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密約

 謁見室から王城の中庭まで、私はどうやって歩いて来たか覚えていない。

 足元は全くおぼつかず、自分の体が汚されまくったような気がしていた。

 私はアルビーナだ。

 悪役として生きねば、きっと救世主は立ち上がらず、そして、今回私が命令された虐殺が好き勝手に起きる世界のままでいるのだ。


「うう。」


 私は右手の袖で自分の涙を拭った。

 涙を拭いながら、私は泣いた事があっただろうかと思い出していた。

 私の隣には必ずジャンがいた。

 転生した後、前世の親の悲しみを思っても、私が泣くまで至らなかったのは、私の隣にジャンがいたからだ。


 ジャンを愛していたから、私の心は満ち足りていられたのだ。


「ジャン。」


「あれを生贄にすれば百人分は賄える。」


 脳裏に王の近従の声が蘇った。

 私は嗚咽を飲み込むと、愛するジャンだけは助けなければ、と決意して、――決意して、それは二人の道を別つことになると気が付いた。


 ジャンがヤン・ヘルツォークであったとしても、ジャンがジャンでしかなくとも、私はジャンと別れなければいけないのだ。


「ああ、ジャン。」


「悲しむことは無い。この世は半分は男で出来ている。」


 歌うような台詞に顔をあげれば、私が話さねばならないと考えていた男、私に不幸を呼んで来るばかりのエドガー・バールが目の前に立っていた。

 私に白いハンカチを差し出しながら。


「神出鬼没ね。」


「必然的行動だ。君は反吐の出るお話を聞いて来た。私は気分の悪い君の気分を少しは和らげてあげたいと考えている。」


 彼は私が受け取らなくともハンカチを差し出したままであり、白いハンカチが私が彼と手を取るためのチケットのように見えた。

 そして、それを受け取ったら、私は後戻りはできないだろう。


「ジャンの命。いや、ヤンの命か。ふふ、君以外はヤンと呼ばねばならないって、少女はいつも我儘だ。そんな我儘を必死に守る可愛い男の子、彼の命は私が保証しよう。君が私の運命共同体になってくれるならば。」


 私はバールからハンカチを受け取った。

 拒む事など出来ないのだ。

 私は一万人を六月六日までに集め、王が行う魔界解放術の生贄に捧げなければいけないのだ。


 一人では到底達成など出来ない。

 達成できなければ?


 王は魔術を発動し、魔都に住む者、罪のある者無い者の選別なしに、全てを魔界の底に捧げてしまうだろう。


「地方に収監している囚人を魔都に集める事は出来て?」


「もちろん。それでも三千人だ。」


「そう。そうしたら後は七千ね。魔都に住まう鼻持ちならない貴族は何人?」


 バールは口元を歪めて嬉しそうに笑った。

 彼は本当に人を助ける気があるのだろうか。

 バールは私の心を読んだようにして、ぷはっと吹き出して笑い、私の鼻を右手のひとさし指で突いた。


「君を推薦して良かった。」


「なん、なんて、今?」


「君を推薦して良かった。」


「うわああああああ。」


 私はバールに飛び掛かっていた。

 鍛えられた男を突き飛ばすことはおろか、炎を纏っていたはずの私の炎さえもバールにぶつける事が出来なかった。


 私はみっともなくも地面に突っ伏していた。


 ぎゅう。


 背中を革靴で踏みつけられた。

 私を踏みつける足にバールは体重を乗せて来て、私の背中はミシっと軋んだ。


「うぐ、あ。」


「冷静を欠けば簡単に崩壊する。お前の失敗は私の失敗となる。わかるな?」


 さらに背中が軋んだ。

 肺が潰れるぐらいに苦しくて、水に溺れているみたいに空気を求めて喘いだ。


 ああ、溺れている。

 口の中で鉄の味がする。


「さあ、お姫様。私の望む答えをくださるかな?」


 私は地面を掴んだ。

 バールの髪の毛をむしってやる気持ちで、地面に生える草をわしづかみした。

 そうして力を込めると、顔をあげた。


「くうう。」


 私の顔を見る為か、バールは身を乗りだした。

 そのせいで私の背中は彼の体重の殆どがかかった。


「さあ、お姫様?」


 歌うように囁く男を睨みつけ、私は必死に声を出した。

 掠れた声にもならないものだったが、バールに言ってやりたかった。


「お前を、お前を殺すまで、し、失敗なんか、するもんですか!」


 私から重圧が消え、私はぐるっと裏返された。

 騎士のように膝をついたバールが、仰向けの私の上半身を持ち上げて支えている、そんな絵の中のような構図となった。


 実際は拷問野郎と、拷問されて体力を失った乙女、という殺伐したものだが。


 だが、バールの頭にはもともと良識も罪悪感も無いのかもしれない。


「君は美しくて楽しい女の子だ。」


 私の身体はさらに持ち上げられた。

 私の顔はバールの顔とほんの数センチのところまで近づけられた。


 バールはふっと笑うと、私の額に口づけた!


 そして彼は唇を私の左耳にほとんど触れるぐらいに近づけると、私の耳に毒を注ぎ込んで来たのである。


「奪われるのが嫌なら与えてしまえ!意外にも執着がなくなるぞ。」


 その後の私は、どうやって自分の馬車に戻ったか覚えていない。

 白昼夢の悪夢に囚われたままのような感覚だ。

 バールに踏みつけられた背中に泥一つ付いていないどころか、踏みつけられた背中に内出血などの跡一つ出来ていない。

 感応術だったのか?


 それとも奴は回復魔法も使える魔人なのか。



お読みいただきありがとうございます。

恋愛なはずがドロドロした世界ですいません。

痛めつけられる主人公、そんなシチェーション好きです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] どんどんと世界がえげつなくなってきました! 楽しいですね! ワクワクします! そしてヒロインがいたぶられるのは堪りません。可哀想は可愛い、可愛い歯正義、つまり可哀想は正義!
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