異世界労働、始めました④
瞑鬼が黙って眺めていると、横から瑞晴が手を伸ばし、積まれていたリンゴを一つ手に取る。そして一齧り。どうやらりんごはお気に入りらしい。
黙々と口を動かし続けている。
「んー?神前くん食べないの?」
不思議そうな目を向けて瞑鬼を見る瑞晴。その顔には、なぜこんなに大量にある果物を食べないのかと問いただしたそうな感情がこもっていた。
それを見ていた関羽とチェルも、ここぞとばかりに果物にかじりつく。飛び散った果汁が関羽の目に入る。
悶え苦しむ関羽のさまも、なかなか得てして心に疼くものがある。
「いいの?食べちゃって。売りもんじゃ……」
空になった棚に目線をやり、瞑鬼が訊ねる。まだ商品が残っているのなら、身内で食べるよりも並べた方がいいのは明らか。そのことに疑問を持ったのだ。
「あー、うん。これ売り物じゃないしねー。表におけない、訳あり品の処分ってわけ」
その言葉を聞いて、瞑鬼は何気なく果物の山を見る。確かに、よくよく見ると訳ありという言葉がしっくりとくるのが全てだった。少し形の崩れたものや、運搬の際に傷がついたもの。中には少し虫に食べられているのもある。
いくら味は良くても、これでは売り物にならないらしい。これも、生の商品を扱う商店の定めであると瑞晴はいう。その言葉に瞑鬼も従うことにしておく。
いまだ山のように残る果物のうちから、一番上にあった梨をチョイス。瞑鬼が手に取ったそれは、規定の大きさよりもかなり小振りのものだった。
男子高校生の口ならば、3回も歯を立てれば食べ終えられるだろう。
その後、二人と二匹で果物を食べること一時間。いつの間にか大半は瞑鬼の腹の中に入っていた。
その間に客は無し。どうやらこの店の収入の大半は、朝のうちに回収されるらしい。
お昼になってようやく姿を現した陽一郎を含めた三人で昼食を作る。既に瞑鬼と瑞晴は結構な量の果物を食べていたので、ごくごく軽いものだけだ。
関羽とチェルは仲良く揃って梨をかじっている。時々取り合いのレベルを超えて、野生の血が騒いでいるようだ。瞑鬼の隣で何度かきらりと牙が光っている。
「午後からは配達。今日は大手のデパートと地元の店を何件かだ。道順はわかるな?瑞晴」
昼飯のラーメをすすりながら、三人で午後からの予定を確認。店は陽一郎が見ているから、瞑鬼と瑞晴は配達ということだった。
食後のお茶を一杯、熱々の状態で瞑鬼が飲み干す。それと同時に、瑞晴も手に持っていたリンゴを口に放り込む。
そこからは陽一郎と共に、配達用の商品を自転車に積み込む作業。
いくら発泡スチロールに入っているとは言え、水分豊富な果物は決して軽くない。部活動で鍛えられていない瞑鬼には、さぞや重労働なことだろう。
いつもは陽一郎が配達に行き、瑞晴が店番という形なのだが、どうやら今日は店に重客が来るらしい。曰く、陽一郎に話があるとのことだ。
そのため、免許も車も持っていない瞑鬼が配達係となった。いくら異世界とは言え、流石に無免許では魔法の絨毯も鉄の馬も乗れないらしい。
荷台に積まれた荷物の重さは、凡そリンゴ100個分。普通に運ぶにしては、それなりに重たい量である。しかし、たがたがか一バイトである瞑鬼が文句を言えるはずがない。
大人しく店長殿の指令に従い、瑞晴と二人街を歩く。休日のせいか、商店街通りに人は多かった。
「神前くん、ここらへんの地理についてはどれくらい知ってる?」
隣を歩く瑞晴が会話を起動させる。出際に手に持っていた、積みきれなかった荷物に関しては、つい先程配送済みだ。両手が暇になったことで、話す余裕ができたのだろう。
「……そうだな、多分大体はわかるかな。一応瑞晴と会う前に、一通り散策はしたし」
半分事実、半分嘘を織り交ぜ、瞑鬼は言葉を返す。以前から知っていたなどとは、とても口に出せるはずがないのだから。
瞑鬼の言葉を聞き届け、なにやら納得のいったような顔をする瑞晴。どうも、瞑鬼がこの街について知りすぎていることに疑問を抱えていたらしい。
配達のついでに瞑鬼に町の案内をしろと言われた瑞晴だったが、先々での瞑鬼の反応に思うところがあったらしい。反応が薄すぎたのだろうか。
「……神前くんって、なんか普通っぽくないよね」
ふと、瑞晴が心からの意見をこぼす。それに対し、一瞬心臓が飛び上がる瞑鬼。よもや異世界からの転移者だとはわかるまいが、それに近い何かを感じ取ったのかもしれない。
バレたらどうなるのかはわからない。おそらく瑞晴なら、笑って受け入れる未来もあるだろう。しかし、そんな楽観的な考えなどできるはずもなく、瞑鬼は一人息を呑んだ。
「……そう?」
焦る瞑鬼。何を悟られないように声を出すが、それでも上擦っていたのがわかる。
「だって、魔法回路も知らないのに、街とか世界の情勢とか……。もし魔女特区の出身なら、そもそも言葉も通じないはずだし……」
