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最後の地球人♂、仙女や魔女と月の海を航る ~ルナマリアノーツ~  作者: 和泉 健星
開幕 蒼き月の海を航るもの ―ルナマリアノーツ―
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開幕 蒼き月の海を航るもの-ルナマリアノーツ-(後編)

後編です。次話からはいよいよ本編。

♯0(本編プロローグ)を挟んで、♯1が旅の始まりとなります。





 リィィィィィィィィィィ……ン……



 豪奢(ごうしゃ)な法衣に身を包み、女神っぽい刺繍が施された司教冠(ミトラ)を頭に載せた四十代くらいのその男が、掲(かか)げた赤銅色(しゃくどういろ)のハンドベルを鳴らすと、変化はすぐに生じた。


 ボコッ、ボコッ、と男の全身の筋肉がたちまち変色・肥大化し、ヒト以外の何かへとその姿を変えていく。


 ――『変身』していく。


「な……何よあれ……。私、悪い夢でも見ているの……?」


 ボクの隣で、クレアが震える声で呟く。


「もはや人間とは言えないね、あれは」


 そう言ったのは、自称・仙女のカグヤだった。

 彼女は『変身』した男を眇(すが)めた瞳で睨み、吐き捨てるように言う。


「ただの化け物だよ。そして残念ながらこれは夢じゃない。現実だ」


 そう。男の姿はもはや人間とは呼べない異形(いぎょう)と化していた。

 身長は6mほどか。全身が黒い毛に覆われていて、腕が四本に増え、垂直に割れた頭頂部には牙が生えた巨大な口が付いている。


 どこからどう見ても立派な化け物――怪人だ。



 ――キェェェェェェェェェェッ!



 金切り声のような奇声を上げて、怪人が一番前の帆檣(フォアマスト)の見張り台――30m近い高さから飛び降りる。

 そして中央甲板(メインデッキ)にドスン! と着地した怪人は、そこに倒れていた水兵を四本の腕で空中へ持ち上げると、頭頂部の大きな口でボリボリと貪り喰い始めた。


「な……」


 これにはボクも絶句してしまう。


 まさかヒトを……それも自分の配下を食べるとは……。


『フハハハハハッ! 漲(みなぎ)る! 漲るぞ! あの御方が仰(おっしゃ)ったとおりだ! ヒトを喰えば喰うほど全身に力が漲っていくのを感じる……! もっとだ! もっと喰わせろ!』


 げ。喋(しゃべ)った。まだ喋れたのかアイツ(なんか機械越しみたいな変な声だけど)。


 あんな形(ナリ)でもヒトとしての意識が残っているのか。


 それなのに――平気でヒトを喰えるのか。


「どうやら精神(こころ)のほうは、とっくに人間じゃなかったみたいだな」


 ボクは気絶している水兵たちを次々と喰らっていく怪人――『人喰い』とでも呼ぼうか――を尻目に、まだ向こうの船に残っている仲間たちへ叫ぶ。


「みんな! そいつには手を出すな! 早く戻ってくるんだ!」


 捕まっていたヒトたちは皆(みな)、ちょうどこちらの船へ船首斜檣(バウスプリット)伝(づた)いに避難を完了したところだ。海面までの高さに怖じ気づいて自力で渡れなかった女の子が一人いたが、そのコはボクが迎えに行ってお姫様抱っこで運んであげた。


 どうやらその緩(ゆる)く波打つ金髪をショートカットにした十二歳くらいの美少女こそがクレアの妹分だったようで、


「ユーノ!」

「お姉ちゃん!」


 駆け寄ってきたクレアとユーノはひっしと抱き合い、互いの無事を喜び合う。


「ユーノ! 怪我は無い!? ごめんね、あなたが市場(いちば)で捕まってしまったとき、何もしてあげられなくて……」

「大丈夫だよ、お姉ちゃん! どこも怪我してないよ! ボクこそごめんなさい、人(・)前(・)で(・)う(・)っ(・)か(・)り(・)チ(・)カ(・)ラ(・)を(・)使(・)っ(・)ち(・)ゃ(・)っ(・)て(・)……。そ(・)の(・)せ(・)い(・)で(・)正(・)体(・)が(・)バ(・)レ(・)ち(・)ゃ(・)っ(・)て(・)……」

