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第十二話 第一歩

入学当日。

 自室の姿見の前に立ち、俺は真新しい制服の袖に腕を通した。

 師匠から聞いていた通りだ。この「天令」の制服は、ただの衣服ではない。身に纏うことで、学校へ至るための『扉』が開く鍵となるらしい。

 黒を基調とし、銀糸で緻密な幾何学模様の刺繍が施されたジャケット。

 フロントのボタンを上まで留めきった、その瞬間だった。


「っ……!」


 ふと、視界がわずかに歪んだ。

 同時に、体の奥底から何かが一気に「吸い取られる」ような、奇妙な喪失感に襲われた。痛みはない。ただ、肺の空気をすべて吐き出した後のような、あるいは徹夜で作業に没頭した明け方のような、心地よい疲労感に似た脱力感。

 おそらく、吸い取られたのは俺の『創造力』だろう。

 直後、部屋の中央、何もない空間に「亀裂」が走った。

 まるでガラスにヒビが入るような高い音を立てて空間が割れ、そこから眩い青白い光が漏れ出している。縁が陽炎のように揺らめくその空間の穴。

 間違いない。これが『扉』だ。

 この光の向こう側が、空間を跳躍した先にあるという学校に繋がっているはずだ。

 だが、このまま飛び込むわけにはいかない。

 俺は小さく深呼吸をして、一度部屋を出た。

 階段を降り、一階のリビングへと向かう。

 ダイニングテーブルでは、父さんがコーヒーを飲みながら新聞に目を通していた。俺の足音に気づき、こちらに顔を向ける。


「父さん、どうだ?」


 少し照れくささを誤魔化すように、両腕を広げて制服姿をアピールしてみせた。

 父さんは少し目を丸くした後、目尻に深い皺を寄せて優しく笑った。


「ああ、似合っているよ。すっかり見違えたな」


 気恥ずかしいながらも、悪い気はしない。

 父さんは立ち上がり、俺の肩をポンと軽く叩いた。その手は、少しだけ震えているようにも感じられた。


「もう、行くのかい。……寂しくなるな」

「ああ、もう行くよ」


 実は、俺がこれから通う創造者育成学校「天令」は、完全寮制の特殊な機関だ。

 外界との接触は厳しく制限され、盆や正月であってもおいそれとは帰省できない。その代わり、学費や生活費は一切かからないどころか、逆に学校側から高額な給料が出ることもあるらしいと師匠から聞かされている。

 特別な才能を持つ者だけが集められ、国家の未来を担う「創造者」として鍛え上げられる場所。それが天令だ。


「そうか。……いってらっしゃい。くれぐれも、風邪ひくなよ。無茶だけはするな」


 心配性の父さんらしい、簡潔だけど温かい言葉。

 特別な力を持たない父さんにとって、俺が足を踏み入れる世界は想像もつかない場所だろう。それでも、俺の背中をこうして押し出してくれる。


「ああ、行ってきます」


 短く返し、俺は踵を返した。

 これ以上顔を見ていると、決心が鈍りそうだったからだ。


♦︎♦︎♦︎


 自室に戻り、青白く光り続ける『扉』の前に立つ。

 ボストンバッグの持ち手を強く握り直す。

 よし。

 父さんへの挨拶という要は済ませた。朝食後の歯磨きはしたし、寝癖のないよう髪も整えた。緊張でお腹が痛くならないよう、トイレも済ませた。

 忘れ物はない。準備は万端だ。


「行くぞ」


 自分自身に気合いを入れるように呟き、俺は光の亀裂へと足を踏み出した。

 視界が真っ白に染まる。

 フワリと重力が消失したかと思うと、次の瞬間には、足の裏に硬い大理石のような感触が伝わってきた。耳をつんざくような風の音が止み、代わりに大勢の人間のざわめきが鼓膜を打つ。

 光が収まり、視界がクリアになる。

 ――ここが、天令。

 見上げれば、首が痛くなるほど高いドーム状の天井。ステンドグラスから差し込む光が、広大なエントランスホールを幻想的に照らし出している。

 ここから始まるんだ。これが、俺の理想の創造者に近づくための、記念すべき第一歩なんーー


 ゴツッ!


「「痛っ!!」」


 感傷に浸ろうとした瞬間。

 鳩尾から腹のあたりにかけて、何かが勢いよくぶつかってきた。

 予想外の衝撃に、俺は「ぐふっ」と情けない声を漏らしながら数歩後ずさる。


「い、ったぁ……。なに……?」


 足元から、鈴を転がすような、けれど明らかに不満げな少女の声が聞こえた。

 痛む腹を押さえながら目を下に向けると、まず飛び込んできたのは『白』だった。

 いや、白髪だ。

 透き通るような、月明かりを溶かしたような美しい純白の髪。

 俺の胸の高さほどしかない小柄な少女が、床にペタンと座り込み、涙目で自分のおでこをさすっている。

 どうやら、俺が扉から出てきた直後、前方不注意で歩いていた彼女と正面衝突してしまったらしい。

 それにしても、とんでもない石頭だ。鳩尾にめり込むかと思ったぞ。


「なんでこんなところに壁が……?」


 少女は潤んだ赤い瞳をパチパチと瞬かせながら、理不尽なものを見るような目で俺を見上げてきた。


「いや、壁じゃない。人だ」


 俺が呆れ気味にツッコミを入れると、彼女はさらに目を丸くし、ポカンと口を開けた。


「……壁が、人に?」

「元々人ですがッ!!」


 俺の叫びが、広大なエントランスホールに虚しく響き渡る。

 綺麗な白髪とまるでおとぎ話から抜け出してきたような可憐な容姿をしているのに、口から出る言葉はひどくポンコツだった。

 理想への第一歩は、どうやら前途多難なものになりそうだった

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