その十 海がそこにある
寺島が運転する車は、マイクロではなく、ツアー人数に対して席数が多すぎる観光バスだった。
日出郎はカラオケがあるバスに乗りたかったらしく、そこでこんな大型車を運転できる特殊免許持ちの寺島に話が来たのであろう。
しかし車内のカラオケで歌うのは、署長の三馬鹿小学生ばかりである。
寺島はそのうちに、このカラオケ付きの車を借りる事こそ日出郎の目的で、彼は寺島を家族旅行の仲間に入れたかっただけだと思うようになった。
寺島があぐりとの付き合いを認めに貰いに行った日も、日出郎は寺島が考えていた以上に大きな男だったと思い出す。
保育園から海を引き取ってすぐ、病室でのあぐりとの邂逅が忘れられない寺島は、あぐりの家へと足が向かってしまっていた。
日が暮れかけの夕方に子連れで連絡もなく訪問してきた男であるのに、日出郎は寺島を自宅に上げたのである。
もちろん、応接間に案内されてすぐに、茶菓子を持って来た桂によって「大事な話でしょうから」と海は連れ去られてもいた。
そしてソファに日出郎と向かい合わせに座っていた寺島は、息子がそばにいない今こそとソファから降りて床に土下座し、付き合いを認めて欲しいと願い出た。
「おやっさん!そいつは追い出してください!」
寺島が日出郎の返事を聞く前に、ジャンが応接間に飛び込んだ。
克己はあの日の死闘のやり直しという風に寺島の襟首を掴んだ。
「帰れ!あぐりさんは新しい人生を生きるんだ。」
「ねえ克己君。あの子はいつまで持つかわからないんだ。死ぬ時に恋人がいるってのもあいつにはいいんじゃないか?」
「死にませんよ!」
「彼女は死にません!」
克己と寺島は同時に叫んでいた。
二人の叫びに日出郎は驚いたが、理由も言わない二人の眼つきが確信しきっているものだと直ぐに気が付いた。
すると、日出郎は物凄く悪辣な笑みを顔に浮かべた。
「あいつが生き延びるんならさ、選択できる人生の方がいいじゃないか。僕は克己君でもこの寺島君でも、あぐりがいいと言った奴なら歓迎だよ?だからさ、僕が寺島君との付き合いを認める認めないとかじゃないんだわ。なあ、克己君。」
寺島が驚いた事に、克己は従順な犬のようにして日出郎に頭を下げた。
しかし、克己は寺島を解放するどころか、襟首を掴んだまま寺島を応接間から引き出して、終には玄関まで引っ立てて追い出してくれた。
そんな克己の行為を日出郎は何も止めなかったが、寺島が取り残された海の為にもう一度玄関ベルを鳴らすと、当たり前のように日出郎は玄関を開けてくれた。
「お母さんが君の息子を気に入ってさ。明日からうちで預かってもいいよ。だからさ、今夜はその相談をしようか。」
そうして寺島と海は日出郎によって道成寺家に受け入れられたのである。
なんと素晴らしい義理の父であろうか。
赤信号で車を停めた寺島は、ミラーを覗いて車内での日出郎の様子を伺った。
日出郎は自分の小柄な体を良い事に、ソファのような後部座席をベッドにして横になって眠りこけていた。
別のシートでは署長が二席を占領して爆睡していた。
署長は日出郎みたいに横になってはいないが、寺島は自分の上司のその寝顔に言い尽くせない何かを感じた。
「そうか。無駄に席数が多いバスを借りたのはこれが目的か。無礼講すぎる飲み会だったものな、昨夜は。」
寺島は溜息を吐きながら、自分の美しい恋人に目線を映した。
彼女の隣には当たり前のように克己が座り、通路を挟んで横に座る遊里が、彼女にトランプカードを持った手を差し出していた。
また、彼女の真ん前の席に座る純広は子供のように後ろ座りして、ただひたすらに彼女からかって喜んでいる。
寺島は歯ぎしりするしかない。
昨夜のあぐりとの大事な時間も、彼らに台無しにされたのだ。
「お前はいい加減に天国に送ってやろうか。」
脅しをかけた低い声が寺島の上に落ち、寺島の背中から幼子の質量が消えた。
寺島は両目を閉じて観念した。
今日は心が完全に通じ合うなんてラッキーがあったから良かったじゃないかと、寺島は自分に言い聞かせながら最愛のあぐりから両手をそろそろと外した。
ルシファーだった男は寺島の幼子を抱いており、寺島と目が合うと身を屈めて寺島の耳に脅しを囁いた。
「お前がいなくとも我が家はこの子をちゃんと育てるよ。」
「君をもう一度地獄に落してもいいんだよ?」
ルシファーは形の良い右の眉をピクリと動かした。
寺島はあの日の死闘を思い出しながら、口元に脅しともなる笑みを浮かべた。
