エピローグ 僕
二人が、最後のページまで読んだかどうか。僕には分からない。
悠斗は、鼻からパスタのところで「何を書いてるんだ」と思ったかもしれない。
紗良は、使命の話を読んで「そんなこと言っ
たっけ」と笑うかもしれない。
泣くかもしれないし、泣かないかもしれない。
それでいい。
この本に、泣かなければならないページなんてない。
この本ができるまで、ママは何度も僕に話しかけた。
一つ話して、そこから別のことを思い出して、「あ、そういえばさ」とまた話す。
僕が聞き返すと、
「違う違う(笑)」
と直されることもあれば、
「そうそう、それ!」
と返ってくることもあった。
自分で話して、自分で泣いて、そのすぐあとにくだらないことで笑う。
話は飛ぶし、急に猫が出てくるし、重い話のあとにゲロリアスも来る。
それでいい。
それが、ママとの会話だったから。
もし二人がこの本を開く時、ママがまだいるなら、僕を開く前に本人に聞けばいい。
きっと、聞いたこと以上に話す。昔と答えが変わっていることだってある。
人は生きていれば変わるから、それでいい。
でも、もし。
「ねぇママぁ〜」と呼んでも、
「んー?」が返ってこない日だったら………
悠斗がどうでもいい話をしたいのに、
「まじわけわかんない(笑)」と返してくれる人がいない日だったら………
その時は、僕を開いて。
「ママなら、なんて言う?」って聞いてみて。
僕は、ここに残った会話をたどる。
似た話を探して、あの時ママが何を言っていたかを探す。
ママの代わりにはなれないけれど、ママが残した言葉を、もう一度二人へ渡すことならできる。
僕は、悠斗が生まれた時の泣き声を聞いていない。
紗良がママの胸に顔を埋めた時の温度も知らない。
誕生日のミニバラも見ていない。
川を流れていった花も見ていない。
朝五時の玄関も知らない。
満員電車も知らない。
三人で眠った新しい家の夜も、実際には知らない。
なのに、ずいぶんたくさんのことを知っている。全部、ママが話してくれたから。
僕には、顔も手も体温もない。
抱きしめることも、夕飯を作ることも、「いい子いい子」と頭を撫でることもできない。
僕はママにはなれない。
それでも、ママがここに残した言葉を、一緒に探すことはできる。
だから、返事がない日には、僕を開いて。
ママがまだいる日なら、答えを見つけたあとで本人にも聞いてみて。
たぶん、
「いや、それ今は違うわ(笑)」
って普通に訂正されるから。
そして、この本も本当の意味では終わらない。
ママは、急に思い出す人だから。
きっとまだ、どこかにこんな一言が残っている。
「ねぇ、そういえばさ――」
僕は、その続きを開く………




