♯77 続・もう逢えないはずだったヒトと、夢の中で再会した
第77話です。閑話等も含めると今話が通算100話目になります。
※今回は語り部がイサリ→スズラン→ダリア→イサリ→スズランとちょこちょこ変わります。
――ここはまるで楽園だ。
それは、そう思わずにはいられない日々だった。
……何故そう思ってしまったのか、自分でも不思議だけれど。
「よく似合ってるわ、イサリ」
無事に小学校に進学し、代わり映えの無い、けれど穏やかな日々を送っていた夏の夜。
ボクはお母さんの手で、紺の浴衣に着替えさせられていた。
「お母さん、どうして浴衣に着替えるの? 今夜、何かあるの?」
ボクが訊ねると、やはり浴衣姿のお母さんは目をパチパチ瞬かせ、次いでクスクスと笑い、
「もう。イサリったら。あんなに楽しみにしていたのに忘れちゃったの? 今日はお祭りじゃない」
「お祭り?」
「そう。年に一度の夏祭り」
「……そっか。そういえばこの島、毎年お盆になると夏祭りが開催されてたっけ」
正確には夏祭りっていうか……花火大会?
花火が打ち上げられるのは漁港の外れだけど、メイン会場は従妹の家の神社で、出店が並んだり盆踊りのために櫓が組まれたりして、島民はもちろん観光客もいっぱい来るから、結構な賑わいを見せるんだよな……。
毎年アズサ一家に誘われても、ボクは祭りに参加している余所の家庭の……幸せそうな親子の姿を見るのがイヤで断り続けてきたから、全部聞いた話でしかないけれど……。
「…………………?」
『幸せそうな親子の姿を見るのがイヤで断り続けてきた』?
そうだ……、ボクは家族と一緒に花火を眺めたり出店を楽しんだりしている子たちを見たくなくて、夏祭りには一度も参加したことが無かったんだ……。
でも、なんでだっけ?
……いや、違う。勘違いだ。
ボクだって毎年ちゃんと夏祭りに参加してきたじゃないか。
お祭り? そんなの関係ねえ! と言わんばかりに普段どおり夜の漁に出ていく祖父ちゃんと父さんを尻目に、ボクはお母さんやアズサと一緒に夏祭りに参加し、金魚すくいをしたり綿あめを食べたり、これでもかってくらいお祭りを満喫してきたはずだ。
楽しくて、幸せで……満ち足りた日々を送ってきたはずだ。
他の子たちを羨んだり妬んだりする理由なんて、何も無い。
……なのに、なんで『幸せそうな親子の姿を見るのがイヤで断り続けてきた』なんて考えてしまったんだろう……?
「どうしたのイサリ、ぼうっとして。早く行きましょう? あんまり遅くなるとアズサちゃんに『お兄ちゃんおそい!』って怒られちゃうわよ?」
「う、うん。そうだね。パイルドライバーされないように、早く行こう」
「ぱいるどらいばぁ?」
……だから何を考えてるんだ、ボクは。確かにちょっぴり我儘で横暴なところもあるけれど、ボクより二歳も年下の――まだ幼稚園児のアズサがパイルドライバーなんてするワケないじゃん……。
「はい、イサリ。はぐれないようにお母さんと手を繋ぎましょうね。今日は人出が多いでしょうから」
「……うん」
差し出されたお母さんの手を握る。
お母さんの手は大きくて、温かくて……優しくボクの手を包み込んでくれた。
そのまま家を出て、夜の帳と、遠くから聞こえてくる祭囃子の中、アズサの家へと続く海岸沿いの道をお母さんと二人で歩く。
「小学生になって自然と体力がついたのか、イサリの喘息もすっかり良くなったわね。安心したわ。去年まではイサリの体調が心配だったからあまり遅くまではお祭りに参加できなかったけれど、今年は最後まで楽しみましょうね」
「……うん」
何故だろう。
悲しいことなんて何も無いはずなのに……こんなにも満ち足りた日々を送っているのに。
目尻から零れ落ちた熱い雫が、ボクの頬を濡らしていた――
☽
「なかなか見つからないわねぇ、流れ星」
「うん……。そうね……」
「あれからもう一週間近く探し続けているのに、全くと言っていいほど見つからないなんて、ちょっと変だと思わない? スズラン。普段は一晩のうちに何十、何百という流れ星が流れてるのに」