「ああ……ユーノ……」

「お姉ちゃん……」


 その感動の再会、血の繋がらない美人姉妹の百合百合(ゆりゆり)しい……もとい美しい光景を後方彼氏面でウンウン頷きながらいつまでも眺めていたいところだったが、残念ながら今はそれどころではなかった。


「クレア。ユーノ。みんなと一緒に下がってるんだ」

「「えっ」」


 指示に従い戻ってきたメンバーにクレアとユーノ(まさかのボクっ娘(こ)と判明)を任せ、ボクは歩き出す。


 一人。みんなとは逆方向――『人喰い』が待つ横帆船(バーク)のほうへ。


 が、


「ちょ……ちょっと待ってよ! どこへ行くつもり!?」


 船首斜檣(バウスプリット)へ足を掛けたボクの腕をクレアが掴み、引きとめてきた。


「まさかあなた、自分が囮(おとり)になるつもり!? 自分があの化け物を引き付けている間にこの船をここから逃がそうというの!? まだ見習いだからって、なんであなたがそんな貧乏くじを引かなきゃいけないのよ!?」

「――クレア。だんなさまは見習いなんかじゃないよ?」


 気まずさから頭を掻くボクの代わりに、カグヤが種明かしをしてくれた。


「だんなさまこそが、この船――『トゥオネラ・ヨーツェン』の船長なんだ」


 しばしの沈黙。


 やがて、


「…………え? せんちょう?」


 信じられない、という顔でクレアがオウム返しをする。


「まあ、お飾りに近い船長だけどね。実はそうなんだ」


 ボクはそう言って肩を竦(すく)め、


「ごめん、黙ってて。なんとなく言い出しにくくてさ」


 呆気(あっけ)にとられているクレアの頭を撫でた。

 そしてこちらの腕を掴むクレアの手をそっと外し、


「ボクが行くのは囮になるためじゃない。船長として乗組員(クルー)のみんなを護るため。――闘うためだ」


 告げて、船首斜檣(バウスプリット)の上を一気に駆け抜け跳躍。『人喰い』が待つ横帆船(バーク)の甲板(デッキ)に着地する。


 単身、戦場へと降り立つ。


『ほう? 神より賜(たまわ)りし奇蹟のチカラで「変身」したこの私に、貴様一人で立ち向かうつもりか? 大した度胸だな』


 甲板(デッキ)に倒れていた水兵たちをあらかた喰い尽くした『人喰い』が、こちらに気付いて振り返る。


「ひとつ訊いてもいい?」


 ボクは鮮血で赤く染まった甲板(デッキ)を見渡し、気になったことを訊ねた。


「なんで配下を喰った? どうもヒトを喰うことでパワーアップ出来るみたいだけど……人間(ボクたち)相手にそこまでする必要が?」

『残念だが、私の配下は穢(けが)れてしまった可能性があるのでね』

「穢れてしまった?」

『先程貴様の仲間たちのせいで、捕まえていた連中が脱走してしまっただろう? あのとき、逃がすまいと、捕まえていた連中に触れてしまった者がいたのだよ。それも何人もな』

「……それで?」

『知らんのか? <(・)魔(・)女(・)>(・)に触れた者はな、魂魄(タマシイ)が穢れてしまうのだ。穢れてしまった者を生かしてはおけん。だが乱戦になってしまったせいで、どの兵が穢れたのかわからなくなってしまった』

