第二十話 第一訓練③
かまいたちの群れを退けた俺たちは、鬱蒼と茂る仮想の森をさらに奥へと進んでいた。
戦闘の余韻が冷めやらぬ中、自身の防護服に取り付けられた端末から無機質な電子音が鳴り、画面に『討伐ポイント加算』の文字が浮かび上がった。
「どうやら、下級の化心体でも律儀にポイントは入るらしいな。微々たるものだが」
「塵も積もればなんとやら、だね。とはいえ、この広大な森を歩き回って先ほどのような個体を少しずつ狩り続けるのは、二時間という制限時間を考えるとあまりにも非効率だ」
悠真が森の奥を見据えながら推測を口にする。
彼の言う通りだ。このサバイバル訓練の目的は、単なる戦闘技術のテストではない。限られた時間とリソースの中で、いかに効率よく目標を達成するかという、執行者としての戦術眼も試されているのだろう。
「なら、どうする? 闇雲に歩き回るより、何かアテがあるのか」
「化心体は、恐怖や噂が寄り集まって強大化する性質がある。つまり、より濃密な恐怖の概念が渦巻いている場所――空間の創造力密度が異常に高い場所を目指せば、必然的に大量のポイントを内包した強力な個体と遭遇できるはずだ。いわゆる、このエリアのボス格だね」
「なるほど。ちまちま稼ぐより、デカい獲物を一撃で仕留めてトップに立とうってわけか。俺もそっちの方が性に合ってる」
しばらく森を歩き続けると、不意に、遠くの空が黄金色に閃光を放った。遅れて、微かな地響きが足元に伝わってくる。
さらに別の方向からは、木々の隙間を赤々と染めるような炎の光が立ち上るのが見えた。
「派手にやってるな。あれは白恩の野郎と、なつめたちか」
「おそらくね。転送座標がバラバラとはいえ、これだけ自己主張の激しい力がぶつかり合っていれば、他の小隊も嫌でも巻き込まれるだろう。僕たちも、あまりのんびりとはしていられないかもしれない」
「白恩のやつ、初っ端からあんなに飛ばして身体がもつのかね」
「彼なりの焦りがあるのだろう。誇り高いが故に、誰よりも早く結果を示さなければならないという重圧がね」
悠真は目を細め、黄金の光が消えた空を静かに見つめた。
決闘で殺し合いの一歩手前までいったというのに、悠真の口調には翔を貶めるような響きは一切ない。ただ、事実を淡々と分析しているだけだ。
「よし、俺たちも急ごう」
関の短い合図で、俺たちは歩くペースを上げた。
さらに森の奥へ進むにつれて、周囲の環境が明確に変化し始めていた。
先ほどまで頭上を覆っていた人工的な太陽の光は、分厚い葉に完全に遮られて届かなくなり、代わりに足元から冷たく不気味な白い霧が這い出してきたのだ。
風の音も、虫の羽音も、一切聞こえない。まるで、森全体が息を潜めて何かの存在を恐れているかのような、異常な静寂が支配している。
「空気が重いな。さっきまでの森とは明らかに違う」
「ああ。この淀み……そして、空間に漂う膨大な創造力の残滓。どうやら、目的の場所に近づいているらしい。この先に、尋常ではない創造力が集中している」
悠真が立ち止まり、前方を指差した。
立ち込める白い霧の奥、不自然なほどぽっかりと開けた円形の広場があった。草木は枯れ果て、まるでそこだけ命の息吹が根こそぎ奪い去られたかのような荒涼とした空間だ。
「ここが、ボス格の住処ってわけか」
俺は警戒心を強め、右手の感覚を研ぎ澄ませた。
関が一歩、広場の境界線へと足を踏み入れた。その瞬間だった。
俺たちの足元の影が、不自然なほど長く、濃く伸びていく錯覚を覚えた。
鼓膜を直接撫で回されるような、言語を絶する悍ましい鳴き声が、森の静寂を切り裂いた。
