その八 悩み事
「あ、気に入らなかったか。」
あぐりは寺島の不意の言葉を誤解してしまったようだ。
彼女は自分のワンピース姿を残念そうに見下ろした。
寺島の視界も自然に彼女の視線を追った。
彼女は体の線を完全に隠す膝丈のコクーン型のワンピースを着ているが、そのワンピースの生地が白地に淡い水色のチェックというサッカー地である。
それがために寺島の目に映る彼女の姿は清純そのもので、彼には眩しいぐらいに可愛らしく光り輝いているのだ。
君はわかっているのだろうか。
寺島は心の中で何度目かになる同じ問いかけをしていた。
寺島は彼女の姿を見た一瞬、そのどこも締め付けないワンピースを胸が出るまで捲り上げるという想像をしてしまったのである。
パパ、あぐりちゃんはふわふわです。
寺島は息子が以前にしてきた報告を思い出し、自分も三歳児に戻りたいと一瞬だけ思った。
一瞬だけだ。
恋した人を抱きしめるからには、大人の男として抱きしめたいではないか。
ああ、抱きしめたい。
寺島は思考がそれしかなくなった自分を諫め、奥歯を噛みしめた。
「そんなに気に入らないのか。そっか。あなたは痩せている女の子の方が好きだものね。」
「そんなことはない!」
寺島が出した裏返った大声は、出した彼自身が情けなく感じるぐらいに安っぽいものだった。
そして、自分の上司と最愛の人の父親が自分を睨みつける中、寺島は一番大事な女性に何かを言わねばと言葉を探そうとした。
「あぐりちゃんはふわふわなの。」
寺島の足元には寺島を追い詰める悪魔がいた。
寺島は息子の言葉によって、彼の秘密倉庫の記憶が呼び戻された。
あぐりの体に一生残る傷があるのは許せないと、彼女の体に触れながら彼女の体の傷を癒した時の記憶である。
その時は必死でもあったので性的な興奮は抑えられたが、彼女と離れてから思い返せば、彼の手が触れた柔らかな皮膚の感触や、アルビーナとは違った胸の形や肉感を彼女と口づけながら味わっていたその時が性的興奮と共に蘇るのだ。
だからこそ、今の息子の台詞は彼にはとっても危険だった。
宴会場という大人数がいる場にて、彼の下半身に血液が集まり始めたのである。
「海、それは後でな。」
「うん。あぐりちゃんと水シャワーは後でね。」
追い打ちをかけやがってと、寺島は大事な自分の息子達を忌々しく思った。
道成寺家は海を完全に自分達の子供として受け入れている。
寺島の代りに保育園に迎えに行き、寺島の仕事が終わるまで、それが夜の八時過ぎになろうとも預かってくれるのである。
また、寺島が朝の五時に家をでねばならないシフトの日には、前日から海を泊まらせて面倒を看てくれるのだ。
海はそのために道成寺家の人間を家族だと認識しており、日出郎と桂を自分の実の祖父母だと思い込んで懐いているという状態なのである。
これはいけないと寺島は思いながらも、両親もすでに亡く頼るべき親族もいない寺島は甘んじるしかない現状だ。
それでも彼自身がその環境に幸せを感じるのも事実であり、今日は帰りたくないと泣く息子を抱きしめての自宅への帰路は辛いばかりだ。
寺島は日出郎と桂から、道成寺家に下宿するのはどうかと、打診されてもいる。
しかしそれを彼が意固地に断っているのは、愛する人の家にヒモみたいな状況となる心苦しさもあるが、彼の男としての切羽詰まった状態こそあるだろう。
毎晩毎夜、道成寺から自宅に息子を連れ帰る道中、彼の息子は彼の耳にあぐりと過ごした生活を自慢して来るのだ。
今日もたくさんぎゅうむされたの。
ほっぺにちゅうした。
ネズミさんたいそうをいっしょにおどったの。
寺島はそれら全部自分に置き換えて想像してしまい、そのうちに保育園で息子が覚えてきた全く性的ではないお遊戯さえ、裸エプロンの彼女が踊っている映像に置き換えられる始末であった。
「パパ?」
「あ、ああ。わかっているよ。それは後でだ、いいな?」
「だね。わかっているよ。私はアルビーナと違うって。」
寺島は初めて聞いたあぐりの声に驚いた。
いつも偉そうで元気いっぱいの声ばかりのあぐりが、無理して笑顔を作っていた頃のアルビーナのような頼りない声を出したのだ。
彼は自分の息子を抱き上げると、あぐりの手首を掴んでいた。
そればかりか、宴会場から彼女を引っ張り出して廊下を歩いていたのだ。
道成寺家は廊下が長くてありがたいと思いながら。
「寺島さん?」
「静かに君と話し合える場所に行きたい。」
「あ、じゃあ、私の部屋?」
寺島の目頭には、彼が見た事も入った事もないあぐりの部屋のベッドにて、自分があぐりを押し倒して腰を振っている場面が浮かんだ。
「そこは一番ダメ。」
「そうだね。終わりだって伝えるのはそこじゃだめだよね。」
寺島の足は止まった。
自分が握りしめる頼りない手首は力など失っていて、自分を見上げるあぐりの表情ははにかんだどころか涙をこらえているような顔付だ。
寺島は全てを受けいれようと思った。
あぐりは異世界でのオスカーとの恋愛を引き摺っていた。
それで寺島にも恋心を抱いてくれたようだが、それこそ彼女が自分の気持を誤解していた結果だったのだと気が付いたのだろうと。
あぐりと寺島として再会した時のあぐりの肉体の損傷の状態は、一生ベッドから出られるかわからないぐらいの酷いものだったのである。
彼女が一か月後も生き延びられるかわからない程の、である。
そんな状態の彼女が正常な判断など出来るはずはなかったではないか。
その考えは、寺島の悩みの一つでもある。