「だから全員喰ってしまうのが最も手っ取り早かった……と?」

『そういうことだ』


 首肯(しゅこう)して、「くっくっくっ」と笑う『人喰い』。


「……穢れてしまった者を喰って、アンタは穢れないワケ?」

『私だけは大丈夫なのだよ! 見てのとおり神の寵愛を得ているのでな!』

「ふぅん……。身勝手な理屈だね」


 なんでどいつもこいつも自分だけは特別だと思えるんだ、コイツらは。


『私からもひとつ質問しよう』

「? なんだい?」

『先程私が<魔女>という単語を口にしても、貴様は一切の動揺を見せなかったな。まさかあの者たちが<魔女>とその身内だということを承知の上で助けにきたのか?』

「…………<魔女>、か」


 ――<魔女>。


 それは地球で生まれ、時空を超えてこの蒼き月の海(ルナマリア)へ流れ着いた地球人の女性……<漂流者>と、この月で生まれた男性の間に出来た子供のことを指す。


 両者の間に出来る子供は必ず女児で、一時的に腕力の底上げが可能だったり、超常的な勘の冴えを発揮できたりと、生まれつき不思議なチカラを持っているものなのだが……、


『<魔女>はこの世界を滅ぼすため生まれてくる、忌(い)むべき存在! 触れればこちらの魂魄(タマシイ)まで穢れてしまう生きとし生ける者すべての敵だ! それを承知の上で助けるというのか!? あの者たちを受け容れてくれる場所など、この世界のどこにも存在せんのだぞ!』


 ……そう。<魔女>と呼ばれる者たちに――世界中の人々から忌み嫌われ憎まれている彼女たちに、居場所は無い。


 いや――『無かった』。


 これまでは。


「心配ご無用。この蒼き月の海(ルナマリア)にもちゃんとあるんだ。<魔女>と呼ばれている者たちとその身内が安心して暮らせる場所が」


 彼女たちがずっと探していた逃げ場。安住の地。隠れ里。理想郷。……『楽園』が。


「ボクたちが創造(つく)ったからね」


 ボクの言葉に、『人喰い』がピクッ……と反応する。


『そうか! 先日耳にした「この海のどこかに、人々から忌み嫌われている者でも平穏に暮らせる隠れ里がある」という噂。あのくだらない噂は貴様らが流布(るふ)したモノだな!? 世界中の<魔女>とその身内に希望を与えるために!』