鳥の悲鳴のようでもあり、獣の咆哮のようでもある。聞く者の神経を逆撫でし、本能的な恐怖を呼び覚ます不協和音。
広場の上空に、どす黒い雲が急激に渦を巻き始めた。
「なんだ、あれは……?」
俺は思わず息を呑み、右手に創造力を集めかけた。
黒雲の中から、なにかが実体化していく。重々しい着地の衝撃が大地を揺らし、広場の中央に降り立ったのは、体長五メートルは下らない異形の化け物だった。
顔は猿のように醜く歪み、血のように赤い双眸を光らせている。
胴体は丸みを帯びた狸のようだが、その四肢には虎のような強靭な筋肉と、岩をも容易く抉るであろう鋭い爪が備わっていた。そして極めつけは、背後で独立した意志を持つかのように鎌首をもたげる、巨大な毒蛇の尻尾だ。
「猿の顔に、虎の手足、蛇の尾……全く統一感のない悪趣味なキメラだな」
「……『鵺』だ」
悠真が鞘を構えながら、静かに、だが確かな緊張を孕んだ声でその名を口にした。
「鵺……あの有名な妖怪か」
「ああ。正体不明の恐ろしいものの象徴として、古くから人々の恐怖を集めてきた妖怪の代名詞だ。得体の知れない噂や畏怖が積もり積もって生まれた化心体としては、最高クラスの危険度を誇る。……どうやらグレイ先生は、僕たち新入生を本気で振るい落とすつもりらしい。あいつを倒せば、ポイントの心配は必要なくなるだろうね」
仮想界のシステムが用意した、このエリアの絶対的な支配者。
先ほどの個体とは比較にならない。そこに立っているだけで、肌を刺すような悪意と殺気が波のように押し寄せてくる。
「……上等だ。いくぞッ」
俺の言葉を皮切りに、鵺がこちらを射抜くように睨みつけ、虎の四肢で地面を抉るように蹴り出した。
「来るぞッ!」
巨体に似合わぬ凄まじいスピード。五メートルの巨岩が、弾丸のような速度で飛んでくるのに等しい。
だが、鵺の鋭い虎の爪が俺たちを引き裂くより早く、関の巨大な背中が立ち塞がった。
「――『結晶鎧』!」
関の全身を、極限まで密度を高められた青き結晶の装甲が覆い尽くす。
鵺の渾身の爪撃と、関の結晶鎧が正面から激突した。
爆発的な衝撃波が周囲の霧を吹き飛ばし、木々の葉を散らす。並の創造者なら、防護服の上からでも全身の骨が粉砕されて肉塊になるほどの絶対的な質量と速度。
しかし、関は両腕を交差させた防御姿勢のまま、その凶悪な爪を完璧に受け止めていた。
「重いな。だが、抜かせはしない」
関の鎧の表面に硬質な亀裂が走る。だが、瞬時に新たな結晶が生成され、傷を修復していく。
彼の鎧は、ただ硬いだけではない。
己の創造力が尽きない限り、無限に再生し続ける不落の城壁。
とはいえ、関自身が耐えられても、周囲の環境がその衝撃に耐えきれなかった。関の足元の地面がひび割れ、後方へと引きずられるように深い轍が刻まれていく。
「関くんが前を抑えている間に、隙を突く!」
悠真が横から飛び出し、鞘のままで鵺の脇腹に強烈な打撃を叩き込んだ。
創造力で強化された鞘の一撃。重い音が響き、鵺の巨体がわずかに揺れる。
だが、鵺もただの的ではない。背後の毒蛇の尾が不気味にうねり、悠真と関の頭上から紫色の猛毒の雨を撒き散らした。
「させねェよッ!」
俺は右腕から鎖を射出する。最大出力ではない。燃費を抑え、ロープのようにしなやかにコントロールした鎖を、空中で蛇の尾に巻き付けて軌道を強引に逸らす。
猛毒の雨は俺たちを逸れ、地面の草木に降り注いだ。草木を溶かす嫌な音と共に、仮想の植物が瞬く間に腐食していく。
一滴でも防護服に触れたら、セーフティが起動して強制リタイアにされるかもしれない。
