開幕 蒼き月の海を航るもの-ルナマリアノーツ-(前編)
物語の開幕です(本編序章のそのまた序章的な位置づけとなります)。
「全員、動かないで! 動いたらこの見習いの命は無いわよ!」
雲ひとつ無い蒼穹、帆は言うに及ばず帆柱や艤装すらも白い帆船の甲板に、緊迫した叫びが響き渡る。
「コイツの命が惜しかったら私の言うことを聞きなさい! わかったわね!?」
金髪を肩の上で切り揃えた十代半ばのその少女は、ボクの背後でそう吼えながら、こちらの首筋にナイフの腹をピタピタと押し当ててきた。
「――ハア……」
そんな少女や人質状態のボクと向かい合い、これ見よがしに溜め息をついてみせたのは、『仙女』や『天女』といった存在を彷彿とさせる巫女装束に身を包んだ愛らしい女の子だ。
鴉の濡れ羽のような美しい黒髪をリボン代わりの月下美人でツーサイドアップにしている瑠璃色の瞳のその女の子は、せいぜい十二歳くらいにしか見えないものの、いずれ傾国の美女と呼ばれることになってもおかしくない、そんな美貌を早くも備えていた。
女の子――カグヤが眉根に皺を寄せて、しかめっ面で口を開く。
「……だんなさま。これはいったいどういうこと?」
「『旦那様』ぁ!?」
少女が素っ頓狂な声を上げ、『こんな幼気な女の子に唾をつけてんのかこの男』みたいな目でこちらをジロジロ見てきた。
……そんな目で見ないでほしい。
別にボクが『旦那様』と呼ばせているワケじゃない。彼女が勝手にボクをそう呼んでいるだけだ。
「どういうこと、と訊かれても。見てのとおりだとしか」
「見てわからなかったから訊いてるんだよ。聞いたところによると、だんなさまはいつでも出航できるように急ピッチで補給作業を進めていたみんなに『ちょっと気になることがある!』とだけ言い残して、一人でどこかへ消えちゃったらしいけれど。なんでこんなことになっちゃったの? ほら、わたしだけじゃなく他のみんなも困惑してるよ?」
カグヤの言葉に、中央甲板にいた乗組員全員がうんうんと頷いた。
「いやー実はさー、市場のほうが騒がしかったもんだから、ちょっと気になっちゃって。様子を見に行ったんだけどね。どうも捕り物があったらしくてさ」
「ふぅん。捕り物ね。……でもその様子だと、だんなさまが現場に着いたときにはもう捕り物は終わってたっぽいね」
人口が三千人にも満たない小さな島の寂れた港、露店が並ぶ市場のほうを一瞥し、カグヤは目を眇める。
「うん。一歩遅かったみたい。――でね、現場でこちらの娘さんに声を掛けられたんだ。『もしやあなたは港に停泊している白い帆船の乗組員さんですか?』ってね」
「……それで?」
「『そうです』って答えたら、『帆船に興味があるのですが、船の中を見せていただくことは可能でしょうか?』って訊かれちゃってさ。『むむむ。これはもしや逆ナンというヤツではっ?』なーんて思っちゃったりなんかして」
「…………で、ウキウキとそのコをお持ち帰りしたら、こんなことになっちゃったと」
「そ。いやー参った参った☆」
「まあ、だんなさまがそう言うのならそういうことにしておくけども。このだんなさまは……ホントにもう……。どんだけ厄介事に愛されてるの……。こんな小さな島でも厄介事を抱え込んじゃうなんて。もう一種の才能だよ」
……いや、仕方ないじゃん。厄介事のほうから寄ってくるんだから。
というか、キミにだけは言われたくないぞ。
ボクが現在進行形で巻き込まれている最大の厄介事は、キミにも原因があるじゃないか。
「ちょっと! 何を呑気にくっちゃべってるのよ! このナイフが見えないの!? この見習いの命がどうなってもいいワケ!?」
「「「「「「「見習い……」」」」」」」
ボクの背後で少女が怒鳴ると、カグヤはもちろん乗組員の全員が微苦笑を浮かべる。
まあ、そういう反応になるよね。
でもこの船の乗組員は、その大半がむくつけきオッサンたちなのだ。少女がまだ十六歳のボクを見習いだと判断するのも仕方ない。ボクたちの事情を知らないヒトが見たら誰だってそう思う。ボクだってそう思う。
「ふむ……。それで? 要求はなんじゃ? 少女よ、お主はこの船に――妾たちに何を望む?」