「ご明察」

『まさか貴様ら、世界中の<魔女>とその身内を救うつもりか!? そんなことが出来るとでも思っているのか!?』

「思ってないさ。……思ってないけど、この目に留(と)まったヒトたちがごく普通の幸せを掴むための手助けくらいは出来ればと思ってる」


 乗りかかった船ってヤツさ。いろいろあったんだよ、ボクにも。


『愚かな……。世界の敵とも言える<魔女>とその身内の肩を持とうなど……』

「ボクから言わせれば愚かなのはアンタら教(・)団(・)のほうだ。アンタみたいな司祭はその筆頭だな」

『ほう……。我々が何者か知ってての狼藉(ろうぜき)というワケか』

「もちろん知ってるさ。罪無き女性たちに<魔女>というレッテルを貼り、迫害することで、人々の間に軋轢(あつれき)と分断を齎(もたら)す悪魔の教徒どもめ」


 彼女たちが世界中の人々から忌み嫌われることになったそもそもの原因は、コイツらが広めた教義、『神託』とやらのせいなのだ。


 そう。コイツらは世界中に根を張り、迷信をバラまいて、『断罪』という名目で罪無き女性たちを攫(さら)い処刑している狂信者の集まり。


 邪宗《じゃしゅう》組織――『秩序管理教団』。


 これまでボクが幾度も対峙してきた悪党ども……。


『よかろう! 互いの信念、正義を賭けて殺し合おうではないか! 勝ったほうが真の正義だ!』

「生憎、ボクは正義なんて曖昧なモノのために戦ったりはしない。ボクが戦うのは目の前で涙を流している人々のため――彼女たちを放っておけない自分自身のためだ」

『なんでも構わん! いずれにせよ、貴様は今日ここで死ぬのだからな! さあ、覚悟するがいい!』


 吼えて、『人喰い』は一足飛びでこちらの懐(ふところ)へ飛び込んでくると、四本ある腕のひとつを横薙ぎにする。


「っ!」


 ボクは想定を遥かに上回るスピード、轟音とともに襲ってきた丸太のようなそれを両腕の十字防御(クロスアームブロック)で受け止め――――そしてそのまま殴り飛ばされた。


「………………!」


 いとも容易(たやす)く吹き飛ばされたボクは、気付いたときには甲板(デッキ)から転落し海面に叩きつけられていた。






              ☽






「ああっ……」


 私はその一部始終――イサリが海面に叩きつけられ、そのまま海の底へ沈んでいく様を、呆然と見届けることしか出来なかった。


「そんな……、イサリ……」


 海面に出来た大きな波紋を見つめ、私は項垂(うなだ)れる。



 ――「まあ、でも、血も繋がっていない女の子のためにそこまで必死になれるキミは、とっても素敵な女性だと思うよ」



 彼がくれた言葉、笑顔が不意に脳裏に甦り……気付けば私は大粒の涙を零していた。


「イサリ……!」


 そんな私の嗚咽(おえつ)を遮るように、


『ハッハッハッ! 口ほどにもない! あの威勢の良さはなんだったのだ!?』


 司祭が『変身』した化け物が哄笑を上げる。


『――さて。このまま「断罪」に取り掛かるか。船ごと沈めてくれるわ』


 そして化け物は、こちらへと向かってきた。


『このゴスポル様の手に掛かって死ねること、光栄に思うがいい!』

「ひっ」

「お姉ちゃん……!」


 私は恐怖で腰を抜かし、ユーノを抱き締めガタガタと震える。


 そんな私たちを庇うように、イサリの仲間たちが化け物の前に立ちはだかろうとするが、勝敗は火を見るよりも明らかだった――どんな歴戦の猛者(もさ)だろうと、ヒトの身であの化け物に太刀打ちできるワケが無い。


 あの化け物がこちらの船に乗り込んできたときが殺戮ショーの始まり。私たちの最期だ。


 私たちは――今日ここで死ぬ。


「うっ……ううっ……」


 絶望に打ちひしがれたそのとき。



「――大丈夫だよ」



 仙女の囁きが私の耳朶(じだ)を打った。


「えっ?」


 振り向き、仙女の横顔を見つめる。


 彼女――カグヤは、慌てていなければ、絶望してもいなかった。


 冷静に――悠然と。

 こちらへ向かってくる化け物を見据え。

 その口元に、小さな笑みすら浮かべていた。


 ……いや、彼女だけではない。

 周りにいるイサリの仲間たち全員がそうだ。


 この状況で誰一人悲嘆に暮れていない。

 絶望していない。


 ……というより、これは……。


「誰一人イサリが死んだとは思っていない……?」


 私の独白が聴こえたのだろう、カグヤが振り向く。


「良いことを教えてあげる。わたしたちの船長はね、とっても強いんだ。この月と地球を創造(つく)った神様たちが認め、そのチカラを貸す、宇宙最強の少年なんだよ」

「…………え?」


 ――その瞬間だった。



 ドドド……ドドドドドドドドド……!



 轟音とともに海が膨れ上がった。


 視界の隅。ちょうどイサリが叩きつけられ、そのまま沈んでいった辺りで。


 先程よりも遥かに盛大な水飛沫とともに。

 まるで津波が押し寄せてきたみたいに。


 ゆっくりと海面が持ち上がり――『それ』が姿を現した。


「まさかあれは……潜水艦!?」

「違うよお姉ちゃん! あれは鯨(くじら)さんだよ! 真っ白な鯨さんだ!」


 そう。ユーノの言うとおり、『それ』の正体は鯨だった。


 全長30mはありそうな、異常なくらい全身が真っ白なシロナガスクジラだ。


 海が膨れ上がったように見えたのは、あのシロナガスクジラが海中から勢いよくその半身を覗かせたせいだったのだ!


『な……なんだ、あの巨大生物は!?』


 世にも珍しいシロナガスクジラの跳躍(ブリーチング)、その迫力に、司祭が『変身』した化け物すらもが度肝を抜かれている。どうやら鯨という生き物を知らなかったらしい。まあ、無理も無い。この蒼き月の海(ルナマリア)で、鯨は一生のうちに一度お目に掛かれるかどうかという珍しい生き物なのだ。


 でも、あの鯨はいったい……。


「あのコは『シロ』。だんなさまの相棒だよ。あなたは気付いてなかったみたいだけれど、ずっとこの船のあとを追いかけてきてたんだ」


 私の疑問にカグヤが答えてくれた。


「あ、相棒?」


 鯨が? イサリの?