尻尾を封じられた鵺が、苛立ちに任せて上空の黒雲に向かって咆哮を上げた。
すると、広場を覆う黒雲の中で紫色の雷光が明滅し始め、空間のデータが急激に書き換えられていくような嫌な感覚が肌を撫でた。
「マズい、来るぞ!」
関の叫びと同時、無数の雷の矢が広場全体に降り注いできたのだ。
「直接打撃が駄目なら、今度は遠隔からの雷撃ってわけかよ。どんだけ多芸なんだよアイツ!」
俺は鎖を引き戻し、自身の頭上で高速回転させて即席の盾を作り出す。雷撃が鎖に直撃し、腕の神経を焼くような痺れが伝わってきたが、なんとか直撃は免れた。
関も結晶鎧を分厚くして落雷に耐えているが、このまま広範囲のエネルギー攻撃を撃たれ続ければジリ貧だ。
「鵺という化心体の本質は、複数の異なる恐怖の集合体。物理、毒、雷……多彩な攻撃手段こそが強みというわけか」
雷雨の中で、悠真が静かに立ち上がった。
彼は一切の恐怖を感じさせない涼やかな顔で、自身の武器である鞘を、上空の黒雲と鵺に向かって真っ直ぐに突き出した。
「おい悠真! なにやってんだ、鞘ごと黒焦げになるぞ!」
「……輪、関くん。少しだけ時間を稼いでくれ」
「時間を稼ぐか、わかったできるだけ早く頼むぞ」
関が俺の前に出て結晶の盾をさらに広げた。
「――適応開始」
悠真が呟く。
鞘の表面に刻まれた幾何学的なラインが、淡い光を帯び始めた。
鵺が悠真の異変を察知し、最大の標的を彼に定めた。虎の爪による突進、蛇の尾からの猛毒、そして黒雲からの極太の雷撃。鵺が持つすべての殺意が、無防備な悠真へと収束していく。
「やらせるかよッ!」
俺は右腕に創造力を集め、地面に鎖を打ち込んで強引に壁を作り出し、猛毒の飛沫を防ぐ。関は鵺の突進を正面から受け止め、巨獣と力比べをするように拮抗した。
耳を劈くような落雷の轟音と共に、鵺の放った極太の雷撃が、防ぎきれずに悠真の鞘に直撃する。
だが、爆発は起きなかった。雷のエネルギーは、まるで避雷針に吸い込まれるように、悠真の鞘の表面を這い回って吸収されていく。
悠真の顔に、初めて苦痛の色が浮かんだ。鵺の放つエネルギーがあまりにも複雑で強大なために凄まじい負荷がかかっているのだ。
「どんなに多彩でも……所詮はひとつの器に収められた、創造力の塊に過ぎない……!」
悠真の鞘の明滅が、ピークに達した。吸い込んだ雷の紫色と、毒の瘴気が、鞘の中で激しく渦巻いているのが素人目にも分かる。
「波長さえ解析できれば、僕の剣は……すべてを断つッ!」
澄んだ、ひどく美しい音が森に響き渡った。
「――適応完了」
悠真が、鞘の柄を強く握りしめる。
彼の『無双の剣』という能力は、基本は剣とは呼べない代物だろう。
刀身は存在せず、ただ柄に鞘が接続されただけの虚ろな器。
だが、適応が完了した今、それは鞘であることをやめる。
器そのものが、反逆の刀身へと成るのだから。
「刃なき器は、汝の理を喰らいて満ちた」
悠真の静かな声が、雷鳴を切り裂いて森に響く。
鞘の表面に刻まれた幾何学的なラインから、極光のような眩い光が溢れ出した。
「殻を捨て、形を変え、我が手に真実の刃を成せ」
「――刀身解放」
鞘から引き抜かれたのではない。
雷と毒のエネルギーを完全に逆位相へと変換した鞘そのものが、純粋な光の刃として具現化し、相手の能力を殺すためだけの絶対的なカウンターの剣へと変貌を遂げたのだ。
「これが、僕の『無双の剣』だ」
眩い光が、仮想の森の暗闇を白く染め上げた。
悠真が静かに刃を振りかぶる。
その切っ先が向かう先は、ただ一つ。すべてを蹂躙しようと立ちはだかる、異形の化け物のみ