どんどんと核心にせまられ、瞑鬼の体からは冷や汗が流れていた。夏の暑さのせいで出る汗とは違う。過度の緊張の際に分泌される、少し特殊な汗だ。
このまま自分とこの世界の住民との知識の違いが広がれば、遅かれ早かれ瞑鬼がこの世界の人間でないことがバレる日が来るだろう。
そうなったが最後。身元不明かつ、召喚した本人もいない瞑鬼では、逆らうこともできずに監獄行きだ。
ひょっとしたら人体実験の材料にされる可能性もある。
気が気ではない未来を想像し、思わず瞑鬼は不安に駆られる。それと同時に、もしそんなことになった時に、大罪人を匿っていた瑞晴や陽一郎がどうなるのかも。
動揺を骨の下に隠し、焦りと緊張を直視しないように瞑鬼は空を仰いだ。
「……よく覚えてないんだよなー。気づいたらこの街にいたって感じだし。でも、多分魔女特区じゃないよ……、うん」
曖昧な答えはかえって危険を呼び寄せるかもしれない。そう考えは瞑鬼は、敢えて事実と違う言葉を口にした。
いかに瑞晴と言えども、出会ってほんの数日の友人の嘘は見抜けまいとの判断だろう。
瞑鬼の返答を聞き、瑞晴は暫し考える姿勢をとる。歩きながら顎に手を当てる瑞晴の脳内では、灰色の脳細胞がさぞかし活発に動いていることだろう。
「……まぁ、神前くんが違うっていうんなら、私はそれを信じようかな。けど、わかった時には教えてよ?」
わかった、と瞑鬼は返事をする。どうやら疑いは晴れたらしい。いったいこの数秒間の間で、瑞晴がなにを考えていたのかはわからない。しかし、帰ってきた言葉を見る限り、それほど悪いことではなさそうだ。
二人して歩く地元道。つい一週間前までは、こうして瞑鬼が誰かと肩を並べて歩いているなんて、どこの神様にも思いつかなかった景色だろう。それも、同級生の女の子となればなおさらだ。異世界さまさまである。
この上ない幸せを噛み締めながらも、瞑鬼の頭にはある一つの疑問が芽生えていた。
昨日から何かと聞く単語。魔女特区のことである。
陽一郎や瑞晴の話し方から察するに、恐らく本には載せられないような事が、その地域で起こっている。図書館を見て回った瞑鬼が、一冊も本を見つけられなかったのが何よりの証拠である。
ある程度の仮説を立て、瞑鬼の頭の中で会議が行われる。
魔女特区の名から察するに、魔女がいるのだろう。魔女についてはわかっている。だとしたら、その魔女がなにをしている地域なのか。ひょっとしたら、魔女の住んでいる都市を魔女特区と言うのかもしれない。
「どしたの神前くん?何か思い出しそう?」
一人で内なる自分と会話していた瞑鬼に、隣を歩いていた瑞晴が話しかける。言葉は漏れていない。となると、表情が少し険しかったのだろう。
「……んー。いや、その事については全然」
「……そう?」
途切れる会話。再び沈黙という名の重たい鉛がのしかかってくる。
もし今瞑鬼が少しの勇気を振り絞り、瑞晴に魔女特区のことを訊ねていれば、こんな気まずい空気が生まれることは無かっただろう。答えだって教えてもらえたかもしれない。
しかし、一度終わってしまった会話を続けるというのは、思いの外毛の生えた心臓がいることらしい。
瑞晴も機会をうかがっているのだろうが、残念なことに二人の話出すタイミングが合わないのだ。
どちらかが口を開けば、もう片方も同時に口を開く。互いに相手が発言するのを優先した結果、どちらともなにも話さなくなるという事が続いていた。
淡々と荷物を配る。いくら二人の間に気まずい雰囲気が流れていようと、それを卸先の人たちに悟らせないようにしているあたり、瑞晴のプロ根性がうかがえる。
一方瞑鬼はというと、こちらは人前に出るのが慣れてないせいか、ずっと愛想笑いだけに専念していた。
配達の仕事を終える頃には、陽はすっかり西に沈んでいた。紅に染まる大空を、二人で並んで歩く。しかし会話はない。
元々それほど仲が良かったという事もなし。たまたまクラスが同じだけで、たまたまお互い一番最初に話した相手だったというだけだ。友達を交えどこかに遊びに行った記憶などない。
好感度としては互いにそこそこ上の方だろう。しかし、それは恋愛感情と呼ぶにはいささか幼稚すぎた。元の世界でも、今の世界でも、二人の関係は変わらずに友達のままなのである。
瞑鬼だって、ありがたいとは思っている。見ず知らずの人間を家に招き、更には住み込みで働かせてくれているのだから。
だが、それと同時に瑞晴の行動が決して情愛から来るものではないともわかっていた。強いていうならばこれは友愛である。
二人して一線を越えるのを躊躇っていた。
このまま自然と瑞晴に愛だの恋だのを感じるようになるかと思っていた瞑鬼だったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
人間として心が汚れすぎていた鬼野郎に、恋愛なんてのは笑い話だったらしい。




