竜禍
その青年は重い足を引きづり、村のあったその場所で立ち尽くしていた。
かつての面影など一遍もない。崩れた家屋と灰で変わり果てたその場所に、こんもり盛られた土山だけが異様であった。
既に動かなくなった片足を引きずって近づけば、それが村民であった者たちの墓であろうと理解する。何故なら、辺りに遺体は一つもなく、土山の傍らに死者に手向けられたであろう小さな野の花が一輪添えられていたからだ。
――ああ、村人達は救われた。
青年は歓喜した。
もう楽になってもいいだろう。
あの幼い子供達は、きっと墓を作った者たちが救ってくれるだろう。
きっと自分の事も殺してくれるのだろう。
喜びに涙し、そして意識を手放した。
「ぷっくくくくくくー。ルトちゃんかーわいー」
「…………っ」
白猫は村の外れに咲いている野花の上で笑い転げている。
その横では、栗毛頭の男がブチブチと花を摘みながら笑い転げる猫を窘めていた。
「……アルカ、あまりからかっては」
「ジルだって、うひっ…わ、笑ってたくせにぃぃ。うひっ、ぷくく」
傍に立っている半魔の男は、周囲を警戒しながら男と白猫の遣り取りを聞き流す。その背中には、灰白頭の少年が赤子の様におぶられていた。
「……こ、腰が抜けて、た、立てにゃいだなんて…ルトちゃん可愛いすぎだにゃー」
顔を真っ赤にして「た、立てません……腰が抜けました」と、涙目で訴えるルトの様子を思い返したキファーク。笑ってはいけないと堪えるが、その肩はぷるぷると震えていた。
加護持ちは他人を癒す事に特化しているが、自身を癒す事は出来ない。
動けないルトは、キファークの背に身を預けるしかなく、その背に顔を埋めて恥辱に耐えるしかなかった。
土のドームから抜け出た一行は、キファークの魔術で地に穴を掘り、村民の遺灰を一か所に集めて埋めた。纏めて弔うことにしたのだ。
そこへ、アルカがどこからか小さな野花を持って来て墓前に添えた。猫が咥え持って来た花一輪だけでは寂しいだろう。せめてもう少し花を供えてやろうとやって来たのだが、ルトは腰が抜けてキファークに背負われ、アルカは笑い転げている。実際に作業しているのはジルベール1人だ。
「花はこれくらいで良いだろう。そろそろ戻りましょう……キファーク殿?」
ジルベールに話しかけられたキファークは、じっと村の一点を見据えている。
「………人の気配だ」
「……討ち漏らしたのでしょうか?」
ジルベールは花を手にしたまま腰の柄に手を掛けた。
「ば、化けて出たとか?」
「……猫も死人が怖いのか?」
「……お化けとGは論外にゃ」
キファークは猫を揶揄しながら、村の方へ歩きした。大太刀を手にしてはいるが、ルトを背負ったままだ。
「キ、キファーク殿っ」
「問題ない。おそらく1人……死にかけだな」
村に戻ると、そこにいたのは死人ではなく、今まさに死にかけの青年が、作られたばかりの墓前に力尽きたように倒れていた。
「……2人は背おえんぞ」
「わかってます」
ジルベールが花を墓前に添えると、青年の傍らに膝をつき脈を診る。
「はっ……離れて下さいっ」
キファークの背から、ルトが焦ったように叫ぶ。
青年の身体から黒い靄が一筋立ち昇り、ジルベールの手に触れる直前で消えた。と云うより、ジルベールが咄嗟に距離をとった為、霧散するしかなかったようだ。
あの村人達は、狂獣発生源の近くに居住していた。
狂獣が生みだされる発生源は、魔素溜りとなっている。魔素溜りがある限り、狂獣が生まれ続け、それをハンターが狩り、魔石を入手するのだ。
しかし、狂獣は人を襲うが、人が狂獣に変質するような事はあり得ない。
「……やはり、竜禍か」
「だとしたら、どこかに大元の魔素溜りがあるはずですね」
狂獣とは違い、人の魂に浸食し、穢すもの―――――それが竜禍だ。
それは、一般の人には知らされず、意図的に隠されてきたモノであった。
「……キファークさん、降ろして下さい」
ルトに請われ、キファークは青年の横へそっとルトを降ろした。