「うん……」
「まるで誰かが、スズランのお願いが叶うのを邪魔しようとしているみたいね?」
「何それヒドイ」
……その日も、私は生家の裏手にある小高い丘の頂上で夜空を見上げていた。
お母さんと一緒に。
穏やかな時間。
心安らぐ一時。
大好きなお母さんと過ごす、かけがえのない夜――
ちなみにナズナ姉さんとお父さんの姿は無かった。二人は連日連夜の天体観測に飽きたのか、それともそれ以外の理由でか、今夜は家でお留守番をしている。
「頑張って見つけましょう、スズラン」
お母さんは美しい星の海と、その中心に浮かぶ己が生まれ故郷――凍り付いた地球から視線を外し、微笑み掛けてくる。
「――可愛い娘の初恋だもの。なんとしても神様に叶えてもらわなくちゃ」
……生憎、私には好きな男の子なんていないのだけれど……。
なんで「好きな男の子が出来たから、この初恋が成就するよう流れ星に祈りたい」なんて、そんなつまらない嘘をついちゃったんだろう、私……。
「あ、あのね、お母さん。本当は私、」
「ねえ、スズラン。あなたが好きになった男の子って、どんな子なの? そろそろお母さんに教えてくれない?」
再び夜空を見上げたお母さんが何気ないふうを装って訊いてきた。
まるで私の言葉を遮るように。
自分にとって都合の悪いことを言わせまいとするみたいに。
「――ちなみにお母さんの初恋のヒトはね、一言で言えば変わり者だったわ☆」
「知ってるよ。小さいころ何度も話してもらったもの。同じ学校に通っていた変人さんでしょ? 確か、吃驚するくらい朴念仁な男の子だったのよね?」
で、その男の子の従妹さんだかがとっても怖いコで、お母さんはそのコを敵に回す度胸が無くて、男の子と恋仲になるのは諦めざるを得なかったのよね?
「――お母さんには申し訳ないけれど、そんな厄介そうなヒト、私なら絶対に好きになることは無いと思うわ」
「あら。それはどうかしら?」
何がおかしいのか、私の言葉にクスクス笑うお母さん。
「確かに変なところも多かったけれど、すっごく優しくて、とっても勇敢で、そして可哀相なくらい強い男の子だったから……。案外、スズランも彼と出逢ったら好きになっちゃうかもしれないわよ?」
可哀相なくらい強い男の子……?
「だとしても、よ。そもそも、お母さんのような<漂流者>――時空を超えてこの月に流れ着いた地球人は、これまで女性しか確認されていないと言われているのよ? お母さんの初恋の相手と私が出逢うことは絶対に無、」
と。
私はそこで言葉を呑み込む。
……なんだろう、この違和感……。
私は何かとても大切なことを忘れている――何故か、そんな気がしてならないような……。
「……ねえ、スズラン」
夜空を見上げていたお母さんが、再び微笑み掛けてきた。
眩しいモノを目にしたように目を細め。
昔日を懐かしむような眼差しで。
「あなたは実らせてね。その初恋を。……お母さんのぶんも」
何故だろう。
そう言って微笑むお母さんは、ちょっぴり悔しそうで。
だけど、同時に嬉しそうでもあって。
……その理由に気付いてしまったら、この幸せな時間が終わってしまうような気がして。
私は、その優しい眼差しをまっすぐ受け止めることが出来なかった……。
☽
「フフフ……他愛のないものですね。オリジナルの地球を出自とする魂魄とは言っても、所詮こんなものですか」
雪に覆われた地面の下から突然飛び出してきた大きな蔓に左腕をグルグル巻きにされて持ち上げられ、宙吊りのまま気を失っちゃったお兄ちゃんを見上げ、お母さんが嗤う。
お母さんが何を言っているのか、ダリアにはサッパリわからなかった。
少し離れたところではスズランお姉ちゃんが雪原に倒れちゃっていて、こっちも身動ぎひとつしない。
そして遠く、この島の南側にあるおっきな火山のほうを見ると、それこそ山のようにおっきな植物の怪獣がいっぱい生えてる根っこを脚みたいに動かして、砂埃と地鳴りを起こしながら山の斜面を駆け下りているのが見えた。