「イサリはいったい何者なの……?」


 その疑問に答えてくれたのもカグヤだった。


「……時空を超えてやってきた、この宇宙最後の希望。月の海と凍(い)てついた地球に秩序を取り戻すため『現在(いま)』『ここ』へと流れ着いた、魂魄(タマシイ)の旅人……」


 謳(うた)うようにそう言って、カグヤはまるで水族館で芸をするイルカみたいに海中から半身を突き出しているシロナガスクジラの鼻先を指さす。



「その名も――『蒼き月の海を航るもの(ルナマリアノーツ)』」



 そこに『彼』はいた。


 端々(はしばし)に施された黄金色(こがねいろ)の金属彫刻(エングレーブ)と、所々に浮かび上がる白鯨(はくげい)を模(かたど)った純白の光芒(こうぼう)が神々しい、美しい留紺(とまりこん)の衣装を纏(まと)った人物が。


「あれは……!?」


 襟の長いコート、スラックス、長手袋、ブーツ、そしてテンガロンハット風の帽子。それらで構成されたその衣装――全身防護服(メタルジャケット)は、『幽玄(ゆうげん)』という言葉が似合う深い蒼を基調としていて。


 そして、白鯨(はくげい)の形をした光が表面を泳ぐその衣装は、あちらこちらで熄(うずみび)のような蒼白い火が……人魂(ひとだま)のようなモノがチラチラと燃えていて……。


「まるで幽霊だわ」


 けど、何故だろう――ちっとも怖くないのは。

 むしろ、どこか美しく、神々しくすら思えるのは……。


「イサリ……? ひょっとしてイサリなの?」


 シロナガスクジラの鼻先で腕組みをして仁王立ちし、司祭が『変身』した化け物を睥睨(へいげい)する『彼』の頭部は、帽子とコートの襟(えり)の間の僅かな隙間すら蒼い水晶(クリスタル)みたいなモノで塞(ふさ)がっていて、顔を全く確認できない。


 だけど、わかる。


 不思議と確信できた。


 あれはたぶん――神様のチカラか何かで『変身』したイサリだ。


 イサリは生きていたのだ……!


『き……貴様はっ!? 貴様のその姿は!? ――そうか! 貴様こそが、以前あの御方が仰っていた要警戒対象! 我々の船を手あたり次第に襲っては、せっかく集めた<魔女>たちを横から攫っていく怨敵(おんてき)!』


 司祭が『変身』した化け物がイサリを見上げて呻き、後退(あとずさ)る。


 まるで恐れ戦(おのの)くように。


『<魔女>たちの主人――<魔王>……!』


 そしてハッと我に返ると、


『お……おのれ! 神をも畏(おそ)れぬ不届き者めが!』


 上半身を傾け、垂直に割れている頭頂部、牙が生えた巨大な口から、ヒトの身の丈はありそうな火球を撃ち出した!


 小さな帆船なら一撃で沈めてしまいそうなそれを、イサリは腕組みを解き、握り拳を作った右腕を横薙ぎにしてアッサリと弾(はじ)き返す。


 火球は明後日の方向へ飛んでいき――


『ああっ!?』


 化け物が乗っている船の船尾楼(せんびろう)に聳(そび)える巨大な女神像に当たって、爆散した。


 ギィィィィィィ……と、衝撃で傾く横帆船(バーク)。


『ひ……ひぃぃぃぃぃぃ……!』


 勝てないと悟ったのだろう――たった一度の攻防で格の違いというモノを思い知らされたのだろう。化け物は傾いた甲板(デッキ)の上でみっともなく尻餅をつくと、イサリに背を向け、海へ飛び込んで逃げようとする。


 それを見てイサリが動いた。


 シロナガスクジラの鼻先を蹴って跳ぶと、空中でクルリと一回転し、左脚を畳み、右脚を突き出した跳び蹴りの構えを取る。

 同時に彼の全身で燻(くすぶ)っていた熄(うずみび)のような蒼白い火が、ドン! と爆発的燃焼を起こし燃え上がった。


 そしてそれを推進力に、イサリはまるで一条の流星のごとく空中を翔け――


「破(ハ)アアアアアアアアアアッ!」


 燃える弾丸と化した彼の、青白い焔(ほのお)を纏った右脚が、化け物の土手(どて)っ腹(ぱら)に風穴を開ける!


