雨上がり水槽〈6〉
“雨上がり水槽”は、誰にでも目に映されるはない。
“雨上がり水槽”は、条件を満たした“生”のみに表れる。
作蔵は『蓋閉め』を“生業”にしている。
作蔵には“生”の域を越えた“力”が備わっている。
よって、条件を満たすことなく“雨上がり水槽”を見るが出来た。
“雨上がり水槽”を見る条件は悲嘆、絶望といった、どうすることも出来ない想いを抱え込む。
表れた“雨上がり水槽”に潜ると煩悩から解放される。
人から人へと語り継がれた“雨上がり水槽”の真実に、作蔵は辿り着こうとしていたーー。
***
“雨上がり水槽”から現れた水の生物の象は、作蔵を丸呑みにした。噛み砕くをしても良かったがそれではつまらないと、象は作蔵を丸のままで消化させるを選んだのであった。
象は水中に潜るをせずに、背鰭を水面から剥き出していた。游ぐ素振りもなく、水面の揺れで身をまかせていた。
象は噎せていた。
喉の奥に異物が詰まっている感触が鬱陶しくて、吐き出そうと懸命になっていた。
限界になったのだろう。象はとうとう、水中に潜るをして、鉄砲の筒から飛び出た弾丸のような勢いで游ぐをした。
象は口を大きく開いていた。
水中で游ぐ水の生物を次々に呑み込んだ。海水魚の秋刀魚、淡水魚の鮎。それでも飽き足らないのか、水底に潜む鮃に加えて岩肌にへばりついている雲丹までを、吸い込むをして呑み込んでいった。
呑み込んでいるにも拘らず、腹が満たされる感覚はない処か余計に喉の奥が詰まると、象は藻搔いた。
呼吸をするのも苦しいと、象は“肺呼吸”をする為に、水中から浮上をした。
象は水面から開いた口を突きだして、口の中で溜まっていた、呑み込みそびれた水の生物を一気に吐き出した。
呼吸が楽になったのも束の間、象は目の前の光景に茫然となった。
空中に吐き出された水の生物が、次々と“人”の象になると“雨上がり水槽”を囲む柵を越えていた。
「けっ! ざまあみろっ!!」
地面に足を踏ん張らせる“人”の群れの中に、高らかと笑う作蔵がいた。
ーー謀ったなっ!!
象は悔しさのあまりに、感情を剥き出しにした。
「おまえは、馬鹿か?」
ーーうるさいっ!
象は作蔵の言うことに、ますます熱り立つ。
「おまえ、どんだけ“水槽”に“生”を填めていたのだよ? えーと、そこのさっきまで浅蜊貝だったお爺さん。もう、口を固く閉じとかなくてもいいよ」
「ひゃあ? ワシは耳が遠いから、もうちっと大きい声でないとよく聞こえない。あ、入れ歯を落とした。探しにーー」
「折角“人”に戻ったのだから、また“水槽”に潜るはしないでくれいっ!!」
作蔵は柵を乗り越えて“雨上がり水槽”に飛び込もうとしている、顎髭を長く生やした男の脇を腕で挟んで止めた。
「おい、なんちゃって鮫」と、呼び掛ける作蔵に、象はじろりと、睨んだ。
「おまえ以外に鮫はいないだろう。お爺さんの入れ歯を探しにいけっ!」
ーーなんで?
「つべこべいうなっ! さっさと行かなければ今すぐ蒲鉾の材料に加工してやるっ!!」
象はぞくっと、身震いをすると、ぼちゃん、と、水飛沫をあげて水中に潜った。
「ほわわ、すまないことをさせてしまった。あ、あんたはなんて名前なんだ?」
「作蔵だ。お爺さん〈鯛焼き、よっちゃん〉の店を閉めないでくれよ。俺、あんたが焼く鯛焼きが好きなんだ」
「ふががっ! 作蔵かぁああ!? すっかり、忘れていた。あんたはワシの店の常連だったのう。後継ぎ、引き受けてくれるのかい?」
「お爺さん、俺はすでに『生業』がある。だから、引き受けられるのは『客』だけだ」
作蔵は象が水の中に潜っている間、鯛焼き屋の男と雑談なのか冗談なのかはっきりとしない会話を交わした。
“雨上がり水槽”の水面にごぼごぼと、気泡が浮かんでは弾けていた。
「遅いっ!」
作蔵は、激昂した。
ーー隅々までくまなく探したからだ。と、ホラ、これらが其れらしき品だが……。
象は口に咥えていた品を作蔵に目掛けてぷっ、と吹き出した。
「丁寧に渡せよっ!」
作蔵は掴みそびれて地面に落下した品を拾う。
ーーあなたが落とした入れ歯は、金? それとも銀が混じっている? それとも白?
