第22話『告白』
再び応接室に戻ってきたエルンストは、単刀直入に切り出した。
「あなたには、私に協力してほしい」
縮こまっていたクレアの肩が、ピクリとはねる。
「先ほど、マチルダ嬢から話を聞いた。
どうやら、吸血鬼めはあなたに強い執着心を抱いているようだ」
「え……? ど、どういうことですか?」
「『クレアには手を出すな』と、マチルダ嬢はやつに脅迫されたと言っているのだが、間違いないな?」
「すみません……なんのことか、わかりません」
クレアは平静を装うように、両手を膝の上で組み、エルンストをまっすぐに見つめてくる。
しかし、その目には隠しようのない動揺の色がにじんでいた。
(やはりな)
エルンストは内心で確信を深めながら続けた。
「正直に言おう。私は、マチルダ嬢の告発を全面的に信用したわけではない」
「え?」
「以前から、マチルダ嬢とあなたの間にいざこざがあったことは、こちらでも把握済みだ。
よって、あの女はあなたを陥れたいだけだと、こちらは判断した」
目尻を下げ、優しい声音で語りかけるエルンスト。
クレアの表情に、わずかに安堵の色が浮かぶ。
(だが、それとこれとは話が別だ)
エルンストは猛禽のような鋭い眼光で、クレアを射抜いた。
「しかし、だからといって、完全に無視するわけにもいかない。
万が一、本当に吸血鬼があなたに執着しているとすれば、大問題だ」
「……はい」
「そこで、ひとつ実験を行いたい」
クレアのほっそりとした喉が、ゴクリと鳴った。
「あなたには当分、夜ひとりで街を歩いてもらう。
もし、本当に吸血鬼があなたに執着しているのなら、やつは必ず姿を現すはずだ。
そこを、私が討伐する」
「で、でも、それは危険では……」
「安心したまえ。私がつかず離れずの距離から監視する。
決してあなたに危害が及ぶことはない」
エルンストは少し間を置いてから、決定的な一言を放った。
「それに、これはあなたの潔白を証明する好機でもある」
クレアの表情が、再び凍りつく。
「潔白って、さっきはマチルダさんの証言なんて信用してないって……」
「完全にはな。だが、かといって、市民からの通報を、黙殺するわけにもいかない」
(私個人の勘が、貴様をクロだと言っているのだ)
エルンストは、クレアを安心させるように両腕を広げた。
「期限を決めよう。一週間! 一週間だけ、夜はひとりで帰宅してほしい。
もし、その間に何事もなければ、私は以降いっさいあなたを疑わないと誓おう。神に誓って」
「……一週間だけで、いいんですね」
「ああ。それ以上のことはなにも要求しない。マチルダ嬢にも、私から言って聞かせよう。どうだ?」
しばらくの間、クレアはためらうように視線をさまよわせていたが、やがて震える声で答えた。
「……わかりました。協力します」
「感謝する」
エルンストは満足げに微笑むと、懐から小さな銀のペンダントを取り出した。
「これを肌身離さずつけていてほしい。吸血鬼除けの聖別された銀で作られている。
万が一のときのお守りだ」
クレアは恐る恐るそれを受け取った。
「では、今日からよろしく頼む。あなたの潔白が証明されることを祈っているよ」
◆
その日の夕方。
気もそぞろで業務にあたっていたクレアは、目の前に人影が差すのを感じて、顔を上げた。
「アッシュさん」
「お疲れ様です。今日の仕事が、終わりましたので……」
「はい、ありがとうございます」
マチルダに当てこするように、おろしたてのシャツとズボンでやって来たアッシュだった。
普段なら、くすりと笑みをこぼすところだが、今のクレアにそんな余裕はなかった。
(どうしよう。伝えなきゃ。絶対に私のところに出ないでって)
クレアはエルンストの冷たい目を思い出し、背筋が寒くなった。
口では『疑っていない』と言いつつ、問答無用で危険な囮役を押しつけてきた、あの強引さ。
吸血鬼さえ釣り出すことができれば、自分のことなど、どうなってもいいと思っているに違いない。
(ただ私を泳がせるだけじゃない。きっと、なにか仕掛けてくる)
こちらが吸血鬼に目をかけられていると知っている以上、エルンスト本人が、直接ちょっかいを出してくることはないだろう。
だが、吸血鬼がクレアを守らなければならない状況を作ることには積極的なはずだ。
たとえば、そのへんのゴロツキをけしかけてくるとか。
(アッシュさんなら、きっと助けに来てくれる。でも、それだとお互いにまずいことになる)
しかし、助けに来ないで、と前もって言っておいたとすると、それはそれで懸念が生じる。
それは、
(エルンストさんが、自分で差し向けたゴロツキから、私を守ってくれるのかどうかってこと)
無論、命まで取るような真似はさせないだろう。
それでは、囮として使っている意味がなくなる。
しかし、それ以外のことは許容しているとしたら?