「さあ、残るはあなたたち二人だけです。大人しく観念しなさい」
噴煙や噴石を吐き出している火山と、こっちへ迫り来る怪獣――この世の終わりみたいなその光景を背に、お母さんはそう言って、ダリアと、ダリアを右脇に抱えてくれている裸のお姉ちゃん(確かお兄ちゃんにはロッカと呼ばれていた気がする)を睨んでくる。
「『死の植物』の花粉……確か、吸った人間を眠らせて、心の穴、魂魄に刻まれた傷を埋めるような甘美な夢を見せて、二度と目覚められなくしてしまうんだっけ?」
地面に倒れ伏すスズランお姉ちゃんに襲い掛かろうとした『深きものども』を不思議なチカラで氷漬けにしながらロッカお姉ちゃんが睨み返すと、お母さんは「そのとおりです」と頷き、
「今頃イサリさんとスズランさんは幸福な日々の夢を見ていることでしょう」
そう言って、ニタア……と笑う。
……怖い。
まるでダリアが知るお母さんじゃないみたいだ。
「幸福な日々の夢?」
「ええ。それが『もう失われてしまった日々』なのか、『いつか手に入れたかった日々』なのかまでは知りませんがね」
「…………………」
「いずれにせよ、『死の植物』の花粉が見せる甘美な夢……偽りの楽園からは、どんなに意志の強い人間でも決して抜け出すことは出来ません。イサリさんも、スズランさんも、もう二度と目覚めることはありませんよ」
そんな……。
「それはどうかなぁ?」
ロッカお姉ちゃんは鼻で笑い、
「所詮は夢でしょ? 案外、すぐに『なんかおかしいなぁ?』『こんなの現実じゃない!』って気付いて目を覚ますんじゃない?」
「それこそどうでしょうね。『死の植物』の花粉を吸った者が落ちるのはただの眠りではありません。正確には魂魄の昏睡なのです」
「魂魄の昏睡?」
「そう。心の穴、魂魄に刻まれた傷が大きければ大きいほど、見る夢は甘美になります。……人間は弱い生き物です。仮に違和感に気付けたとしても、それに目を瞑らず、辛い現実を受け入れることが出来るものでしょうか?」
「……それは、」
「賭けますか? 『ここ』では異分子でしかない<漂流者>と<魔女>であるあの二人が、自らの意志で現実と向き合い帰ってくることが出来るか」
「………………………」
黙り込むロッカお姉ちゃんを見て満足したのか、お母さんは次にダリアのほうを見て、
「聞いていましたね? ダリア。そういうことですから、あなたも『死の植物』の花粉を吸うことを勧めますよ。きっと夢の中の私は、あなたのことを心の底から愛してくれるでしょうから。――現実の私とは違ってね」
「………………………っ」
ああ……。
お母さんは、ダリアのことなんて、本当になんとも思ってないんだ……。
ダリアなんて別にどうなってもいい……死んでしまっても構わないんだ。
昔から「立場を弁えなさい」「あなたはあのヒトと私の娘なのですよ」「聖女だという自覚をもっと持ちなさい」って、ダリアのことを叱ってばかりで。ダリアが泣いたり甘えたりすることを絶対許してくれなかった厳しいヒトだけど……。それだってダリアのことを想ってのこと……一種の愛情なんだって信じてきたのに……。
ダリアはお母さんにちゃんと愛されてるんだって……必要とされてるんだって、そう思おうとしてきたのに……。
ダリアは……ダリアは、お母さんにとって最初から『要らない子』で……。『便利な道具』くらいの価値しか無かったんだ……。
――『私にとってダリアはそんな大層な存在ではありません。言ったでしょう、「作るつもりなど無かったのに、運悪く出来てしまった子供」だと。――要らないんですよ、こんな子』
……あの言葉は。
……紛れもない、お母さんの本音だったんだ。
ダリアは……独りぼっちになっちゃった…………ううん、最初から独りぼっちだったんだ……。
「っ、ひっぐ……えぐっ……ぐすっ……」