そう訊ねたのは、この船の女性乗組員の制服である『セイラー服の襟がついたスクール水着』みたいな衣装に身を包んだ二十歳手前のお姉さんだった。
艶のある黒髪を腰まで伸ばし、前髪を綺麗に切り揃えた、京都辺りの旧家のご令嬢といった雰囲気を醸すこの美女の名前はツバキ。
胸の位置に縫い付けられているゼッケンに、ミミズがのたくったような字で記された『おふぃさぁ』の文字が示すとおり、彼女はこの船の『航海士』である。
……ついでに、れっきとしたお姫様だったりもするのだが。
「今すぐ出航して! あの船を追いかけて!」
そう言って少女が指さしたのは、沖合に見える、今さっきこの島を出航したばかりの別の船だった。
黄金色に塗り上げられた船尾楼に聳えるデカい女神像がここからでも視認できる、成金趣味全開な艤装の横帆船だ。
「……あのバークを? あの船を追いかけてほしいということは……もしやお主、」
「ツバキ」
ボクがツバキの言葉を遮り、小さく頭を振ると、彼女はハア……と溜め息をついた。
「最初からすべて承知の上で、か。――相変わらずお人好しじゃな、旦那様は」
「!?」
少女がぎょっとし、こんな大人の色香が漂うお姉さんにまで旦那様と呼ばれているなんてどーなってるんだこの見習いは、とでも言いたそうな目をこちらへと向けてきた。……いろいろあるんですよ……。
「まあ、よかろ。――出航じゃ! 抜錨! 巻き上げ機回せ! 総帆、展け!」
「「「「「「「了解!」」」」」」」
ツバキの号令を受けて、作務衣に似た男性乗組員の制服に身を包んだオッサンたちが散開、慌ただしく持ち場へと戻る。
やがて錨が上がり、帆が風を孕んで、ギギギギ……という重々しい音とともに船がゆっくりと動き出した。
「操舵手! 注文が厳しくなるぞ! 見張り! 向こうの船に不審な動きがあったらすぐ報告するんじゃぞ! 主計長! 手が空いている男衆は全員使っていい、港で補給した物資をすぐに甲板から船倉へ移せ!」
テキパキと指示を出すツバキと、その指示に黙って従う乗組員たちを見て、背後の少女は潮風に髪を揺らしながら「驚きだわ……」と意外そうに呟く。
「正直、こんなにすんなり従ってくれるとは思わなかった。『見習いの命なんてどうでもいい』と突っぱねられるものとばかり」
「まあ、元々あの船を追う予定だったしね」
「え?」
「……なんでもない」
「ていうかこの船、妙に女性の乗組員が多いわね……? しかも黒髪に赤髪、金髪に銀髪と統一感が無いし。オマケに若いコばかり。ここから確認できるだけでも十人はいるじゃない。こういう帆船って基本的に男社会のはずなのに」
「……ちょっと特殊な集まりなもんで」
「そうね。あなたはあなたで遠目には女の子みたいな容姿だし」
「容姿は関係なくない!?」
母親譲りの童顔のせいで小学生のころはしょっちゅう女の子に間違われていた過去は、ボクのコンプレックスなのだ。あまり弄らないでほしい。
「そういえば、その黒髪と黒瞳……。あなたたち、ヤポネシアとかニライカナイとか、あのへんの出身なの?」
ボクとカグヤを順繰りに見ながら、少女が訊ねてくる。
「……そう言うキミは?」
「……質問に質問で返さないで」
「ヤポネシア出身なのは、あっちで指示を飛ばしてるツバキって名前のお姉さんと、操帆要員の男衆だけだよ。ボクとカグヤ――そこの自称・仙女サマは、黒髪だけど別のところ出身」
「……仙女?」
「あくまで自称だけどね」
ボクがそう言うと、カグヤは巫女装束を翻してその場でクルリと回り、「自称・仙女のカグヤだよ☆」とピースをした。なんだそのあざとい自己紹介。あと自分で『自称』言うな。
背中にジトッ……とした少女の視線を感じる……。
「………………。自称・仙女さんのことはひとまず脇に置いておいて、あなたはどこ出身なワケ?」
「日本ってトコだけど」
「!?」
ボクの返答に、少女は案の定『何言ってんだコイツ』という顔をした。
「馬鹿を言わないで! それだとあなたはこの月の出身じゃない――地球人だってことになっちゃうじゃない!」
「そうだよ?」
ボクは蒼穹に浮かぶ雪と氷で閉ざされた地球を見上げ首肯する。