『ぎゃああああああああああっ!』



 ズズゥ……ン……!



 断末魔の叫びを上げて、化け物は甲板(デッキ)の上に倒れ伏した。


 直後、火球の直撃を受けた巨大な女神像が衝撃で傾き、化け物の遺骸(いがい)を圧(お)し潰すように横転。その勢いと重量でもって船体を真っ二つに叩き割る……!


 沈没する敵船。発生する衝撃波。舞い上がる粉塵と水飛沫。荒ぶる海面。



 ギ……ギギギギギィ……!



 軋む音とともに、私たちが乗っている船も、右へ左へと大きく揺れて傾く。


「これはマズいね! 急いでここを離れるよ、ツバキ! みんな!」

「わかっとる! 幸いさっきの衝撃波で行き足が付いたようじゃ! もうここに用は無い! 行くぞ、皆(みな)の衆! 上手回し(タッキング)用意!」

「「「「「了解(サー)!」」」」」


 カグヤと乗組員(クルー)たちのやりとりが耳に飛び込んできて、半ば呆然としていた私はそこでようやく我に返った。


「ま……待ってよ! イサリは!? イサリはまだ向こうの船にいるのよ!? まさか彼を置き去りにする気!?」


 詰め寄る私にカグヤは微笑むと、


「言ったでしょう、だんなさまなら大丈夫だよ」


 言って、沈んでいく横帆船(バーク)のほうを指さす。


 するとそこには――


「あっ、見てお姉ちゃん! あのお兄さんだ! 鯨さんの背中に乗ってるよ! スゴイスゴイ! ボクも乗ってみたい!」


 ――ユーノの言うとおり、粉塵の中から現れたシロナガスクジラの、海面から少しだけ覗いている背に立つイサリの姿があった。


「は……ははは……。信じらんない……。なんなのよ、アイツ。神様が私たちのために遣わしてくれた救世主か何かなの?」


 思わず笑ってしまう私に、しかしカグヤは肩を竦(すく)めてこう言った。


「本人にそんなことを言ったら、苦虫を噛み潰したような顔をされるよ? 『ボクはそんなご大層なモノじゃない。どこにでもいるごく普通の地球人だ』、ってね」


 ……あんなのが『どこにでもいるごく普通の地球人』であってたまるか。






              ☽






「――イサリ!」

「お兄さん!」


 ボクが縄梯子(ラダー)を使って自分の船――『トゥオネラ・ヨーツェン』の甲板(デッキ)に戻り、『変身』を解除していると、真っ先にクレアとユーノが駆け寄ってきた。


 というか、胸に飛び込んできた。


「ええっ!?」


 まさか胸に飛び込んでくるとは思わなかったボクは、そのまま二人に押し倒され、甲板(デッキ)の上に引っくり返ってしまう。


「あ痛(いた)たたた……」


 ぶつけた後頭部の痛みに顔を顰(しか)めていると、


「あのカグヤってコから聞いたわよイサリ! 人々から忌み嫌われ憎まれている者であっても、受け容れてくれるという例の隠れ里! 私とユーノが探してた『楽園』! あれって、あなたたちが創造(つく)ったんですって!? でもって、あなたたちは迫害されている<魔女>とその身内をあちこちで保護しては、そこへ案内しているんでしょう!? この船、やたら若い女の子の乗組員(クルー)が多いと思ったら、彼女たちもその多くが<魔女>だって言うじゃない! ねえ、当然私とユーノも『楽園』に連れて行ってくれるのよね!? 連れて行ってくれるのなら私、あなたの恋人になってあげてもいいわ!」

「お兄さん! ボク、ユーノって言います! 助けてくれてありがとう! とっても格好良かったよ! それでねそれでねっ、ボクもあの鯨さんに乗ってみたいの! ねえ、乗せて! お願い! 乗せてくれたらお礼にチュウしてあげますから!」


 二人はボクに圧(の)し掛かったまま、仲良く捲(まく)し立ててきた。


 …………うん。

 確かに姉妹だわ、この二人。

 血は繋がっていなくても、いろいろとそっくりだ。


「わかったわかった。別に見返りなんか無くてもちゃんと連れて行ってあげるし、シロにも乗せてあげるよ」

「「えー……」」


 何故か不満そうな顔をする姉妹。


 なんで!?