ルトは傍らに膝をつき、青年の脈をとると弱弱しい鼓動を確認する。青年の襟元を開ければ、腹から下にドス黒く変色した肌が伺えた。
変色した痣から現れた黒い靄が、ルトを絡め取ろうとするが「光よ」と呟くルトの言葉に立ち消える。
「うわぁー、かなり浸食してるにゃー。ルトちゃん大丈夫?」
「わからないけど……やってみる」
竜禍の浸食はかなり酷い状態だった。
魂魄を浸食する竜禍を、無事に浄化できるか厳しい状況だ。
もし失敗すれば、この青年ごと処分しなくてはならない。
ルトはシャツの中に隠れていた祈りの念珠を取り出した。細い鎖に幾つかの小さな宝珠と片羽を模った装身具があしらわれたそれを、両手で包み込むように持つと瞳を閉じる。
深く息を吐き、肺の中の空気を全て吐き出して軽い瞑想状態に入ると、右手を青年にかざした。
「告げる――我、終天を憂い癒す者なり。神は我のうちにいまし、汝の子らを癒したまえ“この魂に癒しを”」
祈祷歌をうたうルトの周囲が淡く光る――小さな光が明滅しながら群れを成し、青年の身体を包みこんだ。小さな光の群れは、周りをふわふわと漂った後、青年の身体に溶ける様に消えていく。光が消え、青年の身体に墨を落としたようなシミは無くなっていた。
「…さすが加護持ち。病魔どころが竜禍さえも癒すか」
がくりと崩れそうになるルトの身体を、キファークが後ろから腕をまわして支える。
「とはいえ、竜禍を浄化するのは、病を治癒するよりも消耗するそうですからね。ルト、大丈夫か?」
「……ごめん。ちょっと眠いけど、大丈夫です」
ジルベールはキファークに支えられたルトの手をとる。
まるで熱を奪われたように冷たくなった手をきゅっと握り、灰白の頭をわしわしと撫でて労った。
「おにーさん、生きてるー?」
アルカがぷにぷにした肉球で青年の頬をぺしぺし叩く。
薄っすらと開いた薄茶の瞳に映ったのは、真っ白な猫だった。
「……あ、起きた?」
まだ朦朧とした意識で、青年は悲嘆、絶望し、あの虚無感が散じたことに気が付いた。
何故あれ程までにこの世の全てに絶望していたのか?頭に掛った靄が晴れたように、目に映るものが明るく見える。
青年は、晴々とした気分で身体を起こそうとし、しかし四肢にその意思が伝わらない。
「君の魂魄は浄化できたが、身体が衰弱している。回復すれば大丈夫だ」
「……あ……とう……います」
かすれたような声が、感謝を伝えた。
ジルベールは青年の身体を抱き起こし、その背を支える。青年に水筒を渡すと、余程渇いていたのであろう、ひび割れ乾いた唇はゴクゴクと一気に水を求めて咳き込んだ。少しずつ喉を潤すよう介助すれば、青年は「ありがとうございます」と再び礼を言った。
青年が落ち着いた頃合いに、この山村の村人達を弔った旨を伝える。
「…そうですか…私はサナン。派遣され…た、治療師です」
「我々は神殿から派遣された者だ。何があったか教えてもらえるだろうか?」
「……はい」
治療師として派遣された青年――サナンが、この村に到着したときは、まだ熱病か何かだろうと思っていた。
はじめはハンターの1人が怪我をしてこの村で休養をし、同行していた他2人のハンターはそのまま森の奥へ討伐に行ったが、以来そのまま戻ってない。
発熱、発汗の症状を訴える村人が少しずつ増え、暫くすると、村の中で何か黒いモノに噛まれたという人が同様の症状で倒れた。
「……ですから感染症の流出を恐れて手紙を」
治療院経由で神殿に送られてきた例の文であろう。
「その内、発症した人々に異変がありました。幻覚を見て暴れたり、それを止めようとした人に噛みつくように…」
「噛みつくっていうか…食べちゃったんじゃ…」
アルカの言葉にサナンがビクリと怯え、両の手でその身を抱くようにして震えを堪える。
「……な、亡くなった…方の遺体を…、あ、安置していたのですが…」
「落ち着け。ゆっくりと説明してくれれば良い」
ジルベールがサナンを気遣うように語りかけ、話の腰を折ったアルカを一瞥すれば、白猫が両手を合わせて無言で謝罪していた。
