表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どこかで、誰かの恋がはじまる  作者: 芦名 雅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/38

第28話 吾輩は猫である。恋の傍観者として

どこかで、誰かの恋がはじまる


吾輩は猫である。名前はまだ、正式には無い。飼い主からは「トラ」と適当に呼ばれているが、吾輩自身はこの呼び名にさほど愛着を持っていない。

さて、吾輩がこの物語を語る理由は、他でもない。吾輩の飼い主である青年、名を健一郎けんいちろうというのだが、この男が近頃、実に滑稽な事態に陥っているからである。

健一郎は、隣の家に住む娘、名を千鶴ちづるというのだが、この娘に対して、どうやら恋心なるものを抱いているらしい。吾輩は日がな一日、縁側で丸くなりながら、この愚かしくも微笑ましい人間の恋模様を、傍観する立場にある。

「トラ、お前は良いよな。恋の悩みなんて、無縁で」

健一郎は、吾輩を膝に抱きながら、そう独りごちる。吾輩としては、猫にも猫なりの複雑な事情があると言いたいところだが、生憎、人間の言葉を話す術を持たない。仕方なく、ニャアと一声鳴くにとどめておいた。

「今日も、千鶴さんとすれ違ったんだけどさ。挨拶しかできなかった。情けないよな」

情けない、というのは、吾輩も概ね同意見である。健一郎という男、仕事は真面目にこなすくせに、こと恋愛に関しては、驚くほど不器用な性質を持っている。

ある日、隣家の千鶴が、庭先で洗濯物を干していた際、吾輩はふらりと塀の上を歩き、彼女の家の庭に迷い込んだ。

「あら、トラちゃん。今日も遊びに来たの?」

千鶴は吾輩を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。吾輩がこの家に出入りするようになったのは、健一郎の恋の橋渡し役を、勝手ながら自任しているからに他ならない。

千鶴は吾輩を撫でながら、ぽつりと呟いた。

「トラちゃんの飼い主さん、健一郎さんって言うんだよね。……いつも会釈だけで、あんまり話したことないけど、なんか、気になる人ではあるんだよね」

吾輩は思わず、内心で快哉を叫んだ。この娘、憎からず健一郎のことを想っているらしい。ならば、これは吾輩の出番である。

吾輩は一計を案じ、その日の夕刻、健一郎の家と千鶴の家の間にある塀の上で、わざと大きな声で鳴いてみせた。

「ニャアアア!」

「トラ? どうした?」

異変に気づいた健一郎が庭に出てくる。同時に、洗濯物を取り込んでいた千鶴も、吾輩の声に気づいて顔を上げた。

「あ、健一郎さん。トラちゃん、いつもうちにも遊びに来るんです」

「そうだったんですね。すみません、勝手に」

「いえいえ、可愛いので大歓迎です」

吾輩の思惑通り、二人はようやく、まともに言葉を交わす機会を得た。吾輩は塀の上で丸くなりながら、この滑稽な茶番の行く末を、興味深く見守ることにした。

それから幾度か、吾輩を介した二人の交流は続いた。ある晩、庭先で偶然顔を合わせた二人は、吾輩をその場に置いたまま、珍しく長い会話に興じていた。

「あの、千鶴さん。突然なんですが、今度、お茶でもどうですか。その、二人きりで」

「……はい、喜んで」

吾輩は、二人のやり取りを、縁側から静かに見つめていた。人間の恋愛というものは、実に回りくどく、時間のかかる代物である。だが、こうして無事に実を結んだ様を見るのは、猫の身であっても、なかなかに気分の良いものだと、吾輩は思う。

健一郎が後日、上機嫌で吾輩を抱き上げながら、こう呟いた。

「トラ、お前のおかげかもな。ありがとよ」

吾輩は、ただ一声、満足げに鳴いておいた。

「ニャア」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