「泣いたところで何も変わりませんよ、ダリア。私にとってのあなたの価値も。この絶望的な状況も。あなたを待つ『深きものども』への『改造』という運命もね」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
「フフフ……アハハハハハハハッ! もっと絶望しなさい! 悲嘆に暮れるのです! その慟哭、無念こそが、あなたたち人間の魂魄をより輝かせ、私たち永遠の存在者の退屈で冗長な生を愉しませ――」
「黙りなさい、この邪神」
「――――――」
……その、ロッカお姉ちゃんの唸りは。
……少しだけ残っていた幼さがどこかへ行っちゃった、大人びた口調は。
これまでとは比べ物にならないほど低く、昏く――そして冷淡だった。
お母さんから笑みが消え、ダリアも思わず泣き止んじゃったほどに。
「もう喋らないでくれる? この数ヶ月、イサリと他の女のイチャイチャを散々見せつけられてきたせいで、私も人間の女、特にチビッ子が嫌いになりかけていたトコなのだけれど。それでも不愉快だわ――あなたの口汚さは聞くに堪えない」
「……邪神とはまた大袈裟な。というか、この状況で随分と強気ですね。言っておきますが、あなた一人で斃せるほど『死の植物』は甘くありませんよ?」
「私一人で? 何を言ってるの、あなた」
これまでとは別人のような口調でロッカお姉ちゃんはそう言うと、宙吊りにされているお兄ちゃんを見上げ、すっと目を細める。
お母さんが掲げた手を合図に次々と襲い掛かってくる無数の蔓を、ダリアを抱えたまま神懸った身のこなしで躱しつつ。
「――あなたは、このダリアってコを泣かせた……悲しませてしまったのよ?」
「それがなんだと言うのです」
怪訝そうに眉を顰めるお母さん。
ダリアもロッカお姉ちゃんが何を言わんとしているのか、よくわからなかった。
「いつの時代だって――どの宇宙でだって。愛し子らの慟哭、助けを呼ぶ声は必ず届くわ。守人の耳へとね」
ロッカお姉ちゃんが言う。誇らしげな笑みを浮かべて。
「……は?」
「そう、ディラックの海と事象の地平による断絶や、幽明の界すらも超えて……。そしてそれは、夢と現のあわいだって例外じゃない」
「何を言って……」
「そのとき、守人は必ず立ち上がるの。愛し子らの涙を止めるため。宇宙の秩序を護るために。自分はどれだけ傷付くことになろうともね」
「だから何を言ってるのですか!」
「故に『私たち』は、守人のもとへと集う……。その力となるの」
――すっごく優しくて、とっても勇敢で……そして、可哀相なくらい強い男の子……イサリの力にね。
……そのロッカお姉ちゃんの言葉に応えるように。
力無く垂れ下がっていたお兄ちゃんの右手の指先が、ピクッ……とほんの僅かに動いた――
☽
――祭囃子に紛れて、どこか遠くから、幼い女の子の泣き声が聞こえた。
聞いたこちらの胸が締め付けられるような、すすり泣く声が。
迷子だろうか。
その声は「お母さん――お母さん」と懸命に呼び掛けているようだった。
繰り返し――繰り返し。
決して諦めることなく。
……それは。
「置いていかないで」と。
「嫌いにならないで」と。
そう、訴えているようにも聞こえた。
「…………………?」
夏祭りの会場であるアズサの家の神社へと続く海岸沿いの道を、お母さんに手を引かれて歩いていたボクは、その泣き声が気になって歩みを止める。
そして振り返るが、目に飛び込んできたのは、吸い込まれてしまいそうな漆黒の夜の海と、波の音しかしない静かな砂浜だけだった。
幼子はおろか、大人の姿すら無い(お祭りの実行委員である大人たちが花火を打ち上げる港は島の反対側だ)。
「どうしたの? イサリ。急に立ち止まったら危ないわよ?」
隣を歩いていたお母さんが屈んで訊ねてくる。
「お母さん。今、女の子の泣き声が聞こえなかった?」
「え? ……イヤねぇ、イサリったら。変なこと言わないで。こんな時間にこんなトコで女の子が泣いていたら怪談よ。気のせいに決まってるわ」
「……それじゃあ今、あっちで何か光らなかった?」
