十月六日
愛知県内にあるホテルのレストランで小野寺が朝食を摂っていると、そこへ技術部門の整備班で班長をしている菊田和男が正面の席に腰を下ろすのだった。
二人は同じ大学で共に戦った仲でもある。小野寺は十番のスタンドオフで、菊田は一番のプロップなので、一緒にスクラムを組むことはなかったが、シニア時代も共に過ごしているので、誰よりも理解し合える間柄だ。
「朝からスゴイ量だな」
小野寺が指摘したのは菊田が運んできたトレーだ。ビュッフェ形式ということもあり、和食と洋食が一緒の皿に盛られているのだった。かきまぜた納豆をオムレツに掛けて、それをカレーライスと一緒に頬張るという、そんな有様である。
「お前の方こそ、具合でも悪いんじゃないだろうな?」
「一人前なんだから、これが普通なんだよ」
「食が細くなったら心配にもなるだろ」
「お前も六歳の娘を持てば分かるさ」
妻から食事制限されていることを内緒にする小野寺だった。
それから食事を終えて、菊田がお茶を飲みながら仕事の話を切り出す。
「とりあえず、折り返したことになるのか?」
「そうだな、日程的にも、試合数も、だいたい半分を終えたところだ」
「グループリーグが終わればかなり楽になりそうだな」
「ああ、何事もないことを願うよ」
そこで菊田が不機嫌な顔を見せる。
「ジョージアに対するミスは許されないからな」
「ああ、分かってる」
「分かってないからミスったんだろう」
ジョージア代表の試合会場でロシアの歌を流したことが問題となった。
「歌がどれほど大事かって、スポーツをやってたら身に染みて分かってるはずだ。やってなくても、ビデオを観て勉強できたはずだぞ? 何のための視察だよ? 学んだことを持ち帰ることができないなら意味ないだろ」
菊田の怒りは収まらない。
「J・Jが『君が代』に敬意を払う姿を見て、何も学べなかったということだぞ? 国歌を歌ってくれたことに感謝するだけではなく、その国の歌に敬意を払う、そういう気持ちを持つことの大切さを学ばなければならなかったんだ」
J・Jとは、ニュージーランド出身の日本代表ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフのことだ。愛称が複数あり、選手ら親しい者からはジェイミーと呼ばれている。
「やたら日本のおもてなしを褒め立てる記事を見掛けるが、俺はまだ許してないからな。二度はないぞ?」
「確かに、国の恥にはなるが、成功した話よりも失敗した話を広めた方が、後進の役に立つだろうからな」
「こういうのが地味に国際会議での投票や役員選出に影響を与えるんじゃないのか?」
国際統括団体ワールドラグビーにおける日本の発言力の弱さは、関係者ならば誰もが知るところだ。それだけにW杯を招致できただけでも奇跡だった。そのことは小野寺も充分承知している。
「ああ、投票権がない国を粗雑に扱っていいということにはならない。すべてテストされているというか、査定されているんだよな。だからこそ客席を埋めてくれた満員の観客には感謝の気持ちでいっぱいなわけだが」
開催地の選定において収益の見込みは大事な条件の一つなので、九割以上のチケットを売り上げた実績は、次回のW杯招致活動にとって有効な判断材料を得たことになる。
つまり全てのラグビーファンが力を合わせて買い支え、ファン自らが日本ラグビーの未来を切り開いたということだ。各地で行われたキャンプでのもてなしや、開催地での盛り上がりは、そういった理由もある。
ただし大分会場のように予約の奮わない地域もあり、それが次回の開催を遅らせる要因にもなり得るので、目立つ空席に落胆した関係者がいたのも事実である。
それでも開催を引き受けてくれた地元の関係者に非があるはずもなく、すべては大会組織委員会の責任であり、協会が反省し、これからの課題として取り組んでいかなければいけない、というのが関係者の共通認識だ。
「テレビの視聴率も予想以上に良かったみたいだし、あとは地震が来ないことを祈るだけか」
「台風は大丈夫か?」
不安そうな小野寺とは対照的に菊田は余裕の表情だ。
「なんでもねぇよ、もう十月だろう? 昭和の三大台風は全部九月だからな。例年より九月の気温が高かったから心配したが、もう心配はいらねぇ。予想だと今週から気温も下がるって話だしな」
心配性の小野寺が即座に否定する。
「いや、二年前の超大型台風が十月じゃなかったか?」
「あれが二年前か」
「東京の自宅にいたが、間違いなく人生で過去最大の風速だった」
「すごかったな」
「まだ気は抜けないぞ」
「だぁいじょぶだ」
と菊田がニヤり。
「その根拠は?」
「超大型の台風がこんな短いスパンで来ると思うか? 三大台風の間隔が十年とか十五年だから、しばらくは来ないさ。犠牲者が出たから大きな声では言えないが、一昨年にデカいのが来てくれたから、今年は安心というわけだ」
小野寺は納得しなかったが、反論はしなかった。
「心配すんなって」
と言いながら、太い手首に巻かれた小さな腕時計の文字盤を確認する。
「台風が来ても、俺たち整備班がなんとかしてやるからよ」
「対応を協議しても、俺たちが決定を下すわけじゃないけどな」
「ああ、だからお前も少しは楽しめ」
「そうだな」
と言いつつも、愛想笑いすら浮かべない小野寺であった。




