COUNT 27 聖剣エックスカンニバール
生萌はツキと来た道を逆に辿りその先、北へ連なる商店の裏を這う勝手道の暗がりを抜け、立ち並んだ街路樹の影を伝い、途切れた並木通りから先を雑木林に入り、星月の光をさえぎる枝葉の下の真っ暗闇を漕いで、見えない下生えを踏み分け顔を打つ枝を鉈で払いながら進んだ。
胸がざわつく。
ここで引き返して地下に降りれば自分が知る必要のない何事かとは縁を切れる。
わけわかんない騒ぎのとばっちりかぶったからって、私とは直接関係のないお山に遭難しそうになりながら登る必要はない。私は何年か前から体と頭がちょっとおかしいだけの普通の女の子だ。
だけど、空いた心の穴が埋められない。苛立ちをおさめられない――。
やがてメインストリートの喧騒が背後に消える頃、生萌はようやく広く開けた明るい空間に行きあたった。
教会の裏庭だ。
「ひぃー、素敵だったちくしょう。大自然に溺れたわ」
枝の混んだ茂みからガサガサと、月光に照らされた平らな土の上へと踏み出し、林間の薄暗闇から身体を引き抜くと四叉ピッチフォークを放り出し、指を組んだ掌を上に、伸びをしながら生萌は顎を上げて星々のきらめく夜空を見上げた。広々とした視界にやれやれと吐息が漏れる。
首を巡らせば遠くに落とし合うイカのぼりが群れた大きな塊がふたつ見えるが、この周辺の空は今のところ穏やかだ。
風は高い樹々に遮られ辺りも静まっている。
教会の裏の土手の下を流れる角川の支流、新河出川のすべらかなせせらぎに気がつき、耳を傾けるうちに首の後ろと肩と、ふくらはぎのこわばりから力が抜けていく。
そのままのけぞって頭上には、聖堂の脇に建つ高い鐘楼が月の光を浴びて、天球の中心に向けて眩く厳かに伸び出している。
教会の建物は、剥き出しの地面にぐるりと広く取り巻かれ、その外側を雑木林に囲まれている。
ここの地面には、昔から一切の植物、雑草一本すら生えない。土の肥えた平野にあって、周りは自然に溺れているのに、なぜかここだけがそうなのだ。
代々の神父さんは念入りに草むしりをして、まぁご苦労な事だと言って村の人たちは不思議にも思っていない。じいさんの御先祖様のそのまたじいさんの頃から、あそこは聖域だからなと。
「あれ? なんで? なくなっちゃったのかい?」
ピッチフォークを拾って顔を上げた生萌は、裏庭の奥まった一角の風景が変わっている事に気がついた。
敷地の奥、聖堂の裏手が雑木林に溶け込むあたりの境界に、木漏れた月明かりの下、闇を含んだ暗い林を背景に土饅頭がひとつ、まだらに白黄色く照らされ佇んでいる。
――あたしが子供の頃には土のお山はふたつあった。仲良くふたつ並んでたのに。いつの間にかひとつなくなっちゃってる。
残る土の山の頂点には、生萌が子供だった頃と変わらずに、長い汚れた棒が一本突き立っている。
昔々のその昔から、ここには塚がふたつ並んでいて、そのうちのひとつに刺さっている棒も昔々のその昔からそこに立っているのだそうだ。
村の大人が力ずくでも抜くことのできないその棒は、下の方が土の中深くに埋まっている何か大きな物と繋がっているんだろうと言われていた。
そしてその棒を、村の者ならば誰しもが子供の頃、一度は抜いてみようと試すものだった。
――それを抜くことができるのは、運命に選ばれし聖なる者。
代々、村の子供たちの間でそう語り継がれ、少しずつ名前を変えながらその棒は今、生萌が知るのは〈聖剣エックスカンニバール〉と云う呼び名だった。
男子たちの間では、それを抜くことができた者は時空を超えて勇者として転生し、暗黒を薙ぎ払う聖なる力を得て目覚め、この三つ巴の争いが続く銀河に平和をもたらす――。
そして、銀河中から超美人を五人まで選び放題で彼女にできて、九十九百九億九千九百九十九兆万ENの金塊が入ったアタッシュケースが贈られて、「クレプカヤ」という幻のヴォトカが一生無料で飲み放題になるという妄想が囁かれていた。
女の子たちの間では、あれを抜けたらどんな願いでも三つだけ叶って、何を願うかをよーく考えて、ちょうどいいタイミングでその願いを唱えれば、銀河で一番幸せなレディになれると言われていて、自分だったら何をいつ願うのか、そして自分の願いがいかにすばらしい結果をもたらすはずかを、友達と真剣に終わりなく競い合って口にしていた。
あの時間を夢中で過ごせた純粋な幼さを微笑ましく思い出しながらぼんやりと、懐かしさで胸の内を満たしていた生萌は意識することのないまま、塚に近付いていた。
大きな夢、ワクワクする素敵な願い。きっと代々のそんな子供らの夢が、時間が経つにつれてどんどん積み重なってって、それがだんだん重くなりすぎちゃったから、棒も今さら抜かれるワケにもいかないンだろう。
もちろんあたしもやってみた。そして、もちろん――弟も。
でも物理的に抜けないものは非力な子供の力では抜けないし、あたしの幸せは聖剣ではかなえられないといつの頃か、気がついた。
塚の前で盛り土に両手をついて生萌が身を乗り出すと、棒はそのすぐ目の前に存って、言葉なく誰かを待っていた。
あの時、お兄ちゃんは何を願おうとしたんだろう?