「おまえがいうなっ! お爺さん、あんたの入れ歯はどれだよ?」
「普通に、白だよ」
「おおっ! お爺さんは正直者だね。これ、全部持っていけっ!!」
「一個だけあれば、十分だ」
男は『白』を手にしたーー。
さて、次話は……。
「待て。まだ、はなしは終わっていないっ!」
作蔵は我に返ったように、叫んだ。
さっきまでノリノリと、調子が良かったのが嘘みたいな様子の作蔵にがっかりした。あ、踏み潰されてしまった。
「……。本題を危うく忘れるところだった。と、言うことで、ニセ鮫が填めた“生”は回収した。あとはーー」
作蔵は“人”の群れに混じっている少年をふたり、目で捉えていた。
「ぼくは、佐原先生を助けたかった。だから“水槽”に潜った」
「オレは守生を助けるために“水槽”に潜った」
少年たちは鼻を啜っていた。ひとりは腕に拳を、もうひとりは頬を指で摘まんでをやっていた。
「先生……。見つけられなかった」
「守生、何を寝ぼけているんだよっ! 先生は学校で勉強を教えていたっ!!」
「長治郎。先生が透き通っているのは、知っていたよね?」
「だから、何だよっ!!」
「“雨上がり水槽”に、先生は潜った。でも、先生はクラスのみんなを一生懸命想って“器”だけを“雨上がり水槽”に残したんだよ」
「もう、それくらいにしとけ」
作蔵は長治郎と守生の間に入り、ふたりの言い合いを止めた。
「おっちゃんっ!」と、長治郎が作蔵に呼ぶ。
「せめて『あんちゃん』と、呼んでくれい」
「『あんちゃん』は、わかるのかい? 佐原先生がどうなっているのかと、考えられるのかよっ!」
「最悪にはなってないっ! 先ずはおまえたちを助けて欲しいと“お願い”をされた。おまえたちがお互いに呼びあっている名前で、すぐにはっきりとした。あとは俺がきっちりと先生を助けてやるが、おまえたちにやって欲しいことがある」
長治郎と守生は、作蔵に目を凝らした。
「先生を“此所”に連れてこい」
「え? でも……。」
「どっちでもいい。こいつをはめて、先生を引いてこい」
作蔵は、腰に巻く前掛けのポケットから網目模様の手袋を取り出した。
「凄い形だ……。」と、守生が堪らず怯んでいると「オレがはめるっ! 行くぞっ、守生っ!!」と、長治郎は作蔵から手袋を受け取り、そして填めた。
「手を繋いでやるのだ。先生、おまえたちと手を握りたがっているからな」
「おにいさん。ぼくも先生と手を繋ぎたい」
守生は、翻した長治郎の後を追って走った。
ふたりの姿が遠くなり、作蔵は象へと振り向いた。
ーー日没までに、連れてこられるかのう……。
象はけたけたと、高笑いをしていた。
「関係ないね、道路の舗装工事をやってる」
象は作蔵の言うことに反応したかのように、頬をぴくりと、痙攣させた。
「俺は基本的には、夜更かしが嫌いだ。だが、今日は夜釣りの為に、とことんしてやる」
“雨上がり水槽”の隣の空き地に、道路工事用の機材が置かれていた。その中に、バルーン投光機が置いてあった。
「水道管を取り換えて、ほじくった道路を綺麗に舗装。交通量が殆どない時間帯でもギンギラギンにビッカビカだっ!」
ーーだが、水の中に潜ってまで捕まえられるか?
「あんた、気がついたら?」
作蔵は、手首に巻き付けていた襷の端を掌に握り換えて、引っ張った。
象は抵抗が出来なかった。
喉の奥に、違和感がある。先程と同じ感触がすると、象は原因になっているのが何かが、はっきりとした。
像の口の端を擦る、反物を千切るにも喉の奥が痛くて諦める。
作蔵の襷の端が口の中で絡まったままだと、象は何度も水面に潜っては浮き上がってをしたーー。