「ボクは地球人――所謂<漂流者>ってヤツさ」
――<漂流者>。
それはこの水で満たされた蒼き月の海――ルナマリアへ、時間と空間を超えて流れ着いた地球人のことを指す。
その存在が確認され始めたのはここ三十年以内のことで、<漂流者>が元々生きていた時代、場所は、現代日本だったり第二次世界大戦中の欧州だったりと様々だ。
何故<漂流者>たちは時間と空間を超えることになったのか? それは誰にもわからない。
そしてもうひとつの特徴が、
「あり得ないわ! <漂流者>は十代から二十代の見目麗しい女性だけのはずよ!」
そう……<漂流者>に男性はいないということだった。
いや、『いなかった』と言うべきか。
「これまではそうだったらしいね。ボクは史上初の男性版<漂流者>なんだよ」
「なっ……」
信じられない、というふうに絶句する少女。まあ、無理もない。
「本当だよ?」
と、カグヤが太鼓判を押す。
「だんなさまはね、ルーナってコと一緒に、ちょっと前にこの蒼き月の海へ流れ着いたばかりなんだ。流れ着いてすぐにこの船に保護されて――そして、ルーナ共々この船の一員になったんだよ」
「そんな……まさか本当に……?」
「うん。ボクが元々いたのは二十一世紀の日本なんだ。どこにでもいるごく普通の高校生だったんだよ」
「高校生……」
「まあ、恋人はおろか親しい友人すらろくにいない寂しい青春を送ってたんだけどね……。所謂非モテの陰キャってヤツさ……。今思うとホント、家業の手伝いと武術の修練がメインの灰色の日々だったなぁ……」
「悲しいわね」
「女の子と楽しくお喋りした記憶すらほぼ無いし……。その代わりってワケでもないけれど、ボクを雑魚扱いする生意気な従妹に毎日振り回されていたし……」
「居た堪れないわね」
「――ところでさ。日本って聞いただけで地球人だってわかるってことは、キミも<漂流者>なんだよね?」
「!」
少女が『しまった』という表情をした。
「ボク、イサリって名前なんだけど。キミは? どこ出身?」
「……クレア。二十世紀のイギリス出身よ」
ダメ元で訊いてみたのだけれど、意外にも少女――クレアはアッサリ名乗ってくれた。
「クレア。ひとつ訊いてもいい? キミ、あの横帆船になんの用があるんだい?」
「……妹が攫われたのよ。あの船に乗ってる連中に」
「妹? キミ、妹さんと一緒にこの蒼き月の海に流れ着いたの?」
「違うわ。妹と言っても血は繋がってないの。あのコ――ユーノは、恩人の娘さんなのよ」
「恩人」
「そう。二年前、ある島の浜辺に流れ着いた私を発見し介抱してくれたヒト。そして私にこっちの言語を教えてくれたヒト。――そのヒトの娘さんなのよ、ユーノは」
「ふぅん……運が良かったね、キミ。言葉も通じなければ文化のレベルも違うこの蒼き月の海に流れ着いた地球人の運命は、ぶっちゃけ『親切な現地人と出逢えるかどうか』にかかっているもん」
なにしろ『気が付いたら独りで流れ着いていた。原因はわからない』ってケースがほとんどだし。
ちなみにこの蒼き月の海の文化のレベルは地球なら産業革命よりも以前に相当する。
飛行機? 車? 列車? 内燃機関? 蒸気機関? 何それ? ってレベルだ。
そのため外洋を航る手段は帆船くらいしか無い。
「そうね。不幸中の幸いだったわ。――そういえばあなたはこっちへ流れ着いたばかりなのよね? その割に随分と流暢にこっちの言語を喋ってるけど」
「まあね。ちょっとしたチートを使ってるもんで」
「え?」
「なんでもない。――で、キミの恩人さんは今どこに?」
「……亡くなったわ。病で。半月ほど前にね」
「じゃあ、この半月、キミがずっとユーノちゃんの面倒を?」
「そうよ。事情があって以前住んでいたところに住めなくなっちゃって。二人で貿易船に密航したんだけど……」
「事情ね。――それで?」
「貿易船があの島に寄港したタイミングで見つかりそうになって。仕方がないから隙を見て下船して、雨露を凌げそうなところを探していたら、直後に寄港した『あの連中』に目を付けられてしまって……」
「それはツイてなかったね」
よくある話だけど。