エルンスト目線で考えてみる。
自分が吸血鬼とつながりがあるのは、ほぼ確実(マチルダが余計なことを吹き込んだのだろう)。
あとは、徹底的にこちらを追い込み、吸血鬼が痺れを切らすのを待つだけでいい。
最後まで吸血鬼が現れなければ、適当にゴロツキを追い払い『あともう少しだ』とか言って、任務を続行させる。
期限である、一週間が過ぎるまで。
クレアはぞっとした。
(無理無理無理! そんなの、耐えられない!)
いったい、どうすればいいのか。
助けを求めれば、審問官に殺され。
助けを拒否すれば、死ぬよりも惨い目に遭わされる。
アッシュと事務的な雑談を交わしながらも、クレアの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
考えれば考えるほど、悪い方向にばかり想像が膨らみ、ちっとも先の展望が見えない。
完全な八方塞がりだ。
(誰か、教えてよ。どうすればいいの?)
そう思った、そのときだった。
「……クレアさん?」
「はい。なんでしょう?」
「涙が」
「え?」
アッシュに指摘され、頬を触ると、確かにそこには一条の湿った涙痕が残っていた。
とっさにごまかそうとして、クレアは明るい表情を作る。
「あ、あはは。すみません、ちょっと疲れてるみたいですね。
今日は早めに上がりますから、ご心配なく」
「クレアさん」
クレアの言葉を無視し、アッシュはじっと彼女の目を見つめた。
エルンストと、目線の高さはほぼ同じ。
だが、アッシュの視線には、エルンストのそれにはない、不器用な思いやりがこもっていた。
「……明日の作業について、聞きたいことがあるので、馬小屋まで来ていただいてもよろしいでしょうか?」
「馬小屋? 明日の作業は、ドブさらいですけど……」
そこまで口にしたところで、アッシュがわずかに片眉を動かした。
わかっているから、黙って来てくれ、と言いたいのだろう。
(気づいてくれたんだ)
クレアは感謝の念で胸が一杯になりながら、大きくうなずいた。
◆
とっぷりと日が暮れ、辺りには夜の帳が降りている。
のんびりと飼い葉を食む馬たちを、クレアがまんじりともせずに眺めていると、
「お待たせしました」
ギルドの建物の影から、アッシュがぬっと姿を現した。
クレアはすぐに振り向き、ぱあっと顔を明るくしながら一礼する。
アッシュの頼りない痩躯を見て、こんなに頼もしい気持ちになったのは、初めてだった。
「では、立ち話もなんなので、行きましょうか」
「え? どこに」
「俺の家です」
言うが早いが、アッシュはクレアを抱きかかえると、一気に屋根の上まで跳び上がった。
あまりの早業に、クレアは悲鳴を上げることもできず、ただ目を白黒させながら、彼の顔を見上げるだけだった。
「え!? いや、あの、これ……!」
「審問官が来たんですよね」
「あ、はい。そうですけど、なんで……」
「あなたから、審問官が使う魔除けのアミュレットの匂いがしたので。
もう、ギルドの周辺であなたと話すのは危険だ。どこにネズミが潜んでいるかわからない」
こともなげにそう言いながら、アッシュはとんとんと屋根伝いに街を駆け抜けていく。
高速で背後に飛び去る風景を尻目に、ただクレアは彼の横顔に見とれていた。
昼間の疲れ切った様子とは、打って変わって精悍な顔立ち。
目線ひとつにも、鋼のような強い意志が感じられる。
クレアは、とうとう肝心なことについて問いただした。
「じゃあ、もしかして、あなたが……」
アッシュは、腕の中のクレアに視線を落とし、生真面目に首を縦に振った。
「はい。俺が件の吸血鬼です」
その大きな黒い瞳に、月明かりに照らされた自分が映っていることに気づき。
クレアの心臓が、ひときわ大きく高鳴った。
◆
一方その頃。
「どこっ!? どこに行ったの!?」
ネズミが馬屋のそばで嗅ぎ回っていたが、すでに後の祭りだった。




