第118話 宝箱の中身
エデンベルグの冒険者ギルドの大ホールは、異様な熱気に包まれていた。
中央に鎮座するのは、これまで誰の手によっても、いかなる魔法によっても開くことのなかった「開かずの宝箱」だ。その周囲を、物資の到着を待ちわびる冒険者や、伝説の結末を見届けようとする野次馬たちが幾重にも取り囲んでいる。
「ご注文いただいた品物をお持ちしました! 設置と使い方は後でご説明します!」
悠真が山積みの段ボールを載せた三輪カートを押し、人混みを割って入ると、地鳴りのような歓声が上がった。だが、悠真の意識はその熱狂の先、古めかしい装飾が施された宝箱へと釘付けになっていた。
(……今なら、いける)
不思議な確信があった。異世界の理ではなく、どこか自分の故郷――日本と繋がっているような、奇妙な予感。悠真はカートを止め、一歩、また一歩と宝箱へ歩み寄る。そして、その重厚な蓋に両手をかけた。
「……よし。開け」
力を込めた瞬間、これまで岩のように動かなかった蓋が、嘘のように軽くなった。
プシュウ、と密閉されていた古い空気が抜ける乾いた音が響く。長い時を経て、ついに「中身」がその姿を現した。
ホールが、一瞬にして静寂に塗り替えられた。
中から現れたのは、眩いばかりの光を放つ、アボカドほどの大きさの巨大な「魔石」。そしてその傍らに、ぽつんと、申し訳なさそうに置かれた、梅の種ほどのごく小さな二つの「黒い種」だった。
「な……なんだ、この魔力濃度は!?」
ギルドマスター・バルガスが絶句する。これ一つで、エデンベルグの全魔導具を一年間稼働させられるほどの凄まじいエネルギーだ。だが、隣にいたエルフの少女・エレンミアの反応は、驚愕を通り越して「戦慄」に近いものだった。
「……っ!!」
彼女は見たこともないような素早い動きで身を乗り出した。その小さな肩は激しく震え、指先は一点、あの小さな「種」を指差している。
「こ、小僧……ユウマ! その『種』……その種を、ワシに譲れ! いや、譲ってくれ!!」
普段の傲岸不遜な威厳はどこへやら、彼女は悠真の服を掴んで激しく揺さぶる。
「エ、エレンミアちゃん!? 落ち着いて、これただの種ですよ?」
「馬鹿を申せ! これが『ただの種』なわけがあるか!」
エレンミアの瞳は、これまでにないほど激しく、純粋な探究心と……どこか救いを求めるような切実な光で燃え上がっていた。
彼女は震える指先でその種に触れた。その瞬間、ホール全体の魔素が共鳴するように微かに震え、重低音のような唸りを上げた。
「これ……これが、本当に……生きておるのか……?」
エレンミアは巡礼者が聖遺物を目にした時のように、畏怖と歓喜が入り混じった表情で種を凝視した。その表面には、肉眼では辛うじて見えるかどうかの極細かな「神代紋様」が刻まれている。
「小僧、よく聞け。これは、かつて神代の終わりの最終戦争で焼き払われ、この地上から永遠に失われたはずの『世界樹』の種じゃ」
「世界樹……? あの、ファンタジー小説に出てくる、めちゃくちゃデカい木のことですか?」
悠真の問いに、エレンミアは重々しく首を横に振った。
「ただの巨木ではない。世界樹とは、この世界の地脈を整え、濁った魔素を浄化し、万物に生命の理を循環させる『心臓』そのもの。最後の一本が枯れ果てた時、我らエルフの魔力は衰退を始め、世界はやがて『深淵』に飲み込まれるとされてきた。……近年の魔物の活性化も、世界の均衡が崩れたゆえの必然じゃったのかもしれん」
エレンミアは、バルガスに向き直った。その表情は、一人の「少女」から、数百年を生きる「大賢者」のものへと切り替わっている。
「バルガス、ギルドマスターとして査定せよ。この種は、金貨数万枚を積んでも釣り合わぬ。この街……いや、この大陸すべての富を差し出しても足りぬ価値がある。エルフの秘宝をすべて投げ打っても良い。買い取り額を決めてくれ」
バルガスは困惑したように眉根を寄せ、それから悠真を見た。
「……エレンミア様、仰ることはわかります。ですが、ギルドの規約上、宝箱の中身の所有権は開錠者であるユウマにあります。そして、それをどう扱うかも彼の自由だ。……ユウマ、お前はどうしたい?」
悠真は、掌の上の小さな種を見つめた。これが世界のバランスを司る「心臓」の卵。
もしこれを日本に持ち帰って、庭のプランターに植えたらどうなるだろうか。日本列島に天を突くような巨木がそびえ立つ光景を想像し、悠真はすぐに首を振った。それは「お土産屋」の範疇を完全に超えている。