「……た、確かに死亡を確認しました。みゃ、脈も止まって、ど…瞳孔も…なのに次の日には起きて生活しているんです。皆は喜びましたよ…ええ、死んだと思った家族が、生きて帰って来たんですから。でも、でも、その内……」
サナンはガタガタと身体を震わせて哭する。
「………か、家族や…隣人を……な、何です…か!あれは、あれは…」
世間に公表されていないその正体を、一介の治療師であるサナンが知る由はなかった。
「………竜禍だ」
「キファーク殿っ!」
「こいつは当事者だ、知る権利があるだろう」
キファークとジルベールの視線が絡み、寸刻の後、ジルベールがフイと目を逸らす。
「サナン。先程までお前も竜禍に浸食されていた」
「………ええ」
「それを治癒したのがこいつだ」
キファークは、ペタンと座り込んだルトを指す。
「……え?…ええ?…その、すみません」
何故謝る?という一同の視線を受けて、ルトは居たたまれず俯いた。
「この世界の成り立ちは知っているな?」
「……神話…ですか?人間、獣人、精霊、魔人の世界、そして神界を継ぎ接ぎして作られたというあの?」
「終末の竜が世界を滅ぼしたから、それを神竜様と魔王様が魔界に封じたにゃ。壊れてしまった世界を、神様が継ぎ接ぎして作ったのがこの世界にゃ」
「猫でも知ってるにゃ」と白猫が補足解説するのは、〈終末の竜〉が世界の穢れを一身に受け、狂ってしまった創世記神話だ。
「ああ、しかし界と界の繋ぎ目は脆く、綻びからは穢れが狂獣となってこの世界に現れる。それを、まあ俺達ハンターが狩って、魔石を回収する訳なんだが。界の綻びからやってくるのは何も狂獣だけじゃない。あいつら狂獣に紛れて、この世に浸食する――それが竜禍だ」
―――――竜禍。
穢れと共にこちらの世界に紛れ込む、病んだ竜の欠片。
それは、人を浸食し、喰らい、広がっていく。
時には人の意識を乗っ取り、歴史を動かす。
時には人を異形に変貌させて、周囲を襲う。
時には人を喰らい、死人の群れとなって広まっていく。
「な、何故、そんな危険なモノを放置するんですか?」
「放置はしてねぇ。だから、俺達がここに来た」
「ですが、その竜禍の発生源の…魔素溜りは…」
「ああ、世界中にあるな……」
「サナン殿。竜禍については、各国の上層部と我々神殿関係者にしか知らされていない。キファーク殿は…」
「俺は仕事で何度か遭遇しててな。一部の上位ハンターは、万一の場合に対応できるように知らされている。それにな、別に世の全ての魔素溜りが危険だっていう訳じゃねー」
今回、キファークがルト達に同行したのも、竜禍の可能性が示唆されたからだという事だった。
「しかし…魔素溜りがある限り、その竜禍に浸食される可能性があるのですよね。何故、全ての魔素溜りを除去しないのですか?」
狂獣が現れる魔素溜りは、それ以上狂獣が発生しないように消し去ることも可能だった。
都市部の近くの魔素溜りから高位ランクの狂獣が発生した場合など、専門家によって魔素溜りそのものが除去される。
「あのなぁー、魔道具で溢れるこの世界にとって、その動力となる魔石を生みだす狂獣は宝の山だ。だから狂獣が増え過ぎないように、討伐して魔石を回収する俺達みたいのが儲かってる。万一、竜禍の危険性があったとしても、どの国も魔素溜りを完全に殲滅しようとはしていない。それが国のお偉いさん達が出した結論だ」
魔石は鉱山から得ることもできるが、その資源も有限だ。まして、全ての国が魔石の鉱床を持っている訳ではない。たとえ、狂獣と共に竜禍がこの世界へ紛れ込む可能性があったとしても、魔石を生みだす手立てを手放す事は統治者としては愚策であると判断したのだ。
「……そんな」
「とにかくにゃー、今は竜禍が侵入したと思われるその魔素溜りを何とかする方が先決にゃー」
竜禍が活発になる日没まで、あと数刻へと迫っていた。
G…それは恐ろしい黒い凶獣。
1匹いたら30匹は潜んでいる。
カサカサと音がしたら、ヤツが近くに!!