 何が不満なの!?

 連れて行ってあげるし、乗せてあげるとも言ってるじゃん!


「イサリ、あなたってやっぱり幼女が好きなの?」

「『やっぱり』ってなんだ『やっぱり』って」

「それは違うんじゃない、お姉ちゃん。だってもしそうなら、今頃ボクのチュウに飛びついてるはずだよ? ボクまだ十二歳だし。こんなに可愛いし」

「意外といい性格してるなこのコ」


 なんてやりとりをしていたら、



「イサリさまっ!」



 と、誰かがボクの名を呼びながら、クレアとユーノに負けじとばかりに胸に飛び込んできた。


 いや、正確には胸ではなく鳩尾(みぞおち)にだったが。


「げふっ」


 鳩尾の痛みに涙目になりながら正体を確かめると、そこにいたのは、亜麻色に近い金髪(所謂(いわゆる)フラクスンブロンドというヤツだ)と、水色の瞳が愛らしい十歳の女の子。この船の女性乗組員(クルー)用の制服である『セイラー服の襟(えり)がついたスクール水着モドキ』を着た幼女だった。


 彼女の名は――


「る、ルーナ」

「イサリさま、ご無事でしたか!? さっきまで『危ないから甲板(デッキ)に出てはいけない』と船内(なか)で皆さんに止められていたので詳しいことは存じませんが、戦いがあったのですよね!? お怪我はありませんか!?」

「だ、大丈夫だよ。だから落ち着いて、ルーナ」

「……ねえイサリ、そのコは?」

「お兄さんの妹じゃないよね? 髪や瞳の色が全然違うもん」


 上半身を起こし、心配そうにこちらを見上げている幼女の頭を撫でてやっていると、クレアとユーノが訊ねてきた。


 ……何故か揃ってジト目で。


 なんでそんな目でボクを見る……。


「このコはルーナ。カグヤが言っただろ、クレア。ボクはルーナってコと一緒に、少し前にこの蒼き月の海(ルナマリア)へ流れ着いたって」

「! じゃあそのコも<漂流者>なの……?」

「そうだよ。ボクはこのコを元いた時代、元いた場所へ帰すために旅をしているんだ」


 ――そう。このコを『本当の家族』のもとへ送り届けるために……。


「……そうだったの」


 そう言って目を眇(すが)めるクレアの表情、声音は、とても優しかった。


 彼女はどこか感慨深そうに――噛み締めるように、小さく呟く。


「あなたも、血の繋がらない妹分のためにずっと戦ってきたのね……」


 そんなクレアと、「お姉ちゃん……」と姉を見つめるユーノを交互に見、


「……あの、イサリさま。こちらのお二方(ふたかた)はどちら様でしょうか?」


 とルーナが不思議そうに訊ねてきた。


「彼女たちはクレアとユーノ。『楽園』の新たな仲間だよ」


 答えながら立ち上がる。


 同時にカグヤが、この船の乗組員(クルー)と、そしてユーノと一緒に救出されたヒトたちを順繰(じゅんぐ)りに見遣(みや)り、ニッコリ微笑んでこう言った。


「さあ、帰ろうか。わたしたちのホームへ。あなたたちの新たな安住の地へ」


 ――クレアとユーノが探していた『楽園』へ。






 斯(か)くして、ひとつの戦いが終わり、ボクたちはまた新たな仲間を迎えた。


 けど、ボクの戦いはまだ終わっていない。


 ボクを兄のように慕ってくれているルーナが、『本当の家族』と再会できるその日まで。ボクの戦いが終わることはない。


 だからボクは今日も旅を続ける。


 いつか必ずルーナと一緒に地球へ帰還してみせる。


 ときに立ち塞がる邪悪を滅し、ときに降りかかる神の試練を乗り越えて。


「スパンカー展(ひら)け! 面舵いっぱい(ハードスターボード)!」

「「「「「了解(サー)!」」」」」



 ――仲間たちと、この蒼き月の海を航(わた)って。






          『開幕』了

           本編 序章へつづく



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