第45話 古本屋の、栞にならない話
どこかで、誰かの恋がはじまる
神保町からほど近い、小さな古本屋「灯」。店主の孫にあたる大学生の朝比奈あさひな悠は、夏休みの間だけ、この店の店番を任されていた。
「いらっしゃいませ」
来客のたび、悠は本から顔を上げて挨拶をする。この日訪れたのは、いつも決まって夕方に顔を出す、常連の女子大生だった。
「今日も来たんですね」
「うん。この時間の古本屋の匂い、好きなんだよね」
彼女の名前は、桜井さくらい詩ことは。悠とは同じ大学の、隣学部の学生だった。この一夏、詩は毎日のように「灯」に立ち寄っては、静かに文庫本を選んでいく。
* * *
ある日、詩が一冊の詩集を手に取り、レジに持ってきた。
「これ、ください」
「その詩集、実は俺も好きなやつです」
「え、本当? どのページが好き?」
不意の共通点に、二人の会話は珍しく弾んだ。普段は事務的なやり取りだけだったレジ前の時間が、この日は少しだけ長く続いた。
「悠くんって、いつも静かに本読んでるけど、話すと結構、いろいろ考えてるんだね」
「それ、褒めてるんですか」
「褒めてる、褒めてる」
詩は悪戯っぽく笑いながら、購入した詩集を鞄にしまった。
* * *
夏休みも終わりに近づいたある日、閉店間際の店内で、詩はいつもより長く、棚の前で立ち尽くしていた。
「今日は、何か探し物ですか」
「うーん、実は、栞になりそうな綺麗な紙、探してたんだけど、なかなか見つからなくて」
「栞なら、レジの奥に何種類かありますよ」
「ううん、そういうのじゃなくて。……もっと、特別な意味のある栞が欲しいの」
意味深な言葉に、悠は首をかしげた。詩は、少し緊張した面持ちで、こう続けた。
「実は、もうすぐ夏休みが終わるでしょ。そしたら、この店に来る理由が、なくなっちゃうなって、思って」
「理由、ですか」
「うん。本当は、本を選ぶのが目的じゃなくて……悠くんに、会いに来てたの、この一夏」
告白ともとれる言葉に、悠はしばらく言葉を失った。詩は、恥ずかしそうに視線を落としながら、それでも続ける。
「だから、その、これからも、会う理由が欲しくて。……こんな言い方、変だよね」
「変じゃないです」
悠は、詩集の棚から一冊を手に取ると、その中に挟まっていた古い一枚の押し花のしおりを取り出した。祖父の代から、この店に伝わる品だった。
「これ、店の栞なんですけど、詩さんに、これあげます」
「これって」
「会う理由なら、俺の方から、作りたいので。……今度、休みの日、二人で出かけませんか。本屋巡りとか、詩さんとなら、楽しそうだから」
不器用な誘い文句に、詩は目を丸くした後、じんわりと微笑んだ。
「うん。喜んで」
夕暮れの古本屋、差し込む茜色の光の中、押し花の栞は、二人の新しい関係の始まりを、静かに見守っていた。
「これからは、栞探しじゃなくて、ちゃんとデートの口実で来てもいいですか」
「もちろん。……いや、口実じゃなくて、普通に、会いに来てくれたら嬉しいです」
古書の匂いが漂う店内で、二人はどちらからともなく、小さく笑い合った。