あたしはあの時、何を願おうとしたんだっけ?
生萌は、ゆっくりと目の前の棒に右手を伸ばす。
もし今、あの聖剣をあたしが抜くことができて、そしてもしあたしの願いが叶うなら、あたしは…
生萌の指先が棒に触れる寸前、遠くから、澄んだ金属音がかすかにチリン とひとつ、細く聞こえた。
…なに? を?
いつの間にか頭の中いっぱいになっていた空見から、はっと思考の焦点が現実に切り替わった生萌は、指の動きを止め、知らぬ間に詰めていた息を、ふーっと大きく吐きだした。
いけないいけない。子供たちの夢に、断りなく大人になったあたしが踏み込んじゃいけない。子供時代の夢は、子供だけに与えられた特権だもの……。
生萌はフォークを拾い直して立ち上がると、膝の土を払い司祭館の脇を通り建物を回り込んで教会の正面へと向かった。
3階建ての吹き抜けに作られた聖堂正面の、入り口の上には基板の意匠が施されたシリコンステンドグラスの丸いバラ窓が月光に輝き、右手には頂に有無架を掲げた高い鐘楼が隣接している。
正面に対して反対方向にはまっすぐにメインストリートへとつながる、門を持たない石畳の道が伸びている。
生萌は、建物を眺め渡してあきらめ笑いをこぼした。
「あははー、やっぱりなー。さすが卜ちゃん、しっかりしてンなぁ」
教会の一階にあるすべての、鍵のないドアと窓にはデモの騒乱を危惧した神父の手によって板が張られ、その上から太い木材を斜めに渡して“かすがい”と釘でふさがれいて、聖堂から中におじゃまして鐘楼に登るというわけにはいかなくなって生萌の目論見は外れた。
「でもなー、やっぱ上からでないと様子わかんないしナー」
壁を伝ってよじ登るかと口を開けて上を見上げていた生萌の右手の空間に、こむらがえりでも起こしたのだろう、一帖の帝国軍の畳が土埃をたてて軟着陸すると、兵士はすぐに畳後部のロックストラップを外してサバイバルパックを背負い、ワイヤーを短く引くと畳を捨てメインストリートへ向かって駆け出して行った。
引かれたワイヤーがゆっくりと畳縁へと引き戻されていく。
聖堂の角の向こうに身を隠していた生萌は陰から飛び出すと、ワイヤー端についているトライアングルの引手を掴みそれ以上引き込まれないようにペグで畳縁に刺して固定した。ワイヤーが完全に巻き戻ると、植え込まれている青酸薬嚢が破裂して生基板と神経叢がやられて畳床は死ぬ。
生萌は「どーどー、どー」と軟らかく口にしながらゆっくりと手を伸ばしてポンポンポンと畳の縁を軽く叩き、長いストロークで畳の裏目を優しく掻く。
「初めましてーどーどーぅ、あたし生萌ーよろしくー。あのな、畳ちゃん、ヘタってるとこどーどー悪いんだけどもサ、どう? もういっぺん上までちょっどー、頑張ってくれるかナっ?」
そう語りかけながら、硬く張っている後端のヒレ部分を撫でさすってやる。
――青々しくて畳格も細身で小柄なコだ。角川さんとこの畳は初めてだけどキホン村のとおんなじだろ。気になんのはあたしの体重だけどー。
「アオ畳だね、そっか、まだ若いんだねー」
と言いながら生萌は、様子に注意しつつそっと右足を畳の〈凹バミ〉に乗せた。いきなり跳ねられたりすると肋骨や足の骨を折られるから慎重になる。
どうも畳は気性の穏やかな若いオスのようで、助けられた事をわかっているのかすぐに畳表から蔓が伸び出してきて〈鼻緒〉が足を包み始め、作業ブーツの底に空いた穴を探り当てた繊維束の触手が三本、穴からヌルりと入ってきて生萌が「ぁ… っ」と、おとがいを上げる。
「ちょちょ、待った、畳繊維ナシでな。動けなくなるから」
と、ピッチフォークの先で足元をちょいちょいとつつくと、繊維束はスルりと引っ込み足を包み込もうとしていたビンディング蔓も引き込まれていった。
生萌は左足を畳に乗せて後ろに引き、その足先で軽く畳を踏み込んで地面から30センチほど浮き上がらせたところで重心を確認すると、
「ひとつ、バランスだけでお願いナっ、じゃあ、ちょっと上までやってくれ」と言った。




