第21話『白翼の徒』
(嘘。もう来たの? まだ一週間も経ってないのに)
クレアは緊張で喉が干上がるのを感じながら、笑顔で応対した。
「はい、当ギルドでも吸血鬼の目撃情報はいくつか挙がっております。ご希望でしたら、写しを作成して、後日お渡しいたしますが、いかがでしょう?」
マニュアル通りの対応をしたつもりだったが、エルンストに引き下がる様子はなかった。
カツン、カツンとブーツの底を鳴らしながら、少しずつクレアのほうに近づいてくる。
「質問の仕方が悪かったようだな。ならば、もう一度聞こう。
私は、あなた個人の心当たりについて聞いているのだ、クレア嬢」
(なんで、こんないきなり、私ひとりに絞って決め打ちしてくるわけ!?
もしかして、情報が漏れてるとか?)
恐怖と混乱で頭がぐちゃぐちゃになるクレア。
それでも、プロ根性で顔には一切出さず、考え込むような素振りを見せてから、首を振った。
「……いえ、ありません。なにも」
「本当だな?」
「はい。神に誓って」
エルンストはクレアの眼前にまで迫り、腰をぐっと曲げて彼女の顔を覗き込んだ。
端正な面立ち。
しかし、その怜悧な眼差しには、一欠片の人間味も感じられない。
まるで、よくしつけられた鷹のようだ。
威圧感のあまり、クレアは息をすることもできなかった。
数秒ののち、エルンストはクレアから離れた。
「失礼した。悪い癖でね。なぜか『あなただ』と思ったのだ。
私を見た瞬間、少しだけ身体がこわばったから」
「あはは……すいません。ちょっと、睨まれたのかなって思っちゃって」
「重ねて失礼。あなたのような美しい女性を不快にさせたとあっては、審問官の名が廃る」
先ほどまでの圧迫感はどこへやら。
冗談めいたことを口にして、エルンストは一礼した。
本当に、これで自分はノーマークになったのだろうか。
それほど彼の態度はあっさりしていて、クレアは余計に不安を募らせる。
「写しの件はよろしく頼む。それで、ほかに吸血鬼に心当たりのありそうな者は?」
「ええと、どうでしょう……」
「はい! はいはいはい! ここに! ここに! 審問官様!」
すっとぼけようとしていたところ、『心当たり』が自分から駆けつけてきた。
マチルダだ。
興奮気味に鼻の穴を膨らませ、ドタバタと走ってくる姿は、まるでイノシシのようだ。
「昨晩、私吸血鬼に襲われました!」
「ほう。詳しく聞こうか。二人で話せる場所は?」
エルンストの目がギラリと光った気がした。
「こちらに! 応接室がございます!」
ペコペコしながらエルンストを案内していくマチルダが、一瞬だけクレアのほうを見て。
「っ……」
勝ち誇ったような醜悪な笑みに、思わず背筋が寒くなる。
この女がなにを考えているのか、クレアは一瞬で理解できてしまった。
だが、動くことはできない。
事前に言い訳を並べれば、余計怪しまれるだけだ。
(あの審問官がまともなことを祈るしかないか……)
クレアは席に座り直すと、落ち着かない様子でカタカタと貧乏ゆすりを始めた。
◆
ガチャリ、と後ろ手にドアを閉めるエルンストを座らせ、マチルダはえびす顔でもみ手をした。
「なにか、お飲み物でも? 紅茶でもコーヒーでも、なんでもございますが……」
「不要だ。さっさと本題に入れ」
「は。でしたら、失礼して……」
マチルダは妙なしなを作りながら、エルンストの対面に腰掛けると、ひそひそ声で言った。
「吸血鬼とつながりがあると思われる人物に、心当たりがありまして」
「ほう。誰だ」
厳然と問いかけるエルンストに、マチルダが悪魔のような笑みを浮かべる。
「私の同僚で、先ほどお話しされていた小娘……クレアという女です」
◆
(またこれか)
マチルダの話を、エルンストは内心うんざりしながら聞いていた。
「――それで、吸血鬼がなんと言ったと思います?
『次、クレアに手を出したら殺す』って。私、もう怖くて怖くて!