「まったくよ。私たちはただ平穏に暮らしたいだけ……。そのために『楽園』を探していただけなのに……」
「『楽園』?」
「………………。噂よ。近頃この辺りで急速に広まってる」
「ほうほう」
「知らないの?」
「どんな噂なんだい?」
「どんなに人々から忌み嫌われ、憎まれている者でもあっても、受け容れてくれる地、平穏に暮らせる隠れ里のような場所がこの海のどこかにあるらしいの」
「へえ……ほぉ……ふぅん……順調に広まってるようで何より」
「え?」
「なんでもない」
「……『なんでもない』ばっかね、あなた」
「気にしないで。――それで? キミたちはその『楽園』を探してここまで?」
「そうよ。私とユーノには、もうその噂だけが希望なの。だから二人で密航を……」
「なるほど。――でも、恩人の娘さんとはいえ血も繋がっていない女の子のためにそこまでするとはね」
「っ。悪い!? たとえ血は繋がっていなくても、私にとってユーノはもう大切な家族なの! 可愛い妹なのよ! 私は必ずユーノを『楽園』へ連れていってみせる! そのためにも絶対ユーノをあの船から救い出してみせるわ! どんな手を使ってもね! 何か文句ある!?」
「キミは首筋にナイフを突きつけている相手に『文句ある!?』と訊いて、『無いです』という答えが返ってくると思う?」
「う。」
「まあ、でも、血も繋がっていない女の子のために必死になれるキミは、とても素敵な女性だと思うよ」
「え……」
「ちょっとだんなさま――」
ボクの言葉にクレアが息を呑み、カグヤが頬を膨らませたそのとき。
「報告! 敵船、こちらの追跡に気付いた模様! 右舷10度・距離1海里で回頭し、こちらへ向かってきますわ!」
30m近い高さがある一番前の帆檣の真ん中よりもやや上のほう、半月状の『檣楼』と呼ばれる見張り台で、銀髪の少女が叫んだ。
「見張り! 確かなんじゃな!?」
「間違いありませんわ、ツバキさん!」
「……気付かれちゃったね」とカグヤ。
「気付かれるよね、そりゃあ。こんだけ露骨に後を追いかければさ」
「でもまさか向こうから来るなんて……。迎え撃つ気満々ってことだよね、これ」
「たぶん、こっちをただの海賊だと思ってるんじゃないかな」
「それにしたって大した自信じゃない?」
「そうだね。乗せている護衛の実力によっぽど自信があるのか……もしくは」
「……『奥の手』があるのか?」
「そうなるね」
「大丈夫かな?」
「こっちの目的が目的だけに、どのみち戦いは避けられないんだ。やるしかないさ。こんだけ沖合まで来れば無関係の人間を巻き込むことはないだろうし」
「た、戦い?」ボクとカグヤのやりとり聞いていたクレアが息を呑む。「戦いになるの?」
何を今更。
「キミの妹さんや他にもいるに違いない捕まっているヒトたちを助けようと思ったら、どうしたって戦いは避けられないさ。『返してくれ』と言ったところで、大人しく返してくれるワケが無いんだから」
ちなみにこの蒼き月の海に大砲や銃といったモノは存在しないため、この場合の戦いとは船同士の砲撃戦や銃撃戦ではなく、乗組員が相手の船に乗り込んでの斬り合い――つまり白兵戦を意味する。
「――それに向こうは自分たちを正義だと思っていて、自分たちには神様のご加護があると固く信じてるしね」
「ま、待って! あなた、あの船がどういう船か最初からわかってて――」
「まあ、あんな悪趣味な横帆船を使ってるの、『あの連中』しかいないしね」
「総員、戦闘配置!」
肩を竦めるボクの視界の隅でツバキが声を張り上げ、白塗りの棍や剣、弓矢、薙刀などを手にした面々が中央甲板に集まる。
すると、そのうちの一人、長く伸ばした白髪を紐でまとめた六十代半ばくらいの老爺がこちらを見て、
「ほっほっほっ。そろそろ荒事が始まりそうだと孫娘たちに呼ばれて来てみれば、何やら面白いことになっていますな婿殿」
顎にたっぷりと蓄えた白い髭を撫でながら揶揄ってきた。
また、
「ふむ。イマイチ状況が呑み込めんが……カグヤ嬢や他の面々が平然としているところを見るに、あれは余興のようなモノと考えてよさそうですな」
