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聖女と魔女

「お疲れではないですか?」


 自分に掛かった声にジャンは振り向くと、柔らかな金色の影が立っていた。

 ビアンカだった。

 彼女は灰色の襟元が詰まっている地味なドレスを着て、きっちりと髪を結って白いエプロンを付けていた。


 彼女のその姿は、ジャン達が接収した建物にて開院している治療院にて、彼女が看護師として働いていることを示している。


 ビアンカの父親であるローデリカ伯爵は理想を持った偽善者、つまり、上に立つ人間こそ差別なく人を幸せに導かなければならないという考えを持つ。

 しかし、しない慈善よりもする偽善という言葉にあるように、ローデリカ伯爵が階級主義者でしかない人であろうが、伯爵が弱者に手を差し伸べてきた人であるのも事実なのである。


 そのような父親の娘であるビアンカは、他人のために献身するということに何の抵抗も無いどころか使命と考えていた。

 彼女はジャン達の陣地に入るや頼まれる前に自ら動いて、そしていつの間にか聖女とまで呼ばれるようになっている。


 しかしながらジャンは、彼女の献身ぶりを見ても他の人間のように感心できるどころか、理解が出来ないとしか思えなかった。

 それどころか、人並み以上に綺麗な少女が自分を見かければ絶えず纏わりついてくることを、迷惑、としか感じていない。


 それは、ジャンの愛するアルビーナが絶対にビアンカのような振る舞いをしない、と、ジャンが断言できるからでもあろう。


 アルビーナは人の行動に価値があると考えるからこそ、自らも無料奉仕など絶対にしないし他者に無料奉仕を望まないのだと、ジャンは思うのだ。


 必ず自分の代りに動く人間に賃金を発生させ、その人間の行為を無にしない。

 また、上に立つ彼女が無駄に動かない事により、彼女の下で働く人間は余計な仕事を与えられる事も、それを無償で行わされる事も無い。


 ビアンカはそういった事を考えた事があるのだろうか、と、ジャンは彼女を見つめながら考えた。

 君に従う召使いは、君が深夜まで動いている限り、君を見守るという仕事から離れる事は出来ないんだよ、と。


 しかし、ビアンカの後ろにもう一人いたと気が付いたそこで、自分が無駄に考えすぎただけだと反省した。

 ビアンカの後ろに控える彼女の召使い、侍女らしき中年女性は、ビアンカの影として常に寄り添い、今は自分の姫に対しての誇らしさでいっぱいの顔をしてジャンに見せつけているのである。


 素晴らしきお嬢様でしょう?と。


 聖女、か。


 彼女はアルビーナのようにして、人の最悪など見てきた事があるのだろうか?


 ジャンはそんな風に考えながらビアンカを見下ろしていた。

 聖女はジャンに見つめらている事に嬉しそうに頬を染め、無邪気に笑った。


「お疲れ様です。ヤン様。私が焼いたケーキがありますのよ。せっかくですからご一緒にお茶は如何ですか?」


「仕事中ですので。申し訳ありませんが。」


「バール様はそちらではございませんよ。」


 彼が踵を返した途端に、影が声をあげた。

 女性にしては厳しい声だとジャンは思った。

 彼が振り返ると、ビアンカの侍女は優越そうな表情を作った。


 知りたければお嬢様のお茶に付き合いなさい。


 ジャンは口元を綻ばせた。

 これは笑みどころか、人をやり込めようと動く時の彼の癖だ。

 アルビーナの前ではした事のない顔であり、する必要が無かったと、ジャンは失った人を想いながら口を開いていた。


 それは、アルビーナが自分を守ろうといつも先に動くからだった、と。


 ジャンはアルビーナを守り切れなかった自分を忌々しく苛立たしく思いながらであったため、侍女に向けての口調はかなり厳しいものとなっていた。


「いないのならばそれでいいです。それが俺への次の行動への了承となる。」


 ジャンは進む方向を見据えると、誰にも呼び止められないぐらいに真っ直ぐに歩きだした。


 バールが作り出した治療院。


 いつのまにかどんな病気も治るという噂が広まり、いまや南部以外の地域からも大金を抱えた貴族や大商人が訪れるようになっている。


 しかし、治療院が多くの医師を雇っているのも事実であるが、誰のどんな状態も治せるという回復魔法が使える回復士は、バールだけだ。

 この世界に回復士が存在できないのは、神の恩寵を受ける事が出来ない人間が回復魔法には自分の生命エネルギーを注ぐしか無いからなのは誰もが知っている。


 だが、バールの生命エネルギーは一向に衰える事は無い。


 ジャンはバールがいれば、そのカラクリを今日こそ問いただそうと考えていた。


 いないのならば?

 あの侍女に言った通り、自分で治療院内を探るだけである。


 軽やかな足音がジャンを追いかけてきたと思うと、その足音の主はジャンを追い越して、ジャンの前に立ちふさがった。


「院のご見学なら、私が案内いたしますわ!私はあなたにこの治療院での出来事をお茶の席でお話したかったのですもの。」


「常に滞りなかく、俺やバールのお陰で慈愛に満ちた手を差し伸べられます?そんな感謝などわざわざ聞くまでもありませんよ。」


 紫色の瞳はジャンを睨んだ。

 その気概にジャンは少々気分をよくしていた。

 アルビーナの気の強さを思い出したのだ。


「その通りだったかな?」


「いいえ。精神病棟の患者についてのご相談です。」


「バールが患者に拷問でもしているのか?」


 半分冗談でもあるが、半分はあいつはやっていそうだとジャンは思いながら軽口を叩いていた。

 ところが、ビアンカは表情を思いつめたような硬いものに変えた。


「どうした?」


「バール様がとても問題のある患者を退院させてしまったんです。」

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