昨日なんてろくに眠れなかったんですの!」
「それは大変だったな」
口先ばかりのねぎらいを口にすると、マチルダは有頂天になって、またクレアへのくだらない恨み言を垂れ流し始めた。
異端審問官に、この手の『密告』があるのは珍しいことではない。
むしろ、正確な目撃情報などより、ずっと多いくらいだ。
なにせ、吸血鬼を暴く確実な方法が存在しないことは、市井にもそれなりに広まってしまっている。
となれば、気に入らない相手を容疑者に仕立て上げてしまえば、手ひどい嫌がらせができると考えるのは道理。
(愚昧な民草風情が、我々審問官を私刑の道具に使うとは、万死に値する)
静かに怒りの炎をたぎらせるエルンストだったが、むろん表には出さない。
捜査にはひとりでも多くの協力者が必要だ。
特に、有益な情報をもたらしてくれそうな者は。
(この女の密告は抜きにしても、クレアの様子は妙だった。
私を目にした途端、ヘビに睨まれたカエルのような慄きよう……確実になにかある)
とはいえ、拷問で口を割らせるようなやり方は、確実性に欠ける上に、時間ばかりかかる前時代的なものだ。
ならば、クレアのそばにいるマチルダを監視役としてつけておき、適当に泳がせておくくらいがちょうどいいだろう。
もし、本当にクレアが吸血鬼とつながっているのなら、遠からずボロを出すはずだ。
(いや、そのような受け身の手法はまどろっこしい)
エルンストとて、暇を持て余しているわけではない。
多少の軋轢を生もうが、早期解決を図ったほうが効果的だろう。
吸血鬼の被害を少しでも抑えるためなら、自分や教会の名に傷がつこうと、許容範囲だ。
エルンストはマチルダの長広舌をさえぎった。
「マチルダ嬢。クレア嬢が以前、ゴロツキに襲われていたところを吸血鬼に助けられたことがある、と言ったな。
それは確かか?」
「ええと、確たる証拠はございませんが、状況的にはそうであろうと考えた次第です。
吸血鬼めは、クレアさんがゴロツキに襲われていたところを目撃した、と私に話しておりましたから」
「普通に考えれば、その後助けただろうと。ふむ、筋は通っている」
ならば、クレアがこのことを黙っていたのにも説得力がある。
吸血鬼に助けられた、などと正直に審問官へ打ち明けるバカはいないだろう。
マチルダがずいっと身を乗り出してきた。
安っぽい香水の匂いが鼻をつき、エルンストは思わず顔をしかめる。
「そ、それで、クレアは『クロ』でしょうか……?」
「まだ証拠が不十分だ。今おまえが話した程度の内容をもとに誰かを逮捕することは、神の教えに反する」
「そんな……」
「ただし」
エルンストは、懐から羊皮紙を取り出すと、簡易的な委任状を作成し、マチルダに手渡した。
「お前の協力を仰ぎたい。クレア嬢の行動を、それとなく観察してくれ。
誰と会うか、何時に帰るか。不審な行動はないか――気付いたことを報告してほしい」
「わ、わかりました。報告は、どのようにすれば……」
「そうだな」
エルンストは、マチルダの風体をじっくり観察した上で、微笑とともに提案した。
「毎週、金曜夜10時。適当な酒場で落ち合おう」
◆
ニタニタと笑いながら、マチルダは小躍りせんばかりの勢いでカウンターへ戻った。
不安げな顔で、こちらを見上げてくるクレア。
その罠に捕まった小動物のような怯えきった姿に、マチルダは大いに嗜虐心を掻き立てられる。
(残念だったわね、これであなたの人生はおしまいよ。哀れな小娘!
よくもさんざんコケにしてくれたわね。
これからは、この私があなたの一挙手一投足を逐一観察して、ぜーんぶエルンスト様に報告してやるんだから。
せいぜい、首を洗って待っていなさい!)
有益な報告をすれば、エルンストも喜んでくれるだろう。
これから、毎週やって来るデートへの期待で、マチルダの胸ははち切れそうだった。
(ああ、エルンスト様……あの包帯の下には、どんなお顔が隠されていらっしゃるのかしら?
もっと親しくなれば、私にだけ見せてくださったりして……)
夜に酒場で落ち合うとなれば、当然酒は飲むだろう。
吸血鬼をも狩り殺す、一騎当千の強者が、酔ったときにこぼす本音。
そこに優しく寄り添ってやれば、あのクールな美丈夫が、自分にだけ微笑んでくれるようになるかも……。
(ぐふっ、ぐふふふっ。玉の輿、玉の輿っ!)
舌なめずりをしながら、早くもマチルダは新たな人生設計を練り始めるのだった。
そんな彼女を、エルンストが冷めきった眼差しで見つめていたことには、毛ほども気づく気配はなかった。
◆
(色情狂めが。貴様になど、なにも期待しておらんわ)
流し目を送ってくるマチルダを無視しながら、エルンストは心の中でそう吐き捨てた。
狩りの手法は、大きく二つに分けられる。
一つは、足跡などの痕跡を頼りに、能動的に獲物を追う『追跡狩り』
もう一つは、罠を仕掛けてひたすら待つ『罠猟』
このうち、吸血鬼狩りで主に用いられるのは後者だ。
吸血鬼は人間と同等か、それに近い知能を持つ危険な魔族である。
狩人自身が下手に嗅ぎ回れば、逆に狩られる羽目にもなりかねない。
ミイラ取りがミイラになる、というやつだ。
(私があの女に求めることはただ一点。
私に代わって、吸血鬼の鼻先で騒ぎ立てること。
やつが痺れを切らして、マチルダに食いついたところを、私が刈り取る。
まあ、それもサブプランのひとつに過ぎんが)
エルンストは、本命のほうに目を向けた。
「クレア嬢。少し、話がしたいのだが、よろしいか?」
クレアは顔を真っ青にして固まっていたが、やがてゆっくりとうなずいた。