「そうだねぇ。相変わらず物好きなことだ。まあ、彼のことだから何か考えがあってのことなんだろうが。――いや、案外、いろいろ面倒くさくて状況に流されているだけなのかな? それはそれで彼らしいが」
老爺の右隣では厳つい面相をした黒髪と黒瞳の三十代後半くらいの偉丈夫が苦笑を浮かべ、左隣では焦げ茶色の髪と瞳を持つ軽薄な雰囲気と抜身の刃のような鋭い気配を兼ね備えた二十代半ばの男が「やれやれ」と肩を竦めている。
全員、クレアにナイフを突きつけられているボクを見ても平然としており、その上好き勝手言ってくれていた。
……と思ったら、
「イサリ。あの横帆船の制圧はワタクシたちに任せておきなサイ。あなたは連中に『奥の手』があったときだけ頼むワ」
片言で喋る、墨を流したような黒髪を白いリボンで結わえてポニーテールにしている長身の美女だけは、クレアを睨み敵愾心を剥き出しにしている。
「他のみんなもちょっとくらいボクを心配してくれてもいいと思うんだけどなぁ」
「あなた、あまり人望が無いのね。まあ、見習いじゃあこんなもんか」
クレアから同情と憐憫の眼差しを向けられる。辛ぁい……。
「違うよ。だんなさまに人望が無いワケじゃない」
するとカグヤがクレアに噛みついた。
「みんなわかってるだけだよ。自分たちごときがだんなさまの身を案じようなんて烏滸がましいって。何せだんなさまには神様がついてるんだからね」
ちょっ……。
「え? 神……?」
「な、なんでもない! このコが言ったことは気にしないで。――こら、カグヤ」
「ごめんごめん☆ つい口が滑っちゃった」
「???」
――なんてやりとりをしているうちに、あちらの船は目と鼻の先まで迫っていた。
お互いの舳先と舳先の距離はもう100mも無いだろう。
……さて。
「ツバキ! あっちの行き足は今に止まることになる! いつもどおりこっちの船首をあっちの船尾につけてくれ!」
「!?」
「わかっておる。捕まっている者たちは皆、あの船尾楼に聳えるデカい女神像のところに居るんじゃろ」
突然声を張り上げて指示を飛ばしたボクに、クレアはぎょっとし、ツバキは頷く。
「ちょ、ちょっと待ってよ! なんで見習いのあなたが指示してるの!? だいたい『あっちの行き足は今に止まることになる』って、なんでそんなことがわか――」
そこでクレアは言葉を呑み込んだ。
おそらく、彼女の目にも映ったのだろう――蒼穹を引き裂いて飛来する『それ』が。
『それ』はひとつの小さな火の玉。――即ち隕石だった。
直径5mのほどのその隕石は轟音とともにあっちの船の目の前、海面に衝突すると、盛大な水飛沫と衝撃波を発生させる。
その影響をマトモに受けたあっちの船は、もんどりを打つように傾いてその動きを止めた。
直後、三本ある帆檣のうちの一本が根元から折れて甲板に倒れる。
無論、多少ではあるが、影響はこちらにもあった。ギギギ……と軋むような音を立てて船体が大きく傾き、舞い上がった海水がザァァァァ……と降り注ぐ。
……まあ、みんなもう慣れたもので、びしょ濡れになりつつも船体のあちこちに掴まって平然と立っていたが。
クレア以外は。
「きゃあっ!」
「おっと」
衝撃でナイフを落とし、尻餅をつきそうになるクレアの腕を掴んで支える。
しばし茫然としていた彼女は、やがてハッと我に返ると、こちらに詰め寄ってきた。
「ど……どういうことよ!? なんで都合良く隕石が降ってきたの!? でもって、なんであなたはそれを予測できたワケ!?」
「えーと……」
「ハッ!? もしや、今の隕石はあなたの仕業!?」
「まっさかー」目を逸らし、しらばっくれるボク。「神様じゃないんだから。そんなこと出来るワケがないじゃない」
「で、でも、だったらなんで、」
「偶然だよ偶然」
「ぐ、ぐーぜん?」
「そう、偶然。いやー、ラッキーだったね。このタイミングで隕石が降ってきて、あっちの行き足を止めてくれるなんてさ。きっと神様が妹想いなキミの味方をしてくれたんだよ」
「………………」
……うん。この顔は欠片ほども納得してないな。当然といえば当然だけど。
でも、説明すると長くなるし、したところで信じてもらえるとも思えないしな。