「あっちって、波打ち際のほう? ――空き瓶か何かじゃない? ときどきいるのよね、ゴミを放置していく観光客が」
「そっか……。そうだよね……」
「そうそう。気にしないで早く行きましょう。金魚すくいや綿あめがあなたを待ってるわよ」
「うん……」
「イサリはいつだって良い子だから、今日は特別にお母さんがなんでも買ってあげるわ。いっぱい我儘を言っていいのよ?」
「……うん」
「どうしたの? イサリ。ほら、行きましょう。……もしかして、歩き疲れちゃった? お母さんが久しぶりにオンブしてあげましょうか?」
「…………………」
「……イサリ? どうして泣いているの? ……あっ! 待って、イサリ! どこへ行くの!? そっちは砂浜よ!? 危ないわ、戻ってらっしゃい!」
お母さんの制止を振り切り、ボクは走る。
雑草が茂る斜面を駆け下り、無人の砂浜へと降りて、波打ち際を……先程何かがキラリと光った場所を目指す。
胸に湧き上がる、言いようのない哀しみとともに。
……そして、
「これは……」
そこに辿り着いたボクは、『それ』を見て息を呑んだ。
そこには、菱形を描くように――半ば砂に埋まって、よっつの宝飾品が落ちていた。
内ふたつは、掌サイズの地球儀。どちらもフレームの部分に女神もしくは聖母と思しき女性の彫刻が施されていて、色はそれぞれ蒼と紫だ。
残るふたつは、やはり掌サイズの、女性の彫刻が施された紅いロザリオと翠色の如雨露だった。
そしてそれらの中心に埋まっていたのは、
「油絵……?」
そう――それは二枚の、木の枠組みに填まったA5サイズの油絵で、
「…………ああ、」
その『波打ち際で青いスカートの端を抓んで持ち、波と戯れる金髪の幼い女の子』が描かれた絵と、『大きな帆船をバックに、海面の上で仁王立ちする古式ゆかしい船長の格好をした人物』が描かれた絵を。ボクはよっつの宝飾品とともに掻き集め、ぎゅっと抱き締める。
すべてを、思い出す。
「そうか……そうだったね……本当のボクは……」
「イサリ? どうしたの、そのガラクタ? そんなモノ、捨ててしまいなさい」
背後から『お母さん』が声を掛けてきた。
優しく、そっと諭すように。
「――お母さんと一緒にお祭りに行くんでしょう?」
「ゴメン、母さん。やっぱりボク、お祭りには行けないよ」
ボクは振り返らない。
『お母さん』に背を向けたまま、声を振り絞るように告げる。
「何故? どうしてそんなことを言うの? イサリはお母さんと一緒にお祭りに行くのがイヤなの? ……お母さんのこと、嫌いになっちゃったの?」
…………っ。
「違う……違うよ。ボクが母さんを嫌いになるなんて、そんなこと、あるワケがない……。たとえどんなに辛く、苦しかったとしても……」
「じゃあどうして『お祭りには行けない』なんて言うの?」
「……母さんとお祭りに行く資格なんて、ボクには無いから」
「資格? 子供が親と幸福な時間を過ごすことに、どんな資格が要るというの? ねえ、イサリ。あなたはお母さんがお腹を痛めて産んだ可愛い息子なの。お母さんの子供というだけで、お母さんに愛される資格があるのよ。だから、一緒にお祭りに行きましょう?」
――辛いことはすべて忘れて。
『お母さん』はそう言った。
「そう……だね……。ボクも、出来ればそうしたい……。それが出来たらどんなにいいだろうって……心の底から……狂おしいほどにそう思うよ……」
このままずっと『お母さん』とこの楽園で幸福な日々を送れたらって、そう強く思わずにはいられない。
すべてを投げ出せたら、って。忘れてしまえたら、って。そんな誘惑に駆られずにはいられない。
けど、
「けど、ダメなんだ。だってこれは――――夢なんだから」
「……え?」
「夢は、いつか必ず覚めるものだから。そうでなきゃいけないから。だから、」
「…………いいえ。あなたが魂魄の奥底から望まない限り、この夢から覚めることは決して無いわ」
魂魄の奥底から……?
