世界の秘密
病院にもどこにも質さねばならないバールが不在であった。
そこでジャンは寮に戻るや、バールの私室に乗り込んだのである。
しかしバールの部屋に一歩踏み入れたそこで、ジャンはバールがここで生活しているとは思えないと考えて足が止まった。
物が無い空っぽな部屋などではない。
単に整頓された綺麗な部屋と誰もが一瞬は思うだろうが、それは誰もがそう思う様に家具や荷物の配置がされているだけ、という、見本でしかない部屋だったのである。
「術者こそ己が弱点を隠すとアルビーナは言っていたな。上級貴族という魔人こそ感情を見せたがらないのは、つけ込まれる事を怖れ、また、抑え込まれた感情を魔力に転化するため、とも。」
ジャンは今さらに自分が一緒にいる人間が魔人であると思い返しており、バールには一つも真実など無いのではとうすら寒く感じていた。
奴は弱者の救済を唱えているが、実は己が頂点に立ちたいだけの簒奪者でしかないのでは無いのか?
ジャンは探し物など決して見つからないだろう部屋の扉を荒々しく閉めると、自分が与えられている私室へと足を向けた。
だが、彼は直ぐに足を止めた。
彼の後ろに今までなかった人の気配を感じたからである。
ジャンは反射的に剣を抜き去りながら一歩前に出た後にターンをし、一瞬で自分の背後を取った人物に臨戦態勢で向かい合っていた。
「おおっと。」
驚いた、どころではない。
ジャンの真後ろに立っていた人物は彼が良く知っている人物であり、彼がアルビーナ以外ではそれなりに信用をしている人物でもある。
「どうして?コンラート?」
今やカンターレ侯爵領を統治するアロイスの家令となっている人物が、バールによって魔法防御が為されているはずの兵寮の薄暗い廊下に出現したのである。
「なにか領地で起きたのか?」
コンラートは笑い皺が刻まれた目元を微笑ませた。
そこでジャンは気が付いた。
魔人であるコンラートに、通常の人間のような老化が見える、という事に。
「コンラート?」
「ヤン様。そこの部屋にもう一度お入りください。あなたにお伝えしなければいけないことがあります。」
「俺の部屋の方が良いのでは無いのか?」
「ご冗談を。あなたの部屋は覗き放題ではございませんか。」
「え?」
ジャンがコンラートの言葉に驚いていると、コンラートはバールの部屋の扉を開けてジャンに入るようにと促した。
「こんな時まで召使いめいた振る舞いをするんだな。」
「私が入って仕掛けが動いたら怖いです。ですが、バールの庇護にあるあなたが先に部屋に入れば仕掛けなど動かせはしないでしょう?」
「君もえげつないな。魔人だからか?全く!魔人が全員アルビーナの優しさを学べば、この世界は諍いなど縁遠い平和そのものになるだろうに!」
「そうですね。そうだったかもしれませんね。」
コンラートの声はとても静かだった。
ジャンはその口調に彼女の面影を思い出しては胸を痛ませる自分を思い返し、同じように感じているだろうコンラートの為にバールの部屋に入った。
そしてジャンがバールの部屋に入るやコンラートも部屋に入って来たのだが、コンラートは扉を閉めながら、懐かしいものを思い出すような口調で一言呟いたのである。
「彼女に人の優しさなどありえませんでしたのに。」
「コンラート?」
ジャンに振り返ったコンラートは、自分の胸元に壁掛け鏡のようなモニターを作り上げていた。
そのモニターの中に浮かぶ映像は、ジャンの胸を締め付けた。
「俺を助け出した頃のアルビーナだ。」
まだ七歳の少女は美しく、ジャンは自分の心を奪った彼女の姿をまじまじと見つめていた。
二度と会えない愛する人。
そんな彼女の姿が、それが幼い頃のものでも、彼は再び目にできたのだ。
だが、懐かしさに涙が零れそうになったジャンであるが、コンラートの言葉によって己が目玉の方が本当に零れかけた。
「違います。もっと大昔の頃でございます。」
「え?」
見直してみれば、七歳のアルビーナが着ているドレスは、ジャンが見知っている形のものではない。
モニターの中の彼女が着ているのは、絵画で見た事のある鯨の骨でドレスを膨らませているという、大昔のドレスであるのだ。
それどころか、彼女の顔付はジャンが知っている彼女の物ではない。
「このアルビーナは俺が出会った頃のアルビーナじゃない?確かにこんな仮装は俺がいた時に一度もしなかったが、七歳のお祝いかなんかの時か?」
「七歳のお祝い。確かにそうだったかもしれませんね。七歳のお祝いに哀れなものでございます。こちらは百年前のお姿です。」
「え?」
コンラートは微笑んだ。
その微笑みで彼の顔の皺は一層に深みを増し、彼の年齢をジャンは知らなかったと背筋に冷たいものが走った。
そんなジャンに追い打ちをかけるようにして、コンラートはジャンの大事な人の秘密を口にしたのである。
「百年ごとの魔族召喚によってバルタザール様は永遠の若さと力を受け取られておりました。つまり、儀式ごとにアルビーナ様のような生贄となった人に入れ込まれて、生贄の肉親がそれぞれの領地にて魔物を管理しております。」
「アルビーナが魔物?普通に魔法が使えるだけの人間だろ?君みたいな。」
ゆっくりとコンラートは首を横に振った。
それからコンラートは自分が生み出したモニターを抱えるように両手をあげたが、彼の手の甲にははっきりと老齢を示す皺が刻まれていた。
「儀式の影響で魔力を添加されて魔人となった者は人間と同じです。ですが魔物の容れ物となり魔物と同化した生贄は年を取りません。その魔物を館に閉じ込めて管理する人間だって年を取らないのです。私のように。亡くなられたアルビーナのお父様はブルーノの兄ではありません。ブルーノの祖父に当たるお方でした。大事な娘を魔物の器に差し出したのは、己が魔力の強化のため。彼女から魔力を引き出す形で魔力を増大させることができるからでございます。」




