第八十九話
「すみません、待ちました?」
「いえ、今来たところです」
笹森さんは左手にベージュのトートバッグとパティスリーシエルの白い紙袋、右手には黒いボストンバッグを抱えている。
「持ちますよ」
「じゃあお願いします」
笹森さんはベージュのトートバッグとケーキの入った紙袋を俺に預けてくれた。
「凄い荷物ですね」
「すみません。浮かれて旅行気分で、あれも持って行こうこれも持って行こうって」
「いえ、俺も浮かれていますから」
「本当ですか?」
「見えませんか?」
「見えません。だっていつも通り平然としてますよ。まるで何にも感じてないみたいに」
「本当に浮かれています。楽しみすぎて朝早く起き過ぎました」
「私もです。でもそんなに期待しないでくださいね。大したもの作ってないので」
「それは無理です。俺が笹森さんに期待しないとか、そんなこと言われるとこの先どうやって生きたらいいかわからないです」
「オーバーですよ」
「そんなことないです。笹森さんは本当に凄い人です」
「そんなことないです。まあ、もういいです。お腹空いてます?」
「はい、空いてます」
「良かった。一番大きいケーキ買ったんです。贅沢に半分こしましょうね」
「はい」
フレンドマートに入って500ミリリットルのペットボトルのお茶を二本だけ買って家路を急ぐ。
家に着くとすぐに食べましょうと言われた。
「すみません。洗面所お借りしていいですか?」
「はい」
笹森さんは手を洗って、持ってきたコップでうがいをした。
「すみません。あの、風邪流行っているそうなので」
俺がじっと狭い洗面所の隣に立ち、見つめていると少し恥ずかしそうに彼女は言った。
「ああ、そうですよね。すみません。もっかい手洗ってもらってもいいですか?」
「え?」
「いえ、途中からしか見てなかったので。後で見かえすので」
「手洗ってるのをですか?」
「はい。随分熱心に洗っているので」
「三十秒手洗いです。指の間とか、手首まで洗わないといけないんですよ」
「もう一回お願いします」
「いいですけど、本当におかしなこと言いますね」
「すみません」
「竹宮さんも手洗ってください」
「洗います。おかしな話ですけど、毎日外から帰ったら手洗ってるし、うがいしてるんですよ。風邪ひかないのに」
「だからハンドソープあるんですね。そういうとこ凄くいいと思います」
「そうですか?」
「はい、長年の習慣が抜けないとか、凄く好きです。つい同じ物買っちゃうとか。好きな色選んじゃうとか、スーパーで棒アイス見て思い出すのとか、ああ、描きたい。それ」
「そうですか」
良かった。
何か役に立ったかもしれない。
嬉しいな。
今日は一晩中一緒なのだから、ずっとこんな風話せるんだ。
明日は二人とも休みだから、時間を気にせず、ずっと。
今日は帰らなくていいのだから。




