよ」
「え?」
キョトンとするイリヤを見て、ボクは微苦笑を浮かべる。
どうやら彼女は気付いていないようだ。
あるいは――気付く気付かない以前に、もう憶えていないのか。
……まあ、過去の自分の発言をすべて記憶していろってほうが無理な話か。
「あの言葉は所詮アレンジに過ぎないんだから」
「アレンジ?」
「そう。――幼少期のボクを救い、支えてくれた言葉のね」
――『わたくしはもうあなたの傍にいてあげられないけれど。「これからのイサリの人生に楽しいことや嬉しいことをいっぱい用意してあげてください」って、最後にここの海神様にお願いをしていくわ。……いつかあなたが、自分自身を赦し、救える日が来ることを、わたくしはずっと祈ってる』
あなたが「今後クロエの支えや救いになってくれると思う」と言ったあの言葉は、あの別れの日にあなたがボクに掛けてくれた言葉のアレンジに過ぎないんだよ。
あなたは「自分では救えなかったクロエを救ってくれた」とボクに感謝してくれたけれど。ボクは昔あなたに救われてるんだよ、イリヤ姉ちゃん。
ボクがそう明かすと、イリヤは息を呑み、
「イサリ……あのときのわたくしの言葉をずっと憶えて……? あなたにとっては、もう何年も前のことのはずなのに……」
呆然としたように呟き――そしてポロポロと大粒の涙を零し始めた。
「ありがとう……イサリ……。わたくし……それを聞いて、少しだけ自信が持てた……クロエに自分の気持ちをちゃんと伝えようって決心できたわ……」
「イリヤ……」
「わたくしも、あなたに救われた」
「救った……? ボクがイリヤを?」
昔、ボクを救ってくれた『お姉ちゃん』を……。
「………………」
――誰かに救われ、誰かを救い。
――誰かに支えられ、誰かを支え。
そうやって、ヒトの歴史は連綿と続いていくのだろう。これからも。
かつてミズキさんが救った少女が、今はミズキさんの娘であるクロエの心の支えとなっているように……。
「!」
そこでボクは、ふと気付く。
溢れる涙を腕でゴシゴシ拭うイリヤの姿に、零れ落ちた涙をやはり腕で拭っていたクロエの姿が重なり……ひとつの可能性に思い至る。
片やストレートの黒髪を地面まで届きそうなほど長く伸ばした怜悧な瞳の眼鏡っ娘。
片や艶のある黒髪を白いリボンで結わえてポニーテールにしている切れ長の瞳の少女。
どちらも母親が日本人である以上、髪と瞳の色が同じ黒なのは不自然なことじゃないし、目元の印象が似ているのも、ただの偶然で片付けようと思えば片付けられるけれど……。
「……ねえ、イリヤ。確かキミの本当のお母さんは事故で亡くなったって話だったよね?」
「? ……ええ」
「事故って、やっぱり交通事故?」
「いいえ、爆発事故よ」
「……爆発?」
「母は父と結婚したあとも、理系の大学で助教授をしていたの。研究の傍らね」
「研究?」
「ええ。でも、わたくしを生んで二年も経たないうちに、大学の関連施設で発生した爆発事故に巻き込まれて命を落としたのよ」
「なんの研究をしていたの?」
「母の関係者から聞いた話だと、生物と惑星の関係性……自己ナントカを研究していたらしいわ。まあ、爆発事故の原因は他の研究室にあったようだけれど」
「お母さんのご遺体はちゃんと見つかったんだよね?」
「……いいえ」
「へ?」
「かなり大きな爆発事故だったみたいで。事故が発生したとき、件の施設には数十人の人間がいたらしいのだけれど、全員、骨のひとつすら見つからなかったそうよ」
え……。
「ちなみにお母さんの名前は?」
「ミキって名前だったみたいね」
研究の傍ら、理系の大学で助教授をしていたというミキさん。
ロウガさんの話によれば、科学者だったという<漂流者>――ミズキさん。
ミキ……。ミズキ……。
………………。
「<漂流者>は時空を超えてこの蒼き月の海へ流れ着く……。だけどボクとイリヤを見てわかるように、超える時間の長さはバラバラだ……。なら……」
「イサリ? どうしたの? 何をブツブツ言ってるの?」
「……いや、なんでもないよ。ちょっと突拍子もないことを考えてた」
「?」
「……考えすぎ、だよな」
憶測で下手なことは言えない。
どのみち真実を確かめる術は無いのだ。
海岸に流れ着いていたイリヤの顔立ちに、イリヤを偶然発見したミズキさんが何を感じたのかも。
目を覚ましたイリヤが名乗ったときに、何を考えたのかも。
死を前に、何を思ってイリヤに「クロエを護ってやってくれ」と頼んだのかも。
すべて、推し量るしかない。
全部ボクの邪推でしかない可能性だってあるのだ。
「どっちだっていいじゃないか」
怪訝そうにこっちを見ているイリヤから視線を外し、星空を見上げボクは呟く。
――そう。どっちだっていいじゃないか。
半分血が繋がっているかどうかなんて、この二人には関係ない。
血が繋がっていてもボクと母さんは心を通わせることが出来なかった。
けど、イリヤとクロエの間には、揺るぎない信頼がもう存在するのだから。
本当の姉妹のように確かな紲が。
※評価、ブックマーク、感想等よろしくお願いします!