オスカーを器にしたサリエルは、アークエンジェルだった時代では、罪を犯した天使を天から落とす任務に就いていたのである。
さらに言えば、サリエルは堕天使かもしれないが、ルシファーには一度たりとも与していない存在だ。
だからこそバールはオスカーを自分の監視下に置いていたのだ。
事情の全てを知った寺島はそう考えている。
バールがオスカーから自尊心を奪って抑圧していたのは、天の神こそがサリエルに地上の悪魔を地獄に戻す使命を与えていたと知ったからだろうと。
克己を見返した寺島の瞳は天空の青色に変わり、その瞳による視線を受けた克己の黒い瞳は明けの明星そのものの金色の光を帯びたものと変わった。
「ねえねえ。アルにさ、君の中身はグザファンだったと教えていいかな?」
寺島はびくっと体を震わせ、いつの間にか自分の真横でしゃがんでいた青年に振り返った。
アイスブルーの瞳をした青年は、してやったりの表情で微笑んだ。
「天国を放火する提案だけで地獄に落された可哀想な天使ちゃん。誰が天使だったグザファンを天から落としちゃったんだろうねえ?」
寺島はピシッと金縛りにあったように固まった。
それでも今の会話を聞かれていたらとあぐりに慌てて振り返ると、あぐりはすでに廊下を歩いて寺島から遠ざかっていたのである。
遊里という男と肩を並べて!
楽しそうに!
「おじちゃん。青だよ。」
「ありがとう。」
寺島は気兼ねなく、少々乱暴にアクセルを踏んだ。
さて、寺島が運転するバスが辿り着いたのは、寺島も良く知っているが泊まった事は無い、昔からある有名老舗高級旅館であった。
宿の裏は海岸だからこそ泊り客は水着姿のまま海に飛び込め、徒歩数分で水族館にも行けるし有名な水産市場にも行けるというロケーションだ。
全員が降り終わった事を確認してバスを降りると、彼の息子と彼の恋人が彼を待っていた。
白いタオル地で出来たフードとショートパンツ姿のあぐりは可愛らしい事この上なく、彼女の足元でお揃いのようなフードを着て浮き輪を被っている息子がキューピットみたいだと寺島は思って笑っていた。
「おっそーい。」
「ごめん。暑かったでしょう?急いで宿に行きましょう。すぐに自分が荷物を、あれ、荷物を。」
寺島があぐりを見返すと、彼女はそんなこともわからないのか、という風に高慢そうに鼻を鳴らした。
「まさか君がとっくに?」
「ええ!とっくに宿の人に部屋に持って行ってもらいました。お疲れのところ申し訳ありませんが、私は少しでも沢山あなたと一緒にいたいの。私の我儘に付き合っていただけるかしら?」
「光栄ですよ。」
彼はあぐりに微笑んで、すぐに、裏返った声を上げることになった。
あぐりは寺島の了解を得るや、海と手を繋いでとことこと走り出したのだ。
「待って、待って!君達!駐車場の中で走らないで!」
「だって、海よ!海がそこにあるのよ!」
オスカー!海よ!海がそこにあるのよ!
「ああ、アルビーナ。本当に君は海を見ると理性が消える!」
オスカーは亡くなってしまった恋人を思って涙を流し、寺島はその涙を左手で拭うと、この世界では生きている大事な二人を追いかけた。
三人が目指す先には、きらきらと太陽に反射して輝く海が波打っている。
これからの人生がこうだと教えるようにして、キラキラと輝いているのだ。
お読みいただきありがとうございました。
海に行こうもこれで完結となります。
寺島とあぐりとカイの三人で海に向かう、この場面で終わるのが綺麗だったのでここで終わりとしました。
最後に寺島はアルビーナの事を亡くなってしまった恋人として涙を流していますが、オスカーだった時に身動きできない状態ながらアルビーナの死ぬまでの事は見ています。
アルビーナの最期にアルビーナに「世界は君を失って暗闇に沈むんだ。」といったオスカーは、思念だけですが本物でした。
さて、本当は克己と純広に遊里が密談していたように、彼ら三人の大立ち回りも考えていました。
↓
海には半グレによる海の家なんかが乱立していて、あぐりがちょっかい出された事で喧嘩上等の克己と純広が大暴れして、そこに地元ヤクザ率いたバールが到着して半グレ回収。
高級旅館オーナーと日出郎と署長は高校時代の悪ガキ三人組で、日出郎と署長は困った友人を助けるためにこんな旅行を計画したのでした。
日「うちの克己君とかお縄になったら困るなあ。」
署「警察は任せとけ。」
小野寺親子は、金持ち息子を捕まえたいだけの人達。
「参加させないとバス貸さない。」で、参加です。