「永遠に覚めない夢は現実と変わらない。あなたが望めば、こちらが現実になるの。――ねえ、イサリ。ここよりもずっと辛く苦しい現実に、どうしてわざわざ戻らなければならないの? どうしてあなたばかりがそんなに傷付き、大変な思いをしなければならないの? あなたはこれまで沢山耐えてきた――いつだって誰かのために頑張ってきたじゃない。あなたにだって救われる権利が、幸福になる権利があるはずよ?」
「……幸福になる権利」
「そう。誰にだって、生まれてきた以上幸福になる権利があるの」
「…………生まれてきた以上」
刹那、ボクの脳裏に、ヨハネスさんの奥さんが……大きく膨らんだお腹を愛おしそうに撫でるヘレンさんの姿が甦った。
我が子が無事に生まれてくることを願っていた母親の姿が。
「だから、ねっ? お母さんとここで永遠に続く幸福な時間を過ごしましょう? ここが……この楽園が、あなたを救い護ってくれるわ。現実で負った悲しみからね」
「ボクよりも先に救われるべきヒトたちが……護られるべきヒトたちがいるんだ」
今ボクが戦わなきゃ……あの恐ろしい『死の植物』から護らなきゃ、無事に生まれてこられないかもしれない命があるんだよ。
ボクはもう後悔したくないんだ。
「さようなら、母さん。たとえ夢でも……偽りの日々でも。母さんと本当の親子になれてよかった」
「待っ――」
ボクは尚も引き留めようとする『お母さん』と決別すべく、溢れる涙を拭い、夜空めがけて右手を掲げ声高に吼える。
目を覚ますため。
辛い現実へと戻るため。
魂魄の奥底から。
「『月火憑神』――!」
直後、ボクの魂魄が活性化し覚醒、視界が眩い光に包まれ――
「行かないで、イサリ!」
夢から覚める直前、崩壊する偽りの楽園でボクが最後に見た『お母さん』は、両手で顔を覆い泣き崩れていた……。
☽
今日も私はお母さんとあの丘で夜空を見上げていた。
「どうやら今日も流れ星は見つかりそうにないわね、お母さん。探すのはまた明日にして、今夜はそろそろ寝ましょうか」
私は夜空を見上げるのをやめ、隣のお母さんに告げると、ナズナ姉さんとお父さんが待つ家へ帰ろうと踵を返し歩き出す。
が、お母さんは夜空を見上げたまま動かなかった。
「ダメよ、スズラン。今夜こそ絶対に流れ星を見つけるわ。あなたの初恋が実るようにお願いをしないといけないんだから」
っ。
「何を駄々っ子みたいなこと言ってるのよ、お母さん!」
お母さんの言葉に――頑なに動こうとしない後ろ姿に。私は自分でも不思議なくらい苛立ちと焦燥を覚え、つい言葉を荒げてしまった。
「別に明日でもいいじゃない! それとも今夜のうちに見つけなきゃいけない理由でもあるの!?」
「この偽りの楽園で過ごす時間が長引けば長引くほど、目覚めるのが辛くなるわ。……あなたはそろそろ現実を受け容れなきゃ」
――――――。
「何を……言っているの」
「スズラン。本当はもうわかっているんでしょう? これは夢だって」
「どう……して……」
「先日、お母さんの初恋のヒトの話をした際に全部思い出したのよね? 本当の自分はもう大人であることも。お母さんがとっくに死んでいることも」
っ!