実はこの身には、この月と地球を作った神様たちが宿っていて、そのうちの一柱のチカラを借りてあの隕石を降らせたんだよ――なんてさ。
「よし、向こうの行き足が止まった! 行くぞ、皆の衆! ――面舵いっぱい! ミズンスパンカー張れ! 船尾を流すんじゃ!」
「「「「「「「了解!」」」」」」」
「――今じゃ! フォアトップスル逆帆!」
「「「「「「「了解!」」」」」」」
ツバキの号令のもと操舵手の赤毛の少女が操舵を、男衆が操帆を行い、ボクたちの船はあっちの船とすれ違いざまに180度回頭、向こうの船尾に船首をピッタリとつける。
お互いが完全に停船したとき、向こうの船尾とこちらの船首は3mも離れていなかった。
「……相変わらず曲芸じみた操船をするなぁ、ウチの乗組員たちは」
いくらこの船が小回りのききやすい縦帆船、トップスル・スクーナーだとは言っても、内燃機関を持たない、風の力だけを動力とする帆船で、今の動きはハッキリ言って変態機動だ。
常人には読めない風を読み、絶妙なタイミングで指示を出すツバキも。
そんなツバキの指示に、寸分の遅れも無く舵を操る操舵手の少女も。
いくつもの帆を、まるで己が手足のように操る他の乗組員たちも。
全員が変態だ。
ボクの仲間、変態しかいない。
「まあ、それを言ったらだんなさまが一番の変態だけどね」
「どういう意味だ」
カグヤにしっかりツッコんでから、船首楼甲板へと移動する。
「ちょ、ちょっと! 勝手にどこ行くのよ!?」
慌ててついてくるクレアを尻目にあっちの船の甲板の様子を窺うと、案の定てんやわんやの大騒ぎになっていた。指揮官と思しき人物の「お、応戦準備! 早くしろ! 海賊が乗り込んでくるぞ!」という上擦った声が聞こえる。
「海賊じゃないんだけどな、ボクたち」
まあ、向こうからしてみれば招かれざる客なのは変わらないか。
「それじゃあ行ってくるワ、イサリ」
「ほっほっほっ。婿殿はそこで高みの見物をしていてくだされ」
愚痴るボクを尻目に、各々得意とする得物を手にした仲間たちが、船首斜檣と呼ばれる舳先の棒伝いにあっちの船へ跳び移っていく。
「おのれ! 賊どもめ!」「なんと罰当たりな!」「覚悟しろ!」
それを迎え撃つ、剣や槍を手にし革製の鎧に身を包んだ向こうの水兵たち。その数、およそ二十。
かくして戦いの火蓋は切られ――アッサリ趨勢は決まった。
剣戟の音や悲鳴が上がるたびにあっちの水兵が崩れ落ち、次々と動かなくなっていく。
「ほっほっほっ。手応えが無いのう」
「命が惜しい者は去れ! 海に飛び込むがいい!」
「……とか言っているうちにあらかた片付いちゃったみたいだねぇ」
圧倒的じゃないか、我が軍は。いや軍じゃないけど。
「サア、みんな! あの白い船に跳び移っテ! そうしたらもう安全ヨ!」
「「「「「「「はい!」」」」」」」
あ、捕まっていたヒトたちも無事救出できたみたいだ。ボクの仲間に先導されて、十人ほどの集団がこちらへ駆けてくる。ひい……ふう……みい……、若い女の子は五人か。ということは彼女たちが……。で、残りはみんな、その父親や母親っぽいな。どうやら今回は高齢のかたはいらっしゃらないようだ。
「ユーノ!」
ボクの隣で瞳に涙を溜めたクレアが歓喜の声を上げる。こちらへと駆けてくるヒトたちの中に妹の姿を見つけたらしい。良かった、無事だったか。
「よし。みんな! 救出したヒトたちが全員こっちに跳び移ったら、みんなも撤収を――」
ボクがあっちの船でまだ戦っている仲間たちに声を掛けようとした、その瞬間だった。
「おのれぇぇぇぇぇぇ貴様らぁぁぁぁぁぁっ!」
怒りと恥辱、憎悪に燃える叫びが海原に木霊した。
声の主は、あっちの船の一番前の帆檣の見張り台に登り、眼下を睥睨している、司祭のような衣装に身を包んだ中年の男だった。
「赦さん! 赦さんぞぉ! 見よ、神より賜りし奇蹟のチカラを!」
「!」
男が咆哮しながら天高く翳したモノ――禍々しい赤銅色のハンドベルを見て、ボクは「ちっ」と舌打ちする。
「やっぱ『奥の手』があったか」
――どうやらボクの出番のようだ。
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