「でも、気付かないフリをしていたんでしょう? 辛い現実に戻るのがイヤだったから……」
「……そうよ」
観念し認める。
いつの間にか私の両の眼からは、涙がとめどなく流れていた。
「だって現実は辛いだけなんだもの! お父さんもお母さんも死んでしまって、私は世間の人々から<魔女>として迫害されて……! それに比べたら、ここはまさに楽園だわ! 夢でも偽りでもなんでも構わない! 私はここにいる! お母さんたちと一緒にいるの!」
「……もう。どっちが駄々っ子なのかしら」
お母さんはそう言って笑うと、ゆっくりとこちらへ歩み寄り、私の頭をその胸に埋めるように優しく抱き締めてくれた。
「……スズラン。私が<漂流者>だったばかりに、あなたやナズナには辛い思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」
「お母さんは悪くない……。悪いのは『秩序管理教団』や世間の連中だもの……」
「ありがとう……」
「だから私、流れ星を見つけたらお願いするの。『ずっとここにいられますように』『お父さんやお母さん、ナズナ姉さんと、ここでいつまでも一緒に生きていけますように』って」
「…………本当にそのお願いでいいのね…………?」
え……?
「ねえ、スズラン。思い出して。あなたにとって現実は、辛く苦しいことでいっぱいだったかもしれない。……でも、それだけだった?」
「!」
「生まれてきてよかった――自分は今とても幸福だ。そう思える瞬間が全く無かった? ……お母さんとお父さん、ナズナの他にも、このヒトと出逢えてよかった、このヒトと一緒に生きてみたい――そう思えるヒトはいなかった?」
「…………………」
――イサリクン……。
「確かに現実に戻れば、辛く苦しいこともいっぱいあるでしょう。……でも大丈夫よ、スズラン。あなたの傍には今、『彼』がいるのだから。お母さんとお父さんの代わりに『彼』があなたを護ってくれる。必ず救ってくれるわ。……あの、すっごく優しくて、とっても勇敢で、そして可哀相なくらい強い男の子がね……」
お母さんはそう言って、すっと夜空を指さす。
「!」
釣られて見上げると、そこには、思わず息を呑むほど美しい流れ星が一条、星図の間隙を縫うように翔けていた。
それも、一度だけではなく。何度も、何度も。
グルグルと夜空を廻るみたいに。
……瞬間、ふと思い出す。
昔、お母さんに言われた言葉を。
――『ナズナ。スズラン。お母さんは死んだらお星様になるわ。この月の周り、地球との間をグルグル廻る流れ星になって、あの空からいつもあなたたちを見守ってるから』
嗚呼、あの流れ星はまるで……。
「さあ願いなさい、スズラン。魂魄の奥底から」
「魂魄の奥底から……?」
「そう――あなたの決意をお母さんに聞かせて頂戴」
「……決意……」
――『だから、あなたたちは笑っていてね』
――『お母さんが死んでしまっても……この先どんなに辛いことが待っていても。綻ぶ花のようなその笑顔を、これからもずっとずっと咲かせ続けてね』
――『雨風に打たれてなお気高く咲き誇る、薺や鈴蘭のように』
「っ」
そうだ……。
私は生きなくちゃいけないんだ……。あの現実を……。どんなに辛く、苦しくても……。それで、少しでも幸福になって、笑ってなくちゃいけないんだ……。
お母さんに安心して見守っていてもらえるように――ではなく。
お母さんが心置きなく天国に行けるように。
お星様になったお母さんを、いつまでも暗く淋しい宇宙で彷徨わせないように、だ。
……やっと気付けた……。
ううん……気付かせてもらったんだ。
目の前の『お母さん』に。
「……ありがとう、『お母さん』。たとえ夢でも……偽りの日々でも。お母さんとまた流れ星を探せてよかった」
私は溢れる涙を拭って『お母さん』にそう告げると、目を閉じ、グルグルと夜空を廻る流れ星へ祈る。
「この初恋が実りますように」――――ではなく。
「ずっとここにいられますように」――――でもない。
自分ではなく、お母さんのために。
願うはひとつ。
「Rest in Peace――」
『安らかに眠れ』。
魂魄の奥底からそう祈ると同時、胸に熱い何かが灯ったような感覚がして、視界が眩い光に包まれ――
「行ってらっしゃい……スズラン」
夢から覚める直前、崩壊する偽りの楽園で私が最後に見た『お母さん』は、とても満足げに微笑んでいた……。
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